「――朱理がラムネ好きなのってどうして?」 昼休み、裏庭で一緒に過ごしているとき訊ねてみたら、朱理は「ん?」とパックのオレンジジュースを飲みながら目をまるめた。 「ブドウ糖が入ってるからだよ」 「えっ、そんなすごい理由だったの?」 「すごいって」と朱理は太陽の光のなかで目を細めて、幼げに可愛く笑う。 「ブドウ糖は脳の栄養になるからいいんだよ、って上の兄貴に教わった影響だよ」 「あ、それもお兄さんの」 「うん。実際に効果を感じてるわけじゃないよ。たぶん兄貴もラムネ好きなだけなんだろうけど、いつも食べてるのを見てて〝兄ちゃんかっこいー〟って憧れて真似してるの」 眉を八の字にして、今度は情けなげに朱理が笑う。 暑くなってもさわやかな朱理の、いくつもの笑顔の種類に、ひとつずつ見惚れてしまう。 「……朱理のそういうところも好き」 「え?」 「憧れてるとか真似してるとかって、あまり堂々と言わなくない? しかも身内なら余計に、ちょっと照れる奴のほうが多い気がする。大人なんだよね、朱理は」 幕の内弁当の鮭を口に入れながら笑いかけると、朱理は次は頬を赤らめて笑った。 「兄貴の真似して大人って言われると思わなかった」 嬉しそうに笑いつつ、朱理がラムネのボトルをとって俺と目をあわせたまま一粒口に入れる。 朱理はとっくにカツ丼を食べ終えて、長い足をのばしてジュースとラムネを楽しんでいる。 「俺もラムネ食べて午後も頑張りたい」 「紺ははやく弁当食べな」 「暑くて食欲なくなってきたよ……」 まだ鮭が半分と、ご飯が三分の一ほど残っている。この最後のちょっとが食べられなくなるのってどういう心理なんだろ。お漬物と煮物までは楽しく食べられたのに。 「朱理のカツ丼美味しそうだったな。これからお昼は魚より肉系にしようかな」 「肉のほうが食べられるならそうしな。なんにせよ、暑さで食が細くなって、栄養不足になるのがいちばんよくないよ」 頭のてっぺんを朱理が撫でてくれる。よしよし、というよりは、太陽光で熱のこもった髪の隙間に風を通してくれているようなしゃかしゃかっていうしぐさ。 「朱理ってほんと身体のことちゃんと考えてるよね」 朱理のおかげで頭が涼しい。俺もジャスミンティを飲んで水分補給する。 「食事する場所も変えようか。暑くなってきたのもあるけど、そろそろ雨も増えるから」 朱理が空を仰いで言う。 「そうだ、梅雨だね。ねえ、外が辛くなってきたらカメたちはどうするの?」 俺たちが座っているベンチの傍らには今日もカメたちがいて、ふたりとも水場にいる。カメも暑いっぽい。 「ここは別荘なんだよ。この子たちの家は園芸部の部室内にちゃんとあるの」 「え、そうだったの?」 「そう。だから雨の日と夏のあいだは涼しいところで快適にしてるよ」 知らなかった。まあでもそうだよな……近ごろ夏は暑すぎるし、外で過ごすのはカメたちにとっても苦痛だよね。 「カメたちは夏休みってどうするの?」 ず、ずー、と朱理がジュースを飲み終えた。 「園芸部が交代で登校して花と一緒に世話するらしいよ。でも今年は俺と紺で面倒見ようか」 「え」 「紺は夏休み予定あるの?」 ストローを抜きとって、尖ったほうからジュースの雫を吸う朱理の色っぽい唇にどぎまぎした。 「夏の、予定は……夏期講習ぐらいかな。ほかはなにも考えてなかったけど、朱理と会えなくなるのは嫌、かも」 「〝かも〟?」 瞼を細めて、瞳まで色っぽくにじませながらちらりと横目で探ってくる。 「来年は受験だから、高校生のうちに思いきり遊べるのは今年だけだよ。なのに〝かも〟?」 う、ぇ。 「まだ期末テストのことで頭いっぱいだったよ。朱理はなにか計画してたの?」 「そうだね。熱海に別荘があるからとりあえず紺と一週間ぐらい一緒にいたい」 「べっ、別荘っ、」 別荘があるのカメたちだけじゃなかったっ。 「そうかー……紺が勉強するなら、俺も夏期講習だけおなじとこに通おうかな」 「え、朱理もっ?」 「夏期講習と、カメの世話と、一週間の小旅行って計画でどう?」 朱理がにっこり笑っている。 あ……これ本気のやつだ、って、もう表情だけで朱理の想いが読みとれる。 午後の授業がひとつ終わって、ベランダにでて朱理とふたりでしゃべっていたときだった。 「……ね、五十嵐君」 十日ぶりに登校していた下倉さんが、ガラス戸をあけて遠慮がちに俺たちのところに来た。 「……遅くなっちゃったけど、このあいだありがとうね。五十嵐君がはやめに声かけてくれたから、保健室に行って落ちつくことできたよ」 下倉さんがおかっぱの髪をさらりと流して、丁寧に頭をさげる。 俺の左横で柵に腕をついていた朱理も、下倉さんに身体を向けて「ううん」と微笑んだ。 「とんでもない。もう大丈夫?」 「うん、平気。それより五十嵐君にも迷惑かけたんじゃないかって心配だったから……辛い思いさせてたらごめんね」 下倉さんも〝ありがとう〟と〝ごめん〟が言えるいい人だ、と思った。 山田が話していたように下倉さんは大人しいタイプで、普段はそんなに目立たない、俺と似た〝真ん中系〟のクラスメイトだ。 これまであまりしゃべったこともなかったから、つい息を詰めて、気配を消そうと努めてしまう。 「俺も平気だよ。紺がいてくれたから」 なのに、朱理が俺を輪にひっぱり入れた。 なにをどこまで言う気なんだ、と朱理を見返して目をまたたいたら、下倉さんの視線も俺を捉えた。 「……ふたりってやっぱりつきあってる?」 うわ、とちょっと焦った俺の横で、朱理は黙ってにっこり笑顔をひろげる。言葉は返さなくとも、充分返答になっている満面の、意味深な笑顔だ。 「そうだよね。見てればわかるし、千堂君も言ってたから」 「え、千堂?」と下倉さんと、朱理を見た。 朱理も不思議そうな表情になったから「ごめん、俺が教えたんだよ」とうち明ける。 「そうなんだ、べつにいいけど」と朱理はするっと受け容れてくれたものの、俺は、千堂……? と、引っかかってしまった。 人の恋愛事情を触れまわる奴じゃないと思ったから、内密に教えたつもりだったのに。 「……いろいろ話聞いたんだよ。あのあとなんか、山田君たちが変なこと言ってたんでしょう? そのときも五十嵐君が言い返してくれたって」 下倉さんが続ける。 「山田君にもさっき、昼休みのとき謝られた。辱めるようなこと言った、ごめん、って。山田君、五十嵐君に〝大人の身体に成長してる〟って叱られたのがキたっぽいよ、ふふふ」 下倉さんが眉を寄せて苦笑いしている。 それで「じゃあね、お礼言いたかっただけだから、邪魔してごめんね」と手をふって戻っていった。 「山田、男見せたんだなあ……」 朱理も、ふふ、と楽しげに苦笑してラムネを食べる。 「山田ってスケベだけど、ばかすぎないからいいよね」 俺もほっとして、リンゴジュースを飲む。 山田は精神年齢が子どもでも、真んなかよりやや上の優等生寄りの存在でもある。話せばわかる奴だから嫌いじゃない。 朱理のことを〝α〟って括ったのは一生、根に持つけど。 「それより千堂だよ、ごめんね」 「ああ」 「千堂は自分の恋人のことオープンにしてるから気にならなかったのかも。でも言いふらしてほしくて教えたわけじゃなかったんだけどな……ごめんね」 そこらへんの空気は読める奴だと信じていた。どこまで誰にバラしているんだろう。 このあいだの件もあって、流れで下倉さんにだけバラしたってことならいいんだけど。 「紺は俺との仲を秘密にしたいの?」 朱理が柵に左腕をのせて、俺を見つめて大人っぽい笑みを浮かべる。 「え、いや……バレてもいいよ。でも朱理の許可もなしに言いふらしたくなかったから」 「俺、授業にでるようになったとたん紺にべったりしてるでしょう。たぶん誰でも気づくと思うよ。名前で呼びあってるし、休み時間のたびにふたりで消えるし」 「う……うん」 だよね、それもわかってるんだけどね。 「……学校で誰かとつきあってるの知られると、別れたときとかなにかあったとき、噂されて朱理が嫌かもって思って」 朱理が唇で笑顔をつくったまま「ふーん……」と長い相づちを打った。 「別れる気もトラブる気もないからいいんじゃない?」 ……俺の未知の未来への不安を、朱理はプロポーズに近い大告白で返してくる。 「うん……ありがとう」 俺の笑顔は、朱理にはどんなふうに、何種類ぐらい見えているんだろう。 「見て紺、虹!」 放課後、じょうろで花壇の花に水をあげながら朱理が俺を呼んだ。 隣の花壇から朱理のところに近づいて行くと、夕日の当たる角度によって、じょうろの水が綺麗な虹色に光ってきらめいている。 「本当だ、綺麗~っ」 俺も花に水をあげながら水のアーチに夕日を当てて虹をつくる。 色とりどりの花々にむけて、きらきら雨みたいに降りそそぐ虹色の水が綺麗だった。 「朱理がこうやって、虹見せてくれるところも好き」 虹ができたよ、って、この世界に生きている人全員が教えてくれるわけじゃないでしょう。 だけど朱理は笑って教えてくれる。 恋をしている幸せそうな笑顔を咲かせて、一緒に見よう、と呼んでくれる。 「紺がいっぱい好きなところ言ってくれるから、俺の告白が追いつかないなー……」 虹の水を花にかけてあげながら朱理がくすくす笑う。 「ねえ、紺。スマホの連絡先交換しようよ。それで夏休みの計画も詰めていこう」 「あ、うん。そういえば交換してなかったね。毎日会えるし、SNSもあるから満足してた」 メッセージで〝おはよう〟とか〝おやすみ〟を言うより、SNSの夜空と朝焼けで、無言で呼びあう秘密の告白に途方もない幸福感があったから、それで充分だった。 でもたしかに、本当に夏休みに旅行したり学校へ通ったりするなら、交換しておいたほうがいいのかもしれない。 「朱理と旅行かー……考えてもなかったな……」 去年の一年生のころ朱理とはべつのクラスで、ひとこともしゃべったことがなかった。 おそらくαの、果てしなく遠い存在のやたら格好いい同級生――って印象だけ。 なのにつきあうようになって、今年の夏はふたりで想い出をつくろうとしている。 遠いはずだった朱理と、自分も一緒に遠くへ行こうとしている。 「熱海ってなにがあるのかな……俺、行ったことないや」 「海だよ。海老とか魚とか海鮮料理もたくさんあるから買ってきてふたりで焼いて食べよう」 「海と海鮮っ?」 なんだかすごく大人っぽい。 「それ別荘でふたりきりでするの?」 「そうだよ。だから親に借りていい日訊いて、紺に連絡する。紺も夏期講習の期間と塾の場所教えてね」 「わかった。おわあ~……いろいろ現実味を帯びてきた……」 ぼんやり想像している間に、じょうろの水がなくなってしまった。かわりに、花に水粒がついて揺れながらきらきら輝いている。 「俺、紺と叶えたい夢があるんだよ」 朱理も空っぽになったじょうろを両手で持って、俺をふりむく。 「俺との夢……?」 「うん。ふたりで紺色の星空が見たい」 朱理の前髪が風に流されておでこがあらわになり、ハンサムな笑顔が余計に眩しくなった。 「……それ、ものすごい〝好き〟の告白だと思う」 「え、そう?」 そもそもあの夜空と朝焼けの写真は、俺にとって一生胸に刻まれて消えない特別な告白だ。 「……このあいだのどしゃ降りの雨の夜、朱理はどうするのかなって思ってたら、さすがに暗かったけど、すこし加工して綺麗な雨の夜の写真、載せてくれたでしょ。あれもすごく嬉しかったよ。俺は朝焼け撮れるかわからなくてどきどきして、なんとか撮れたからほっとした」 先週一日だけ雨が降ったんだ。でも紺色の告白は止まらなかった。 朱理は嬉しそうに微笑んで、前髪を掻きあげる。 「紺のほうが撮れない日あるだろうね」 「うん、雨の日が増えたら無理かもしれない」 だけどSNSの写真投稿はふたりして毎日続けている。 おたがいを呼びながら、好きだよ、って伝えあう、大事な告白だから。 「雨の日も雪の日も嵐の日も、どんな日も必ず紺を呼ぶよ」 朱理が俺の前髪に唇をつける。 「……繋がろうって誘ってもらったときもすごく嬉しかった。永遠に忘れない」 俺も額に朱理の唇と、囁く声を感じながら受けとめる。 「……なら俺は、朱理と朝焼けが見たい」 そう言ったら、喉の奥でくくくと笑う声が聞こえて、目の前で朱理の喉仏が上下していた。 「紺の告白には敵わないなー……」 旅行のあいだ毎日見よう、と朱理が内緒話みたいに小さく続けて、唇にも一瞬キスをくれる。 ←BACK//TOP//NEXT→ |