翌朝、SNSを確認したら五十嵐が一枚の写真を投稿していた。

 真っ暗な夜の写真だ。

 え、一枚目からこれ? と不穏な空気をかもしだす黒いサムネイルに戦慄する。

 今日は土曜日で、学校は休みだった。
 せっかくだから俺も空っぽのSNSになにか投稿しておこうと考えて、適当に窓の外の青空の写真を撮り、無言のまま送信した。

 そしてまた翌日の日曜日の朝にSNSを確認すると、五十嵐はふたつの写真を投稿していた。

 昨日の土曜日の昼ごろに道端に佇んでこっちを見ている猫の写真と、夜にまた真っ暗な夜空の写真。

 なんでまた真っ黒……? と気になって、眠る前にベッドでもう一度SNSを確認してみたら、やっぱり数十分前に真っ黒い夜を投稿している。

 黒と、野良猫と、黒と黒……。

 四枚の写真のサムネイルの並ぶさまが、不気味で怖い。

 実際にふたりで会ってしゃべってみたら大人で気さくで、ハンサムな好青年って印象だったのに、五十嵐の本当の闇はここにあるんだろうか、とすこし背筋が冷えた。

 繋がりたいなんて気軽に言ってしまったけれど、SNSはその人の本性や欲望もあらわになる。

 俺は五十嵐の、触れてはいけないところに踏み入ってしまったんだろうか。



 月曜日の昼休み、五十嵐のSNSにはカメがご飯を食べている写真と、裏庭の綺麗な花々の写真が投稿されていた。

 あ……五十嵐、登校しているんだ、とそれで知った。

 花はひまわりとかチューリップとかバラとか有名なのしか名前と姿が一致しない。紫のと、黄色いの……これってなんの花だろう。

「広瀬が昼間にスマホ見てるの珍しいな」

 左横から千堂が話しかけてきて、はっとする。

「ごめん」

「べつに謝ることないだろ」

 千堂はパックのコーヒー牛乳を飲みながら笑う。

 山田たちは昼食を終えたあと、べつの友だちに呼ばれていなくなっていた。

 千堂とふたりで階段の片隅に座っていたから、千堂が許可してくれてもひとりでスマホを見るのもな、とズボンのポケットにしまう。

「今日は石山さんのところ行かなくていいの?」

 千堂は陸上部の後輩の石山美羽さんとつきあっている。

「行かない。部活で会うからいいよ」

「ふーん」

 格好いいふりをしているけど千堂のSNSはほとんど石山さんとデートした写真で埋まっている。遊園地とか映画のパンフレットとか美味しそうないちごパフェとか。

 告白したのは石山さんからで、千堂はこたえるかたちでつきあい始めた。
 でも告白されてもことごとく断っている、って有名だったモテる千堂が、入学してきたばかりの一年生の告白にこたえたというだけで、おたがいに惹かれあっていたのは明白だった。

 以前『石山さんのどこに惹かれたの』と訊いてみたら『顔と性格』と照れたようすで突っ慳貪に返された。

 βは〝運命のつがい〟に縁がない存在だけど、やっぱり誰にでも運命を感じる瞬間ってあるんだろうなあと、ちょっと羨ましかった。

「……なににやにやしてるんだよ」

 千堂を見ていたら、嫌そうな顔をされた。

「石山さんに会いたいんじゃないの? 俺はひとりでも平気だから行ってもいいよ」

 千堂が石山さんに会いに行くなら、俺は五十嵐のところに行くし。

「広瀬に気ぃつかってるわけじゃねえよ、友だちといたいときだってあんだろ」

「とくに大事な話してるんでもないじゃん。ぼうっとしてるだけだし」

「じゃあなんか話せよ、大事なこと」

「なにそれ」

 笑ったら、八つ当たりみたいに肘で腕を殴られた。いてー。

「そういえば広瀬、和田になんか面倒なこと頼まれてただろ」

「あー……見てた?」

「帰り際に和田がでかい声でおまえのこと呼んでたから」

 そりゃそうだよな、バレるよな……。

「五十嵐と仲よくしてやってって言われたんだよ」

「え、なんで広瀬に?」

「隣の席だからだって」

「ばかだな和田」

 ず、ずずー、とコーヒー牛乳を飲みほして、千堂が呆れる。

「広瀬は一年のころも五十嵐と接点なかったじゃないか」

「そうなんだよ。二年になってもすぐ来なくなっちゃったからほとんど知らないのに」

 千堂は顔をしかめながら、ストローをパックのなかに押し入れた。

「まあ、でも放っておいていいんじゃないの」

 千堂がパックを振ると、なかのストローがカラカラ、と鳴った。

「千堂って五十嵐と一年のころ一緒だったんだよね」

「ああ」

「授業にはちゃんとでてた?」

「でてたよ。二年になってからだよな、急に来なくなったの」

「……で、放っておいて平気だと思うの?」

 脳裏に、SNSの真っ黒い夜空の写真が過る。

「あいつ頭いいから。悩みがあるとしても、たぶん俺らと違う次元で悩んでるよ。学校が嫌いとか集団生活になじめないとか、そういう思春期っぽい内容じゃないと思う」

「……かな」

「αの兄貴がふたりいる三男で、家の仕事も手伝ってるっぽいし。迂闊に近づいて同情して、そんな事情聞かされても、俺らにはついていけないんじゃね?」

「三男……」

 ……そっち系の闇、なのかな。

 だとしたらたしかに俺なんかには寄り添えないかもしれない。

「有名な話だけど、個人情報だったかもな。ごめんな」

 千堂がちょっとバツの悪そうな顔で軽く頭をさげる。……わあ、千堂も和田先生より大人だ。

「ううん、教えてくれてありがとう。俺が知りたがったんだから、千堂は気にしないで」

 笑い返すと、千堂がすこし真面目な表情になった。

「……広瀬って、バース性、」

 言いかけたところで昼休憩終了のチャイムが鳴ってしまい、おたがいに目をまるめる。

「まあいいや、戻るか」

「ああ、うん」

 カラカラ、と千堂がパックジュースの空を鳴らしながら、階段脇にあるゴミ箱にそれを捨てた。



「――なあ、広瀬はSNSにあまり投稿しないタイプ?」

 放課後五十嵐とふたりで花壇の花にじょうろで水をあげていたら、五十嵐から例の話題をふられてしまって、どきっとした。

「広瀬が誘ってきたのに、一枚しか投稿してないじゃないか」

「や、うん……」

 名前の知らない黄色い花に、透明な水が降って滴っていくのを眺めながら次の言葉を考える。

 踏みこんでいいのか、どうなのか。

「ごめん……また、ちゃんと投稿する」

 奥の列の花壇に水をあげている五十嵐が俺をふりむいて、再び背中を向ける。

「俺が広瀬の景色が見たいって言ったりしたからプレッシャーになった?」

「……や、」

「それとも俺の夜空が駄目だった?」

 あ、ぅ……。

 なんでわかるんだ、と返答に困って言い淀んでいたら、五十嵐が苦笑いしつついま一度俺をふりむいた。

「わかりやす」

 こっちは五十嵐が全然わからないんですけど。

「俺の写真の意味、広瀬はどこまでわかってるの」

「意味……って、」

 闇の意味……?

「……ごめん。なんにもわかってはいないよ」

 不穏な空気は感じても、俺は噂でしか五十嵐のことを知らない。だからどんな救いを求めた訴えなのか、察することもできない。

「広瀬が謝ることじゃないだろ」

「でも……SNSって、人の深くて暗いところが見えるんだってこと忘れてたから」

「なら俺になにを求めて誘ってきたの」

 花壇の花々を挟んで、目の前で、五十嵐が俺をまっすぐ見据えている。

「……ごめん。五十嵐は、俺が知らない、見たい言葉とか、写真を、……見せてくれるかもって、一方的に期待した……と思う」

 ――好きなのは俺のほうだよ。カメのこと。俺がこの子たちに救われてるの。

 ――俺みたいな厄介な奴のところに自分の意思で来てるんだから、広瀬も変わり者か、俺に好意的な仲間なのかも、って勝手に考えた

 ――知ってるよ〝紺〟。

 ごめんと謝れる大人な五十嵐。

 カメを救いだと笑う五十嵐。

 ミリコのことも詳しい五十嵐。

 俺の名前を憶えて、気にかけてくれていた五十嵐。

 吸いこまれそうな薄茶色の、美しい瞳で世界を見つめている五十嵐。

 五十嵐とカメがいる裏庭は異世界みたいに安心できる不思議な空間で、呼吸がしやすくて、だから五十嵐は綺麗なものしか持っていない、と勝手に期待してしまった。

 汚い言葉と欲望が溢れるこの世界で、綺麗な言葉や景色だけを見せてくれるんじゃないかって、SNSでも心地のいい居場所へ連れていってくれるんじゃないかって、そんな――。

「……ごめんなさい」

 五十嵐がため息をこぼして、じょうろを持ったまま噴水の横のベンチへ歩いて行った。

 そしてじょうろを傍らに置き、自分のリュックからスマホを取ってこっちへ来る。

「――ほら」

 スマホを傾けてSNSをひらき、五十嵐が黒い写真のひとつをタップする。

「ちゃんと拡大して見た? 紺色の空に星があるだろ、暗くなんかないよ」

 スマホの画面いっぱいに、小さな白い星屑の散らばった夜空がひろがった。

「一週間時間をあげるから考えてみなよ。俺のこの写真の意味」

 たしかにきちんと見ると暗くも、黒くもなかった。
 すこし青みがかった、深い紺色の夜空に無数の星。

 ――朱と紺で、面白い名前で隣の席になったなあと思ったから知ってる。

 紺色……黒じゃなくて、紺。

「一週間だから。……わかった?」

 初夏の夕方の、赤緋色の陽射しに頬を輝かせて、五十嵐がひときわ甘やかに微笑んでいる。

 自分の顔面が、真っ赤に燃えている気がした。でもこの夕焼けなら、一応……バレないと、思う。

 紺。
 猫。
 紺。
 紺。

 ――知ってるよ〝紺〟。

 ……いやまさか。でも、もしかして。嘘だそんな。

「広瀬の身長って可愛いよな」

 おそらくαに違いない体格のいい五十嵐は、たぶん百八十センチ近くあって、その高い場所から百六十五センチしかない俺の頭をぽんと触る。

 並んで立つとこんなバランスなんだと、俺は初めて知ったのに、五十嵐は以前から知っていたような口ぶりで言って、左横で微笑んでいる。

 細長くて大きな指と掌が、自分の頭の上で遠慮がちに揺れている。

 優しく、撫でられている。



 その日の夜も、五十嵐のSNSには星空の写真が一枚増えた。

 いつもコメントやハッシュタグはないから、五十嵐のページには潔く美しく、無言の写真だけが列を成していく。

 紺。猫。紺。紺。カメ。花。紺。

 これが五十嵐のつくりあげる世界。
 俺だけに見せてくれる景色。

 ――石山さんのどこに惹かれたの。

 ――顔と性格。

 ベッドに仰向けに転がって、今夜もぼんやりと天井を仰ぐ。

 ――知ってるよ〝紺〟。



「――このあいだ広瀬と話しただろ。カメやペットを飽きて捨てる奴がいるって」

「ああ、うん」

「たまに〝みんな生きてるだけで偉い〟とか言ってる奴がいるけど、動物の命を軽視してる奴らも〝わたしは生きてるだけで偉い〟って都合よく勘違いしてたりしてキモいんだよ。それで呟き系のSNSって見られない」

 ベンチの左隣で、カメに餌をあげながら五十嵐が話している。

「死ねとはまでは言わないよ。でも脳天気に生きてるおまえの命に価値があるかどうかはわからないだろって苛ついてくる。……広瀬は偉いと思うよ。つきあいでもあれが見てられるの」

 五十嵐の目に見えている自分。それって、そんなに素敵なのか。

「嫌だよ、すごく。毎日我慢してる。気持ち悪いなっていつも思ってる。なんのために我慢してるんだろうって自分が嫌になったりもするし」

 こうやって本当の俺を教えたら、五十嵐は俺のことも苛ついて嫌になるだろうか。

 五十嵐の背中を眺めて返事を待っていたら、「はは」と笑い声と共に白いシャツが揺れた。

「だよな。ほんと偉いな……広瀬は」

 てらいなく笑う五十嵐の背中が、妙にひろく逞しく、縋りつきたいようなものに見えるのはなんでなんだろう。

「五十嵐は人づきあいとか嫌なの?」

「そんなことないよ。生きていくうえで、苦手な奴と接するのも必要だとは思ってる」

「すごく大人じゃん」

 半分だけふりむいた五十嵐が、ハンサムに笑う。

「……知らなかったのか」

 どやあ、と偉ぶって言われた気がするのに、反論する気にはなれない。どうしてだろうな。

 いまは裏庭にいるけど、五十嵐が社会で器用に生きられるっていうのは、なぜだか納得してしまう。というか、わかっている。

「見えすぎる目で、きっと大人になっても上手に生きられるんだろうな……五十嵐は」

「どうだろうなあ……そうだといいな、好きな人のために」

 五十嵐が餌をあげ終えたのか、掌をぱんぱんと払ってベンチに座りなおした。横に置いていたパックのブドウジュースを飲んで、ずず、と飲み終える。

 好きな人のために。
 好きな人のために。

「……俺ね、朝、パン食べるの嫌なんだ」

 自分の掌のなかにあるオレンジのパックジュースを見つめた。

 視界の端で、五十嵐が自分をふりむいたのがわかる。

「……一応、サラダを挟んで野菜サンドイッチにすれば美味しく食べられるからそうしてる。でもサラダがないとスポンジを口に押しこんでるみたいで苦手で……それ、母親に言えない」

「そうか」

 本当はご飯と味噌汁の和食がいい。鮭や納豆でテンションがあがる。

 だけど毎朝和食を作るのは母さんが大変だってわかるから言えない。

 親にも気をつかって、言いたいことが言えない。

 どこでも、なんに対しても我慢ばかりしている。

「カメと花の世話があるからって親に言って朝はやく登校する? ここで俺とおにぎり食べよう」

 五十嵐が呆れるでもばかにするでもなく、楽しそうに笑ってくれている。

「駅におにぎり屋あるよな、朝はやくからやってる」

 ふたりきりの秘密に、はしゃぐみたいに嬉しそうに笑ってくれている。

「……。うん。そうしたい」

 幸せに生きるって、どうして難しいんだろう。

 なんで毎日、必ずひとつは我慢をしているんだろう。

 この世界はなぜ、罪を犯さず傷つけもせず、黙って正しく生きていても窮屈なんだろう。

 ずっと疑問で、持て余し続けていたそんなどうしようもない息苦しさを、五十嵐は和らげてくれる。

 毎日おなじしんどさのくり返しで、無理矢理整列してみんなと歩調をあわせて歩き続けて抜けられずにいた。
 そのループから、五十嵐は腕を掴んで引っぱりだしてくれる。

 運命とか、無二の存在とか、そんな大仰なものはわからない。

 ただ千堂みたいに、顔と性格、それとこの優しくて縋らずにいられない救い……雰囲気。

 そんな単純な、五十嵐だけがまとっているものが、自分には必要だって、わかる。

「ちょっと捨ててくる。広瀬は?」

 五十嵐がベンチを立って、俺のジュースのパックを指さす。

「あ、ううん。俺はまだ飲んでるから」

「そう。じゃあ待ってて」

 裏庭の端にあるゴミ箱の前まで行って、五十嵐がストローを抜きとり、それをプラスチックのゴミ箱に入れて、パックを紙ゴミ箱に放った。

「ぶは」

 思いきり吹きだして笑う俺を、五十嵐が目をぱちぱちまたたきながら不思議そうな顔で眺めて戻ってくる。

「なんだよ、俺、面白いことした?」

「ううん……なんでもない」

 人を好きになるのって、こんな〝好き〟の積み重ねなのかもしれないな。

 それに俺は、こういうふうに恋をしたい。



 翌日、早朝の朝焼けを部屋の窓から撮影してSNSに投稿した。

 その後支度をして家をでて、五十嵐と約束したとおり駅で落ちあい、会社員でごった返すおにぎり屋さんに並んで、なんとか目当てのシソ味噌おにぎりを買って登校し、裏庭で食べた。

 夕方の朱色は、五十嵐とふたりで眺めているから撮影と投稿が難しい。

 なので、そのまた翌日の土曜日と日曜日、朝焼けと夕焼けを撮って投稿した。

 俺のSNSのページも写真が増えてきた。

 青空。
 朱。
 朱。
 朱。
 朱。
 朱。

 休み明け、また朝焼けを撮影してから家をでて、駅で五十嵐と会ったら、「広瀬、」といきなり腕を掴まれて駅のトイレに連れこまれた。

 五十嵐の掌の力が強すぎて腕の皮膚が引き攣れる、痛い。

 五十嵐のほうが足が長くてはやすぎて、こっちの足がついていけずに絡まりそうになる。

 最奥の個室の前に着くと扉をひらいた五十嵐に丁寧に押しこまれて、鍵までしめられた。

 で、壁に背中を押しつけられて正面から追い詰められ、至近距離で、切羽詰まったような表情で睨まれた。

「――……紺、」

 唇がつきそうなぐらい間近に寄られて、いきなり名前を囁かれてぞくりと心臓が震えた。

 身体の横を五十嵐の腕で囲われているせいで身動きもできない。

「俺を呼んだよね。一回目はようすを見たけど俺はもう勘違いじゃないと思ってるよ」

 ……頭のいい五十嵐は察しもいい。

「これ以上近づかれたら、本気で好きになるから。……わかっておいて」

 口先にかかる五十嵐の吐息が熱い。近すぎて視界がぼやけるから視線をさげると、五十嵐の制服のネクタイがある。手を伸ばしたい衝動に駆られている自分が、ここにいる。

「……。うん」

















 ←BACK//TOP//NEXT→