……たとえば、最近話題になっている闇パーティΩ殺人事件に五十嵐の親族が関わっていて、それで学校になじむ心の余裕を失っている――なんて推理は、ばかすぎるかな。ばかすぎるな。会社経営しているαなんか大勢いるし。

 とはいえ俺にとって遠くで起きているああいう事件が、五十嵐には身近なものなのかもしれない。

 ぼんやり考えながらスマホでミリコの昔の曲を試聴して、気に入ったのをダウンロードする。

 ――これはきっと運命だ、って話したね
   ふたりして心でそれを確信していると信じていたよ
   全部を無しにできなくてごめんなさい
   あなたを忘れられなくてごめんなさい
   だけど忘れたらわたしは「わたし」じゃなくなってしまう
   あなたはもうとっくに「あなた」じゃないのに

 五十嵐が聴いていた曲はどれだったんだろう。明日訊いてみようかな。

 イヤホンをつけて、自分の世界を音だけで塞ぐ。
 ベッドに仰向けに転がって、目をとじる。

 ――まだわたしだけ「ここ」にいるね
   わたしには「あなた」しかいなくてごめんね
   運命じゃなくてごめんね ごめんね





 翌日、母さんが作ってくれる朝食にサラダがなくてがっかりしてしまった。肩を落としてジャムを塗りたくり、口のなかに押しこむ。そうしながら、母さんのバース性偏見に勢いがつく前に家から飛びだして学校へ向かう。

 SNSは通学電車のなかでだけ確認している。

『【予備校の講師が女生徒を盗撮した疑いで逮捕された事件で、講師の男は過去にも複数の生徒を盗撮していたことがわかりました。講師はαであるとのことです】』

『また変態αの事件か』

『αってなんで性欲コントロールできないの? ばかなの?』

『子どもを産めるΩと違って、αは犯罪者しか生まないじゃん』

『SNSが辛くなったらとじていいんだよ! 無理しなくていいさ! 自分の心を第一に守って今日も乗り切ろう‼』

『きみは生きてるだけで偉いんだよ』

 我慢の限界がこみあげた瞬間、とりあえず友だちの楽しげな画像投稿にだけ反応して消す。

 それから音楽を聴いて窓の外の景色を眺めて、目的の駅に着くまで無心で揺られる。

 勉強もスポーツも、成績は真んなかぐらいだ。
 どんなことも真んなかでいい。

 目立ちもせず、消えもしない、なんとなくそこにいる空気みたいな存在。

 平和に平凡に、他人のなかに埋もれて生きるのはたぶんそんなに難しいことじゃない。そう思っているし、信じている。

 ずっとこのままでいい。

 五十嵐の席は今日も空っぽだ。
 悪目立ちしたら、余計に苦しくなるんじゃないだろうか。

 たとえふりだとしても溶けこんでおいたほうがきっと楽なのに。

 でも五十嵐にとっては、カメのいる裏庭が平和で、呼吸のしやすい場所なんだろうな。



「……。広瀬」

 放課後、花々が夕日に照って揺らぐ花壇越しに、また五十嵐が俺を見つけて呼んだ。

「本当に来た」

「来たよ。約束したでしょ」

「〝寄れば〟って言っただけだよ。約束したわけじゃない」

 怒ってる? と不思議に思いつつ近づくと、ベンチの五十嵐の隣にカメ餌のボトルが置いてある。

「用意してくれてるじゃん」

「カメのためだよ」

「なんで今日はツンデレなの」

 笑いながらカメたちの家の前にしゃがんだら、五十嵐も苦笑してボトルを持った。蓋をあけて〝手をだしな〟とうながしてくるから従うと、俺がひろげた両掌にぽろぽろ、と数粒の餌をこぼしてくれた。

「すこしずつな」

「わかった」

 口まで持っていく必要はなさそうだけど、なるべくそばに、と手を入れてカメの前においた。

 今日は二匹とも陸地の人工芝のところにいて顔を寄せあっている。ふたりしてひとつの餌を食べようとしてこつんと鼻先をぶつけつつ、ゆずりあう。

「あはは、可愛い。でも可哀想だ、はやくあげなきゃ」

 一粒ずつだと気の毒なので、四粒あげてみる。でもそうすると今度ははやく食べきったほうの子が三粒食べて不公平になった。

「ああ……ごめんよ、おまえもお食べ」

 カメたちはのんびりと穏和で、奪ってやろう、とか、腹ぺこで辛い、みたいな攻撃的な感情は見えてこない。ただそこにあるご飯を食べていたら、多く食べちゃった、無くなっちゃった、みたいな感じだ。だからこちらがふたりを想いやって、平等にご飯をあげないといけない。

 美味しそうにご飯を食べる、優しくて穏やかな生きものたち。

「……あったかいね。五十嵐がこの子たちに癒やされるのわかったかも」

 ふりむくと、ベンチに座ってこちらへ身体を傾けている五十嵐も、カメみたいにやわらかい表情で微笑んでいた。

「だろ」

 五十嵐の笑顔も花たちとおなじ夕日色に輝いていて綺麗だった。

「……うん」

 たった二文字の言葉で人の心臓を射貫いてくるって……αにしかできない芸当だ。

「カメって、昔は祭りで売られてたらしいよ」

「そうなの?」

「うん。それで気まぐれに買って飽きて、川に捨てる奴が大勢いたらしい」

「……ふうん。犬とかと似てるね。流行りに乗って買って、飽きて捨てる人がいるって聞く」

「聞くな。命を玩具や飾りだと思ってるんだろうな、そういう奴らは」

 五十嵐の声が低く、深刻になった。

 この子たちが大事だからか、それとも〝生命〟の話題に敏感なのか……重く苦しげな雰囲気があった。

「……ふふ。まだ来たばっかりなのに、いきなり真面目な話しちゃっておかしい」

 ははは、と笑いかけたら、五十嵐もすこしはっとしたように目をひらいてから苦笑した。

「たしかに」

 同意してくれて「すまない」と睫毛を光らせつつ瞼を伏せる。

「広瀬は聞いてくれそうだと思ったから甘えたよ」

 どきりと……ぎょっと、した。

「ど、うして、そう思ったの」

「和田の味方じゃないんだろ?」

 昨日の発言か。

「まあ……そうだけど」

「俺みたいな厄介な奴のところに自分の意思で来てるんだから、広瀬も変わり者か、俺に好意的な仲間なのかも、って勝手に考えた」

 好意的な仲間か……。

 かく、かく、と短い手を動かして首をまわし、ご飯を探しているカメたちにまた粒をあげた。

「好意を持つほど、五十嵐のこと知らないよ」

 五十嵐が首にさげているヘッドホンからミリコの声がかすかに聞こえる。

「まあ、教えてないけど」

 鼻の下を右手でこすって、五十嵐も顔をくしゃとしかめる。

「五十嵐ってSNSしてる?」

「してない。広瀬は?」

「友だちがしてるから、つきあいで一応登録してるよ」

「友だちって誰」

「千堂とか、山田とか佐野とか」

「あー……広瀬って偉いよな。そういう輪にちゃんと参加できる」

「〝そういう〟?」

「頭いい奴も、ばかもいる輪」

 五十嵐の右腕を殴ってやったら、「だってそうだろ」と五十嵐は眉をゆがめて笑った。

「八方美人してるわけじゃないよ」

「わかるよ。あぶれないように溶けこんでるだけだろ?」

 ちょうど掌のなかにあった餌をあげ終えてしまって、残り屑を払いつつ五十嵐を睨み据えた。

「……全然クラスに来ないくせに、五十嵐っていろいろわかってるんだね」

「たまたまだよ。一年のとき千堂たちとおなじクラスだったから」

「俺とはなんの縁もなかったじゃん」

「うん。だからいま見てる」

 薄茶色の瞳で、半分笑いながらわざとじっと凝視された。

「――で、SNSがなに?」

「あ、いや……五十嵐がやってるなら、繋がりたいなって思ったから」

「へえ」

 すこし考えたあと、五十嵐がベンチにあるリュックのポケットからスマホを取った。

「写真載せるだけのやつなら登録してもいいよ」

「え、いま?」

「繋がりたいんだろ?」

 登録までさせるつもりはなかったから、どぎまぎしてしまった。

「や、でも、俺は、画像系SNSはやってない」

「じゃあふたりで登録しよう」

 心臓がぎゅと縮んで呼吸が止まった。

 五十嵐の瞳は相変わらず透きとおっていて綺麗で……こんな澄んだ目で、SNSでふたりだけで繋がろうと誘われたら、誰だって意識が飛ぶと思う。

「……。わ、かった」

 カメは一匹が水場で泳ぎ始めて、もう一匹もしずかに佇み、ふたりともお腹が満たされたようすだった。

 安心してベンチへ移動し、五十嵐の隣に座ってスマホを寄せ、おなじSNSに登録した。
 それからQRコードを使って繋がりあう。

 俺のアカウント名は〝紺〟で、五十嵐は〝アカ〟。

「なんで〝アカ〟?」

「〝シュリ〟だからだよ。朱色の〝朱〟に、ことわりの〝理〟で〝朱理〟」

 五十嵐朱理。

「あ、そうか」

「俺の名前知ってた?」

 左隣から、甘いハンサムな苦笑いで訊かれる。

「知ってたよ」

「へえ、そうなんだ」

「五十嵐のほうが俺の名前知らないでしょ」

「知ってるよ〝紺〟」

 すぱっと呼ばれてまたどきりとした。

「朱と紺で、面白い名前で隣の席になったなあと思ったから知ってる」

「……。そっか」

 五十嵐は結構俺のことを意識してくれていたのかもしれない、と思ったら、心がざわついた。俺はなにも知ろうとしてこなくてごめんね、と申しわけないような。

「広瀬がどんな景色を見せてくれるのか、楽しみにしてるよ」

 に、と口端をひいて笑んだ五十嵐が、スマホをリュックにしまう。

 景色――だったら俺は、これから五十嵐にどんな景色を見せてもらえるんだろう。

「うん……俺も楽しみ」

 スマホを右手に握りしめたまま五十嵐に寄り添った。

「ねえ、五十嵐ってミリコ好きだよね」

「あ、悪い。聞こえてたよな」

「ううん、俺も好き」

 ベンチに背中をあずけて座って、ふふ、と笑いながら暗くなり始めた夕空を眺めた。

 左側に五十嵐がいて、世界はどんどん朱色に焼けて、紺色の夜に飲みこまれていく。

 ――これはきっと運命だ、って話したね
   ふたりして心でそれを確信していると信じていたよ

 耳に、ミリコの歌声が聞こえる気がする。

「……αとΩって、結婚するときうなじを噛むだろ」

 五十嵐が夕風に似たしずかな声で話しだす。

「ミリコはΩで、恋人だったαが結婚前に運命のつがいに出会ったせいで破談になった経験があるらしいよ」

 ――まだわたしだけ「ここ」にいるね
   わたしには「あなた」しかいなくてごめんね
   運命じゃなくてごめんね ごめんね

「……そうなんだ」

 世界に上手に溶けこんで生きているつもりでいたのに。


 俺もカメと花々と五十嵐のいるここが、いちばん楽かもしれない。

















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