「――そういえば昨日、二組の女子がいきなり発情したらしくて騒ぎになってたっぽいよな」 昼休み、三階へ続く階段に座って友だち数人と食事をしていたら、山田が興奮したようすで話しだした。 「ああ、聞いた」と佐野が会話を拾う。 「一応保健室行って薬飲んだら落ちついたんだろ?」 「そうそう。でも急にはあはあしだして〝ヤりたいヤりたい〟って目で見られたらビビらねえ? AVじゃん」 「おまえ期待してるんだろ」 「ねえよ、ばか」 図星、って感じの真っ赤な顔で、山田が焦って否定する。 「けどΩが学校で突然発症しちゃうの、可哀想だよな」 俺の隣にいた千堂が、ジャムパンを頬張りながら思いやった。 「いまちょうどバース性がはっきりしてくる時期だし、俺らだって他人事じゃないよ」 こういうとき、千堂は大人だなと思う。 「千堂っていままでのバース性検査、どうだったんだっけ」 俺が訊ねたら、片頬をふくらませたまま「一応β」ともごもご教えてくれた。 「そうなんだ」 俺もハムカツサンドを囓って相づちを打つと、山田が「マジ?」と割りこんできた。 「千堂ってαじゃなかったっけ?」 「ないよ」 「頭もいいし運動もできるし、勝手にαだと思ってたよ。単なる有能平凡βか」 佐野が笑いだして「有能で平凡ってなんだよ」とつっこんでいる。 「でも本当のバース性がわかるのってこれからだから、千堂もαかもしれないよな。αさまだったら俺たちの将来のために頑張ってくれよ~? くれぐれも性犯罪者になるなよな~?」 山田がぎゃはははと笑って、佐野も苦笑いになった。 千堂は心底嫌そうな表情で「よせよ」と短く反論し、〝思春期のエロいことで頭がいっぱいなばかは相手にしない〟てな呆れたようすでジャムパンの最後の一口を口に放る。 左隣の席は今日も一日中空っぽ。 綺麗な緋色の夕日に照らされて、机の表面が物憂げに、鈍く光っている。 ……五十嵐、結局和田先生に会いに行ったのかな、と考えながら帰り支度をしていたら、「おい、広瀬」とまた昨日みたいに和田先生に話しかけられた。 漫画だったら、ぎくぅ、と効果音がついていたと思う。 「え、なんですか……」 和田先生が近づいてきて横に立った。 「昨日、五十嵐呼びに行ってくれたか?」 「行きましたよ」 「ふうん……」 和田先生は俺を見おろしながら、なにやら考えこむ。 ……え。 〝五十嵐は来なかったぞ〟と叱られるのを想定していたのに、違うのか? 「……なあ、広瀬」とねだり声で呼びながら、先生が俺の前の席の椅子を引いて腰をおろす。 「おまえ、五十嵐と仲よくしてやってくれよ」 うわぁ……、と嫌悪感いっぱいの叫びを胸の奥で盛大に洩らしてしまった。 教師が生徒に、責任を押しつけてくるパターンのやつ……。 「なんでですか」 「隣の席だろ? しゃべったこともあるんじゃないのか?」 それだけの理由で? 「全然、交流ないですよ」 「そうなのか?」 「はい」 疑り深い目で見てくる。 この担任、生徒同士の関係をなにも知らないのかな……まだ五月で、二年になって一ヶ月半だから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど、隣の席なら仲よくできるって考え自体、短絡的すぎるだろう。 「五十嵐、裏庭で花の世話してただろ?」 「カメですね」 「そうか、昨日はカメか。――……授業にでたくないなら保健室か相談室に行けって言っても聞いてくれないから、裏庭の植物とカメの世話をまかせたんだよ。そうしたらまあ、一応登校してくれるようになったんだよな」 「……はあ」 立ったままでいる俺に話し続ける先生から、座って聞いてくれ、という圧を感じる。 「あいつの家、結構有名な会社を経営してる、αの家系なんだよ。だから進路のことも含めていろいろ思うところがあるんだろう」 「は……」 「でもそういう複雑な悩みって、教師の俺らより歳の近い友だちのほうが寄り添えるだろ? 俺たちはわかったふりしかしてやれないから」 ……個人情報を勝手にべらべら話しているうえに、自分が諦めていることを正当化している。 「先生にしかできないことも、あると思うんですけど……」 「もちろん俺は俺で五十嵐を支えてやってるよ。でも広瀬にも頼みたい。このとおり!」 しまいには頭をさげられた。 酷すぎるな……、と心のなかで隠れてうな垂れた。 他人を救うために適した年齢なんてないと思うけど、とりあえず五十嵐がこの人を頼らない気持ちはわかった気がする。 リュックを背負って教室をあとにし、どうしようかなと考えながら靴を履きかえて、最終的に〝カメは見たいから〟という言い訳をつくって裏庭へ寄ってみた。 花壇に咲いた色とりどりの花々が、すべて夕日色に染まって綺麗だった。 噴水は裏庭のちょうど真んなかあたりにある。まるい噴水に背中を向けるかたちでベンチがあり、その横に、カメの楽園が設置されていて……五十嵐は、今日もいた。 ベンチの端からカメたちの家を覗きこみ、唇だけでかすかに微笑んでいる。 「……。広瀬」 近づいて行ったら、またヘッドホンを首にさげた五十嵐に、先に名前を呼ばれた。 やっぱり俺の名前、ちゃんと憶えていてくれている。 「……和田になんか言われたか」 カメの家の前に立って俺も覗きこんだ。 木製のラティスは腐ったり傷んだりしておらず、大事に手入れされているのが見てとれた。 カメが泳いでいる水も綺麗で、人工芝もフンとか餌の食べ残しで汚れていたりしない。 「広瀬に迷惑かけたんなら謝る。悪かったな」 顔だけじゃなくて声も綺麗だな。αの家系か……。 「五十嵐はすごいね」 「え?」 「俺、まだひとこともしゃべってないのに、頭のなかでさくさく考えて勝手に話進めてんの」 見返したら、視線を横に流して逸らされた。 「ああ……いや。……ごめん」 謝るのも二回目だ。まだここに来て五分も経っていないのに。 「五十嵐は目がいいんだね。きっといろいろ見えすぎるんじゃない?」 その綺麗な薄茶色の目で。 「少なくとも和田より察しもいいし、ごめんが言えて、どっちが大人かわからなくなったよ」 瞼を薄く細めて、五十嵐がまた眩しげに俺を見つめてきた。 「……広瀬は俺の味方なのか」 「味方? ……わからないけど、和田の味方ではないね」 「ふふ」と五十嵐が喉の奥で笑って、その表情がどきりと緊張するほど男前だったから戦いた。 うん……思ったより、話しづらい奴ではないかも。 「カメの面倒見てるって聞いた。今日は餌あげないの?」 「ああ。カメは頻繁にあげなくてもいいんだよ。この子たちは一日おきでもいい」 「そうなの? お腹空かないの?」 「うん。年齢にもよるけどね」 「へえ……栄養をたくわえてるのかな。偉いな……」 一匹のカメは水場にいて、鼻先をだして呼吸しながらぷく、ぷく、とまるい水玉をつくっている。もう一匹は芝の上でじっとしていた。 どちらも中くらいの大きさだ。 「この子たちは五十嵐を好きだよね」 「? なんで」 「なんとなく。昨日、嬉しそうに餌食べてたから」 五十嵐が俺を見つめたまま、ベンチの肘かけに腕をのせて頬杖をついた。 「昨日は一瞬しかいなかったじゃないか。カメの気持ちなんかわかったのか?」 警察とか探偵? みたいな勢いで疑われている。 「気持ちってほど大げさじゃなくて……〝嬉じい~美味じい~〟って笑って見えたんだよ」 ぐう、と首を伸ばして餌をあむあむ食べながら細い目をまばたく表情が、幸せそうだった。 「ふっ」とまた五十嵐が鼻で笑った。ばかにするふうではなくて、楽しげに。 「好きなのは俺のほうだよ」 「ん?」 「カメのこと。俺がこの子たちに救われてるの」 囁いた五十嵐の声が息を呑むほど優しい愛情に満ちていて、見返したら昨日のように瞳が透きとおっていた。 人形に似たつくりものっぽい色合いが、ともすると怖くもあるのに、人間なんだと認識して見つめていると美しすぎて今度はその現実が怖くなってくる。 だけどこんな綺麗な彫刻みたいな顔立ちの男は、カメが救いだなんて可愛いことを言う。 心臓の下の、身体の奥底あたりが、ちりっと反応する。 「次はいつ餌あげるの」 五十嵐が無言で俺の目の奥を探ってくる。 「あげたいの?」 訊かれて、無意識に息を止めながらうなずいた。 「じゃあ明日の放課後また寄れば」 「……わかった」 ヘッドホンから聞こえるのはやっぱりミリコの声のようだったけど知らない曲だった。 手をひらひらふって「じゃあね」とカメと、五十嵐に挨拶して帰る。 不良が猫にご飯をあげてやっているのを見て惚れる……、みたいなお約束のシチュエーションに似ている気がした。 でも五十嵐は不良っぽくない。 αの家系云々っていうことに反発して荒れているような、拗ねた印象もいまのところない。 普通に話しやすくて、カメにも他人にも優しくて、ごめんが言える大人だった。 じゃあなにが五十嵐の心を蝕んでいるんだろう。 近づいたら余計にわからなくなってしまった。 ←BACK//TOP//NEXT→ |