……二十一歳の男の子にあげる大阪土産というと、いったいなにがいいんだろう。 「――杉浦さん、まだ時間かかりますか~?」 背後から大岩が退屈そうな声を投げてくる。 「ああ、ごめん。大岩はもういいの?」 「もちろんです。わたし買い物はさっさと済ませる派なんで」 ふりむくと、大岩は細い両腕に土産袋をいくつもぶらさげて逞しく仁王立ちしていた。 「ずいぶん買ったな」 ここにいる目的は一応仕事であって、旅行じゃないんだけど。 「あまり大阪に来る機会ないし、家族と友だちにあれこれ要求されたからしかたなくですよ」 「大岩も友だちいるんだ」 「失礼ですね、いますよ。モラハラで訴えますよ?」 「……。すみません」 「許しましょう」 訴えていいならこっちもすでに十件以上不満を抱えているけどな……、という反論は抑えた。 「杉浦さんはなにに悩んでるんですか? 大阪ですよ、美味しいものだっていっぱいあるじゃないですか」 大岩が心底不思議そうに、眉を上下にぐんねりまげて見あげてくる。 「食べものはちょっと都合の悪い相手なんだよ」 豚まんも冷凍たこやきも、かさばるし満員電車内で渡すのは憚られる。 「おうちへのお土産じゃないんですか」 「まあ」 「杉浦さんこそ渡す相手いるんですね」 ……訴えたい。けどたしかに素直以外に思い浮かぶ相手などいない。 「たとえば大岩がもらって嬉しいものってどれ?」 「わたしですか。食べもの以外ですよね? うーん」 はからずも大岩は素直と歳が近い。性別の違いはあれど、参考にはなるんじゃないだろうか。 土産物屋の店内を見まわして、食品以外の雑貨類がならんでいる場所へ大岩が視線をやる。その先を、俺も一緒にたどってみる。 「……靴下?」 「嫌です、あんなキャラクターがでかでか描いてるやつ」 「じゃあハンカチ?」 「それなら使う……かなあ。デザインによりますね」 「キーホルダーは?」 「無理です、どこにつけるんですか」 哀しくなってきた。 「ていうか、あげるのってどんな人なんです?」 再び首を傾げながら見あげられて、どんな? と考える。素直は……――。 「……幸せになってほしい子、かな」 「愛人か」 「訴えよう」 店の出入り口へ向かうと、大岩が「あーあーっ、冗談ですってっ」と笑いながらついてきた。 「もうっ、拗ねないでくださいよ、いいんですか? お土産」 「そろそろチェックインの時間だからいったんホテルに行こう。大岩も荷物を置きたいだろ。三十分休憩したあとロビーで待ちあわせて夕飯。いいね?」 「はあい、わかりましたー」 横に来た大岩の荷物を半分持ってやって、ホテルまで歩いた。 ……ばか正直にこたえるのではなく、友人や親戚だと言って適当にごまかせばよかった、と後悔する。出張から帰った途端、社内で噂になったら面倒だな……。 しかし世間的には男の愛人は女性だけれど、素直が相手なら男でも愛人になり得るんだな、と気がついた。 ――やっぱおまえが女みてえな顔でナヨナヨしてっから内定とれねえんじゃね? 仕事なんかまかせられねーって面接官も思うんだろ。ほんと男らしさゼロだもんな。 ――最初からおたがい違ったんだって、いまはわかってます。だってあっちも〝ガチムチマッチョが好みだった、おまえじゃない〟とか怒鳴るんですよ、酷いでしょ? 俺は素直の愛人でも恋人でもないが、素直が抱えている痛みや孤独をひとつずつ知るたびに、自分の感情が動きだすのを感じる。 他人や時間の流れに身をまかせて死にながら生きていたのに、粉々に砕け散って消滅したと思っていた人間らしい感情が、まだここにあったんだと自覚する。 他人を殴り倒したいと思うほど怒りに震えたのは、いったい何年ぶりだろう。 いや、ここまで激しい怒りを他人に向けたことは人生で一度もなかったと思う。 これは自分の身体の欠陥と数年間戦い続けたいまだからこそ味わった憤怒だ。 素直の容姿や個性に対して不躾な暴言を吐くあの男が許せなかった。 自分に向けられた言葉なら納得も咀嚼もする。だが素直に浴びせられた、一方的でまったく納得のいかない口撃だったから腸が煮えくり返った。 自分につけられた傷ではなくて、手が届かない素直の傷だというのがどうにももどかしく苛立たしくて、数日経ったいまでも思い出すと掌が震える。 知らないのか。 薬や治療でどうにもならない個性を、他人に貶されるあの酷い痛苦を。 おまえは出来損ないだ、正常な人間たちの輪からはみだした異端だ、と蔑まれて嘲笑われているあいだの、心臓が凍るような孤独を。 素直が口を結んで黙って我慢しているのも耐えがたかった。 あと一駅でも彼らの傍らにいたら、シートから立ちあがっていきなり見知らぬ他人を殴りつける暴行犯になっていた。 ――ここでは、なおは俺の恋人だからね。 今夜も、素直はあの男がいる家で過ごして、唇を噛んで肩を戦慄かせて、傷つく必要のない言葉に心を抉られながら耐えているんだろうか。 殺してやりたいな……、と怒りが自然と殺意にすりかわる。 心のなかで殺すだけなら法にも触れないだろう。 きみは無価値なんかじゃない。 他人の心を救ったきみは、ちゃんと存在価値のある人間なんだよ、と、またいますぐにでも素直に声をかけて抱きしめたい。 「……杉浦さんさっき、大阪支店の人たちにエッチな店行こうって誘われてましたよね」 大岩がてっちり鍋から野菜とふぐをとって小皿に盛りつつ、いやらしい顔をする。 「ほかの先輩にも聞きました。大阪支店の男性社員は出張で来たべつの支店の男性社員を絶対、風俗街に連れて行ってもてなすんだって。杉浦さんは行くんですか?」 「行かないよ」 大岩の言っていることが全部事実だから困り果てる。誰が新人の大岩にこんな下卑た話を聞かせたんだ。 今日は一日挨拶まわりをしたあと、大阪支店に顔をだして大岩と一緒に仕事を片づけてきた。 大阪支店にはムードメーカーでもある若い営業部の部長がいて、彼を中心に和気藹々と働いているのだが、風俗街でのもてなしは皆に喜ばれる、と信じているのが面倒で、厄介なのだ。 「女の先輩は大阪に出張したとき〝夜にホテルの向かいの部屋から同僚の外出する音が聞こえてきて気持ち悪かった〟って嫌な顔してましたよ。でもべつにいいじゃないですかね~、むこうも仕事で相手してくれてるプロなんだし」 大岩はもともと雄々しい性格なのか、こういった下品な話題も嫌悪せずに涼しい顔でふぐを食べている。困惑するこっちのほうが女々しく感じられてしまう。 男らしいとか女らしいとか……性別で語れることなど本当になにもないな。 「結婚してても、風俗ならわたし気にしませんよ」 「……なんですすめてくるの」 「いや~、既婚者の男性こそ、そういうの必要なんじゃないかって気がして。たまにはほかの女の人に癒やされたいよねえ、みたいな。わたしが邪魔になってたら申しわけないんで」 本当に……誰か大岩を止めてくれ。 「相手がプロだろうと、俺は妻以外の人間とそういうことはしないよ」 野菜を大口開けて頬張った大岩が、「ほほん……」とくぐもった相づちを打った。 「大岩は男心に寛容な人なんだね」 俺もふぐを一切れ口に入れて咀嚼する。 「わからないけど、昔から男っぽいって言われます」 「そうか」 「でも最近気持ち悪いですよね。ちょっと話ズレるかもしれないんですけど、ほら、洗濯洗剤とかキッチン洗剤のCMって、全部男のタレントがやるようになっちゃったじゃないですか。わたし女だけど、全部が全部〝家事は男の仕事〟みたいにこぞって演出してるのめちゃくちゃ気持ち悪いです」 「ああ……気持ち悪い?」 「気持ち悪いですよ。女性の権利問題に繋がってるとしても、今度は男が堂々と虐げられてるんですよ? お昼の情報番組とかも主婦が旦那をばかにしてなんぼみたいな風潮、ぞっとする。平等とか言いながら全然平等じゃないの、ああ~……ほんとキモっ」 大岩が箸を持ったまま自分の両腕を抱いて、肩を竦めて擦りだす。 「なるほど、たしかになあ……」 なにかを庇うのは、なにかを虐げることでもある――大岩の目線は、鋭くて柔軟で、思いのほか純粋なのかもしれないな。 「本当に……そうだね」 紗英や親や、素直と彼や……さまざまな人間たちとたどった記憶の映像が脳裏を掠めていく。 てっちり鍋から白い湯気があがって揺らいでいた。 大岩がまた口をひらいて、今日挨拶まわりをした取引先の話を始める。 口のなかでふぐがやわらかく砕けて、蕩けていく。 出張から帰った翌日の金曜の朝、いつもの電車に乗ると素直が微笑んでそこにいた。 「……おはようございます、賢也さん。出張お疲れさまです」 照れてはにかんだ表情で俺を見あげてくる。 一応、顔に殴られた傷などはなく、今朝も元気そうだ。 「おはよう。ありがとうなお。……じつはお土産があるんだよ」 「え、お土産ですか?」 素直の身体とぴったりあわさっていて、手を入れにくいスーツの胸ポケットから、どうにか小袋をとりだせた。 「……これ」 「いいんですか、もらって」 両手で小袋を受けとってくれた素直が、まだ中身を見ていないのに瞳を輝かせて俺の顔をうかがってくる。 「なおが嬉しいものかどうかわからないよ」 「もう嬉しいです」 安堵と喜びで胸が熱くなった。 「いや……とりあえずあけてみて」 「はい」 かさかさ袋をひらく素直の指が、自分の胸にあたってくすぐったい。 電車が傾いて停車し、すでに一駅進んでいた。素直といると、長くて憂鬱だった通勤時間があっという間に過ぎていく。 「あっ、これ知ってる、ビリケンさまっ」 また顔をあげた素直が、満面の笑みをひろげて見惚れるほど愛らしい光を放った。 「持ってた?」 「ううん、持ってないです。でも大阪で有名な神さまだっていうのは知ってました、嬉しい」 迷いながらも心の隅で最初から決めていたのは、ビリケンさんの合金キーホルダーだった。 子どものような外見の裸の神さまで、こちらに向けている足の裏を撫でると幸せになれる、と言われている。 「……なおに幸せになってほしくて選んでみたよ。お守りは自分で買うより、人からもらったほうがいいって聞いたこともあるからあげたかった」 素直が瞳をひらいて惚けたように俺を見つめ、停止する。 人混みに圧迫されて、揺れ動く電車のなかで、本当に時間が止まったような錯覚をした。 素直の黒い大きな瞳がすこしずつ潤んで、きらめいていく。 ここにいるあいだはこの子を守れる――……その非現実的なふたりのルールが、いま、どうしてか自分の心を酷く幸福にさせている。 「……大事にします。一生」 瞳をにじませて素直が微笑んだ瞬間、左目の下瞼から涙があふれてふくらんだ。 「すみません、ふふ……嬉しすぎちゃって、やば、」 恥ずかしそうに笑って、涙を拭いながらうつむく素直を引き寄せ、自分の胸もとに隠した。 「……喜んでもらえて俺も嬉しいよ」 「喜ぶに決まってる」 「でも、俺はなおの好みをあまりよくわかっていないから」 満員電車の狭い隙間で、首をふりながら素直が俺を睨んでくる。 「……最初に話したとき、好みのことは言いましたよ」 「ん?」 ――きみはどうして俺を触ろうと思ったの。 ――……好み、だったからです。 「……それはまたすこし違う話でしょう」 「充分じゃないですか」 「そうかな」 口をまげた俺のところへ、素直が背伸びして近づいてきた。耳に口を寄せてくる。 「……賢也さんがくれるものなら、全部嬉しいってことだから」 無邪気でいたずらな子どもみたいな笑顔で、離れていく素直に意識を奪われた。 「……そうか」 平等であることが正しくて、それこそが真実の幸福を生みだすのだとしても、俺にはそれができないと思った。 素直の幸福のためなら、俺は彼を傷つけるものをこの世からすべて排除できる気がする。 こんなに暴力的な想いを自分が抱くとは思わなかった。 この人生で、もう一度誰かを心から守りたいと、幸せにしたいと想う日がくるなんてにわかに信じられなかった。 でもこうして笑っていてほしいという願いが、自分に再び生気を、命を与えてくれている。 「……またどこかへでかけたらお土産を選んでくるよ」 素直のやわらかい髪から花の香りがする。 「うん……全部大事にします」 誰かに押されたのか、それとも素直の意思なのか、素直の身体がこちらに体重をかけて縋りついてくる。 「とりあえずまた、来週社員旅行だから」 「どこへ行くんですか」 「お約束の熱海」 「お約束?」 「近場で適度に遊べるから人気なんだよ。最近は外国人の観光客も増えてるらしいけどね」 「ふうん……そういえば俺、上京してからどこかに旅行したことないな……」 なにげない呟きに意図は感じられなかった。けれど素直がすぐにはっと顔をあげて、申しわけなさそうな焦った表情をして紅潮したから、こちらも当惑した。 「誘って、ませんから、……気にしないで。……すみません」 素直の瞳が潤んで怯えていた。 俺も喉に声が詰まって沈黙した。 電車が走り続けている。 素直の指先でビリケンさんが揺れている。 アナウンスが聞こえない。 次の駅は、どこだ。 ←BACK//TOP//NEXT→ |