(けいざい+)VAIOの10年:上 「お荷物」、経費削減徹底し「優等生」に
北アルプスを望む山あいの地、長野県安曇野市に、小さなパソコンメーカーがある。社員は360人ほど。顧客は国内の企業や官公庁などの法人向けが中心だ。
海外で生産する手頃なモデルも含め、全ての製品を安曇野の工場で最終点検してから出荷する。社内では「安曇野FINISH」と呼ぶ、品質へのこだわりだ。
冷却装置の点検では、密閉した空間にパソコンを置き、独自開発したという1年間分のホコリを吸わせ、ファンが作動するか確かめる。
顧客から故障したパソコンが届くと、設計、製造、品質、修理の各部の担当者がわらわらと集まってきて、全員でのぞき込む。一つ屋根の下ならではの光景だ。
このメーカーの名はVAIO。元はソニーのパソコン事業だった。独立から10年。中国レノボ系や米HPなど、海外の巨大メーカーが生存競争を繰り広げるパソコン市場で、小さなVAIOは健闘している。
ソニー時代に新卒で入社し、製造部門を統括する中村康春(52)は11月、「親会社の下ではありますが、一企業としてやっと独り立ちです」と晴れやかな表情で話した。VAIOは同月、投資ファンドの下を離れ、家電量販大手ノジマの傘下に入ることが決まった。
「ずっと不安の中でやってきましたから」。ノジマの傘下入りを聞いた中村の脳裏には、10年前の情景が鮮明に蘇(よみがえ)った。
音響と画質へのこだわりと、薄く、軽く、洗練されたデザイン。1996年にソニーが発売したノートパソコンのブランド「VAIO」は、性能の高さと斬新な外観が支持を集め、最盛期には世界で年間870万台が出荷された。
しかし、規模を追い求めすぎた結果、安価なモデルの投入によって質が低下。パソコン事業の赤字額は、2013年度には900億円超にまで膨らんだ。ソニーの経営不振を招いた「お荷物」と名指しされた。
そして10年前の14年。ソニーはパソコン事業を投資ファンドの日本産業パートナーズに売却した。1100人いた社員は5分の1に減った。その去り際、残る中村らに心ない言葉を浴びせる者もいたという。
残ったパソコンのブランド名と240人の社員、安曇野の工場で再出発する新会社へ、世間は冷淡だった。
「VAIOはもう終わった、という人がいる。」
7月1日の設立日。VAIO自ら、そんな文言で始まる新聞広告を出した。だが、広告はこうも続く。
「あらゆるものから自由になった今こそ、思い切った決断ができる。」
VAIOがまず取りかかったのが、規模の縮小だった。機種を絞り、海外販売からも撤退した。初年度の売上高は、ソニー時代と比べて98%減った。
価格競争の激しい個人向けから法人向けに軸足を移し、社内の体制も一新した。出荷前に企業向けの設定作業をしておく部署も創設。ソニー時代に物流を担当していた奥原直樹(51)らが4人で立ち上げた。「製造ラインの片隅で、ほそぼそと始めました」
鉛筆1本を買うにも社長の承認が必要という徹底的なコストカットで、2年目以降はわずかずつだが営業黒字を確保した。新しい機械類は買えず、調子が悪いと「たたいて直す」こともあった。
成果が目に見えてきたのは6年目。20年5月期決算は、営業利益率が10%を超えた。国内製造業では「優等生」だ。
勢いそのままに、21年3月、VAIOにとって象徴的な製品を発売した。「VAIO Z」。ソニー時代から続く旗艦モデルだ。こだわりの技術や機能を詰め込み、上位モデルは約40万円。強気の攻めに打って出た。
VAIOが復活した――。
多くの人がそう思っていた時、5代目社長の山野正樹(63)はひとり、危機感を募らせていた。毎月の営業損益が、再び、赤字に転落していた。=敬称略
(田中奏子)
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