「原因は、あなたですよ」野村克也が阪神オーナーに直言…監督付になった球団職員「ああ、これでタイガースは強くなる」3年連続最下位に隠された真実
野村がいなくなっても、流儀は残った
169勝238敗、3年連続最下位という結果。無数のぼやきとあの冊子を残して野村はタイガースを辞し、去っていった。 「本当に根拠のない負けは一つもなかった」(和田) 和田は、野村が退任した2001年限りで現役を引退し、翌年からは新監督としてやってきた星野仙一の下で打撃コーチとなった。そしてある萌芽を見た。 「野村さんがいなくなったあと、選手が野村さんの言っていた準備野球、プロセス野球をやりだしたんだよ。自分から」 矢野や桧山進次郎はもちろん、赤星憲広が、藤本敦士が、試合直前まで資料とにらめっこしていた。タイガースにおいて、そういう選手はもう異端ではなくなっていた。 コーチとして2度の優勝に貢献し、2012年からは監督としてタイガースの頭脳であり続けた和田の手元にはその間ずっと、あのときコピーした冊子があったという。 「野村さんがいなくなってから、そういうことだったのかとわかったことがたくさんあった。監督になって最も実感したのは『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』というあの言葉かな。本当に根拠のない負けなんて一つもなかった」 和田はそう言って遠い目をした。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とす」
野村が逝去した3日後、東京都内での密葬に参列した嶌村はすぐキャンプ地の沖縄にとんぼ帰りした。球団本部副本部長。今、編成を担うフロントマンとして戦っている。 海風が吹く沖縄のホテル。嶌村の部屋には2冊の本がある。いずれもあの「ノムラの考え 1999」が原型となり、加筆して出版された野村の著書である。 「とくに毎年2月はじっくりこれを読むことにしているんです。監督に編成を学んで考え方の軸ができた。今あるのは野村監督のおかげです。野村野球をやるためにはどういう編成をすればいいか。それを考えてこの仕事をしています」 本を開くと至るところに付箋が貼られ、赤や青のラインが引いてある。とりわけ何重にも線が引かれている箇所があった。『財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とす』 監督もコーチもフロントマンも。見渡せば野村が遺した男たちがあの冊子を胸にタテジマのために戦っている。その光景は、まるであの日のミーティングがまだ続いているかのようにも見えるのだ。 《第1回「伝説のミーティング編」も公開中です》
(「Sports Graphic Number More」鈴木忠平 = 文)
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