古代世界で「庶民の生活」が苦しかった意外な理由 発明をもらたす「インセンティブ」という視点

2024/12/26 10:30
ピラミッドとスフィンクス
巨大なピラミッドや美しいドーム、壮麗な美術品が生まれたのに、荷車や水車が発明されなかったのは、「労働生産性を向上させるインセンティブ」がなかったからです(写真:AlexAnton/PIXTA)
私たちが生きている、かつてないほど豊かなこの現代社会を可能にしたのは、経済の力だ。そして、文明の歴史は経済発展の歴史でもある。では、その経済を、経済学者たちはどのように考えてきたのか。現代の経済学者は何に取り組んでいるのだろうか。
農耕革命から人工知能まで、経済や経済学の発展の歴史をわかりやすく解説する、2024年12月に刊行された『読みだしたら止まらない 超凝縮 人類と経済学全史』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
目次

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労働生産性の劇的な向上

読みだしたら止まらない 超凝縮 人類と経済学全史
『読みだしたら止まらない 超凝縮 人類と経済学全史』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

先史時代には、人工的な光源はたき火しかなかった。

もしその頃のわたしたちの祖先が、現在の家庭用の電球1個から1時間に発されるのと同じ量の光を作り出そうとしたら、58時間かけて薪を集める必要があった。

古バビロニア王国〔前1900年頃~前1595年〕の時代には、ごま油のランプが最先端の照明具だった。

前1750年頃のバビロニアの労働者がそれだけの光量を生み出そうとしたら、41時間働かなくてはならなかった。

やがて、蝋燭が登場した。当初は獣脂製で、これは作るのにたいへんな時間がかかった(しかも臭いがひどかった)。

18世紀末ですら、電球1個1時間ぶんの光を放てるだけの蝋燭を作るには、5時間を要した。

19世紀に入ると、ガス灯が開発され、電球1個1時間ぶんの光を生み出すのに必要な時間は2、3時間にまで減った。

その後、電球の発明で明かりはいっきに安くなった。

20世紀初頭には、わずか数分の労働で電球1個1時間ぶんの明かりが買えた。さらに現在では、家庭用のLED電球を1時間つけるのに必要な電気代は、1秒働くだけで支払える。

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照明を基準にするならば、労働から得られる収入は、先史時代から現代までのあいだに30万倍、1800年から現代までのあいだに3万倍上昇したことになる。

古代人にとって、闇夜を照らすのは大仕事だったが、わたしたちはほとんどコストを気にせず、指先だけで気軽に明かりをつけられる。

このような劇的な変化をもたらした要因は、ふたつある。ひとつは、照明技術の進歩(今も技術の進歩は日々続いている)。そしてもうひとつは、労働生産性の向上だ。

これはわたしたちが祖先に比べ、同じ時間でより多く稼げるようになったことを意味する。

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知的エリートが推し進めたこと

農耕社会になると、知的エリートがアイデアを練ったり、モデルを築いたり、世界との新しい関わり方を考えたりする時間ができた。

古代メソポタミアでは、数学や地図や文書や帆船が飛躍的に進歩した。古代エジプトでは、美術や、文書や、建築に新境地が開かれた。マヤ文明では、天文学や記録管理が長足の進歩を遂げた。

古代ギリシャ人は科学、技術、文学、民主主義を発展させた。ローマでは、初期の社会保障制度すらあった。

98年から272年にかけ、孤児や貧しい家庭の子どもに食べ物を与えたり、教育の支援をしたりする「アリメンタ」という制度が実施されていたのだ。

ただし、この制度で救済されたのは、助けを必要とする人たちのごく一部だけだった。制度自体もアウレリアヌス帝の治世下で廃止された。

発明のエネルギーを何に注ぐかは社会によってさまざまだ。前2600年頃のギザの大ピラミッドの建設には、三角法とピタゴラスの定理の知識が活かされた。以後3800年にわたって、このピラミッドは世界で最も高い建物であり続けた。

しかしエジプト人は荷車を発明しなかった。代わりに頼ったのは人海戦術で、おびただしい数の労働者を使って、採石場から橇(そり)で石を運ばせた。

古代ローマの統治者は水道橋と美しいドームを建設させた。しかしローマで水車や風車が普及することはなかった。ヨーロッパ全土に水車小屋が広まったのは、ローマ帝国が滅びたあとだった。

なぜこれらの時代の優れた頭脳の持ち主たちは、労力を省く装置にあまり関心を向けなかったのだろうか。

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この問いには経済学で答えることができる。人件費が安ければ、労働の効率性の向上に投資するインセンティブは強まらないからだ。

現代の例で見るなら、ヨーロッパの飲食店は、米国の飲食店よりも数十年早く、電子注文システムへの投資を始めた。

理由は単純だ。ヨーロッパでは接客係を雇うのに高い費用がかかったので、それだけ生産性を高めようとするインセンティブが強かったということだ。

同様に、古代のエジプトやローマのイノベーターたちが技術的課題に取り組んだのは、労働の大部分が奴隷によって担われている社会においてだった。

世の中に奴隷が余るほどいる状況では、奴隷階級の生産性を高めようという考えは支配階級の頭に浮かばなかった。

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発明だけでは経済的な繁栄は実現しない

古代世界の奴隷制は倫理的に間違っていただけではなく、生産性向上のインセンティブを失わせるものでもあった。

似た問題は古代中国でも起こった。やはり労働者が無尽蔵にいたことから、新しい技術の活用を促すインセンティブが働かなかった。

当時の中国は、絹地の生産でも、銅や鋼鉄の技術でも、文字を書くための紙の利用でも、ヨーロッパのはるかに先を行っていた。方位磁針も前4世紀から前2世紀頃に中国で発明されたものだ。

しかしそれらの発明が経済を当然予想される方向へと変えることはなかった。古代中国では、貴族が支配層を占め、商人や商売は一般に卑しいものと見なされていた。

その結果、金属加工のイノベーションは、実用品ではなく、武器や美術品を中心とするものになった。

方位磁針の発明が中国を海洋大国に押し上げることはなかった。発明だけでは経済的な繁栄は実現しない。発明を生活の変化に結びつける適切な制度がそこには必要だ。

(翻訳:黒輪篤嗣)

アンドリュー・リー オーストラリア国立大学経済学部元教授、オーストラリア代議院(下院)議員

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アンドリュー・リー / Andrew Leigh

オーストラリア国立大学経済学部の元教授。著書に『RCT大全:ランダム化比較試験は世界をどう変えたのか』(上原裕美子訳、みすず書房、2020年)、Battlers and BillionairesThe Luck of PoliticsReconnectedなどがある。2010年より労働党のオーストラリア代議院(下院)議員。

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