会議でキレた部長
部下からの高額請求

2024年1月19日 10:00

「文句があるなら代案を出せ」。男性部長は会議中、部下の言動に怒りを抑えきれず思わずつかみかかった。暴行で心身を傷付けられたとして部下に訴えられ、要求された賠償額は1億4千万円。「沸騰」した感情をいかに鎮めるか。ストレス社会といわれる現代の管理職は、仕事だけでなく自分自身をマネジメントする能力も求められている。

もう引けない

東京都内にある大手インターネットサービス会社の会議室。2016年6月のある日の夕方、40代の男性が部長として率いるチームの7人が定例会議に臨んでいた。上層部の指示で大幅に引き上げられた月間の売り上げ目標。どうやって達成するか。営業方針などを話し合う場だった。

途中、チームメンバーの報告にひとりの部下が口を挟んだ。「それ意味あるの? もっとやり方あるんじゃないの?」。報告内容は既にチーム内で合意していたはずで、責任者である自分への当てつけではないか――。そう捉えた部長は「文句があるなら言えよ。他に方法があるなら代案を出せよ」と語気を強めた。「文句なんか言ってないじゃないか」と「ため口」で言い返した部下は、役職は違えど同い年だった。

一審判決は部長が「首付近に向けて相応の強さの外力を加えた」と認定した(写真はイメージ)

もう後には引けない。手元の缶コーヒーを机にたたきつけ、部下の元へ歩み寄る。会議室の壁を幾度かたたき、椅子に座っている部下のシャツをつかんだ。数秒後に手を放したものの、そのまま口論に発展。異変に気付いた上司が会議室の外から割って入り、部長を別室に連れ出した。

間を置いて会議室に戻った部長は部下に謝罪した。その1時間ほど後にSNSで「先ほどはごめん。きょう、飲みにいかない?」と誘った。部下から「予定があって、来週調整しますね! お気になさらず」と返信があった。

垣間見えた氷解の兆しは、程なく一転する。日付が回った午前3時ごろ、部長を含むチームのグループチャットに部下が投稿した。「時間とともに首の症状が悪く、激痛が走ってきている。朝から病院に行きます」。以後、首の痛みや手足のしびれを訴えた部下はうつ病などの診断を得て、1カ月後に退職。20年、部長と会社を相手取って訴訟を起こし、約1億4千万円の賠償を求めた。

「言いがかり」

「暴行」がどのようなものだったかは、双方の言い分に食い違いがある。一審判決は「少なくとも着衣の襟元から胸元付近を手でつかんだ」との認定にとどまったが、部下側は5秒以上にわたって「首付近をつかんだまま壁際に押しつけるように力を込めた」と主張。首の損傷やうつ病などを発症する原因になったと訴えた。

これに対し、部長側は「首ではなく胸ぐらを1、2秒つかんだ軽微なもの」で、発症との因果関係はないと反論。部長は法廷で、部下が不調を訴えだしたときの気持ちを「私を陥れようとしていると思った」と振り返った。「つかんだことは申し訳なく思うが、それ以降のことは言いがかりと感じている」

これまで暴力はおろか、社内で人ともめたことすら一度もなかったという部長。カッとなった原因として、部下に軽んじられていると感じていたことを挙げた。部下側の代理人に「壁を強くたたくこと自体、パワハラと思わなかったのか」と問われると「完全に同い年同士のケンカと理解していた」と釈明した。

23年8月の東京地裁判決は、部長が興奮状態にあったことなどを踏まえ「首付近に向けて相応の強さの外力を加えた」と認定した。暴行をきっかけに神経症状やうつ病が発症したと判断したが「労働能力に影響を与える後遺症があるとはいえない」として、賠償額は約218万円と算定。部長と会社に連帯して支払うよう命じた。

40代のストレス

厚生労働省が約1万8千人を対象にした22年の労働安全衛生調査で、労働者の82%が仕事などに「強い不安、悩み、ストレスを感じる事柄」があると回答した。年代別では部長と同じ40代が87%で最多だった。

具体的なストレスの内容をみると、複数回答で最も多かったのは「仕事量」の36.3%。「仕事の失敗や責任の発生」(35.9%)や「仕事の質」(27.1%)が続いた。対人関係や顧客などからのクレーム、会社の将来性といった項目も2割を超え、第一線で働くビジネスパーソンが様々な気苦労にさらされている実情が浮かぶ。

そんなストレス社会に生きる管理職に欠かせないのが、自身の怒りの感情をコントロールする力だ。「アンガーマネジメント」の技術として「イラッとしたらまずは心の中で6秒数え、怒りのピークが通り過ぎるのを待つ」方法が知られている。

一審判決後、賠償額に不満の部下側は地裁の評価に誤りがあるとして控訴した。部長側も敗訴部分の取り消しを求め、裁判は今も続く。もし部長が怒りをのみ込めていれば、そもそも争いは起きていない。「6秒」待てなかったばかりに始まったトラブルは既に7年半に及んでいる。

取材・記事
嶋崎雄太

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