「イムジン河(がわ)」「イムジン江(ガン)」「リムジン江」。3つのタイトルを持つ歌。
日本で活躍するアーティストだけでも、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)、ザ・フォーシュリーク、イルカ、都はるみ、キム・ヨンジャ、田月仙(チョン・ウォルソン)、新井英一、朴保(パク・ポー)…フォーク・ニューミュージック、演歌、クラシック、ブルースなど、幅広いジャンルで歌い継がれてきた。
歌詞も、多くの人がそれぞれの思いを込めて書いている。フォークルのメンバーに提供した松山猛は「同世代の若者に『今世界で起きていること』を伝えたかった」。作詞家の吉岡治は「ボクに国は関係ない。故郷を想(おも)う歌にしたかったんだ」とキム・ヨンジャに伝えた。在日コリアンの新井は「この歌はボクたちの希望だ」と話す。
一方、曲の方は「2つのバージョン」に分かれている。1957年に北朝鮮で作られた原曲に近いバージョンと、もうひとつは68年、レコードが突然、発売中止になってしまったフォークルのバージョンだ。
違いはメロディー、リズムの3カ所。わずかな違いだが、聞き比べてみると、かなり印象が違う。
松山が京都の民族学校に通う在日コリアンの友人から朝鮮語の1番の歌詞と楽譜をもらい、よく一緒に歌を作っていたフォークルの加藤和彦らに教えたのが1960年代半ばのこと。
松山は、「(フォークルは)コミカルな歌が多かったから、『こんな歌(南北分断の悲劇を歌った「イムジン河」)もあるよ』って教えたんです。そのとき口頭で伝えたから、マイナーがメジャーになったり、あいまいな部分があったのでしょう」と振り返る。
つまり、民族学校生徒→松山→フォークルと伝わるうちに間違ったらしい。
フォークルの発売中止騒動(68年2月)の後、「こっちが原曲に忠実」という触れ込みで早稲田の学生でつくるザ・フォーシュリークがレコード「リムジン江」を出している。大手レコード会社の販売網から取り扱いを拒否されたため、コンサート会場での手売りを余儀なくされたが、約10万枚のセールスを記録した。
後に、リーダーの神部和夫と結婚したイルカが、2002年のアルバム『こころね』に収録した「リムジン江」もこの原曲バージョンを踏襲している。
今も残る「2つのバージョン」だが、この歌の大きさは、そんな違いを超越しているのかもしれない。
09年に亡くなった加藤和彦は、松山の著書『少年Mのイムジン河』に一文を寄せ、《不遜を承知で言う。「イムジン河」はイムジン河であってリムジンガンではない…私と松山にとっての青春の河である》と語った。百人百様の思いを込めた「イムジン河」があっていい。(喜多由浩)
=敬称略、来月は第2水曜日掲載。