「イムジン河(北朝鮮ではリムジン江)」は、1957年に北朝鮮で生まれた。作詞は国歌を作った朴世永(パク・セヨン)、作曲は高宗煥(コ・ジョンファン)。2人はともに「南」のソウル出身で、後に「北」へ渡っている。ある日、懐かしい故郷の話になり、「北から南へと流れる川に託して歌を作ろう」となったという。
初演は翌58年、北朝鮮・平壌で行われた共和国(北朝鮮のこと)創建10周年記念放送夜会コンサートでソプラノ歌手の柳銀景(ユ・ウンギョン)が独唱した。オリジナルの音源は見つかっていないが、後に作曲者の高が指導して「初演を再現」したCD(「臨津江物語」コリア音楽研究所)がある。ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)が歌ったバージョンと比べると、テンポがゆったりしており、女声のソプラノで情感たっぷりに朗々と歌い上げている。
鳴り物入りで初演された歌だったが、その後、北朝鮮のコンサートなどで歌われた記録はない。つまり一回きりで消えてしまった。北の大衆に支持されなかったからである。
当時、北で人気があったのは、職場の同僚たちと一緒に歌って盛り上がることができる労働歌や民謡。明るくてテンポがいい。対して「イムジン河」はソプラノ独唱曲だから、音域が高く、広く歌いづらい。メロディーが少々暗い、という点も嫌われたらしい。かくして以後数十年、本国・北朝鮮ではすっかり忘れ去られてしまう。
火が付いたのは「日本」である。初演から2年、昭和35(1960)年、朝鮮総連系の歌集「セノレ(新しい歌)集」第3集に歌詞と楽譜が掲載され、次第に在日コリアンの間に広まってゆく。後には、民族学校の音楽教科書にも載り、愛唱歌となった。フォークルのメンバーにこの歌を教えた松山猛(69)が、京都の民族学校で初めて聞いたのもこのころである。
1957年生まれで東京の民族学校に通っていたソプラノ歌手の田月仙(チョンウォルソン)もよく歌っていた。「放課後の教室などで、私のピアノ伴奏でみんなと一緒に歌っていましたね。きれいなメロディーが印象的でした」
音大を出て歌手になった田はステージで、「イムジン河(江)」をよく歌うようになった。96年には韓国で初めて歌い、2000年6月の歴史的な南北首脳会談直後にはテレビの生放送でも。「南北統一を願う私たちにはとても大切な歌。(南北が敵対を強めている)今の時代にこそこの歌の『力』をいかしてほしいと思う」
北朝鮮で忘れられた歌は日本でよみがえり、今やアジアのイマジンと呼ばれるほど平和を願う名曲となった。それはもはや南北分断には限らない。田は11日、東日本大震災5年を記念した復興支援チャリティーコンサートで「イムジン河」を歌う。(喜多由浩)
=敬称略、毎月第1水曜日掲載