閉幕 七の章 龍狐舞闘のワヰルドハント
第23話 臥龍潰し
大晦日が迫る十二月二十九日。カゲリエ内にある葛屋書店で此岸の桟橋を買い求める女がいた。それは人間のふりをした紅月であり、四つ目のうち二つを閉ざして当然のように人間のふりをして、買い物をしていた。
彼女は外のベンチでコーヒーを飲んでいた羅剛がつまらなさそうな顔でこちらを見ていることに気づいた。
「好きだな、その作家」
「
二人は近くの喫茶店に入った。羅剛は残っていた缶コーヒーを店の外の缶入れに捨てて、店内に入るとホットのブレンドを注文する。紅月は容赦なく抹茶パフェを頼んで、本を開いた。
オーダーした品が、先にブレンドが届く。羅剛はそれを啜って、「ひどい味だ」と吐き捨てた。それきり興味を失い、お冷やで口を潤すとブレンドには見向きもせず、エレフォンを取り出してありがちな広告によく出てくる奇妙な、チープなパズルゲームに興じる。
抹茶パフェが来るまでに三十ページほど読んだ紅月は、本に己が持参した薄い金属製のしおりを挟んで脇に置くと、パフェを食べ始めた。
「コーヒー。もういいの?」
「馬の糞を湯で溶かしたような味だ」
「食べログ星四・七だけど」
「他人の指標など当てにできるか。白痴どもの振った旗で決まる評価なんぞ、迷った時に倒した杖の方向に向かうよりも頼りにならん」
「確かに、パフェもひどい。甘ったるいだけで、品がない。これならコンビニのアイスの方がマシ」
二人はオーダーしたものを一口二口食べただけで、伝票を持ってレジを済ませた。
不機嫌そうに出ていく二人を、一流店のウエイトレスという誇りを持つ女は不思議そうな顔で見つめ、そして品がない客、と小さく吐き捨てた。
「陰陽師狩りはどう?」
盗み聞きされぬよう念話で会話した。念話とは妖力を使った一種のテレパシーで、その言葉は他人には聞かれない。
「順調とは言い難い。座卓も対策を進めている。八部衆……いや、九崩が加わった今九部衆か。とにかく俺たちはあまり目立つわけにはいかないから穢れどもを差し向けるが、陰陽師共も浄祓札で穢れ祓いを進めている。祠をいくつか壊してまわっているが、決定打には程遠い」
「ガードの薄いところから崩すってのは? ひとまず、そうね。臥龍家潰し。当主代理の女も、惨宝あたりが行けば潰せるんじゃない?」
「なら手は決まっている。当主代理よりもヤマタノオロチが覚醒する前に臥龍暁人を殺す。空亡様は己がかつて蒔いた憎しみの種がどのように芽吹くのかを楽しみにされているが、万全を期すなら悠長なことはしてられん」
二人はエレベーターに乗った。駆け込もうとしてくる男女がいたが無視してドアを閉める。
「独断専行?」
「影法師を思ってのことだ。俺は人間共を駆逐した後の世界をこの目で見たいんだ」
「ヒトの胎から生まれた私たちが、ヒトを殺す。かつてヒトが己を生み出した神を殺したように?」
「ある意味では、俺たちこそが次世代の人間やもしれんな」
カゲリエを出て、地下立体駐車場に停めてあるセダンに乗り込む。羅剛がエンジンを始動し、発進。
昼下がりの街を、セダンは駆け抜ける。
「具体的にどうやって臥龍暁人を殺すの? 奴の周りには厄介な術師がいるわよ」
「餌を使って誘き出す。おあつらえ向きなのがいるだろう?」
×
バンドの練習が長引き、輝子は疲れた足を引きずって繁華街のライブハウスを出た。今日は送迎を頼んでいないが、頼めばよかったと軽く後悔した。今から呼ぼうと思ったが、流石に晩御飯を食べている頃に呼びつけるのはあまりにも申し訳ない。
輝子は車通りの多い道をなるべく選んで歩いた。兄からそう言われているのだ。歩道も、人通りがあるところを通れと。
しかしどうしても、住宅街に入ると車通りも人通りも減る。
家の電灯もカーテン越しで暗く、夜道はあまりにも不気味だ。ギターケースがやけに重く感じ、肩に食い込む帯紐がぎゅっと食い込んでキリキリ痛む。
二十メートル先に、セダンが路駐していた。誰だろうか。駐禁を取られるだろうが、溟月の警察は往々にして汚職警官だから金を握らせれば免除される。
些細な犯罪は日常茶飯事であり、居酒屋での喧嘩騒ぎも普通だ。この島では究極の男女平等であり、愚鈍な発言をすれば女でも平然と殴られる。
輝子自身、喧嘩は強い。叔父に護身術として臥龍流戦闘術を叩き込まれているというのもあるし、意外と彼女は喧嘩っぱやく腕っぷしがある。
車の脇を通ると、突然ドアが開いた。そのドアに弾き飛ばされ、輝子は電柱に額をぶつける。
「————ッ!」
咄嗟に蹴り足を振るったが、容易く受け止められ腕を絡め取られ、コンクリートブロックの壁に叩きつけられる。
そしてすかさず電撃を叩き込まれ、意識が掻き乱された。
「助けて——お兄ちゃ——」
意識は、そこで途絶えた。
×
妹が帰ってこない。焜と輝子が急いでライブハウスに向かい、健一郎は家で待機。暁人は冷静さを欠いているからと部屋で待っていろと健一郎から言われたが、気が気ではなかった。
さっきから何度も携帯に連絡を入れているが、反応がない。
都合十八回目の電話が、ようやく繋がった。
「輝子、何してんだ! 今十時だぞ! お前どこで油売って——」
「臥龍暁人だな」
低い、男の声がした。
冷徹で、底冷えのする気味の悪い声。
「誰だ、てめえ」
「北東の森長自動車工場という廃工場に来い」
「誰だって、聞いてんだよ」
「臥龍輝子を拉致した者、といえばいいか? 一人で来い。仲間に知らせれば臥龍輝子の首を刎ねる」
電話が切れた。
暁人の鼓動が速まっていた。心臓が口から飛び出しそうだ。
一人で来い——明らかに罠だ。敵は、呪術師か? わからないが、ただ事ではない。だが、ここで退くという手段も、妹を危険に晒すということもできなかった。
暁人はこっそり家を抜け出し、バイクに跨る。ナビを設定し、エンジンを始動。ガレージからバイクが飛び出し、その様子を健一郎はリビングの窓から睨んでいた。
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