1‐8

 あれから、一週間が経った。

 ルシンダは言った通り姿を消し、レナードはなにをするべきかわからず煩悶とした毎日を過ごしていた。

 村人は魔物と人間の相子であるレナードにも、暖かく接した。というのも、時折近隣に現れる魔物を狩っていたからだ。そうして短い間に信頼を勝ち取った。住民は魔物を極端に恐れるが故、それを容易く倒せるレナードにもすぐに慣れた。


 その日、レナードはリナの家の裏手で、ダーインスレイヴを素振りしていた。奥義書に書かれた複雑な言い回しのリレータ語を読み解き、右手でも左手でも扱える術を学んでいく。左手で満足に剣を振るえなかったことがこうした事態を招いた以上、ふんぞり返って片手を極めればいいとは到底言えない。

 あの巨剣を左逆手に構え、振るう。金属鎧は手に入らなかったが、革鎧はなんとか手に入った。レナードは分厚い革パンツとブーツだけ、上は裸で剣を振るう。普通の十六歳とは思えない肉体。筋肉が膨らみ、引き締まっている。あちこちに戦傷を刻み、どれがどのとき負ったものなのかさえわからない。

 汗を拭い、再び剣を振るう。


「レナード!」


 降りかかった声に、レナードは手を止める。


「なんだ?」

「夕食できたから、一緒に食べよ」


 夕食といっても、この土地は夜が明けないからいつ食べても夕食だ。だが人にはサイクルというものがあり、この村には鐘がある。朝昼晩と、時計を持つ者が鐘を鳴らすのだ。

 断る理由はない。というより、これまで一緒に食事をする機会で「嫌だ」と言ったらいつまででも待ち続けていたのだ。魔物狩りで夜遅くなったときも、夕食を摂らずにずっと待っていた。その理由を、今日は訊いてやろうという思いがあった。

 家に入り、粗末なチョッキを着て席に座る。剣は盗られては困るので足下に寝かせた。


 今日の昼食は豆のスープと、レナードが狩ってきたハルピュイアという人間の女と鳥を掛け合わせたような魔物のソテーだった。堅いパンが一切れずつある。


「いただきます」


 二人で唱和し、レナードはスープに口をつける。薄味だが、不味くはない。スプーンで豆を掬い、口に放り込む。

 パンと若干臭い肉を食べ、一息に平らげたレナードは水をゆっくり飲み、リナが食事を終えるのを待つ。

 そばかすの残る顔立ちの、少し幼く見える彼女は十五歳とのことだった。レナードより一つ下だ。名字がない、と聞いたときから薄々感づいていたことだが、彼女に肉親はいない。少なくともこの一週間、彼女が家族といるところを見たことがない。

 くすんだ茶色の髪を三つ編みに結った彼女は、見ているとどうも不整脈が酷くなる。心臓が不自然に高鳴るというか、体が熱くなるというか、見ていて落ち着かなくなる。


「どうしたの? 私の顔をまじまじと見て」

「いや……どうして俺に気をかけるのか、気になったんだ。もう傷も治ったし、ここに置く理由はないだろ? そりゃ、恩返しはできていないが……魔物狩りならここを拠点にしなくてもできることだ」

「うん……なんていうかね、私って家族がいないでしょう?」

「……ああ」

「だからかな。あなたといると、夫婦みたいで……凄く楽しいの」


 夫婦、と言われて、レナードは耳まで熱くなるのを感じた。


「私は、多分レナードのことが好きなんだと思う」


 これが、異性を好きになる、ということだろうか。

 一緒にいると楽しくて、離れている間も気になって、顔を見ると熱くなるこの感覚が。


「俺も……」

「ん?」

「いや、その……好きかもしれない。リナのことが」

「たった一週間なのに?」

「基地にいるやつらは……みんな戦うことに必死で、そういう、恋とか愛とかないんだ。だから優しくされたこともなくて……俺は、間違いなく馬鹿なんだろうな。少し優しくされたくらいで惚れて……悪い、迷惑なら、忘れてくれ」


 リナは席を立ち、レナードの手を引いた。


「……?」

「こっち」


 なされるがまま、レナードはリナに手を引かれ、ベッドに引き込まれた。


「愛する男女は、こういうことをするんだって」


 リナの唇がレナードの口を塞ぐ。舌が絡まる。

 気づくと、レナードはリナの服を脱がして、獣のようにあちこちを舐めたり甘噛みしたりした。リナもレナードを裸にひん剥いて、手足を這わせる。

 お互いに初めてだった。

 挿入したとき、リナが痛がるのが見えたが、男というのは身勝手な生き物で、レナードは強引に行為を続けた。

 痛みに耐える声がやがて嬌声に変わり、二人は小さなベッドの上で同時に果てた。


「ちょっと、痛かったんだけど」

「悪い……つい、止まらなくなって」

「いいわ。そういうものだもんね。男の子って」


 年下なのに、彼女の方が何歳も上であるかのような口調だった。年下に見られていると思い少し腹が立ったが、どうでもよくなって、レナードは笑った。リナもつられたように笑う。


「……こういうのも、悪くはないかもしれないな」

「どういうこと?」


 裸で抱き合いながら、レナードはこの子になら大丈夫だ、と思って話して聞かせた。


「俺は、信じてた兄さんに捨てられたんだ。どうしたらいいのかわからなくなって……迷ってた。どう生きればいいのかって」

「……それで?」

「リナと一緒に、夫婦ごっこじゃなくて、夫婦になるのが一番じゃないかって思えたんだ」

「うん……レナードがいれば、魔物に怯える必要もなくなるのかな」

「ああ。俺がお前を守る」


 抱き合い、二人は二度目の行為をした。




 さらに一週間が経った。

 あの夜から、レナードとリナは夫婦になった。この村には教会も牧師もないが、村長が立会人になって、広場で村人を集めて結婚式を行った。

 穏やかな日々は永遠に続くものだと、レナードはそう信じていた。

 ルシンダ・ライブラリの、魔剣を持つ者には災いをもたらす、などという話は、とうに忘れてしまっていた。


     ◆


 就寝してしばらくして、レナードとリナは外から聞こえてくる喧騒に目を覚ました。鐘が打ち鳴らされ、それは朝を告げる音などではなく、魔物の襲来を知らせる警鐘だった。

 二人は素早く着替える。外に出ると、村人が一斉に南に向かって走っている。北から魔物が押し寄せてきたようだ。


「リナ、逃げるんだ」

「レナードは?」

「俺は魔物を食い止める。安心しろ、すぐに見つけて、追いつく」

「わかった」


 リナはレナードにキスをすると、家に置いてあったレバーアクション式のショットガンを手に、村人に混じって走り去っていった。

 ダーインスレイヴを肩に担ぎ、北に進む。すぐに森になっており、そこで守衛と魔物が戦っていた。


「お前らは下がれ!」


 レナードは巨剣を魔物――上背百二十センチ程度の赤い外皮を持つゴブリンに叩きつけた。

 頭頂から股下まで一気に引き裂き、群がるゴブリン共を薙いで吹き飛ばす。


「レナードさん!」

「お前らは村人の後を追って護衛につけ! 大群は俺が殺る」

「わかりました」


 正直なところ、護衛になるとも思っていない。ただここにいられては足を引っ張られるだけだし、かといって守衛に逃げろだなどと言ったところで素直に退くとも思えない。ここは護衛という花を持たせるべきだ。

 レナードは大挙して押し寄せる魔物の群れに挑みかかった。ダーインスレイヴを振るって血肉を散らせ、返す一撃で臓物を抉る。魔術で一塊ひとかたまりになった集団を叩き潰して一匹残らず殺し尽くしていく。


「一通り倒したか……」


 少なくともこの辺りに魔物の気配はない。

 そのとき、南から――村の方から悲鳴が聞こえた。


「なんだと……?」


 こちらの魔物騒ぎは陽動だったのだろうか。

 ありえない。魔物にそんな知恵があるとは思えない。驚異的な再生力、武器持ちといわれる先天的に武器を持つ個体、鎧纏いという生まれながらに鎧を持つなど人知の及ばぬ能力を獲得している魔物だが、知恵ばかりはさほど高くはない。隠れて奇襲を仕掛けたりする程度の狩猟本能はあるが、頭は悪い方だ。だからこそレヴナンツが発足されてからは戦線を押し広げることが可能になった。

 が、考えるのは後だ。

 レナードは村の方へ踵を返し、そして、息を飲んだ。

 どこもかしこも遺体だらけ。血肉を貪るコボルトとハムールは、こちらに目もくれず食事に夢中だ。

 魔物が別種の魔物と行動をすることは、まれだがあることだ。大抵は種別が違うと反目を起こすものだが、目的が一致したり、強力な個体がいたりするとその個体の指示に従う動きも見せる。


 今回は、そうした強い個体が起こした襲撃なのだろうか。

 と、魔物たちが生者の気配を察知し、こちらに振り向いた。


「邪魔をするなら斬り捨てるぞ」


 魔物の群れに斬り込み、レナードは敵陣を斬り崩していく。十重二十重とえはたえに折り重なる魔物共を一撃のもとに斬り伏せる。


「リナ!」


 倒しながら、進み、叫ぶ。最愛の妻の名を。生きる糧を。

 コボルトが群れて押し寄せる。


「邪魔をするな!」


 横薙ぎに振るった一撃で犬を黙らせ、南側の森へ入る。


「リナ! どこだ!? リナッ!」

「レナード!」


 声が返ってきて、安堵した。

 木陰に隠れていたリナはレナードの姿を認めると、安堵したように駆けだしてくる。


「レナード!」

「よかった。リナ――」


 彼女の胸から、銀色の剣が生えたのは、突然のことだった。


「え……」

「逃げ……て……」


 剣が引き抜かれ、リナがその場に倒れ伏す。


「リナ……?」


 抱き寄せる。まだ呼吸はある。だが、弱々しく、目も焦点を定めていない。


「レ……ナー、ド……」

「喋るな! すぐに傷を塞ぐ!」

「その必要はない、レナード」


 声。


「逃げてッ!」

 予想もできない強い力でリナ押され、レナードは尻もちをついた。そして、見た。

 蒼く発光する不可視の鎚に、リナが原形をとどめずに叩き潰される瞬間を。自分も右足を巻き込まれ、骨を砕かれた。だがそんなことはどうでもよかった。


「あ……」


 かろうじて残っているのは右手と、握られていたショットガンのみ。


「レナード。まだ逃げてなかったのか」


 闇の向こうから、白いマントを棚引かせる純白の、竜の甲殻を張り合わせたような継ぎ目のない甲冑に身を包んだ、声からして男とわかる者が現れる。右手に握った剣がぐにゃりと粘土のように蠢き、ガントレットを覆う。

 その声は良く知っていた。


「お前、は……」


 男は兜を外す。


「兄、さん」

「早く逃げろ、レナード。俺はこれから帝都に向かう。お前まで巻き込まれる必要はない」


 さっさと踵を返す兄に、レナードは怒鳴った。


「待てよ!」


 ダーインスレイヴを杖代わりになんとか立ち上がる。

「なんだ? まさかついて来たいとか言うんじゃないだろうな? 俺はお前を巻き込みたくないんだ。わかってくれ」

「そうじゃない! なんで……なんでリナを殺した!?」

「リナ……? ああ、そこの女か」

「俺を必要としてくれる、俺の大切な人だった。兄さんでさえ俺を捨てたじゃないか! リナは俺を必要としてくれた! 答えろ! なんで殺した!?」

「同胞のため。それに、人間ほど汚い生き物はいない。魔物や魔人の方がよっぽど清廉潔白だよ、レナード」

「ふざけるな!」

「ふざけてない。俺は――」


 マグナスは兜をかぶり、アイホールから蒼い目を覗かせ、真っ直ぐにこちらを見る。


「俺は俺の国を創る。誰からの干渉を受けない、俺たちの国を」


 そんな。

 そんな身勝手なことを理由に、リナを殺したのか。


「ぁぁぁああああああああああッ!」


 激痛が走る足を『ストロングブースト』で強引に駆動させ、土を蹴った。最も得意とするフォム・ダッハ――八相からの袈裟斬りを浴びせんと飛び掛かる。

 しかしそれを兄はあの銀色の粘土のようなもので覆われた方の右腕を掲げ、瞬時に盾を形成して受け止めた。硬直した一瞬の間に左拳がレナードのみぞおちに突き刺さり、姿勢を崩させる。

 アッパーカットがレナードの顎を打ち上げ、上段回し蹴りが側頭部を打ち抜く。地面に転がり、レナードは痛みに喘いだ。


「いつまでも逃げずにいると思ったら、人間に現を抜かしてたか。馬鹿だな。人間なんてものは自分のためなら簡単に他人を蹴落とす穢れた生きものだ。俺たちレヴナントなんて特に嫌われる。人間は同じ人間ですら裏切る。半分が魔物の俺たちを裏切らないわけがない」

「ぐ……く……っ」

「お前も学習しろよ、レナード。このまま戦い続けても得られるものなんてないんだよ。俺たちは消耗品だ。要らなくなれば捨てられる。この女だって、もし『レヴナントを引き渡さなければお前を殺すぞ』と脅されたら、簡単にお前を捨てるつもりだっただろうさ」

「違う!」

「違わないな。俺にはわかるんだよ。人間なんてクソだ。クソにたかるウジだ。信じてなんになる」


 両手に力を込め、立ち上がる。剣を杖に、立ち上がり、斬りかかろうとして転んだ。


「その体じゃ喧嘩にもならない。じゃあな。俺は行く。お前もさっさと人間に見切りをつけてこの国から出るんだ。いいな」


 マグナスが去っていく。

 レナードはあまりの悔しさに、リナの喪失に耐えきれず、怒号とも泣き声ともつかぬ慟哭を上げた。

 最愛の兄に裏切られ、その喪失を埋めてくれる最愛の人を兄に殺された。

 どうすればいいのかわからない絶望の底で天を仰ぎ見たときに目に映ったのは、リナの笑顔だった。

 その笑顔を徹底的に破壊された。

 だが人間が裏切る生きものなら、なぜあの村の人たちは自分を救ってくれたのだ。レヴナントを忌み嫌うというのなら、なぜ結婚を祝福してくれたのだ。そして保身を第一に考えるのが人間だというのなら、なぜリナはレナードを庇ったりしたのだ。


 ――復讐してやる。


 兄を殺し、この村の住民が、リナが汚い人間ではないことを証明する。

 それからレナードは魔剣と、リナのショットガンを手に基地へ戻った。

 それから一年の間、ライカと出会うまで、兄の裏切りという行いで人間不信に陥ったレナードは、誰とも組むことはなかった。

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