1‐7

 兄の背中が遠くなっていく。もう見えないところまで消えている。

 待ってくれ。俺は戦える。俺は兄さんの邪魔にはならない。俺は――俺は……、


「置いていかないで」

「え?」


 夢の中で発した言葉に誰かが――少女の声が反応したことに、レナードは驚いた。

 木の天井。ぶら下がったカンテラ。胃を刺激する良い匂い。体を包む柔らかな毛皮。

 ベッドに寝かされている、と気づき、はっとして起き上がる。死んで雲隠れするはずが基地に連れてこられた――兄が自分を必要とした。そう思うと体が止まらなかった。しかし起き上がってすぐに、驚きを通り越して笑いたくなるほどの激痛が全身を苛んだ。


「じっとしてなきゃ駄目。いくらレヴナントでも、死んじゃうよ?」

「お前は……」


 顔も名前も知らない少女だ。継ぎ接ぎだらけのチュニックを着ている。レヴナントではないだろう。人間だ。しかしレヴナンツ基地にこんな少女はいただろうか。いや、そもそもここはレヴナンツ基地なのだろうか。


「ここはどこだ」

「村よ。名前はないけどね。魔物から逃げてきた人たちが作ったの」

「……生き残りの集落か」


 任務で記載のあった村のことだろう。こんなところにあったとは。


「どうして俺がレヴナントだとわかった?」

「そりゃ、わかるわよ。あんな……とんでもない姿で地面に転がってて……埋葬だけでもしてあげようって穴を掘ってたら傷がどんどん治っていくんだもん。魔物みたいに」


 レヴナントは魔物の血を引いているだけあって、人間より傷の治りが速い。だが少女の表情の曇りから察するに、自分は人としての原型を残さないほどの傷を負っていたのだろう。それが血清無しで再生するとは思えない。

 やはり兄が言っていた天魔人の血を引いているというのは本当だったか。

 天魔人は不老不死といわれている。その不死性が、圧倒的な治癒力という形で顕現している可能性はゼロじゃない。


「俺の装備は?」

「どれもグチャグチャ。直せないわ、ここじゃあね」


 ベッドから降りようとして、しかし激痛に負けて床に転がった。


「ぐぅ」

「ちょっと、駄目よ。無理はしないで。本当に死んじゃうよ」


 少女の支えを借り、なんとかベッドに戻る。身体がここまでいうことをきかないのは初めてだ。


「……俺は、レナード・クローヴァイス。お前は?」

「リナ。名字は知らない。ここにはそういう人がたくさんいる」

「なんで俺を助けた」

「言ったでしょう? 最初は埋葬のつもりだったって。でも傷が急に治っていくもんだから死んでないってわかって。かといって放っておけるわけもないし……」

「そう、か」

「それにね、婆さまが助けなさい、って言ったの」

「婆さま?」

「うん。この村に二週間くらい前から逗留してる人。私たちと同じで行くあてがないって」

「なんでそんな余所者の話を聞く?」

「婆さまも多分レヴナントだと思うの」

「ありえない。レヴナントは二十七歳が最高齢だ。年寄りのレヴナントなんて存在しない」


 現在、帝暦五九二年。レヴナンツが発足されたのは帝暦五七九年である。十四歳の第一陣レヴナンツは現在二十七歳。とても婆さま、と言われるような歳にはなっていない。


「でも、婆さまは空間を捻じ曲げる魔術を使うの。そこからいろんな道具を出して、私たちの生活を助けてくれた。それに目が赤くないから、魔人じゃない」

「何者なんだ……その婆さんとやらは」

「呼んだかね」


 扉の軋む音がして、レナードとリナはそちらを見た。


「婆さま」


 入ってきたのは八十代くらいの、腰が曲がり水晶のついた杖を使って歩いているような老婆だった。ダークブラウンのローブに身を包み、白髪を長く伸ばしている。しわに埋もれた目は確かに赤くはなく、紫色をしていた。


「これが拾ってきた若者かね。ふむ……待っていた甲斐があったってもんだよ。リナ、少し外に出ていなさい。儂はこの若者と少し話がしたい」

「わかった」


 リナが出ていく。代わりに老婆が近寄ってきた。不思議なことに、加齢臭もなにもない。


「若者よ。主に、戦う意思はあるかな?」

「あ?」

「そのままの意味だ。最愛の兄に逃げろと言われ、捨てられ、それでもなお戦う意思はあるかね」

「なんでそのことを……!」

「体に響くよ。落ち着きな」


 ――なんなんだ、この婆さんは。


「質問の続きだ。戦うかね。それとも逃げるかね」

「……戦うに決まってんだろ。兄さんに力があるって証明する」

「その兄を、討つ気は?」

「なんだと」

「あまり詳しく話すと今後の因果律を崩すから言えんがね、お前さんは兄と戦う運命にある」

「なにを馬鹿な……」


 くだらない問答を続けるつもりなら、例え老人でも殴るぞ、という気概を込めて老婆を睨んだが、彼女は面白そうに微笑むだけだった。

「儂の名はルシンダ・ライブラリ。この世の……いや、あらゆる世界軸の事象を記録する『漂泊者』。今はそれだけをわかっておればよい」


「……俺と兄さんが戦う運命にあるってのは、どういうことだ」

「それはお前さんの今後の選択次第さ。儂はお前さんがなにを選び、どうなるかを知っているがね。当然さね。儂は“あらゆる空間、あらゆる時間に存在している”んだから」

「ならなんで戦うことになるか知ってるんだな」

「ああ。決着がどうつくかも、その後どうなるかも。だが言えん。因果律を捻じ曲げることは漂泊者には許されん。未来を変えるのは、その世界に生きる者の特権だからね。で、どうするね」

「信じられないってのが本音だ。けど、兄さんに認めてもらいたいから、戦う気はある」

「まあ、現状そう言うしかないだろうね」


 老婆が左手で杖の水晶を擦った。すると天に掲げた右手の上で、空間が歪む。


「……?」

「主に、血吸いの魔剣をくれてやろう」


 ルシンダの手の数センチ上に、刃渡り百三十センチ、柄五十センチ――全長百八十センチもの巨剣が現れた。長さだけならレナードが今まで振るってきたものと変わらないが、問題はそうの刀身の幅だった。

 基本は片刃だが刀身の半ばまでが両刃。幅は広く、二十五センチ近くある。刀身の厚さは五センチほどか。剣というより鉄の塊だ。あんなもの人間では振るえまい。

 ルシンダは黒い剣をベッドの横に立てかけ、静かに口を開いた。


「銘はダーインスレイヴ。異界で、血を吸い尽くすまで鞘に戻らないと言わしめた魔剣さ」

「ただの剣じゃないよな」

「見ただけでわかったようだね。流石天魔人の血を引いているだけある」


 この老婆はどこまでこちらのことを知っているのだろうか。


「そう。この剣は普通の剣じゃない。生きている。折っても砕いても溶かしても蘇る。だから異界に放り捨てることしかできなかったのさ」


 レナードは激痛に耐え、起き上がった。床を踏んで立つと少しふらついたが、大丈夫だ。

 ダーインスレイヴを握ると、剣の中のなにかと、自分の中のなにかが繋がったような、異様な気配がした。


「魂の誓約が履行されたようだね」

「誓約?」

「この剣に血を吸わせてやる、という約束。つまり戦場に身を置き続ける運命になったと、そういうことさ」


 老婆はもう一度杖の水晶を擦る。すると右手の中に一冊の、革張りの手帳が現れた。それをベッドに戻ったこちらに放り投げてくる。


「なんだこれは」

「以前の魔剣使いの記録さ。東方出身の剣術家が使っていたから、この国の技法とはまた少し違うだろうが、参考にはなるだろう。……最後に一つ」

「なんだ、婆さん」

「ダーインスレイヴは持つ者に災いをもたらす。ある鎧とセットで使うことを想定した剣だからね」

「……その鎧ってのはくれないのか?」

「今はまだ時期じゃないのさ。五年後、まだ生きていたら、そのときくれてやろう」


 ルシンダは含み笑いをし、剣を叩いた。


「さて、儂はそろそろ去るとするかね。あんまり長居をしていちゃ因果律が狂っちまうよ」

「その因果律ってのはなんなんだ」

「原因から生まれる結果……まあ、簡単に言えば世界の人生さね。世界ってのは、ここだけ……この国、この大陸、この星、この宇宙だけじゃない。次元の異なる世界軸がたくさんあるのさ。お前さんたち人と同じように、世界は星の数ほど存在する。その世界はときに干渉し、ときに別離しながらそれぞれの運命を歩む。儂はこの世界を見届けることが使命であり、楽しみだね」

「よくわからん」

「それが普通さ。あんまりこちら側に来ると狂うことになるよ」


 それだけ言うと、老婆は去っていった。

 誰もいなくなった家の中で、レナードはじんじん痛む体をいたわる。こんなに痛んだことなどこれまでの人生に一度としてなかった。血清があれば一瞬で治る傷も、即死級のダメージを負っていてしかもそれを通常速度で直そうとすれば、当然のことなのかもしれなかった。

 レナードはサイドテーブルに置かれた水差しから小椀に水を注ぎ、呷った。欲を言えばウイスキーを飲みたいところだが、魔物から命からがら逃げ伸びてきた人間の集まりにそんな贅沢品は存在しないだろう。

 しかし、これからどうしようか。

 ルシンダには戦う、と言ったが、なにと戦えばいいのか。

 兄は魔物を操る力があるといっていた。それを使って、兄は皇帝と戦うつもりでいる。ではこれからは魔物ではなく人間を斬ればいいのか。

 レナードに両親はいない。父はどこかへ消え、母は自殺した。頼れる肉親は兄だけだ。

 そんな兄から捨てられたことが、心の傷になっていた。

 信じていたものの全てを失くしてしまったかのような喪失感。

 これから自分はなにと戦い、どこへ進めばいいというのか。

 わからないことは嫌いだ。特に、なにを斬ればいいのかわからないというのはイライラさせられる。

 レナードは荒ぶる気持ちを殺す為に、もう一杯水を飲んだ。

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