広島のスポーツの礎、築いた先達の置き土産 記者回顧’24

遠藤花
[PR]

 サッカーJ1のサンフレッチェ広島が12月1日にホーム最終戦を迎えるのを前に、初代総監督を務めた今西和男さん(83)を訪ねた。

 今西さんは4歳の時に被爆し、足にケロイドが残る。広島の前身の東洋工業で活躍し、引退後は「育成型クラブ」広島の礎を築いた。

 「野球に続きサッカーも」。原爆投下の5年後に誕生した広島カープが、復興の象徴となって広島を盛り上げる様子を見て、そんな思いを抱いたという。「サッカーは選手が呼吸を合わせて協力し、話し合うことが必要。そういう意味では、勉強と同じぐらいスポーツも大切」と語る。

 21日にあったサンフレOBによる「レジェンドマッチ」では、日本代表監督の森保一さんが「サッカー選手である前に良き社会人であれ、というクラブのコンセプトをつくって頂いた今西さんに感謝したい」とあいさつした。思いが受け継がれていると実感した。

 広島のスポーツ発展に情熱を注いだのは、広島商野球部などを率いた迫田穆成(よしあき)さんもだ。昨年12月1日に84歳で亡くなるまで、竹原高校の監督を務めた。就任4年目の2022年の広島大会で35年ぶりの16強入り。「あと3年あれば甲子園に行けたと思う」と長女の岩川智子(のりこ)さん(59)は悔しがる。

 迫田さんも6歳の時に被爆。広島商の主将だった1957年に、夏の優勝旗を持ち帰った。厳しい指導で知られたが、時代に合わせて指導方法を変え、竹原では部員と打ち解けようとスマホを買ってLINE(ライン)を始めた。

 今春、記者になって広島に着任した私は、スポーツ熱に驚かされた。今西さんの「被爆から立ち上がろうと頑張った県民の郷土愛が、今の応援につながっているのだと思う」という言葉が印象深い。広島とスポーツの深い歴史を実感する1年だった。

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら