小林繁伝

阪神-巨人の死闘のウラであの投手が大記録 虎番疾風録其の四(17)

完全試合を達成し、泣きながらファンに手を振るロッテの八木沢=昭和48年10月、県営宮城球場
完全試合を達成し、泣きながらファンに手を振るロッテの八木沢=昭和48年10月、県営宮城球場

昭和48年10月10日、後楽園球場で巨人と阪神が〝死闘〟を演じているとき、仙台の宮城球場で〝大記録〟が誕生した。

ロッテの八木沢荘六投手(28)が太平洋12回戦でプロ野球史上13人目の「完全試合」を達成したのである。


10月10日 県営宮城球場

太平洋 000 000 000=0

ロッテ 010 000 00×=1

(勝)八木沢7勝1敗 〔敗〕東尾14勝14敗

(奪三振6、内野ゴロ7 内野フライ3 外野フライ11、投球数94球)


九回、左翼へ高々と上がった代打レポーズの飛球をアルトマンががっちり捕球。マウンドに有藤や山崎が駆け寄り、ナインたちが放心状態の八木沢を胴上げだ。八木沢は泣きながら舞った。地面に降りると夢遊病者のようにフラフラとベンチに崩れ落ち、バスタオルを顔に当ててオイオイとまた泣いた。

「う、うれしいです。九回は心臓が爆発しそうになって苦しかった」

昭和19年12月1日、栃木県生まれ。作新学院のエースとして第34回センバツ大会で全国制覇。早大に進学し4年間で24勝をマーク。そして鳴り物入りで41年の「第2回ドラフト」1位指名で東京オリオンズに入団した。だが、プロでは鳴かず飛ばず。この完全試合が7年目で26勝目、初の完封勝利だった。

実はこの時、ロッテの金田監督は球場にいなかった。前夜から激しい歯痛に襲われ仙台行きを断念していた。そんな金田監督から「ロクちゃん、おめでとう」の電報が届くと八木沢はまた泣いた。

この日の完全試合以降、昭和53年の今井雄太郎(阪急)=対ロッテ・仙台(宮城球場)=と、平成6年の槙原寛己(巨人)=対広島・福岡ドーム=の2人しか達成者が出ていない。年代別に言えば1950年代が5人、60年代5人、70年代4人、80年代0人、90年代1人、以降なし。

原因はボールやバットなどの「野球用具の進化」と「人工芝」のグラウンド―といわれている。「人工芝ではトン、ツーと2バウンド目が低く速くなり、ヒットになる可能性が高い」という。

ちなみに、槙原は人工芝のグラウンドで初の達成者。昭和32年に中日戦で達成した国鉄・金田正一は唯一の左腕投手。そして八木沢はカウント「ボール3」までいかずに達成した。お見事!(文中一部敬称略)

■小林繁伝(18)

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