カスタマーQ&Aに質問すると、購入履歴のある人に、アマゾンから質問形式のメールが届きます。
Amazon、購入履歴のある人に商品の質問ができるサービスがスタート
真面目な人は、わからなくてもきかれたら答えてしまうので、ご質問のような無意味な回答が表示されることがあります。
Quoraでも、A2Aを出すと、「申し訳ありませんが、わかりません」という回答をする人がいますよね。世の中には、きかれたからには答えなければ失礼にあたると考える方がいらっしゃるのです。
私たちが見ると、意味がないような気がします。
特に、回答に「何らかの知識が含まれているべき」と考えると、何の知識も入っていない以上、要らない回答にしか見えないと思います。私も基本的には意味がないと思いますので、私はこういう回答はしません。
ただ、回答者目線で考えると、回答の動機が「自分が持っている知識の披露・活用」とは限らず、「質問に興味を刺激されて調査して報告」「自分の文章力・表現力・プレゼン力の修行」「不特定多数と共有してみたい感情や感想のシェアリング」「質問そのものへの不満や疑義の表明」などもあり得ます(全部私がやったことがあります)。
「知識自慢」「自己愛」「プライド満足」「承認欲求」みたいな部分も当然ながらあり得ます。…というか、何かを発表しようという場合、こうしたものがゼロはあり得ません。が、中にはこれらに「無知への差別」「他者への蔑み」が混入しているのでは…というケースもあります。これは本人は気づいていなそうなケースが多く、自分も気をつけようと思わされます。
中には「刺激的な言葉を書いて人を驚かせる」「Quoraのスカした言語空間を下品のどん底に叩き落す」「日頃の劣等感や不満をぶちまける」「女性アカウントに粘着して楽しむ」「インテリの巣窟であるQuoraで知識人をやっつけて留飲を下げる」みたいな動機の人もいるように見えます。まずリアルを充実させろよと思います。
Quoraの規約
私たちが見ると、意味がないような気がします。
特に、回答に「何らかの知識が含まれているべき」と考えると、何の知識も入っていない以上、要らない回答にしか見えないと思います。私も基本的には意味がないと思いますので、私はこういう回答はしません。
ただ、回答者目線で考えると、回答の動機が「自分が持っている知識の披露・活用」とは限らず、「質問に興味を刺激されて調査して報告」「自分の文章力・表現力・プレゼン力の修行」「不特定多数と共有してみたい感情や感想のシェアリング」「質問そのものへの不満や疑義の表明」などもあり得ます(全部私がやったことがあります)。
「知識自慢」「自己愛」「プライド満足」「承認欲求」みたいな部分も当然ながらあり得ます。…というか、何かを発表しようという場合、こうしたものがゼロはあり得ません。が、中にはこれらに「無知への差別」「他者への蔑み」が混入しているのでは…というケースもあります。これは本人は気づいていなそうなケースが多く、自分も気をつけようと思わされます。
中には「刺激的な言葉を書いて人を驚かせる」「Quoraのスカした言語空間を下品のどん底に叩き落す」「日頃の劣等感や不満をぶちまける」「女性アカウントに粘着して楽しむ」「インテリの巣窟であるQuoraで知識人をやっつけて留飲を下げる」みたいな動機の人もいるように見えます。まずリアルを充実させろよと思います。
Quoraの規約やBNBRも破られるのみならず「そもそも知らない」「何それ、守らなきゃいけなかったの?」と言うくらいで書く人もいますし、読んでも理解できないだろうな…という感じの人もいます。さらには「差別発言をさせろ」「BNBRに基づいて回答やコメントを削除するのは言論弾圧だ」などと素っ頓狂な主張をする人も時々現れます。これは見かけたらやっつけたりします。
こうしたことを見てみる、回答する方の動機は、私たちの感覚がそのまま通用するものではない…ということが良く分かります。ご質問の「質問に対して《分かりません》《何とも思いません》など回答される方」が何をしたいのかは、感覚的には分かりませんから、改めて分析・想像してみる必要がありますね。
「分かりません」と「何とも思いません」は、前提となる質問の傾向が違いそうです。
「分かりません」は知識を求める質問、「何とも思いません」は感想を求める質問に対してでしょう。どちらも、質問それ自体に対する微妙な不満表明として分析することができます。
前者の不満の内容は「そんな難しいこと、私に聞くな(誰も知るわけないだろう)」、もっと言うと「こんな面倒くさいこと、世の中に存在すべきでないんだ」「無料で聞くような質問か?」「自分でまず調べろよ」、
後者の不満の内容は「お前の大喜利質問のお題はつまらない」「そんな下らないことで大喜利で盛り上がれると思ったのか」、もっと言うと「そんなことを面白いと思っているお前は、バカなんじゃないか」「そんなことで盛り上がれる人たちは俺にとってキモチワルイ」、
というような形でしょう。どちらも、QuoraというマナーやBNBRが重視されている場所でわざわざ人に言って聞かせるような話ではありませんが、先に挙げたような状況を見ると、それを書いていいと考える人は絶対に存在するでしょう。書くことで、質問者に対する不満表明が出来るわけですから、それはそれで回答している本人にとっては意味のある行為でしょう。不満表明することで「お前はバカで自分の方が賢い」「人を困らせて留飲を下げる」という性質の満足が出来る可能性が出てきます。
もう一つの可能性は、「質問それ自体に対する微妙な不満表明になる」ということに気づかずに、何となく書いているケースですね。SNSで(言わない方がいい)本音をダダ洩れさせて妙なことになるケースはあとをたちませんが、同様のことはQuoraでも起こり得ます。これらの回答は「本人に直接実害が及ぶ可能性が低い」というだけで、言わない方がいい本音であることは変わりません。
ただこの意識的あるいは無意識的な不満表明、質問者が理解できるのかどうか・理解したとして何らかの生産性があるかと考えると、どちらも厳しいと言わざるを得ないでしょう。不満の内容を理解できなければ「何でこういう不要な回答をするのかなあ」と質問側が不満を持って終わりでしょうし、理解したとしても「じゃあわざわざ回答しなければいいだろう」「お前が分からないだけで、俺はこの質問内容に興味があるんだよ!」「Quoraが禁じている種類の質問でもないのに、なんでお前に不満を言う資格があるんだ?」というような感想を持たれて終わりでしょう。質問に事実誤認があれば、それを指摘する回答は質問者の勉強になり得ますが、こういう回答はその可能性もありません。微妙に違いますが、概ねこのマンガの通りでしょう。
つまり、この手の回答は、誰も幸せになる可能性が最初からない、不満が生まれる可能性しかない、全く生産性がない回答です。達成できるのは「回答者の不満表明」という、本来外に出す必要もない部分だけです。ここに自覚的なら、こうした回答は最初からしないでしょう。つまり、こういう回答は「私は自分の回答が生産的かどうか、考えたこともありません」と自分から表明しているようなものです。「私は状況や文脈を読む力に欠落がありますよ」と自分から言っているようなものです。そういうわけで、本来は回答者にとっても否定的な意味しかありません。が、それに気づいていたらそういうことは書かないわけです。
Twitterを「バカ発見器」「バカッター」と揶揄する言い方は、すでに一般的になっていると思いますが、こうした回答は、Quoraにおける「状況や文脈を読めない回答者発見器」という意味があるでしょう。質問者あるいは傍観者からすると、こうした回答は「この回答者は無視あるいは敬遠すべき」というサインという意味があります。
そう言うわけで、ご質問に関しては、
・回答者には主観的に意味がある場合と無意識的な場合があるが、どちらも客観的に見ると回答者に益はない。
・質問者と傍観者にとっては、当該の回答者を無視あるいは敬遠すべきという指標になり、ある意味有用である。
ということになるかと。
私も最初は何を言っているんだろうって思ってましたが、これって回答リクエストが来たので律儀に応えた、ということなので決して無駄とかそういうリクエストに応えたことを無駄だなんて人と人のコミュニケーションを無駄だなんてバッサリと無慈悲に血の色が緑色的な感じで冷徹に悪・即・斬! するなんて、貴様の血の色は何色だと問いただしたくなる気持ちをぐっと抑えて、そういやあさっき緑色だって書いたよな、うん書いた書いた、なーんだ緑色なら仕方ないかー
という感じになってしまいますので、この人は真面目で律儀なんだなぁ(ほわわ~ん と温かい気持ちになりましょう。うん…そうなんすよ…m(_ _)m
Quoraの話であるなら、質問と回答というのはこのWebサイトのコンテンツ、ようするに見世物です。
百科事典や国語辞典を知ってるとおもいますが、Qコレはなんだろう?Aそういうことかという書籍ですね。
みなは金をだして情報や知識をえる書籍を買っています。
QuoraはそれをWebサイトで実現すべく、様々な質問を公募しています。
それに対して回答者が自発的に回答をします。
そうして1つの読み物が完成します、その読み物を百科事典を読むように、閲覧者が「僕もそういう疑問があったんだ」と質問をみつけ、回答を読み、そして楽しんで娯楽コンテンツとなります。
つまり質問が無限に投稿され回答が無限に投稿され、そして精度が高いとじゅうようなWebコンテンツになります、それがQuoraが興した構造で、そのなかに広告をだして広告収入を得ると言うことです。
べつに質問者のメリットも救済も考えていません、むしろ質問者は回答者を呼び寄せる餌をまく人。
質問と回答が莫大になって百科事典のようにすることがQuoraの目的です。
なので最近まで質問を買っていました。
多くの人は質問から数十万の報酬を得ていたのですが、その質問があってこその回答であり、回答があって小曾の総閲覧数(広告収入)になっています。
悪い言い方になりますが、質問する方で、その答えを事前に調べていない人は少ないし、答えをさいしょから知っていて、それを超える秀逸
Quoraの話であるなら、質問と回答というのはこのWebサイトのコンテンツ、ようするに見世物です。
百科事典や国語辞典を知ってるとおもいますが、Qコレはなんだろう?Aそういうことかという書籍ですね。
みなは金をだして情報や知識をえる書籍を買っています。
QuoraはそれをWebサイトで実現すべく、様々な質問を公募しています。
それに対して回答者が自発的に回答をします。
そうして1つの読み物が完成します、その読み物を百科事典を読むように、閲覧者が「僕もそういう疑問があったんだ」と質問をみつけ、回答を読み、そして楽しんで娯楽コンテンツとなります。
つまり質問が無限に投稿され回答が無限に投稿され、そして精度が高いとじゅうようなWebコンテンツになります、それがQuoraが興した構造で、そのなかに広告をだして広告収入を得ると言うことです。
べつに質問者のメリットも救済も考えていません、むしろ質問者は回答者を呼び寄せる餌をまく人。
質問と回答が莫大になって百科事典のようにすることがQuoraの目的です。
なので最近まで質問を買っていました。
多くの人は質問から数十万の報酬を得ていたのですが、その質問があってこその回答であり、回答があって小曾の総閲覧数(広告収入)になっています。
悪い言い方になりますが、質問する方で、その答えを事前に調べていない人は少ないし、答えをさいしょから知っていて、それを超える秀逸な回答を求めていたり、違った角度の尾ひれや枝葉を楽しんでいます。
本当にわからない人が調べに調べ、研究をしてもわからず質問投稿をするケースは少ないです。
私はもちろん
前提にあえて幅を持たせている
可能性があることを即座に想起します。
ただ、相手との信頼関係が「浅い」あるいは「ない」場合には、その「幅」そのものに翻弄されるリスクに対して、得られる愉悦があまりに少ないことを想像して
- A)無視する:聞こえなかったこと、読まなかったことにする
- B)謝絶する:前提が茫漠としていて答えがたいことを示す
いずれかを採ります。
こういった行動は、一般に、習慣や性格に依拠するところは大きいかもしれません。
私の習慣だと、前提に幅(あるいは「緩み」というべきでしょうか)のもった質問に対して、なるべく前提の幅の分だけカバーした回答を試みてしまう、とてもとてもとても悪いクセがあります。これは10代のころからそうです。なので、お察しのとおり、あまりモテない男の子でした。
で、こういうの、不愉快なんですよ、実際。
もちろん、自分の習慣・クセに沿った行動に「不愉快」もクソもありゃしないんですが、そのような習慣やクセのない方には伝わりにくいような、ある種の徒労感、ある観点では愚弄されたような不快感、こういったネガティヴな感情が回答後に押し寄せてくるわけです。あぁ、また踏まなくてもいい踏み石を踏んじまったな、という。
従って「定義がわからないので回答できません」に近い語を私が、日常生活とか、仕事とか、Quoraとかで、前置きに述べる時には、この「踏まなくてもいい踏み石を踏む」寸前で思い
私はもちろん
前提にあえて幅を持たせている
可能性があることを即座に想起します。
ただ、相手との信頼関係が「浅い」あるいは「ない」場合には、その「幅」そのものに翻弄されるリスクに対して、得られる愉悦があまりに少ないことを想像して
- A)無視する:聞こえなかったこと、読まなかったことにする
- B)謝絶する:前提が茫漠としていて答えがたいことを示す
いずれかを採ります。
こういった行動は、一般に、習慣や性格に依拠するところは大きいかもしれません。
私の習慣だと、前提に幅(あるいは「緩み」というべきでしょうか)のもった質問に対して、なるべく前提の幅の分だけカバーした回答を試みてしまう、とてもとてもとても悪いクセがあります。これは10代のころからそうです。なので、お察しのとおり、あまりモテない男の子でした。
で、こういうの、不愉快なんですよ、実際。
もちろん、自分の習慣・クセに沿った行動に「不愉快」もクソもありゃしないんですが、そのような習慣やクセのない方には伝わりにくいような、ある種の徒労感、ある観点では愚弄されたような不快感、こういったネガティヴな感情が回答後に押し寄せてくるわけです。あぁ、また踏まなくてもいい踏み石を踏んじまったな、という。
従って「定義がわからないので回答できません」に近い語を私が、日常生活とか、仕事とか、Quoraとかで、前置きに述べる時には、この「踏まなくてもいい踏み石を踏む」寸前で思いとどまっている深呼吸の、その鼻息が「テイギガワカラナイノデカイトウデキマセン」というコトバに似た音で響いているだけ、という感じです。
前提にあえて幅を持たせているとは考えないのですか?
前提に敢えて幅を持たせる場面があることは存じています。
私にとっては、信頼のおける相手との問答で、相手が、思考の遊びの奥行きを豊かにするために、敢えて設けて提案してくれる「幅」は、いわば問答という行為に彩りと味わいとスリルを上乗せしてくれる、最上級のスパイスの一つです。
ゼンマイ仕掛けの自動車の玩具(たとえば「チョロQ」のような)でいうと、手前に引っ張ることで、ゼンマイに少し余計な力が加わることで、話題は、疾走するし、暴走するし、迷走する、その一連は愉悦です。
ただし、これが「愉悦」であるのは、専ら信頼のおける相手との、品質の高い問答の場面に限られます。
見も知らぬ相手との問答で
前提にあえて幅を持たせている
のか否かは、率直に言うと判断が付きません。
明らかに相手が困っていて緊急の対処を必要としているような場合は別ですが、そうでなくて、
- どこの馬の骨ともわからない人が
- 前提の茫漠とした問いを投げかけてきた
という場面であれば
- A)無視する:聞こえなかったこと、読まなかったことにする
- B)謝絶する:前提が茫漠としていて答えがたいことを示す
- 回答する用意がないわけではないけれど、現時点の質問の条件では(背負うコストが大きすぎるので)答えることができないことを述べて、次の機会には応じ得ることを示す
- 次の機会の例:信頼関係が深まった後の機会/より背負うコストの小さくなった前提条件を付された問いの機会、など
のいずれかを取ります。
もちろん私も、気分が一種の「やけのやんぱち」になっている時というのはあるので、上に反して
「前提が曖昧だけど、取り敢えず『たぶんこういうことだろう』で回答しておこう」
という判断を下す場面は(日常でも、仕事でも、Quoraでも)あります。
……あることは、あるんですが、そういう時に限って
「そういう前提じゃないんですよ、わからないんですか」
みたいなクソ説教野郎と鉢合わせしたことに後から気付かされるんですよね。
これが嫌いなんですよ。
こういう場面で「あぁ、クソなのは私の方だ」と深い悔悟に苛まれる。それで結局
- A)無視する:聞こえなかったこと、読まなかったことにする
- B)謝絶する:前提が茫漠としていて答えがたいことを示す
になりがち、という。
Quoraの「リクエスト」は郵便受けに舞い込むダイレクト・メールのようなもので、読んだら必ず返事しなければならない筋のものではありません。ダイレクト・メール同様、無言で屑篭に入れていいのです。Quoraでは通知を貰った時に「パスする」を選びます。
Kawasakiさんが「音楽」ネタの質問に回答したことは、QuoraのA.I.プログラムのデータベースに格納されていますから、次に音楽に関する質問があった時のリクエスト候補にKawasakiさんのお名前が挙げられることは充分あり得ます。そして、リクエスト欄にはKawasakiさんが過去に「音楽関連で◯件の回答をした」という情報まで出ています。質問者はKawasakiさんなら回答してくれる可能性が高いと踏み、Kawasakiさんにリクエストする…とこういう流れだと想像します。
質問者あるいはリクエストする人は、何人か複数の人にリクエストするのが普通ですから、一人がパスしても痛くも痒くもない筈です。
勝手に送りつけて来たダイレクト・メールに、われわれは「折角ですが、この商品を買うつもりはありません」と返事したりしません。Quoraでも「わかりません」と返事する必要はありません。
「リクエストもらったから答えないと!」
っていう義務感で答えてる可能性大ですね。
質問者様自身、「価値ありませんよね?」って聞いてますから、答えはもう出てますね。
経験もない、知識もない、自分の価値観と決めつけで回答をする。この回答に価値はゼロじゃないですか。
私は知らないことには答えませんし、そういう質問はパスしてます。じゃないと、どんどん溜まっていってしまいます。
無駄なものは断捨離しましょ。
リクエストがあったのにたいして「わからない」とこたえるのはありだとおもうんですよね。回答を期待してるのだからリクエストをしているわけで、期待された方もこたえられないならばこたえられないという返事をだすことは、まあ当然だともおもいます。
しかし、リクエストされたわけでもないのに、勝手に質問に食いついておいて挙句のはてに「わからない」なんて回答をしちゃいかんよなあ…とおもってたんですが、よくかんがえたら最近自分でやってました。
これも今かんがえてみたらやらない方がよかったかなあ、答えてないんだもんなあとおもいましたが、どうしてこのときこんな回答をしたんだろうと胸に手をあてかんがえてみるに、「一口で答えられるような質問ではないですよ」ということを主張したかったんですね。
上の質問にしても「自衛官なんて元もふくめれば何十万もいるんだから、そのなかの一人のかんがえ方なんて推測しようがありませんよ」という意図で「わかりません」と回答しました。
しかし今この回答かきながらかんがえてみるに、上記の質問は「山上容疑者」と限定されているのだから、推測だけでも回答するべきだったのかなあ、とおもっております。
話をもどして結論としては、「わからない」という回答にも理由と意味がある、ということですね。決して無下にあつかわなくてもいいものだとおもいま
リクエストがあったのにたいして「わからない」とこたえるのはありだとおもうんですよね。回答を期待してるのだからリクエストをしているわけで、期待された方もこたえられないならばこたえられないという返事をだすことは、まあ当然だともおもいます。
しかし、リクエストされたわけでもないのに、勝手に質問に食いついておいて挙句のはてに「わからない」なんて回答をしちゃいかんよなあ…とおもってたんですが、よくかんがえたら最近自分でやってました。
これも今かんがえてみたらやらない方がよかったかなあ、答えてないんだもんなあとおもいましたが、どうしてこのときこんな回答をしたんだろうと胸に手をあてかんがえてみるに、「一口で答えられるような質問ではないですよ」ということを主張したかったんですね。
上の質問にしても「自衛官なんて元もふくめれば何十万もいるんだから、そのなかの一人のかんがえ方なんて推測しようがありませんよ」という意図で「わかりません」と回答しました。
しかし今この回答かきながらかんがえてみるに、上記の質問は「山上容疑者」と限定されているのだから、推測だけでも回答するべきだったのかなあ、とおもっております。
話をもどして結論としては、「わからない」という回答にも理由と意味がある、ということですね。決して無下にあつかわなくてもいいものだとおもいます。
(自己弁護)
いくつか理由が考えられます。
その1。使い方をよく分かっていない。
自分宛に質問リクエストが来たら全部答えなきゃいけないと思い込んでる人が散見されます。
その2。「わかりません」が誠実な答えだと思われるケース。
例えば「努力すれば必ず成功しますか」「いつか私にも恋人ができますか」みたいな問いに対しては「わかりません」と回答するのが誠実であるとも考えられる。人によって意見は異なれども。
「わかりません」じゃ意味ねーだろ、は短慮。
「未来とは本質的に分からないものだし、それでいいんだと思うよ」「こういうことを分かろうとすること自体、意味が薄いよ」の意味を込めた万感の「わかりません」は優れた答えとなり得る。
その3。質問自体を諌めている。
おかしな質問って結構存在します。
例えば「なぜ●●人はこんなにもダメな人が多いんですか」
みたいな突っ込みどころ満載な質問があったとして
「人種差別だよね」「ダメというのはあなたの感想だよね」「事実ではないよね」など様々な言葉が渦巻きつつ「そんなの知るかよ」の意味を込めて「わかりません」。
ノーベル賞を受賞した私の先生が常々おっしゃられたことを紹介します。
「高等教育でやってはならない授業は、人類が今まで如何に優れた業績を残してきたを教える授業だ。そうではなくて、人類は何が分かっていないのかを教えなくてはならない。だから、学生から質問を受けても『分かりません』という授業だ。そうでないと、一流の学生はこの分野で自分のやることはないのかと失望して、他の分野に移ってしまう。そして、そこに残っているのは、人類がここまで手に入れた素晴らしい事柄を理解することを夢見る二流の学生しかいなくなってしまう」
だから、「分かりません」という回答は非常に重要なのだと思います。
Quoraの質問を自分事として捉える方なのだと思います。
質問をスルーするのは、質問者さんの抱えている疑問や問題を他人事だと思っているからこそできるのだと思います。答えがわかっていたとしても「まあ、自分が答えなくてもいいか」とスルーしてしまうことは自分でもやってしまいます。
しかし「わかりません」と実直にお応えになる人は、その質問が自分に対して問われたものとして捉えてしまうのだと思います。誰から尋ねられたら何か返事しなければ失礼にあたると考えておられるのでしょう。なので、質問に対して何か一言でも回答しようとしてしまします。
こういう人は間違いなく真面目な方でしょうから、答えがわからない質問には正直に「わかりません」と回答されるのだと思います。「わかりません」という回答をしばしば見かけるということは、Quoraには真面目で正直な人が少なくないということを示しているのではないでしょうか。
↓ ここでは真面目な人に出会えそうですね♡
Quoraの質問を自分事として捉える方なのだと思います。
質問をスルーするのは、質問者さんの抱えている疑問や問題を他人事だと思っているからこそできるのだと思います。答えがわかっていたとしても「まあ、自分が答えなくてもいいか」とスルーしてしまうことは自分でもやってしまいます。
しかし「わかりません」と実直にお応えになる人は、その質問が自分に対して問われたものとして捉えてしまうのだと思います。誰から尋ねられたら何か返事しなければ失礼にあたると考えておられるのでしょう。なので、質問に対して何か一言でも回答しようとしてしまします。
こういう人は間違いなく真面目な方でしょうから、答えがわからない質問には正直に「わかりません」と回答されるのだと思います。「わかりません」という回答をしばしば見かけるということは、Quoraには真面目で正直な人が少なくないということを示しているのではないでしょうか。
↓ ここでは真面目な人に出会えそうですね♡
私の考えでは、あるシステムの完全性を高めるには、そのシステムを、システムの外にあるものに評価させることが重要です。
これはつまり、ゲームプログラムのデバックをゲーマーにやらせていては、永遠に洗い出せない問題があるのではないかということです。
従来の質疑応答サイトは、この点を大きく見落としていました。
この一点において、素人意見にも存在価値はあるはずです。
私は、この信念に基づいて、ここ数年、沢山の背伸びした投稿をしてきましたが、やはり明らかな素人意見と、専門家の意見が同列に並ぶのはよくないと考え、最近になって専用のスペースの作成に至りました。
今後は、執筆の軸足をそちらに移していく予定です。(スペース運用の経験が浅いので調整中!)
専門領域に対する非専門家の知見を蒐集するスペース「カニデンス研究所」
「わかりません」と回答する場合の問題点はそれも「回答」としてカウントされることですね。
わからないと答えたはずなのに、その「トピックス」に回答したことになり、「わからない」と回答するほどその分からない分野(トピックス)に詳しい人とみなされて回答リクエストが送られることになります。
「回答リクエスト」に対して何か回答しないといけないと考えている方がそのような回答をしているのではと思います。
Quoraで質問をした場合、以下のように25人を上限に回答リクエストを送ることができます。
恐らく過去の回答のジャンルや回答数に応じてQuoraのAIが選択しているのでしょう。
質問者はそこから選んで回答リクエストを送ることができます。
最初は「見知らぬ人に回答リクエストを送っていんだろうか?」とか思いますが、そのうちに気にしなくなると思います。多くの方へ回答リクエストを送った方が回答がもらいやすくなります。
最初は「見知らぬ人から回答リクエストが来ているけど、回答しないといけないのだろうか」と思うかも知れませんが、Quoraで質問・回答を繰り返すうちに気にしなくなるでしょう。(あまりに沢山の回答リクエストがくるので😅)
「わかりません」と回答する場合の問題点はそれも「回答」としてカウントされることですね。
わからないと答えたはずなのに、その「トピックス」に回答したことになり、「わからない」と回答するほどその分からない分野(トピックス)に詳しい人とみなされて回答リクエストが送られることになります。
「回答リクエスト」に対して何か回答しないといけないと考えている方がそのような回答をしているのではと思います。
Quoraで質問をした場合、以下のように25人を上限に回答リクエストを送ることができます。
恐らく過去の回答のジャンルや回答数に応じてQuoraのAIが選択しているのでしょう。
質問者はそこから選んで回答リクエストを送ることができます。
最初は「見知らぬ人に回答リクエストを送っていんだろうか?」とか思いますが、そのうちに気にしなくなると思います。多くの方へ回答リクエストを送った方が回答がもらいやすくなります。
最初は「見知らぬ人から回答リクエストが来ているけど、回答しないといけないのだろうか」と思うかも知れませんが、Quoraで質問・回答を繰り返すうちに気にしなくなるでしょう。(あまりに沢山の回答リクエストがくるので😅)
わからないからわからないと言ってるんでしょうね
まぁでも「わたしにはわかりません」という回答から得られる情報としては「わからない人のサンプル①」ですよね。
世の中にはわかるから回答する人が多い中で、わからない人がどれだけいるのかよくわからないので、わかりません、と回答を貰えると、あぁわからない人がいるんだなと認識することができます。
……とか、この質問を見て冷静に考えたけど、実際に「わかりません」とかいう回答がついた時の私の顔→😑
わからないからわからないと言ってるんでしょうね
まぁでも「わたしにはわかりません」という回答から得られる情報としては「わからない人のサンプル①」ですよね。
世の中にはわかるから回答する人が多い中で、わからない人がどれだけいるのかよくわからないので、わかりません、と回答を貰えると、あぁわからない人がいるんだなと認識することができます。
……とか、この質問を見て冷静に考えたけど、実際に「わかりません」とかいう回答がついた時の私の顔→😑
リクエストされたので、何かしら答えないといけないと思ったのです。意地悪で答えたのではなく、
えっ? リクエスト? この私に!? ・・・でもこの質問ってよくわかんないし・・・
でも私に直接リクエストしてくれたからには、なんらか反応しないと・・・ッ!!
という、誠実さ故の行動ですので、ああ、この人は真面目な人なんだなとホッコリする事案なのですよ。
私みたいに、ケッ! こんな質問してくんじゃねーよ!! と毒づきながら右上の×印を連打するような人にはなって欲しくないですから、暖かい目でみてあけでくださいね(えー
a2a 分かりません。
というのは冗談で、えーまず質問文からは分からないので前提として『この質問はQuoraについてのものである』とします。無駄な回答になったらごめんなさいね。
この質問、私にリクエストが飛んできたんですけど、Quoraシステムサイドのリクエストについての説明が足りてなくて「分からなかったら無理に回答しなくても構いません」という大事な一文がないんですね。
なので特に慣れてない人は全部何かしら回答しなければいけない、あるいは分からない時は分からないと回答しなければいけないのでないかと誤解してしまうのです。
お分かりいただけましたでしょうか?
a2a 分かりません。
というのは冗談で、えーまず質問文からは分からないので前提として『この質問はQuoraについてのものである』とします。無駄な回答になったらごめんなさいね。
この質問、私にリクエストが飛んできたんですけど、Quoraシステムサイドのリクエストについての説明が足りてなくて「分からなかったら無理に回答しなくても構いません」という大事な一文がないんですね。
なので特に慣れてない人は全部何かしら回答しなければいけない、あるいは分からない時は分からないと回答しなければいけないのでないかと誤解してしまうのです。
お分かりいただけましたでしょうか?
私は時折、そのように(コメント欄や自己回答で、後からでもいいので、せめて補うように)質問主に誘導することもあります。
しかし回答者の多くは、目にした時点の条件で真剣に回答を構成するので、あいにく「後の祭り」としか思わない回答者が多いのは無理もありません。
だからこそ、予めコメントや自己回答を適宜補って投ぜられる「優れた」質問を投稿する人たちは珍重され尊敬を集めます。補わずとも伝われば尚のこと「優れて」います。
Quoraの公式がどのような見解を持っているか、あるいは他のQuoranがどう考えておられるか、は、いざ知らず、私は「質問は数さえあれば良い」という考えには一切、賛同いたしません。
少なくとも粗製乱造は、必然的に敬遠され、不可避的に軽蔑を招きます。
「Quoraのためには、低品質でもいいから質問の数と量が重要なのだ」という意見を抹殺する意図も権利も私にはありません。ありませんが、その意見には賛同できません。賛同できないし、どう割り引いても、およそ回答者の敬遠や軽蔑の心理を阻んだり禁じたりする方法がないのではないか、と案じられてなりません。
そうなんですよ!
以前、私も気になって調べたのですが「Amazonから質問に回答しろやってメールが来る。自分に宛てられた質問だと思い、分からないけど無視するのも失礼だと思い、とりあえず"分からない"と回答する人がいるため」ということでした。
その時はふーん、と思ったのですが、この前初めて質問メールが来ましたのでご紹介します(ちなみに分からなかったので放置しました)。
確かにこんなメールが来たら何でもいいから返事しなきゃ、と思う人もいるかもしれませんね。
ところで今気づいたのですが、回答に対して投票できるようになっていました(こんなのありましたっけ)。無駄な回答は下げてあげた方がいいかもですね。
そうなんですよ!
以前、私も気になって調べたのですが「Amazonから質問に回答しろやってメールが来る。自分に宛てられた質問だと思い、分からないけど無視するのも失礼だと思い、とりあえず"分からない"と回答する人がいるため」ということでした。
その時はふーん、と思ったのですが、この前初めて質問メールが来ましたのでご紹介します(ちなみに分からなかったので放置しました)。
確かにこんなメールが来たら何でもいいから返事しなきゃ、と思う人もいるかもしれませんね。
ところで今気づいたのですが、回答に対して投票できるようになっていました(こんなのありましたっけ)。無駄な回答は下げてあげた方がいいかもですね。
その種の疑問は既に以下のリンクで解説されていると思います。
Quoraは知識を集約するプラットフォームです。
少なくとも閲覧者にとってはQuoraに答えが書いてあった方が便利でしょう。答えを探してQuoraに来たのに「ググレカス」としか書いてなかったら嫌ですね。
もちろん調べてから質問した方が「良い質問」になる可能性は高いでしょう。しかしだからといって、調べる前の素朴な質問も悪いわけではありません。同じ疑問を持ってQuoraに調べにくる人もいるだろうからです。
一例ですが。
たまに見かけませんか。
「お前誰だよ」みたいな人が「なんで私にリクエストを送ってきたのか分かりませんが」みたいなことを言いながら回答書いてるのを。
要は。
「回答リクエスト」が「あなたへのお願いのお手紙」ぐらいの時代感の人がそれなりに居るってことなんですよ。
そういう人は「せっかく聞かれたので」と「分かりません」と答えるんだろうな、と思って見てます。
それは絶対やめたほうがいいです。質問に込められた意図が伝わらなくても回答者は質問を見て回答しています。そこに質問者の意図は関係がないんですよ。
おれの考えた受け取られ方とちがうのは単に文章力の問題かもしれませんがコメントで修正をお願いするのは大きな間違いです。
正しく受け取れるように文章を練り直すか長文で質問を投稿可能な別サイトに投稿する方法があります。Quoraでは多様な回答が得られる質問が良い質問とされますがこれは個人の問題解決には向かないということでもあります。したがってオレの意図が伝わってないは最も嫌われるコメントのやりかたです。
A2AはおそらくQuora独特の慣習でしょうね。どう使うかは使い手次第ではないでしょうか。意味合いは字面の通りで、それ以上でもそれ以下でもありません。使い手次第。
自分は、回答を書く時の目印にしています。ただ質問をみて書いたのか、リクエストに応じたのか、質問者の評価をはかる手掛かりにします。
質問者へのお礼を伝える手段としている方はいます。下記回答の最後にメッセージがあります。
Quoraであなたが行っているちょっとしたテクニックを紹介してくれませんか?に対するNobumitsu Hirutaさんの回答
Quoraのどこかに、この質問と同様の疑問を投げかけたものを読んだことがあります。検索をうまく行うと見つかるかもしれませんよ。
A2A
質問相手が、興味や可能性(力量)を確認しようとして質問している場合は、採用のポジションなどで可能性がなくなるといったデメリットが生じるでしょう。ただなってもいい場合には問題になりません。
例えば、同じ興味があるかないかといった類の質問であれば、共感できる人かどうかの可能性を探っているのでしょうから、ここでも今後一緒にやろうと思われることがなくなっていくかもしれません。
「わからない」といってその後の関係構築の可能性がなくなるのではないかというデメリットが浮かんできます。
しかし、これらをデメリットと考えるかどうかは本人次第なので、関係しないことを確認できたとすれば、次に進めることでしょう。
Quoraの場合、「わかりません」と答えるならば、なぜそう思うか、こういう前提ならば回答できるといった付属情報は書いた方がいいと考えます。嫌ならば、何も回答ぜすにスルーすればいいだけの話です。「わかりません」を読む方にとっては無駄な時間となるデメリットがあるでしょう。
A2A
難しいとこですが、2024年初頭、質問者が少ないので今はいろんな質問があって良いでしょう。
質問の質というものはもちろんありますが、誰が質問してるか?によって答えたい人もそうでない人もいたりしますし、質問の書き味によっても答えは変わります。
さらに、質問をして回答を得ることによって、または得ないことによって質問力も鍛えられていくという要素もありますね。
これは私も随分と戸惑った問題でした。
個人の『感覚』であって、郷に入りては郷に従えですから決してQuoraのシステムに苦言を呈するつもりはありません。
私にとってSNSは、90年代の掲示板・NG(ニューズグループ)・フォーラム・メーリングリスト・ブログから始まって、あくまで実生活の延長(バーチャルではなくリアル)でしたし、今もそうです。
90年代の質問系NGや掲示板などでは「判りません」という回答は、ゴミで邪魔でご法度とされていました。(後にそれが『ネチケット』と言われるようになったと記憶しています)
不特定多数に対して投げかけた質問に関して、判らないなら投稿・コメントしないというのは当然の事だったと思います。
マイクロソフトの技術系フォーラムなどでも「わかりません」というコメントには瞬時に「判らないならコメントするな!」と一斉に叩かれていた記憶があります。
Quoraを始めると、Quoraからの「あなたへお勧め」とか「この質問に回答してみませんか?」の他に「xxさんから回答リクエストされました」というお知らせが届くようになりました。
SNSが実生活の延長という感覚の私にとって、名指しで回答を求められたらやはり質問を読んで他の方々の回答を見て、判らなければ判らない、知ってる事が有ればそれを書く、他の人の回答に追加があれば追加する気持ちになります。
多くのリクエストは知らない人からのリクエストが
これは私も随分と戸惑った問題でした。
個人の『感覚』であって、郷に入りては郷に従えですから決してQuoraのシステムに苦言を呈するつもりはありません。
私にとってSNSは、90年代の掲示板・NG(ニューズグループ)・フォーラム・メーリングリスト・ブログから始まって、あくまで実生活の延長(バーチャルではなくリアル)でしたし、今もそうです。
90年代の質問系NGや掲示板などでは「判りません」という回答は、ゴミで邪魔でご法度とされていました。(後にそれが『ネチケット』と言われるようになったと記憶しています)
不特定多数に対して投げかけた質問に関して、判らないなら投稿・コメントしないというのは当然の事だったと思います。
マイクロソフトの技術系フォーラムなどでも「わかりません」というコメントには瞬時に「判らないならコメントするな!」と一斉に叩かれていた記憶があります。
Quoraを始めると、Quoraからの「あなたへお勧め」とか「この質問に回答してみませんか?」の他に「xxさんから回答リクエストされました」というお知らせが届くようになりました。
SNSが実生活の延長という感覚の私にとって、名指しで回答を求められたらやはり質問を読んで他の方々の回答を見て、判らなければ判らない、知ってる事が有ればそれを書く、他の人の回答に追加があれば追加する気持ちになります。
多くのリクエストは知らない人からのリクエストが多いですが、それでも実生活の延長としてSNSを捉えてる私にとっては、道端で知らない人から何か尋ねられて知らなければ無視してシカトで歩き続ける事は滅多にしません(勧誘は別)
一瞬足を止めて、知らなければ知らない、急いでるから答えられなければその旨伝えるなど、何らかのリアクションをします。
それが、会議や座談会や夕食会やその他の場で名指しで何かを尋ねられたら、まず絶対にシカトで聞こえなかったフリはしません。
特に名指しで回答を求められたら、何らかの理由が有って自分が名指しされたのだろうと思って必ずリアクションします(それは専門外ですとか、その件に関しては正確な情報を持ち合わせていませんとか・・・)
ところが、しばらくして「Quoraのリクエストに真面目に答えるなんて無駄。無視するのが常識」みたいな発言を多く目にするようになって「そうかそうだったのか・・・」とQuoraの文化を理解しましたが、それでもまだリクエストを無視・シカトするのは生理的にとても気持ち悪いです。
そしてそれ(名指しで尋ねられて無視・シカト)が実生活でも平気になる事が一番怖いです。
「リクエスト頂きましたが私には判りません」と書くと叱られるようなので、なんとか無い知恵を絞って何かリアクションしようとします。
僕の個人的な希望としては、質問の際にQuoraが「この人にリクエストしませんか」と質問者にリクエストを推奨するのではなく(そして多くの人はそのQuoraからのリクエスト推奨に乗る)、本当にこの人に回答して欲しい・この人の回答を聞いてみたいという時にリクエストするシステムになると良いなと感じています。
過去の回答から判断した上で「この人なら詳しそう」「この人の回答を聞いてみたい」と本気のリクエストをされたのだとすれば、こちらも本気で全力回答する気になるのですが、「リクエストなんて単にQuoraが適当に選んだ人を質問者がクリックしただけ」と知った今はリクエスト頂いても全然力が入りません。
なんだか、「わかりません」回答以前にリクエスト・システムそのものが無駄な気がしています。