未知なる高みを目指した登山家 平出和也 中島健郎
登山家の平出和也さん(45)と中島健郎さん(39)。
誰ひとりとして足を踏み入れたことのない未知のルートから世界の高峰を目指してきた。
しかし、ことし夏、世界で2番目に高い山「K2」で滑落・遭難し、救助活動は打ち切られた。
2人は“登山界のアカデミー賞”をそれぞれ複数回受賞するなど、登山の世界で名前を知らない人はいないという存在だった。
学生時代から登山を続ける山岳カメラマンが、今後も語り継がれるであろう2人の功績をたどった。
(報道局映像センター・山岳カメラマン 早川友康)
誰ひとりとして足を踏み入れたことのない未知のルートから世界の高峰を目指してきた。
しかし、ことし夏、世界で2番目に高い山「K2」で滑落・遭難し、救助活動は打ち切られた。
2人は“登山界のアカデミー賞”をそれぞれ複数回受賞するなど、登山の世界で名前を知らない人はいないという存在だった。
学生時代から登山を続ける山岳カメラマンが、今後も語り継がれるであろう2人の功績をたどった。
(報道局映像センター・山岳カメラマン 早川友康)
最高のクライミングパートナー
未踏ルートで創造的な登山を行ってきた平出和也さんが、中島健郎さんと一緒にロープを結んで登山をするようになったのは2014年のことだ。
中島さんもエベレストなど有名な山ではなく、誰も登った記録がない未踏峰を目指すタイプで、“未知”を追求する方向性が一緒だったのだ。
クライミングパートナーとして経験を積んで力をつけていった2017年、2人は、平出さんが過去3回失敗していたパキスタンのシスパーレ(7611m)に、未踏の北東壁からの登頂に成功する。
クライミングパートナーとして経験を積んで力をつけていった2017年、2人は、平出さんが過去3回失敗していたパキスタンのシスパーレ(7611m)に、未踏の北東壁からの登頂に成功する。
この登山で、平出さんと中島さんのペアとしては初となるピオレドール賞受賞となった。
その後も数々の厳しい未踏ルートに挑戦し、2020年にも再び受賞するなど、登山の世界で2人の名前を知らない人はいないという存在になっていった。
その後も数々の厳しい未踏ルートに挑戦し、2020年にも再び受賞するなど、登山の世界で2人の名前を知らない人はいないという存在になっていった。
“登山界のアカデミー賞”
最高の栄誉とされるピオレドール賞は“登山界のアカデミー賞”とも呼ばれ、ピオレドールはフランス語で「金のピッケル」を意味する。
優秀な登山家に贈られるものだが、単に高い山を登った人が受賞するというものではない。
未踏のルートから高峰の登頂を成功させるなど創造性のある登山を行い、かつ自然に負荷をかけることなく、いかにシンプルなスタイルで山に登ったかといったことが求められるのだ。
エベレストのような有名な山では多くの場合、優秀な山岳ガイドや現地ポーター(シェルパ)によるサポートを受けながら登山が行われている。
多くの登山チームは高所で酸素ボンベを使う。
未踏のルートから高峰の登頂を成功させるなど創造性のある登山を行い、かつ自然に負荷をかけることなく、いかにシンプルなスタイルで山に登ったかといったことが求められるのだ。
エベレストのような有名な山では多くの場合、優秀な山岳ガイドや現地ポーター(シェルパ)によるサポートを受けながら登山が行われている。
多くの登山チームは高所で酸素ボンベを使う。
しかし、2人の登山スタイルは、自分たちの力だけでルートを切り開いていく。
酸素ボンベも使わない。
人類が隅々まで調べ尽くしたはずの山の中に、いまだ誰も見たことも登ったこともないルートを探し出し、できるだけ時間をかけずに登り切るというものだ。
そんな“未知”のルートで“創造性”のある登山を続けてきた点が何度も最高栄誉に輝いている理由の1つだ。
酸素ボンベも使わない。
人類が隅々まで調べ尽くしたはずの山の中に、いまだ誰も見たことも登ったこともないルートを探し出し、できるだけ時間をかけずに登り切るというものだ。
そんな“未知”のルートで“創造性”のある登山を続けてきた点が何度も最高栄誉に輝いている理由の1つだ。
平出和也さん
「情報のあふれている時代だからこそ、情報のないものに魅力を感じている。多くの登山家がこれまで登って、登り尽くされている感じもある。それが、ちょっと目線を変えると、登られていない、まだまだ見たことのない世界が残っていて、そういうものに憧れを感じています」
「情報のあふれている時代だからこそ、情報のないものに魅力を感じている。多くの登山家がこれまで登って、登り尽くされている感じもある。それが、ちょっと目線を変えると、登られていない、まだまだ見たことのない世界が残っていて、そういうものに憧れを感じています」
中島健郎さん
「人がたどったことのあるルートなら、逆に行ける可能性は高く、新しい発見はそこから生まれないが、行けるかどうかわからないというだけで、それだけでわくわくする。自分たちの選んだルートで登れるか。実際に試さないと答えがこないということに純粋に楽しみがあります」
「人がたどったことのあるルートなら、逆に行ける可能性は高く、新しい発見はそこから生まれないが、行けるかどうかわからないというだけで、それだけでわくわくする。自分たちの選んだルートで登れるか。実際に試さないと答えがこないということに純粋に楽しみがあります」
山岳カメラマンでも活躍
2人の登山のもう1つの大きな特徴は、山岳カメラマンだということだ。
彼らは登山の様子を動画で記録し、その映像を多くの人に発信してきた。
彼らは登山の様子を動画で記録し、その映像を多くの人に発信してきた。
困難な登山を成功させるのに重要な要素として、装備の重量があげられる。
厳しい登山での荷物は1グラムでも軽いほうがいい。
2人は山に持ち込む装備も食糧も極限まで減らしていた一方で、カメラやドローンなどいわば登山そのものには必要のない撮影道具を持ち歩いていた。
厳しい登山での荷物は1グラムでも軽いほうがいい。
2人は山に持ち込む装備も食糧も極限まで減らしていた一方で、カメラやドローンなどいわば登山そのものには必要のない撮影道具を持ち歩いていた。
それは登山の魅力を多くの人に感じてもらうためだが、同じ山岳カメラマンとしてはただ驚くばかりだった。
長年2人を取材していた山岳ライターの柏澄子さんによると、中島さんの日記には、ある登山に持参したカメラのバッテリーの数が15個と書かれていたという。
撮影には多くのエネルギーと集中力を要するが、彼らはその大きな負荷のかかる撮影を、彼らでしかたどり着けないような困難な場所で、しかも非常に高いクオリティで行ってきた。
2人が撮影した映像は去年12月、スペインで開かれた山岳映画祭で最優秀登山映画賞に選ばれている。
長年2人を取材していた山岳ライターの柏澄子さんによると、中島さんの日記には、ある登山に持参したカメラのバッテリーの数が15個と書かれていたという。
撮影には多くのエネルギーと集中力を要するが、彼らはその大きな負荷のかかる撮影を、彼らでしかたどり着けないような困難な場所で、しかも非常に高いクオリティで行ってきた。
2人が撮影した映像は去年12月、スペインで開かれた山岳映画祭で最優秀登山映画賞に選ばれている。
未知への挑戦
平出さんと中島さんが去年挑んだのが、パキスタンのヒンズークシュ山脈の最高峰ティリチ・ミール(7708m)で、その北壁を登るというものだった。
実は平出さんがティリチ・ミールの北壁に着目したのは、今から20年以上前の2002年のことだった。
この山は1950年にノルウェー隊が初登頂して以降、何度も登られてきたが、パキスタン各地の山を歩いてまわった平出さんはティリチ・ミールの北壁を登った記録がないことに気づく。
北壁は6000m級の要塞のような険しい山々に囲まれて近づくことさえ難しく、その全容を映した写真すらないという。
そんな未知の山を自分の力で登りたいと思った平出さんだったが、アフガニスタン情勢や新型コロナウイルスの影響などで、なかなか登山許可が下りなかった。
この山は1950年にノルウェー隊が初登頂して以降、何度も登られてきたが、パキスタン各地の山を歩いてまわった平出さんはティリチ・ミールの北壁を登った記録がないことに気づく。
北壁は6000m級の要塞のような険しい山々に囲まれて近づくことさえ難しく、その全容を映した写真すらないという。
そんな未知の山を自分の力で登りたいと思った平出さんだったが、アフガニスタン情勢や新型コロナウイルスの影響などで、なかなか登山許可が下りなかった。
そして、コロナ禍が収まった去年、平出さんは最高のパートナーの中島さんと満を持してティリチ・ミールの北壁を目指したのだった。
中島さんはアメリカの登山雑誌に次のように寄稿していた。
中島さんはアメリカの登山雑誌に次のように寄稿していた。
「私たちは、現代において、真に未開の地を探索できるという見通しに興奮していました。そこに何が隠れているのかを、見に行くしかありませんでした」
2人のティリチ・ミール北壁の登山を中島さんが書いた雑誌記事などをもとに再現する。
現地に入った2人だが、まず北壁に近づくことに困難を極め、当初、目を付けていたルートは、今にも崩れ落ちそうな氷河を通過する必要があることがわかり断念する。
大きく迂回するかたちでいったん固い氷の斜面を標高6200mまで登り、そこから落石の多い断崖絶壁をロープを使って数百メートル降りる。
山越えルートで北壁に取りつくという作戦に変更する。
大きく迂回するかたちでいったん固い氷の斜面を標高6200mまで登り、そこから落石の多い断崖絶壁をロープを使って数百メートル降りる。
山越えルートで北壁に取りつくという作戦に変更する。
ベースキャンプを出発してから3日目、“未知”のティリチ・ミールの北壁に挑むことになった。
この日は視界が悪く、行きつ戻りつをしながら登ることができるルートを探した。
正解はなく、答えは自分たちで見つけ出すしかない。
やりがいと同時に、本当に登ることができるのかといった強いプレッシャーにも襲われたという。
この日は視界が悪く、行きつ戻りつをしながら登ることができるルートを探した。
正解はなく、答えは自分たちで見つけ出すしかない。
やりがいと同時に、本当に登ることができるのかといった強いプレッシャーにも襲われたという。
5日目、2人が最も懸念した、ふもとからではよく見えない箇所にさしかかる。
ここで2人は岩壁と崩れ落ちそうな氷河の間にルートを見つけ出す。
垂直に近い固い氷の壁を越え、ついに未踏の北壁を登り切った。
ここで2人は岩壁と崩れ落ちそうな氷河の間にルートを見つけ出す。
垂直に近い固い氷の壁を越え、ついに未踏の北壁を登り切った。
日本最高峰の富士山は標高3776mで、山頂の酸素の量は地上の3分の2ほどだという。
それが標高8000mともなると、さらに酸素は少なくなって地上の3分の1程度になり、1歩踏み出すだけでも息が上がるという。
そもそも標高6000mを超える場所に、人間が安定的に暮らしている集落は1つも存在しないとされる。
それが標高8000mともなると、さらに酸素は少なくなって地上の3分の1程度になり、1歩踏み出すだけでも息が上がるという。
そもそも標高6000mを超える場所に、人間が安定的に暮らしている集落は1つも存在しないとされる。
さらなる高みを目指したが…
そしてことし、2人が向かったのが、世界第2位の高峰・K2(8611m)だった。
どの角度から見ても急しゅんな三角形をなすK2は、その厳しさから遭難者も多く「魔の山」とも呼ばれる。
なかでも、最難関の課題の1つとされてきたK2の西壁に新しいルートを切り開こうと考えていた。
前年に成功したティリチ・ミール北壁の登山は、そのためのステップだった。
しかし、ことし7月、途中で滑落し、2人の救助活動は打ち切られた。
なかでも、最難関の課題の1つとされてきたK2の西壁に新しいルートを切り開こうと考えていた。
前年に成功したティリチ・ミール北壁の登山は、そのためのステップだった。
しかし、ことし7月、途中で滑落し、2人の救助活動は打ち切られた。
色あせることのない偉業
今月10日、イタリアで開かれたピオレドール賞の授賞式。
平出さんは4回目、中島さんは3回目の受賞となったが、2人の姿はなかった。
ピオレドール賞のホームページには、2人への追悼文が掲載された。
ピオレドール賞のホームページには、2人への追悼文が掲載された。
「彼らは、彼らふたりにしかなしえない未知のルートを目指し続けた日本のパイオニアであり、過酷な登山と撮影とを両立させ、多くの人に厳しくもめったに見ることができない世界を共有した。彼らが登山を愛し、登山を通じて人々を幸せにしてきたことを私たちは忘れてはいけない」
山岳ライターの柏澄子さんは、2人が“未知”の登山に挑み続けた理由を次のように話す。
柏澄子さん
「気持ちの純粋さ、強さ、懸命なところ、そういうものがいろいろな人に勇気を与えていました。平出さんの探究心、中島さんの純度の高い山への思いが、継続するという勇気や原動力を作っていたと思います。それは登山をする人、登山をしない人にとっても、人生の中ですごく大切なことで、気持ちの純粋さや強さに誰もが心を動かされたと思います」
「気持ちの純粋さ、強さ、懸命なところ、そういうものがいろいろな人に勇気を与えていました。平出さんの探究心、中島さんの純度の高い山への思いが、継続するという勇気や原動力を作っていたと思います。それは登山をする人、登山をしない人にとっても、人生の中ですごく大切なことで、気持ちの純粋さや強さに誰もが心を動かされたと思います」
1歩を踏み出して
大好きな山登りで、未知への挑戦を続けてきた2人。
2020年には、私たちの取材にこんな言葉を残していた。
2020年には、私たちの取材にこんな言葉を残していた。
中島健郎さん
「新しいことにチャレンジするというのは努力のいることだし、重い腰をあげて進まないといけない。でも、その先にあるものは、やはりやってみないことには始まらない」
「新しいことにチャレンジするというのは努力のいることだし、重い腰をあげて進まないといけない。でも、その先にあるものは、やはりやってみないことには始まらない」
平出和也さん
「誰もが未知なものに1歩を踏み出すことはなかなかできないものでしょうけど、本当に自分が好きなこと、やりたいことだったらその1歩のハードルというのは低くなるんじゃないかなと思います。だからこそ、自分のやりたいことを、これまでも諦めてきたことも、ぜひそんなものに挑戦してほしい」
「誰もが未知なものに1歩を踏み出すことはなかなかできないものでしょうけど、本当に自分が好きなこと、やりたいことだったらその1歩のハードルというのは低くなるんじゃないかなと思います。だからこそ、自分のやりたいことを、これまでも諦めてきたことも、ぜひそんなものに挑戦してほしい」
取材後記
平出さんと中島さんは素晴らしい登山をするだけでなく、その経験を映像や講演会で多くの人にシェアしてきました。
そして、登山をしない人も含めてたくさんの人に感動や勇気を与えてきました。
私自身、2人の挑戦を見て何度も励まされることがありました。
2人の映像からは未知のルートを切り開いていく緊張感とわくわく感、そしてその先にある感動がひしひしと伝わってきました。
未知に挑み続けた2人の飽くなき探究心と勇気に、あらためて深い敬意を表します。
(12月12日「おはよう日本」で放送)
そして、登山をしない人も含めてたくさんの人に感動や勇気を与えてきました。
私自身、2人の挑戦を見て何度も励まされることがありました。
2人の映像からは未知のルートを切り開いていく緊張感とわくわく感、そしてその先にある感動がひしひしと伝わってきました。
未知に挑み続けた2人の飽くなき探究心と勇気に、あらためて深い敬意を表します。
(12月12日「おはよう日本」で放送)
報道局映像センター 山岳カメラマン
早川友康
長野局などを経て現所属
山岳や自然環境などをテーマに取材
早川友康
長野局などを経て現所属
山岳や自然環境などをテーマに取材
WEB
特集 未知なる高みを目指した登山家 平出和也 中島健郎
登山家の平出和也さん(45)と中島健郎さん(39)。
誰ひとりとして足を踏み入れたことのない未知のルートから世界の高峰を目指してきた。
しかし、ことし夏、世界で2番目に高い山「K2」で滑落・遭難し、救助活動は打ち切られた。
2人は“登山界のアカデミー賞”をそれぞれ複数回受賞するなど、登山の世界で名前を知らない人はいないという存在だった。
学生時代から登山を続ける山岳カメラマンが、今後も語り継がれるであろう2人の功績をたどった。
(報道局映像センター・山岳カメラマン 早川友康)
最高のクライミングパートナー
未踏ルートで創造的な登山を行ってきた平出和也さんが、中島健郎さんと一緒にロープを結んで登山をするようになったのは2014年のことだ。
中島さんもエベレストなど有名な山ではなく、誰も登った記録がない未踏峰を目指すタイプで、“未知”を追求する方向性が一緒だったのだ。
クライミングパートナーとして経験を積んで力をつけていった2017年、2人は、平出さんが過去3回失敗していたパキスタンのシスパーレ(7611m)に、未踏の北東壁からの登頂に成功する。
クライミングパートナーとして経験を積んで力をつけていった2017年、2人は、平出さんが過去3回失敗していたパキスタンのシスパーレ(7611m)に、未踏の北東壁からの登頂に成功する。
この登山で、平出さんと中島さんのペアとしては初となるピオレドール賞受賞となった。
その後も数々の厳しい未踏ルートに挑戦し、2020年にも再び受賞するなど、登山の世界で2人の名前を知らない人はいないという存在になっていった。
その後も数々の厳しい未踏ルートに挑戦し、2020年にも再び受賞するなど、登山の世界で2人の名前を知らない人はいないという存在になっていった。
“登山界のアカデミー賞”
最高の栄誉とされるピオレドール賞は“登山界のアカデミー賞”とも呼ばれ、ピオレドールはフランス語で「金のピッケル」を意味する。
優秀な登山家に贈られるものだが、単に高い山を登った人が受賞するというものではない。
未踏のルートから高峰の登頂を成功させるなど創造性のある登山を行い、かつ自然に負荷をかけることなく、いかにシンプルなスタイルで山に登ったかといったことが求められるのだ。
エベレストのような有名な山では多くの場合、優秀な山岳ガイドや現地ポーター(シェルパ)によるサポートを受けながら登山が行われている。
多くの登山チームは高所で酸素ボンベを使う。
未踏のルートから高峰の登頂を成功させるなど創造性のある登山を行い、かつ自然に負荷をかけることなく、いかにシンプルなスタイルで山に登ったかといったことが求められるのだ。
エベレストのような有名な山では多くの場合、優秀な山岳ガイドや現地ポーター(シェルパ)によるサポートを受けながら登山が行われている。
多くの登山チームは高所で酸素ボンベを使う。
しかし、2人の登山スタイルは、自分たちの力だけでルートを切り開いていく。
酸素ボンベも使わない。
人類が隅々まで調べ尽くしたはずの山の中に、いまだ誰も見たことも登ったこともないルートを探し出し、できるだけ時間をかけずに登り切るというものだ。
そんな“未知”のルートで“創造性”のある登山を続けてきた点が何度も最高栄誉に輝いている理由の1つだ。
酸素ボンベも使わない。
人類が隅々まで調べ尽くしたはずの山の中に、いまだ誰も見たことも登ったこともないルートを探し出し、できるだけ時間をかけずに登り切るというものだ。
そんな“未知”のルートで“創造性”のある登山を続けてきた点が何度も最高栄誉に輝いている理由の1つだ。
平出和也さん
「情報のあふれている時代だからこそ、情報のないものに魅力を感じている。多くの登山家がこれまで登って、登り尽くされている感じもある。それが、ちょっと目線を変えると、登られていない、まだまだ見たことのない世界が残っていて、そういうものに憧れを感じています」
「情報のあふれている時代だからこそ、情報のないものに魅力を感じている。多くの登山家がこれまで登って、登り尽くされている感じもある。それが、ちょっと目線を変えると、登られていない、まだまだ見たことのない世界が残っていて、そういうものに憧れを感じています」
中島健郎さん
「人がたどったことのあるルートなら、逆に行ける可能性は高く、新しい発見はそこから生まれないが、行けるかどうかわからないというだけで、それだけでわくわくする。自分たちの選んだルートで登れるか。実際に試さないと答えがこないということに純粋に楽しみがあります」
「人がたどったことのあるルートなら、逆に行ける可能性は高く、新しい発見はそこから生まれないが、行けるかどうかわからないというだけで、それだけでわくわくする。自分たちの選んだルートで登れるか。実際に試さないと答えがこないということに純粋に楽しみがあります」
山岳カメラマンでも活躍
2人の登山のもう1つの大きな特徴は、山岳カメラマンだということだ。
彼らは登山の様子を動画で記録し、その映像を多くの人に発信してきた。
彼らは登山の様子を動画で記録し、その映像を多くの人に発信してきた。
困難な登山を成功させるのに重要な要素として、装備の重量があげられる。
厳しい登山での荷物は1グラムでも軽いほうがいい。
2人は山に持ち込む装備も食糧も極限まで減らしていた一方で、カメラやドローンなどいわば登山そのものには必要のない撮影道具を持ち歩いていた。
厳しい登山での荷物は1グラムでも軽いほうがいい。
2人は山に持ち込む装備も食糧も極限まで減らしていた一方で、カメラやドローンなどいわば登山そのものには必要のない撮影道具を持ち歩いていた。
それは登山の魅力を多くの人に感じてもらうためだが、同じ山岳カメラマンとしてはただ驚くばかりだった。
長年2人を取材していた山岳ライターの柏澄子さんによると、中島さんの日記には、ある登山に持参したカメラのバッテリーの数が15個と書かれていたという。
撮影には多くのエネルギーと集中力を要するが、彼らはその大きな負荷のかかる撮影を、彼らでしかたどり着けないような困難な場所で、しかも非常に高いクオリティで行ってきた。
2人が撮影した映像は去年12月、スペインで開かれた山岳映画祭で最優秀登山映画賞に選ばれている。
長年2人を取材していた山岳ライターの柏澄子さんによると、中島さんの日記には、ある登山に持参したカメラのバッテリーの数が15個と書かれていたという。
撮影には多くのエネルギーと集中力を要するが、彼らはその大きな負荷のかかる撮影を、彼らでしかたどり着けないような困難な場所で、しかも非常に高いクオリティで行ってきた。
2人が撮影した映像は去年12月、スペインで開かれた山岳映画祭で最優秀登山映画賞に選ばれている。
未知への挑戦
平出さんと中島さんが去年挑んだのが、パキスタンのヒンズークシュ山脈の最高峰ティリチ・ミール(7708m)で、その北壁を登るというものだった。
実は平出さんがティリチ・ミールの北壁に着目したのは、今から20年以上前の2002年のことだった。
この山は1950年にノルウェー隊が初登頂して以降、何度も登られてきたが、パキスタン各地の山を歩いてまわった平出さんはティリチ・ミールの北壁を登った記録がないことに気づく。
北壁は6000m級の要塞のような険しい山々に囲まれて近づくことさえ難しく、その全容を映した写真すらないという。
そんな未知の山を自分の力で登りたいと思った平出さんだったが、アフガニスタン情勢や新型コロナウイルスの影響などで、なかなか登山許可が下りなかった。
この山は1950年にノルウェー隊が初登頂して以降、何度も登られてきたが、パキスタン各地の山を歩いてまわった平出さんはティリチ・ミールの北壁を登った記録がないことに気づく。
北壁は6000m級の要塞のような険しい山々に囲まれて近づくことさえ難しく、その全容を映した写真すらないという。
そんな未知の山を自分の力で登りたいと思った平出さんだったが、アフガニスタン情勢や新型コロナウイルスの影響などで、なかなか登山許可が下りなかった。
そして、コロナ禍が収まった去年、平出さんは最高のパートナーの中島さんと満を持してティリチ・ミールの北壁を目指したのだった。
中島さんはアメリカの登山雑誌に次のように寄稿していた。
中島さんはアメリカの登山雑誌に次のように寄稿していた。
「私たちは、現代において、真に未開の地を探索できるという見通しに興奮していました。そこに何が隠れているのかを、見に行くしかありませんでした」
2人のティリチ・ミール北壁の登山を中島さんが書いた雑誌記事などをもとに再現する。
現地に入った2人だが、まず北壁に近づくことに困難を極め、当初、目を付けていたルートは、今にも崩れ落ちそうな氷河を通過する必要があることがわかり断念する。
大きく迂回するかたちでいったん固い氷の斜面を標高6200mまで登り、そこから落石の多い断崖絶壁をロープを使って数百メートル降りる。
山越えルートで北壁に取りつくという作戦に変更する。
大きく迂回するかたちでいったん固い氷の斜面を標高6200mまで登り、そこから落石の多い断崖絶壁をロープを使って数百メートル降りる。
山越えルートで北壁に取りつくという作戦に変更する。
ベースキャンプを出発してから3日目、“未知”のティリチ・ミールの北壁に挑むことになった。
この日は視界が悪く、行きつ戻りつをしながら登ることができるルートを探した。
正解はなく、答えは自分たちで見つけ出すしかない。
やりがいと同時に、本当に登ることができるのかといった強いプレッシャーにも襲われたという。
この日は視界が悪く、行きつ戻りつをしながら登ることができるルートを探した。
正解はなく、答えは自分たちで見つけ出すしかない。
やりがいと同時に、本当に登ることができるのかといった強いプレッシャーにも襲われたという。
5日目、2人が最も懸念した、ふもとからではよく見えない箇所にさしかかる。
ここで2人は岩壁と崩れ落ちそうな氷河の間にルートを見つけ出す。
垂直に近い固い氷の壁を越え、ついに未踏の北壁を登り切った。
ここで2人は岩壁と崩れ落ちそうな氷河の間にルートを見つけ出す。
垂直に近い固い氷の壁を越え、ついに未踏の北壁を登り切った。
日本最高峰の富士山は標高3776mで、山頂の酸素の量は地上の3分の2ほどだという。
それが標高8000mともなると、さらに酸素は少なくなって地上の3分の1程度になり、1歩踏み出すだけでも息が上がるという。
そもそも標高6000mを超える場所に、人間が安定的に暮らしている集落は1つも存在しないとされる。
それが標高8000mともなると、さらに酸素は少なくなって地上の3分の1程度になり、1歩踏み出すだけでも息が上がるという。
そもそも標高6000mを超える場所に、人間が安定的に暮らしている集落は1つも存在しないとされる。
さらなる高みを目指したが…
そしてことし、2人が向かったのが、世界第2位の高峰・K2(8611m)だった。
どの角度から見ても急しゅんな三角形をなすK2は、その厳しさから遭難者も多く「魔の山」とも呼ばれる。
なかでも、最難関の課題の1つとされてきたK2の西壁に新しいルートを切り開こうと考えていた。
前年に成功したティリチ・ミール北壁の登山は、そのためのステップだった。
しかし、ことし7月、途中で滑落し、2人の救助活動は打ち切られた。
なかでも、最難関の課題の1つとされてきたK2の西壁に新しいルートを切り開こうと考えていた。
前年に成功したティリチ・ミール北壁の登山は、そのためのステップだった。
しかし、ことし7月、途中で滑落し、2人の救助活動は打ち切られた。
色あせることのない偉業
今月10日、イタリアで開かれたピオレドール賞の授賞式。
平出さんは4回目、中島さんは3回目の受賞となったが、2人の姿はなかった。
ピオレドール賞のホームページには、2人への追悼文が掲載された。
ピオレドール賞のホームページには、2人への追悼文が掲載された。
「彼らは、彼らふたりにしかなしえない未知のルートを目指し続けた日本のパイオニアであり、過酷な登山と撮影とを両立させ、多くの人に厳しくもめったに見ることができない世界を共有した。彼らが登山を愛し、登山を通じて人々を幸せにしてきたことを私たちは忘れてはいけない」
山岳ライターの柏澄子さんは、2人が“未知”の登山に挑み続けた理由を次のように話す。
柏澄子さん
「気持ちの純粋さ、強さ、懸命なところ、そういうものがいろいろな人に勇気を与えていました。平出さんの探究心、中島さんの純度の高い山への思いが、継続するという勇気や原動力を作っていたと思います。それは登山をする人、登山をしない人にとっても、人生の中ですごく大切なことで、気持ちの純粋さや強さに誰もが心を動かされたと思います」
「気持ちの純粋さ、強さ、懸命なところ、そういうものがいろいろな人に勇気を与えていました。平出さんの探究心、中島さんの純度の高い山への思いが、継続するという勇気や原動力を作っていたと思います。それは登山をする人、登山をしない人にとっても、人生の中ですごく大切なことで、気持ちの純粋さや強さに誰もが心を動かされたと思います」
1歩を踏み出して
大好きな山登りで、未知への挑戦を続けてきた2人。
2020年には、私たちの取材にこんな言葉を残していた。
2020年には、私たちの取材にこんな言葉を残していた。
中島健郎さん
「新しいことにチャレンジするというのは努力のいることだし、重い腰をあげて進まないといけない。でも、その先にあるものは、やはりやってみないことには始まらない」
「新しいことにチャレンジするというのは努力のいることだし、重い腰をあげて進まないといけない。でも、その先にあるものは、やはりやってみないことには始まらない」
平出和也さん
「誰もが未知なものに1歩を踏み出すことはなかなかできないものでしょうけど、本当に自分が好きなこと、やりたいことだったらその1歩のハードルというのは低くなるんじゃないかなと思います。だからこそ、自分のやりたいことを、これまでも諦めてきたことも、ぜひそんなものに挑戦してほしい」
「誰もが未知なものに1歩を踏み出すことはなかなかできないものでしょうけど、本当に自分が好きなこと、やりたいことだったらその1歩のハードルというのは低くなるんじゃないかなと思います。だからこそ、自分のやりたいことを、これまでも諦めてきたことも、ぜひそんなものに挑戦してほしい」
取材後記
平出さんと中島さんは素晴らしい登山をするだけでなく、その経験を映像や講演会で多くの人にシェアしてきました。
そして、登山をしない人も含めてたくさんの人に感動や勇気を与えてきました。
私自身、2人の挑戦を見て何度も励まされることがありました。
2人の映像からは未知のルートを切り開いていく緊張感とわくわく感、そしてその先にある感動がひしひしと伝わってきました。
未知に挑み続けた2人の飽くなき探究心と勇気に、あらためて深い敬意を表します。
(12月12日「おはよう日本」で放送)
そして、登山をしない人も含めてたくさんの人に感動や勇気を与えてきました。
私自身、2人の挑戦を見て何度も励まされることがありました。
2人の映像からは未知のルートを切り開いていく緊張感とわくわく感、そしてその先にある感動がひしひしと伝わってきました。
未知に挑み続けた2人の飽くなき探究心と勇気に、あらためて深い敬意を表します。
(12月12日「おはよう日本」で放送)
報道局映像センター 山岳カメラマン
早川友康
長野局などを経て現所属
山岳や自然環境などをテーマに取材
早川友康
長野局などを経て現所属
山岳や自然環境などをテーマに取材