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超意識やらアカシックレコードやら集合意識やらは、とりあえず「ある」という前提で考えて。
「ある」と思えば、脳が繋がろうという方向にもっていってくれる。
「ない」と思えば、「無い」につじつまがあうように持って行ってしまう。
「ない」と仮定した場合。
「ある」と思っていると、すべてのことに無理やりこじつけしようと脳が働く。
「ない」と思っていると、とくに何もない。
と考えると「ある」と思ってたほうがいいかもしんない。
「ある」と思えば、RASにひっかかって「ある」という証拠が集まってくるわけで。
その認識が強まるのでしょう。
そもそも、意識や感情というものの存在自体がよくわからないし、感情と筋肉が繋がっているという現象も謎すぎるし…
スタニスラフスキー・システムでは「我々は意志・感情・知恵の3つの次元を同時に生きている」と言っているんですよね。
このわけかたがいまいちよくわからないけど、感情が別の次元に存在しているとすると、それは感情空間と呼べるものであり。
そこで誰かの感情と繋がってもおかしくないですよね。
それによって、伊勢神宮などの雰囲気が作られるわけで。
というふうに考えると、なんか集合意識はありそうです。
今まで発生した意識はどこいったんだというと、別に無くなりはしないんで、どっかに溜まっているっていうのも、なんとなくわからなくはない。
…というふうに「ある」と思えば、「ある」にこじつけするわけですw
ほんとにあるかどーかは知らないけど、あるもんなら、繋がれるにこしたことないので、「ある」という認識でいときます。
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