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鍼灸で奥にたまってた心の闇を吐き出せてきたのでメモ。
「ゲームが一番楽しい物なんだという自己洗脳」
どーも、ゲームというものがやたらとテーマになっているのを感じてたんですけど、これは「ゲームが一番楽しいこと」と自己暗示をかけてたようです。
☆幼稚園の段階ですでに「女の子になるのはダメなこと」という強烈な否定があった
そもそも、子供の時からの一番強烈な欲求は「女の子になりたい」だったわけで。
なったその先は「男性に愛されたい」だったんでしょうけど、そこんとこは徹底的に鍵をかけて「女の子になりたい」だけを感じるようにしてたわけです。
で、おそらく幼稚園の頃には「女の子になるのはダメなこと、男でいなければならない」という抑制が生まれていたようです。
というのも、幼稚園の年少の段階で、ピンクの帽子を「ピンクは女の色だからかぶらない!」と断固拒否して、幼稚園の先生たちを困らせてたんですよね。
で、黒とか青とかそーいう色ばっかり好んでたのです。
もうこの時点で「女なのはいけないこと」という囚われがあったようで…
で、「一番やりたいこと」かつ「そもそも生活のほぼすべてに関連してしまうこと」を取り上げられると、死にたくなるわけで。
小学3年のころにはすでに「人生真っ暗真っ暗闇」(水戸黄門のメロディで)とかいってたわけです。
その状態で楽しむことの出来た数少ない娯楽がゲームだったのでしょう。
☆ゲームは性別や社会的身分、現実での立場の悪さ関係なく楽しめる素晴らしいツール
そもそも、ゲーム以外に現実の性別がからまない娯楽って少ないと思うんですよね。
まず、自分の体をメインに使うのは論外。
自分の性別が嫌なわけで、もはや自分自身が嫌なわけです。
自分自身というものを使ってなんかするのはパス。
それこそ、ショッピングとか、女子向けの欲しいもの買えないし、ファッションとか論外だし。
スポーツが苦手だったけど、自分自身の存在に制限をかけているので、体中が緊張して、運動能力も低くなっていたのかもしれませんね。
他者とのコミュニケーションも、一番核になる悩みの部分を徹底的に偽ってコミュニケーションとらないといけないわけで、空虚なものになりますし、コミュ能力低くなって当たり前ですわ…
そんな中で、ゲームの世界は、自分がゲームのキャラになって、それを動かすわけだから、現実がどんな姿でも平等ですよね。
なんて素晴らしいツール。
しかも、ゲームは設計的にドーパミンが出やすくなってますし、性別の苦しさで闇しかなかった子供にとって、数少ない楽しみだったのでしょう。
☆思春期は最悪
子供の時はそれでよかったんですよね…
でも、思春期に入った小学校高学年から中学時代がとくかく暗黒期でした。
とりあえず「女ではいけない」という強烈なブリーフシステムをつくってしまったこともあって、男子としか話をしてなかったわけですが、どんどんまわりについていけなくなる。
小学校高学年あたりは、やたらと暴力的だったりして苦痛だったなぁ…
じゃんけんで負けたら、勝った方にしっぺする暴力ゲームとか、誰得なんだ…
やるのもやられるのも嫌だけど、無理やり参加させられたなぁ…
当時の連中は暴力的なエネルギーがありあまってたのかな…
大学になって研究室の先輩がやっててビックリしましたわw
阪大大学院にも入ってそんなことするかwwwwDQNのやることだろww
で、中学時代はなんか今で言うリア充的な価値観がよしとされてきて。
その価値観を押し付けて来たヴォケもいて。
このビチグソどもがァァァ
まぁ要は、ゲームばっかやってたら、現実の性別や惨めさは関係ないのに、成長すると現実の性がどんどん絡んでくるようになってきて、しかもその価値観を押し付けられてきて地獄めぐりになるわけです。
リア充爆発しろ!
ほんとにリア充爆発したら、人類滅びるわw
で、わたしはこのへんの怨念に2年前までとらわれていました。
超トラウマ。
こっから脱出するのには「時間は未来から過去に流れる」という理論が必要でした。
過去から未来への流れだと、小学校の時点で「自分は生きていく価値の無いゴミクズ」と己の惨めさを受け入れ、全てを諦めていたので、挽回しようがなかったんですよね。
小学校から中学校のころに存在価値のない自分は、存在価値がないままだと。
でも、未来から過去に流れていくなら、過去はもうすぎさって関係ないので、未来をどうするかだけ考えればいいんだ、となりました。
ただまぁ、いまだに「まともな学生時代を送った一般社会適合エリートコースの人間に比べて、自分は脱落組」という自覚があります。
☆高校の時は友人とゲームばっかしてて楽しかった
高校時代は、男友達とゲームやったり、バカなことやったりして楽しかったです。
ただ、どーも「この時代にやったことが一番楽しかった」「だから、またあーいうことがしたい」という呪縛を作ってしまってたみたいなんですよね。
もしもなんでも好きに出来たとしたら。
女の子になって、少女漫画の世界観にうっとりきゅんきゅんして、おしゃれをして、かわいいものに囲まれて、彼氏を作って…とかしたかったなと。
…というふうに考える時点で「一番楽しかったこと」ではないんですよね。
いやまぁ楽しいことは楽しいんだけど「またやりたいか」というと、そこにこだわるより、「好きに出来たとしたら、やりたかったこと」を目指したほうがいいわけで。
ただ、すでに幼稚園の段階で出来ていた「女になるのはダメ」という禁則事項のせいで、一番やりたかった項目を無意識的におさえて「無理して男でいるという牢獄の中で、一番楽しめること」を考えていたのでしょう。
男という牢獄の外には、たくさんやりたいことがあるはずなのに、牢獄の外を見てはいけないという意識が働いていたというか。
その結果、牢獄の中で一番楽しかったことを過剰に持ち上げて、呪縛にしてしまっていたのでしょう。
実際のところ、当時に戻ってまたやりたいかというと、男として生活するのはもう勘弁。
二度とやりたくないわけで、そう考えると、それほどの価値はない。
後生大事にするほどのものではない、と。
☆ゲームという呪縛からの脱出
その後も、性別のことで苦しめられた私にはゲームが一番の娯楽だったようです。
まぁ実際のところ、本能的には「違う」と思ってたんで、やりはじめると、はまりすぎて頭痛になるまでやるので、やらないようにしてました。
たまにがっつり楽しむ程度。
本当に必要なら、うまくバランスとってやってたでしょうからね。
それでもゲームへの妙なこだわりは何故かあったんですけど、とりあえず今回のでその呪縛からは逃れられそうです。
「ゲームが一番」という自己洗脳をして「友人とゲームばっかやるのが一番楽しかった」という呪縛を作って、そこにとどまるようにすることで、牢獄の外にいけないようにしていたのでしょう。
2週間ほど前は、過去の整理で、毎週ゲーム雑誌を本屋でよみあさってたことを思い出して、昔のゲーム雑誌読んでノスタルジーにひたりたいなーとか思ってたんですけども。
「無理やりつくった呪縛で、一番やりたいことではなかった」というのがわかって「わざわざ、そんなことをもう一度する必要はない」という認識に変わりました。
結局どうしたいかというと、女子的なことがしたいんでしょうね。
自分のことを女性と認めた上で女性としての楽しみをたくさん味わいたいのでしょう。
昔は無理して男性的な世界観で生きるようにしていて、それが余計にしんどかったわけで、女性的な世界観にいたいというか。
なんか漠然としてるけど、そんなかんじですねー
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Yuki Kubota
青山さん☆ コメントありがとですー 社会不適合はほんとに苦しいですよね。適合して迫害してきた上に現在のうのうと生きてる人間がひじょーに恨めしいです。まぁ我々のようなタイプはどんどん仕掛けの外側に出て行くしかないんでしょうね。内側にいると苦しいだけだし。とりあえず、吐き出せてちょっとすっきりしましたよー
魁 リュウク
素晴らしい書き込み。私は性別不適合について詳しく聞いてうれしい。私は前にあなたにこのことについて質問をしますが、これは私のためにそれに答えた。ありがとう。
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