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2023年4月3日(月)

追跡!令和の“地上げ”の実態 不動産高騰の裏で何が

追跡!令和の“地上げ”の実態 不動産高騰の裏で何が

バブル期に大きな社会問題となった悪質な“地上げ”が今、形を変えて各地で相次いでいる―。情報の真相を独自追跡。“地上げ"にまつわるトラブルの相談を受ける弁護士たちは、かつてとは異なる“新たな手口”に直面していました…。なぜ、令和の時代に地上げが?不動産業界の関係者たちが明かしたのは、現代に地上げが求められる“理由”でした。都市部を中心に価格高騰が続く不動産業界。その裏側で今なにが?深層に迫りました。

出演者

  • 夏原 武さん (ライター)
  • 桑子真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

追跡!令和の"地上げ" 不動産高騰の裏で何が

桑子 真帆キャスター:
地上げとは一体どんなものなのか。

例えば、このような土地があった場合、居住者や利用者を立ち退かせてそれぞれの土地をまとめて広い土地を確保する。これが“地上げ”です。こうすることでより大きな建物マンション、ビルを建設できるので新たな土地活用が期待できます。

一方で、居住者は不当に退去させられることがないよう、法律で住む権利を守られているため、地上げを行う際には本来、立ち退き料や退去の時期について丁寧に合意を取りながら進めていく必要があります。

しかし、今こうした手順を踏まず、半ば強引に退去を迫る地上げが相次いでいるんです。

“令和の新地上げ” 法律違反せず安い価格で

都心の一等地にある築49年の雑居ビルです。2022年7月、このビルは地元の地主から中小の不動産業者に売却されました。その直後、深夜に突然2人組が訪れ、2か月以内に退去するよう求められたといいます。

元住民
「夜の10時半とか11時くらいにスーツを着た男の人2人がきて、一応引っ越し代は出すみたいな。『いったん考えるので、また日を改めてやります』と言っても帰らなかった。『いや、今すぐやってください』と言って」

住民は、立ち退き料などの条件を検討できないまま、ハンコを押さざるをえなかったといいます。

元住民
「向こうの思うつぼだけど、ここで書類にハンコを押したほうが、また夜に何回も来られて闘っても嫌だしと思って」

男たちが立ち退きの期限とした2か月後。まだ一部の入居者が残っているビルに異変が起きました。

元住民
「生の魚ですね、干物じゃなくて。肉がつるしてあって、すごく臭かったです。腐ってて」

共用部であるビルの出入り口付近で突然、生の肉や魚がつるされたのです。一体、誰がこうした行為に及んだのか。

入居者や周辺住民が残した記録や証言から、ビルの新たな所有者である不動産業者の従業員らであることが分かりました。立ち退き料や、そのやり方に不満を抱えていた入居者も複数いましたが、4か月後にはすべての入居者が立ち退きました。

バブル期に横行した、悪質な“地上げ”。

1987年「NHKニュースハイライト」より
「住民を立ち退かせるための嫌がらせは、住宅の打ち壊しや放火へとエスカレートし、警察に摘発されるケースが相次ぎました」

提示した立ち退き料で応じなければ、時に暴力団が関与して力ずくで退去させるケースが相次ぎました。

しかし今、その“地上げ”は形を変えて広がっているといいます。地上げを巡るトラブルに対応している弁護士らの団体に寄せられる相談は年間およそ50件。

泣き寝入りするケースがほとんどで、氷山の一角と見ています。

「バブルのころは札束でほほをたたくお金の力でやってたんだけど」
「今は安く買いたたいてできるだけ下げてやってるんで、悪質性はこっちのほうが上じゃないか。“令和の新地上げ”みたいな感じで」

今、あからさまな法律違反はせず、なるべく安い価格で土地をまとめようとする不動産業者が目立つようになっているというのです。

地上げに悩む人を支援する 種田和敏弁護士
「一線を超えるぎりぎりのところで嫌がらせをして追い出したいと。そういう欲求は値上がりとともに増えている」

執ような“地上げ” その実態は

令和の“地上げ”。その実態とはどんなものなのか。

都内の駅から5分程の住宅街が執ような地上げの対象となっています。ここで60年以上暮らしてきた夫婦です。

妻(70代)
「これ2階から撮ったの。もう常にいたね、公園のところに座って」

半年余り前から黒い服を着た男たちが家の周りに居座るようになり、嫌がらせを受けています。隣の空き地にガスこんろなどを持ち込み、一晩中、酒を飲んで騒ぐこともあったといいます。

夫婦が住むこの一帯は、地主が所有する土地を借りた人がみずから住宅を建てるなどして暮らしていました。しかし、地主が亡くなったことをきっかけに、4年前、一帯の土地が不動産業者に売却されました。

土地の新たな所有者になった不動産業者は、立ち退きを要求。夫婦は2036年まで土地を借りる契約を結んでいたため、応じませんでした。すると、すでに立ち退きに応じた隣の土地に男たちが居座るようになったのです。


「たばことか」
取材班
「これは花火ですか?」

「そう花火。ネズミがでたり、ひどい。やることなすこと」

これらの迷惑行為が行われているのは、いずれも相手の敷地内。夫婦は警察や行政に何度も相談しましたが、解決しませんでした。


「簡単に逮捕もできない。嫌がらせの感じで暴力じゃないからね」

その行為は次第にエスカレート。1か月にわたり一晩中、家を電飾で照らされ、発電機の騒音にも悩まされました。

見かねた近隣の住民は警察に通報しました。しかし、男たちは自分の土地だと主張して聞く耳を持たなかったといいます。

近隣の住民
「『こういうことをしないでほしい』と警察が言うと、それに対して『ここは自分たちの土地なんだから関係ない』と。とにかく一歩でも入れないってどういうことなのか」

夫婦は不動産業者から立ち退き料や転居先を提示されましたが、今も嫌がらせは続いています。


「ひどい集団だなと思って。とんでもない。頑張るつもりでいるけど、果たしてそれができるかどうか」

取材を進めると、この一帯では執ような地上げのさなかにみずから命を絶った人がいることも分かりました。

2021年に亡くなった70代の女性。今回、その息子が取材に応じました。自宅はおよそ30年前、借地の上に両親が建てたものでした。

亡くなった女性の息子
「嫌がらせを受けているようなストレスを、ずっと感じながらいなきゃいけない。この家にいること自体が苦しい」

執ように退去を迫られる中、立ち退くか否かを巡って夫婦や親族で意見が分かれました。次第に関係が悪化していったといいます。

亡くなった女性の息子
「家族に溝ができて家族がバラバラになっていくような。日常が壊されていくというか、普通に暮らすことができなくなっていく」

母親は精神的に追い詰められ、体調も悪化。みずから命を絶ちました。

亡くなった女性の息子
「(男たちと)鉢合わせになって、僕も見た瞬間にすごく怒りが込み上げてきて『お前らのせいで母親が死んだぞ』と言っちゃった。でも向こうは慣れているのか『ああ?』みたいな。そんなの関係ねえよぐらいの感じで」

都内の雑居ビルや住宅街で明らかになった執ような“地上げ”。私たちの取材から、これらを行っていたのは同一の会社の従業員らであることが確認されました。会社のホームページによると社員は50人。東京の他、大阪や名古屋などにも拠点を構えています。主な取引先には、大手のデベロッパーの名前が複数記されていました。

この不動産業者から実際に大手デベロッパーに渡った土地があるという情報を得て、現場に向かいました。建てられていたのは、2024年竣工予定のブランドマンション。周辺の住民たちは、ここでも執ような地上げが行われていたと証言しました。

近隣の住民
「(住民の一部は)出ていきたくないという意思が強かったと思う。でもそれを強引にやったようなことは言っていた。もう疲れ切っていた。気の毒でした」

立ち退きに応じない住民の家の隣には家具などが野ざらしにされ、男たちが居座るなどしていたといいます。

近隣の住民
「いま不動産すごいじゃないですか。だからみんな得するようなことしか考えてないのかな。住んでいる人たちの気持ちとかおかまいなしで、ちょっと不動産屋さん、いい気になっている」

地上げトラブルの事例 業者の見解は

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
私たちは、この一連の地上げ行為に特定の不動産業者の従業員らが関わっていることを確認しています。その業者に見解を問いました。

<不動産業者の回答>

Q.生の魚や肉をつり下げ 荷物が放置されたりしていることについて
社員のやったことではなく住民がやったことだ
Q.各地で執ような地上げをしていることについて
間違っている

などとしています。

また、この不動産業者から土地を購入してマンションを建設している大手デベロッパーに事実関係と見解を問うたところ、

<デベロッパーの回答>

Q.事実関係と見解は
・個別の取引に関してはコメントを控えさせていただきます
・当社では法令や企業倫理の順守などのコンプライアンスを重視しながら事業を推進してまいります

という回答でした。

この問題どう考えていったらいいのか。きょうのゲストは、長年不動産業界の実態や闇を取材し、社会に発信してきたライターの夏原武さんです。

まず思うのは、犯罪として立件できないかということですが、今回私たちは警察にも取材をしています。地元の警察に取材をしました。

捜査関係者によると、迷惑防止条例や軽犯罪法などの検討の対象にはなるが、嫌がらせと取られる行為は警察が入りにくい。自分の敷地でやっていて直ちに犯罪とは言い切れない。法律のスレスレを攻めてきている印象だということでした。

夏原さん、例えば迷惑防止条例を適用することは難しいのでしょうか。

スタジオゲスト
夏原 武さん (ライター)
長年不動産業界の実態を取材
漫画「正直不動産」の原案者

夏原さん:
やっぱり私有地の中で行われていることですので、証拠を集めることにまず時間がかかってしまうし、勝手に立ち入ることもできない。実態が見えないんですよね。VTRにもありましたけれどもブルーシートで囲ってしまっていて中が見えないようにしていたりする。その辺に、現在ではちょっと条例に限界があるのかなと。

桑子:
続いて、“地上げ”を巡る構図を整理していきたいと思います。

バブル期というのは“暴力団などによる地上げ”が社会問題、大きな問題として取り上げられましたが、その時に対策というのは打たれたはずですよね。

夏原さん:
バブル期、バブルが終わるのとほぼ同時期に暴力団の対策法ができましたよね、「暴対法」。これによって暴力団は排除されたんです。しかし、バブルが崩壊したことで自然と“地上げ”が収まってしまったので、特別な法的な対処というのは取られなかったんです。

桑子:
ただ、“地上げ”というのは行われているわけですよね。

夏原さん:
そうですね。現状では、かつて暴力団がやっていたようなことを不動産業者がやるようになる。当然法令には気をつけて、ひっかからないようにという中で行われています。

桑子:
もちろん丁寧な交渉を行ったうえで地上げを行っている業者もあると思うのですが、VTRで見たような執ような嫌がらせをするような業者が生まれてしまうのはどうしてでしょうか。

夏原さん:
基本的には彼らも融資を受けてやっていますので、当然利息が発生します。ですから早い短期間で土地をまとめないと、彼ら自身に負担がどんどん重くなっていく。さらにバブル期のように土地が右肩上がりではないので、早く売らないと利幅が少なくなってしまう。それも原因だと思います。

桑子:
地上げのトラブルに対する弁護士らの団体には他にも相談が寄せられています。

立ち退きを拒否したところ、借地料を何倍にも上げると一方的に通告された
(共用部の電気を消されるエレベーターを止められるなど)管理状態を悪化させられた
隣の空き部屋から大音量で音楽を流された

土地、建物の所有者としての立場を利用して立ち退きを迫るという事例が目立つといいます。

夏原さんも実際に取材をされていて、“地上げの手法”というのは変わってきているところがあるのでしょうか。

夏原さん:
バブル期に比べると強引な、有形の物理的な力でというのは減っているのですが、騒音を出すとか、共用部分を暗くするなんていうのは意外と昔からある手口ではありますね。

桑子:
今の時代で増えていく、これから増えていきそうというところで言うとどういうことが。

夏原さん:
やはりマンションの場合ですと、共有部分ですね。

桑子:
どうしてでしょうか。

夏原さん:
環境を悪化させて、そこに住んでいたくないと思わせる。周辺から攻めていくようなやり方、これは今後ますます増えるのではないかと思います。

桑子:
では、なぜこうした執ような“地上げ”を今行うのか。その背景を探りました。

知られざる裏事情とは

地上げや立ち退きを手がける現役の不動産業者です。

みずからは執ような地上げはしないと断ったうえで、不動産価格の高騰が続く都市部の裏事情を語り始めました。

地上げや立ち退きを手がける不動産業者
「実際のところ立ち退きの案件が増えた。権利がきれいな土地であれば何も問題ないが、そんな物件、東京にまずない」

男性が言及した“きれいな土地”。それは、権利関係が明白な土地のことです。これまでは社宅や工場の跡地がマンション用地の主力となってきましたが、すでに開発が進み、確保が難しくなっています。

こうした中、“種地”と呼ばれる小規模な土地を起点に周りをまとめ、マンションやビルの用地にする地上げの需要が高まっているといいます。

地上げや立ち退きを手がける不動産業者
「そしたら少しでも土地面積を広げたい動きをしますよね。ということは少しでも地上げする。立ち退きだなんだ、もう何でもやるしかないですよね。なぜなら売値がバカーンって跳ね上がるから」

そして、自分たちのような中小の不動産業者が都市部のマンション供給を支えていると語りました。

地上げや立ち退きを手がける不動産業者
「実は末端で汚いドブさらいみたいなのが動いている。不動産ひとつとってもね。それがあって初めて大きいところは『私たちキレイにやってます』と言えるわけであって。大手はやらない、やれない。コンプラだ、反社だ何だとか言ってるじゃないですか。イメージが悪い誰かが地上げして、誰かが立ち退きして、ちゃんと売り物に変身させないといけない。決して悪い仕事ではないし、そもそも悪いイメージを持ってほしくない」

令和の今、再び必要性を増しているという“地上げ”。マンションの開発を手がけるデベロッパーは、どう認識しているのか。現役の幹部が取材に応じました。

デベロッパー幹部
「やっぱりデベロッパーは大体上場もしているし、最終消費者であるお客様に販売していくわけだから、割とクリーンに運営していかなければならないが、土地の開発においてはそうではない場合もあるので、いわゆる“汚れ役”の方々が開発した土地を、程度によりますけど取得せざるをえないのも実情」

求められる対策は

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
夏原さん、クリーン、きれい、汚い、汚れ役という言葉がたくさん出てきましたが、今業界を取り巻く状況はどうなっているのでしょうか。

夏原さん:
今はとにかくマンション用地が足りないので、大手のデベロッパーにとってみると、とにかくまとまった広い土地が欲しい。その情報は流れますので、それを使った不動産業者が中堅の不動産業者等にまた情報を流し、まとめてくれたら買い上げるよという情報を流していって地上げが行われていくと。

桑子:
まずデベロッパーのマンションなどを開発したいという思惑がある。それを受けてどんどん下に下りていくということなわけですね。一方で、地主・家主を取り巻く状況というのは時代とともにどうなのでしょうか。

夏原さん:
今いちばん目立つのは相続の問題ですね。相続の段階というのが発生すると、いちばん地上げがしやすい時がやってくると。

桑子:
実際にどのように動いていくわけですか。

夏原さん:
基本的に業者はどんな家族構成になっているかとかいろいろ調べていって相続人がその土地を売る可能性があるかどうか、常にそういう情報を集めていますね、彼らは。基本は人海戦術ですね。

桑子:
足を使ってといいますか。

夏原さん:
大勢のバイトを雇って一斉にある地区に散らばせて情報を上げてこいと。

桑子:
種地でもいいからとにかくそういう場所を探していくということですね。どうすればこの執ような地上げというのをなくせるのか。こうした執ような地上げに悩む人たちを支援している種田弁護士はこのようにおっしゃっています。

地上げに悩む人を支援する 種田和敏弁護士
「裁判所への差し止め請求や損害賠償請求など選択肢はある。ただ、時間と費用がかかるため行政が即座に対処できる法律が必要」

夏原さん、こういう指摘もありますが、地上げをすることによってその土地の価値が上がって町が活性化していく側面もあると思います。ただ、暮らしている方々がないがしろにされるのは絶対にあってはならない。このバランス、今どういう状況だと見ていますか。

夏原さん:
再開発が必要な土地はたくさんあります。ただ、今ルールなき再開発というか、ルールなき地上げが続いているので、本来「借地借家法」で守られるべき人たちが守られなくなってきている。

借地借家法
借地・借家に関する基本的な法律
住民の立ち退きには正当事由が必要

また、その法律自体も時代に合わなくなってきている。結局サブリース問題なんかが発生していますので、借りている人が弱い、守らなきゃいけないだけでは、もう社会的に尺度が合わなくなってきている。

最終的には法改正もきちっと頭に入れておかなければいけない。そして、自治体も再開発に関するルールをきちっと作っていく。この枠組みの中ならやっていいです、あるいはこういう対策を取ればやっていいですと、許可制にしたほうが僕はうまくいくんじゃないかと。

桑子:
現状は、そういった許可などを取る体制はととのっていないわけですか。

夏原さん:
現状は民間主導ですので、とにかく「土地をまとめれば大きな利益が得られる」と、それしか彼らの頭の中にはないですから。そしてデベロッパーは「建物を建てればまたそこで利益が大量に得られる」と。

桑子:
社会ができることというと、行政単位での枠組みというのが重要なのではないかと。

夏原さん:
そうですね。やはり自治体が中心となってどのようにまちをデザインしていくのか、その上でデベロッパーの開発許可を出す。そして、地上げにおいては徹底したルール作りをする。あらゆる迷惑防止条例にしても何にしてもそうですが、数値化するなり、あるいは科学的な尺度を設けてそれに従わないかぎりできませんよと、従わなければ中止にしますよ、そういう考えが欲しいです。

桑子:
それを監督する、さらに上の立場の存在も大きいのではないでしょうか。

夏原さん:
そうですね。最終的には法改正も必要ですから、国交省もそうですし、政治、議会、そういうところが中心になって動いてほしいなと。そうしないと変わらないのではないかと今の現状では思ってしまいます。

桑子:
今、価格が右肩上がりに高騰する不動産業界の中に見えた負の側面。利益が追求される裏で、ささやかな生活が翻弄されている人がいます。今こそ大きな方針を示す時ではないでしょうか。

見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。
2023年3月15日(水)

密着!賃上げ交渉 私たちの給料は上がるのか?

密着!賃上げ交渉 私たちの給料は上がるのか?

3月15日は集中回答日でした。大手企業を中心に賃上げムードで、賃上げ率は3%台を超える勢いです。しかし、実質賃金はむしろ下がっており、働く人の7割を抱える中小企業ではベアを予定していないという企業も少なくありません。そうした中、非正規雇用の従業員たちも立ち上がり、“横でつながる非正規春闘”という新たな動きも出始めました。物価高が続く中で、私たちの賃金はどうなるのか。その行方を深掘りしました。

出演者

  • 首藤 若菜さん (立教大学経済学部 教授)
  • 松浦 昭彦さん (UAゼンセン会長/連合会長代行)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

異例の賃上げムード 私たちの給料は?

桑子 真帆キャスター:
コロナ禍からの業績回復とそれに伴う人手不足。さらに記録的な物価高が重なり、大手飲料メーカーが7%や5.7%、そして自動車メーカーが5%程度で決着するなど、近年にはない賃上げが行われています。

3月15日は賃上げ交渉をする春闘の山場、“集中回答日”です。この時間、まさに交渉結果が続々と集まっています。労働組合の事務所と中継がつながっています。

社会部 平山真希記者(UAゼンセン事務所 千代田区 中継):
こちらの流通や小売りなどの回答が集まる事務所では、ホワイトボードに1万円や2万円などと、各企業の賃上げ額が次々と書き込まれています。2023年の特徴は自動車や機械などの大手製造業を中心に、組合が要求したとおりに回答するという“満額回答”が相次いでいることです。賃上げ率は94年以来およそ30年ぶりに3%を超えるか、という状況にあります。

桑子:
2023年、注目されるのが、働く人の7割を占める中小企業にこの賃上げの流れが波及するかです。大手のように簡単に踏み切れないという中で、今回特別に交渉の現場にカメラが入りました。

苦悩する中小企業 賃上げ交渉の舞台裏

2月、北海道の中小企業で賃金の引き上げを求める労働者と経営者の話し合いが始まりました。

組合側
「他産業における賃金改善の動きに対して、その伸びは低調であり格差是正が進んでいません」

求めたのは、賃金を6%上げる月額1万3,700円。過去最高の要求です。

農作物や乳製品を全国各地に届けるこの企業。創業73年、正社員150人を抱える中堅の運送会社です。

北海道通運 見延和俊社長
「強い危機意識を持って、新年度に臨む必要がある」

社長の見延和俊さんです。大手企業が軒並み賃上げをする中で、厳しい経営状況に苦しんでいました。経費の中でも大きな割合を占める燃料が、1割以上値上がり。タイヤや塗料なども高騰し、経営を圧迫しています。

跳ね上がったコストの分、運送料を値上げする“価格転嫁”をしたいと考えていますが、簡単ではありません。

見延和俊社長
「(取引先に)前向きに検討してもらえるように」

営業担当者が取引先に値上げを交渉しましたが、厳しい返事が返ってきていました。

営業担当
「お客様の訪問をしまして(値上げを)お願いしているんですけどお客様の方もコスト増でかなり苦しい状況は一緒」
見延和俊社長
「うーん」
見延和俊社長
「(価格転嫁すれば)『もういいよ』って言われかねない話ですから。お客さんあっての商売なので、慎重な判断をしなきゃいかんなと」

賃上げをしない企業のおよそ6割が、取引先との関係から十分に価格転嫁できていないと答えています。

一方の社員たち。物価高が生活を直撃しています。

営業係長の柴田康行さん。勤続32年で月給はおよそ30万円です。

労働組合の委員長も務める柴田さんは、この日社員の生活がどれだけ苦しいか聞き取っていました。

労働組合執行委員長 柴田康行さん
「世間でも言われている物価高について、皆さん方今生活している上で『ここちょっと変えたよ』というのはありますか。」
「お風呂のお湯を2日に1回にした」
「やたら早く寝るようになりました。電気消して早く布団に入ればストーブも使わないし」
従業員
「節約って限界あると思うんですよ。少しでも5,000円でもいいので上げていただけるのであれば」

柴田さんたちが求めることにしたのが、基本給を引き上げるベースアップです。賃上げには、年齢や勤続年数に応じて上がる定期昇給と、社員全体の基本給を一律で底上げするベースアップという考え方があります。物価上昇に応じたベースアップがなされないと、生活は苦しくなる一方です。

柴田康行さん
「生活を守る闘い。今までにないテーマだと思います」

3月。第1回の交渉です。

経営側
「賃金については、前回と同様の定期昇給のみと回答させていただきます」

経営側の回答は、ベースアップなしという厳しいものでした。

柴田康行さん
「正直全然納得できる状況ではないというのが、いま率直な感想であります」

柴田さんは今、会社では人手不足が深刻だとして、人材確保の重要性を訴えました。

柴田康行さん
「今の賃金状況と休日の状況の中で、当社を選んで入社したいと思ってくれる人がどれだけいるかという事を、会社は考えたほうがいいと思います。人を確保するためなんですよ」

交渉は翌週に持ち越しとなりました。

柴田さんは勤続32年。会社の厳しい状況も、身にしみて分かっています。


「会社愛がすごくて」
柴田康行さん
「会社好きなんですよ。会社のためになるというのもあるし、組合員のためにでもあるし。組合員が潤うと会社も潤うんですよ。会社が潤うと組合員も潤う。絶対これは離せないところだと思うんですよね」

一方、社長の見延さんは悩んでいました。

ベースアップは基本給だけでなく、残業代や退職金にも関わってきます。一度行うと戻すことも困難です。今後の経営にとって、大きな負担になりかねません。

見延和俊社長
「賃金体系を書き換えることになりますので、『あの時の決断が間違っていた』とならないようにしなきゃいけないので。怖いですね。会社がだめになってしまっても困るので」

再び交渉が始まりました。

経営側
「賃金の増額につきましては、要求事項の定期昇給の部分のほかに2,000円の固定部分の引き上げ(ベースアップ)」

会社は定期昇給に加えて、この10年に1度しかなかったベースアップを提示しました。

柴田康行さん
「(ベースアップ)2,000円ということでご回答いただきましたが、正直2,000円じゃなくもうちょっと欲しいというのがあるんですけど」
見延和俊社長
「(組合側は)さらに言ってきた?だいぶ若手の声が強いのかな。組合の中でも。合意できるかどうか分からないけど、あと1,000円(アップ)でやってみようか。それでいけそうですか」

見延さんは今後見込まれる利益の一部を使い、さらなる賃上げを決断しました。

経営側
「回答させていただきます。固定部分の引き上げ(ベースアップ)につきましては、先ほどの金額プラス1,000円の3,000円」
柴田康行さん
「合意させていただきます」

3000円のベースアップと若手に対する手当や一時金で合意し、全体でおよそ4%の賃上げになりました。

見延和俊社長
「先行投資的にやるしかない。働く人たちが精いっぱい充実した仕事をして、それによって利益を出していく考え方。いい回転につなげていきたい」
柴田康行さん
「正直よかったなと思います。組合員として会社にも応えていかなきゃいけないと思うので、『上がったからよかった』ではなくて上がったからこそ身を引き締めて会社の仕事をする」

“転換点”にできるか

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
ぎりぎりの交渉現場をご覧いただきました。
きょうのゲストは、立教大学の教授で労働経済学が専門の首藤若菜さんです。

2023年はおよそ30年ぶりに賃上げ率が3%を超えるかというところが注目されていましたが、ここで見たいのが物価の上昇分を反映した実質賃金。2023年1月は前の年と比べてマイナスの4.1%でした。

こうした中で今、賃上げ3%が焦点になっている。このあたりはどのように見たらいいのでしょうか。

スタジオゲスト
首藤若菜さん(立教大学教授)
労働組合と経営の関係など労働経済学が専門

首藤さん:
特に2023年は物価の上昇が非常に大きいので3%の賃上げも大変厳しいのですが、たとえ3%が実現したとしても実質賃金がマイナスになってしまう可能性はあります。
ただ、実質賃金をプラスにしていくためには、2023年もそうですが2024年、2025年と継続的に賃金を上げていくことが望まれると思っています。

桑子:
まさに異例の物価上昇を受けて、実は先ほどまで行われていた会議があります。
政労使会議(せいろうしかいぎ)というものです。

政府、企業、労働組合の代表者が賃上げに向けて話し合うものなのですが、8年ぶりに行われました。この意味合いとは、何でしょうか。

首藤さん:
政府は政労使会議を開催して賃上げの機運を高めていく、という意味では評価できる面もあると思います。ただ、問題はこの会議で何が話し合われて何が決まったのか、ということだと思います。

今、速報で流れているところに基づくと、例えば労務費(賃金や各種手当)を適切に価格に転嫁できる環境を図っていくと。ここで政労使が基本合意したということですが、この基本合意がどこまで実行性のあるものとして取り組めるのか、ということが今のところはまだよく分かっていないところでもあります。やはり、この実行性をどう担保できるか、というところが問われていると思っています。

桑子:
2023年の賃上げムードですが、これから日本経済全体の活性化につなげるためにも重要になるのが、全体の4割近くを占めるパートや契約社員などの非正規雇用で働く人たちの賃上げです。

非正規労働者の賃金は正社員と比べて7割程度と、長年低い状況が続いています。こうした人たちの賃金を上げようと2023年、今までにない動きが起きているんです。

非正規雇用に波及?

スキー客で賑わう長野県。

コロナ禍で苦境に立たされていたこのホテルでは、非正規雇用で働く人の時給を2022年、平均8%上げました。

非正規従業員
「すごくありがたいです。本当に来てよかった」

賃金を上げた背景にあるのは、人手不足でした。

ズイカインターナショナル 田島伸浩副社長
「宿泊業の求人倍率は他の業種の倍と聞いており、厳しい」

客足が戻ってきたサービス業では人材の奪い合いで、給料を上げないと働き手が確保しづらいといいます。

田島伸浩副社長
「ホテル業にとって人は根幹。サービス業の人手不足から、どうしても賃金を上げざるを得ない。上げないとなかなか人が集まらない」

賃上げの資金はどうするか。力を入れたのは、付加価値を生み出すことでした。

今ブームとなっているサウナファンの心をつかむべく、本場フィンランドの設備を導入。ゲレンデのすぐそばでサウナを楽しめるようにしました。

さらに、宿泊客がリモートワークできる環境も整備。客足を増やし、給料アップの原資を確保したのです。そして、住み込みの人にはまかないと寮費も無料にし、モチベーションアップを図りました。

非正規従業員
「バイトだと食費がタダですごく助かる」

こうした非正規従業員の待遇を改善する企業は増えています。大手小売ではグループで働く非正規社員40万人を対象に、時給を7%引き上げる方針を決定しました。

「非正規労働者の賃金を上げろ」

一方で、賃上げは一部にとどまっているとして、働く人の側から声を上げる新たな動きも。

2023年に始まったこの非正規春闘。個人でも加入できる16の労働組合が共に闘う取り組みです。これまで組合に加入していない非正規従業員は、個人で企業と交渉せざるを得ませんでした。2023年はおよそ300人が団結して企業に申し入れます。

コールセンターで契約社員として働く女性です。

毎月の手取りは19万円前後。上司に賃上げを相談しましたが、立場が悪くなることを恐れて強くは言えませんでした。

コールセンター契約社員
「『私がこれ以上給料上げたい場合ってどうすればいいですか』って言ったらすごく難しい顔をして、『これ以上どうせ上がんないし』って諦めていた」

2023年は非正規春闘に参加することで、思い切って会社側に主張できるようになりました。

非正規春闘実行委員会 青木耕太郎さん
「『春闘の要求書』という形で会社に渡すものを作っていきたい」

専門家のアドバイスにしたがって正式な要求書を作成。合同ストライキも交渉材料にし、10%の時給アップを目指しています。

コールセンター契約社員
「会社にもの申すって、怖いことじゃないですか。でも、本当に言わないと企業側も、私たち非正規雇用の人たちは今の給料だけで了承してるんだなって。やっぱりちゃんと言っていった方がいい」

“転換点”にできるか

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
この非正規春闘を受けて実際に賃上げをするという企業もあるということですが、首藤さんはこうした動きにどれぐらいの期待を持っていますか。

首藤さん:
現状でパートタイム労働者の組織率は8%ぐらいなので、パート労働者については9割の人たちがこうした春闘と無縁の職場で働いているということになります。ですので、これまで組織されてこなかった人たちや賃上げの交渉の舞台にも登場しなかったような人たちが、みずから声を上げて賃上げ交渉をするということの意義は非常に大きい、と思っています。

これをきっかけに職場で共に働く仲間たちを組織して広げていくことが、賃上げを実現するための糧になるのではと思っています。

桑子:
個人では声を上げてもなかなか通用しないことが、組織になると力になるという面もありますか。

首藤さん:
そうですね。やはり職場に組合があるということが、賃上げにとってはすごく重要だと思っています。

桑子:
では2023年の非正規雇用の人たち全体の賃上げ状況というのはどうなっているのでしょうか。この時間も続々と春闘の回答が集まっている、労働組合UAゼンセンの事務所にいらっしゃる会長の松浦昭彦さんに中継で伺っていきます。

これまで非正規雇用の方々の待遇の改善に取り組まれてきた中で2023年の春闘、どのように感じていらっしゃいますか。

UAゼンセン事務所 千代田区 中継
松浦昭彦さん (UAゼンセン会長/連合会長代行)
小売り・流通などの労働組合を束ねる

松浦さん:
私どもUAゼンセンでは流通業、サービス業を中心に、パートや契約で働く組合員が110万人以上おられます。これまでのところ正社員の賃上げも従来にない高額の妥結となっておりますが、パートの時給引き上げは7%台の先行妥結に引き続いて正社員を上回り、従来から進めてきた働き方による格差の是正は2023年、さらに進むものとみております。

職場の第一線で働くパートや契約社員の賃上げは生活の安定とともにモチベーションの向上にもつながり、企業が成長を図るうえで大変重要であるとの認識が経営者の皆さんの中にも広がりつつあるのではないか、と感じております。

桑子:
今後も労働組合として賃上げを実現していくためには、どういうことが必要だと考えてますか。

松浦さん:
もちろん先ほどあった組織化は大変重要ですが、それに加えて先ほど申し上げたとおりパートや契約社員の皆さんは第一線で働いておられますので、職場のさまざまな課題についていちばんよく知っておられる存在でもあります。

こうした意見を労働組合としてしっかりと集約をし、経営に反映していく。こうした活動を生産性の向上につなげ、賃金処遇の一層の改善を実現することにつなげていきたいと思っております。

桑子:
ありがとうございました。賃上げはこれまでもずっと叫ばれてきたわけですが、今こそ歴史の転換点とするために、首藤さんはどういうことが必要だと考えますか。

首藤さん:
まず、今なぜこんなに春闘が注目されるのか。そもそも1950年代に始まったこの春闘の正式名称は“春季生活闘争”です。物価高の中で生活を守るために賃上げをしなければならない、ということだと思います。

日本社会はこれまで、グローバル競争の中で国際競争に勝つためには人件費をどうやって抑えるか、といったことが長く議論されてきました。その結果、日本経済はよくなったのかというと、やはりデフレになって“安い日本”がつくられてきたと思います。

賃金を抑制して勝つということではなくて、賃金を高めながらも企業がきちんと稼いでいけるようにする。そのために労使が知恵を絞っていく、というようにマインドを変えていく。それがこの春闘に期待されていることだと思っています。

そのためには、いい意味で労使の緊張関係というものが必要だと思っています。今、春闘がそのいい労使関係を取り戻すきっかけになってほしい、と期待しています。

桑子:
2024年、2025年と、これからもずっと続いていってほしいところですね。

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