(※岩永くんが当ブログを匿名掲示板に晒さないよう、防御目的で氏の顔写真をツイッターから引用しております。ご了承ください。)
引用元:https://x.com/vamtdpsmx05jmw1/status/1785328881769267307
岩永くんはなぜ俺に嫌がらせをする必要があったのか
①はじめに
②現ツイッター分析
③旧ツイッター分析
④小説 魔導戦記リザレクション分析(今ここ)
⑤まとめと考察
○小説「魔導戦記リザレクション」の考察
創作をしている人なら分かるだろうが、作品にはその作者の感性や価値観が意識的・無意識的問わず反映されるものである。
特に小説はテキストが主体であることから、登場人物の心理描写や会話表現などをピックアップすることで、岩永くんのコミュニケーションに対する考え方が推察できるのではないだろうか。
ということで、2013年の岩永くんが「小説家になろう」に投稿していた小説作品「魔導戦記リザレクション」を見ていきたい。
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/
概要と所感
ざっと説明すると学園ファンタジー作品である。
魔法や剣が登場し、主人公が敵と戦ったり、可愛らしいヒロインとイチャイチャしたりと、岩永くんが吸収してきたエロゲ・ラノベ・アニメ文化の影響が出ている。
大罪種という人間に害を与える怪物が地球上で支配域を広げていたり、協力すべき人類も覇権争いをしていたり、ダークな要素も色濃い。
当時の岩永くんが「わざと中二病要素を多めにした」と語っていたことを記憶しており、確かに中二病と呼ばれるような特有の表現が多数含まれていた。
実際に読んでみると、語彙力は豊富であり、主要登場人物の会話シーンもパッと見た限りでは自然で、主人公とヒロインの漫才シーンなどはテンポがよく、文字数の割にスラスラ読める。
このあたりはリアルの人間関係を参考にせず、手持ちのエロゲ・ラノベ・アニメを研究した成果が出ているのだと思った。
一方で、物語の設定に反するような、作者の岩永くんの思想が漏れているシーンも散見される。
その違和感を足掛かりにして分析を進めてみたい。
登場人物メモ
恭弥:主人公、男子高校生
アリカ:ロリ、メインヒロイン
雛:女友達、中学時代からの親交あり
一ノ瀬:クラスメイトの男子友人
小説の内容分析
■主人公の行動方針
分析の土台として使うため、主人公の思想や価値観を示していると思わしき表現を2点引用する。
そのために、薄っぺらな、意識の低い有象無象のクラスメイトとの絆などは不要だ。
今までの経験から、このようなヌルい関係を育むような学校生活を、恭弥はよく思っていない。
本当ならこんな所に通う気などもさらさら無かった。
しかし、現保護者である楓の、勧めと言うよりは半ば強制的な意思が働き、恭弥はアリカと共にここへ進学することとなった。
確かに、他人と競争し合う事は、修練として悪くないとは思っているのは事実ではある。
引用元:第一部 第一章 復活のプレリュード-prelude of resurrection- 3節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/1/
(こんな所が俺の最後だっていうのかよ……そんなの、認められるかよ。俺はまだ、誰一人護れていない)
恭弥はこの時決断する。
例えこの行動が間違っているとしても、そうでないとしても、
(だとしても、俺はもっと沢山の人を護るために……生きる事を選んだんだ……!!)
恭弥の瞳に、力強さが戻る。
引用元:第一部 第四章 罪人達の宴-revelry of esupuriende- 3節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/25/
つまり、この原則に反する描写が見つかった場合、それが岩永くんの思想や価値観が主人公を上書きしてしまっている可能性があると言える。
・主人公はクラスメイトとの人付き合いを好まない
→実際、主人公から初対面の人とお友達になるために話し掛けに行くシーンは見られなかった。
例外として、第一部 第一章 5節では上級生からいじめられる同級生を救出するシーンがあるが、間に入ろうとしたアリカがぶっ飛ばされたことで怒りを感じ、上級生にケンカを売っただけである。
・主人公は過去の凄惨な事件で大切な人々の命を救えなかった後悔からか、多くの人を護りたいと考えている
→護りたいという語りが何度も出てくることから、これが戦う理由の内発的動機である。
この前提を踏まえたうえで、俺が違和感を抱いた描写を紹介していこう。
■他者に対する攻撃性と試し行動
不自然さが目立つのは、主人公と親しくないキャラとの会話である。いくつかの会話シーンでは一般的なコミュニケーションとは思いにくい描写が多発し、創作のフィクション世界だからという前提を踏まえても違和感が出ていた。
するとそんな時、ふと後ろから声をかけられる……前に、恭弥はその存在に気づいていた。
「俺に何か用か?」
肩をポンポン、と叩こうとした腕を掴み、素早く振り返った恭弥の前に立っていたのは同い年くらいの……黒髪の少年だった。
優男風の彼は、逆に驚いたように言う。
「おっ……と、驚かせるつもりは無かったんだけどね?」
「何者だ? 入学式の時も俺を見てただろ、お前」
「へぇ、やっぱ気づかれてたか。凄いね」
引用元:第一部 第一章 復活のプレリュード-prelude of resurrection- 2節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/2/
主人公は口が悪く、髪も派手でヤンキー風に見えるという設定のためか、ぶっきらぼうな言葉遣いをすることに異論はない。
気になったのは、初対面のクラスメイトである一ノ瀬に対する距離感の描写だ。
肩をポンと叩くことすら許さずに腕を掴む警戒心の高さからは、そう簡単にパーソナルスペースに立ち入らせないという明確な拒否感が出ている。
"視線"を送ってきたうえ、何の脈絡もなくいきなり話し掛けてきた一ノ瀬の不気味さを表現したかったのかもしれないが、このキャラは結局あっさり男友達ポジションになるのだから腑に落ちない。
強い奴と組んでおくと有利だから主人公と友達になりたいという動機は語られるものの、明らかにビジネスライクな考え方であり、表面上の協力関係を作ることはあっても、信頼関係を作るにはまだまだ時間を要するだろう。
「……まあいい、同じクラスの奴相手にしてわざわざ拒む理由も無いからな」
そう言って、恭弥はいつの間にか出されていた一之瀬の手を握ってやる。それっぽい、友情の証っぽい握手だ。
「それじゃ、行こうか。恭弥の連れも教室で待ってるんじゃないの?」
「いきなり呼び捨てかよ」
「え?」
「…………何でもねぇよ、一之瀬」
恭弥の言葉に、一之瀬は楽しげに笑う。
「デレた?」
「うっせぇ、死ね」
「酷いなぁ、君ってあんまり友達いないだろ」
「ほっとけ」
さっきから人の神経を逆撫でする奴だ……さっさと教室に行ってしまおう。
そうして、恭弥は一之瀬と共に歩き出した。
引用元:第一部 第一章 復活のプレリュード-prelude of resurrection- 2節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/2/
……と思いきや、その直後のシーンで「死ね」とフランクに言うくらいの関係性になっている。
俺の認識では、「死ね」というのは敵対するような憎むべき相手か、そうでなければ親密な友人にしか使わない表現だ。
相手の生命を否定する最上級の罵倒表現であることから、一般的な会話文では多用できない。
この小説はPDFで全文がダウンロードできるため、それでCtrl+Fを使って「死ね」をキーワード検索してみたのだが、決して主人公は日常的に死ね死ねと過激な表現を使っているわけではなかった。せいぜい敵に死ね発言したのが2回あった程度である。
第二部 第一章 3節では主人公が学生食堂に一ノ瀬を誘って食事に行くことを考える程度には仲良くなっていることが示唆されており、味方ポジションに落ち着いていることから、引用した「うっせぇ、死ね」というセリフは敵対的ではなくむしろ友好的な表現であると解釈するのが妥当である。
初対面の相手に死ねって言うか?普通?
こういった描写から、対人関係の距離感がバグっているように見受けられた。
後に友好的な関係になったのは、一ノ瀬が主人公の態度に対して反感を見せず、歩み寄ってくれた結果によるものだろう。
ここで考えたのが試し行動の可能性だ。
相手にわざとひどいことを言ったり、傷つくような行為をして、それで相手が自分から離れるかどうかテストする行動のことである。
一般的には小さな子供がやる行動ではあるが、精神的に未発達な大人でも発現することがあるらしい。
作者の岩永くんの対人コミュニケーションのスタイルをコピーしたものが主人公であれば、小説内の描写は普段のツイッターでの攻撃的なスタイルとも一致している。
この「わざとひどいことを言う」というのは一ノ瀬に対してだけでなく、メインヒロインのアリカに対しても同様であった。
長くなるので引用しないが、第一部 第二章 1節~2節の秋葉原デートシーンでは、アリカの発言に対していちいち否定から入っているとの指摘が俺の友人のM氏から寄せられている。
ところが、作中の人物が主人公の話し方やコミュニケーションのやり方に不快感を示さず、避けたり怒ったりする描写が少ない。あったとしてもギャグ調か「むー、相変わらず偉そうな態度でイラッとくるなぁ」程度である。
主人公が明らかに人に好かれる言動をしていないのに、なぜか人から受け入れられているというのが、俺の抱いた違和感の正体だろうと思う。
あと、コミュニケーションとは関係ないけど、一ノ瀬と一之瀬で表記ぶれが多かった。
一般名詞じゃなくて登場人物名なんだから、ここはちゃんと統一してほしい。
■クラスメイトとの人付き合いを好まない設定に反する描写
読んでいて最も強い違和感を抱いたのが、この会話シーンである。
「そーかなあ?実際お前って、もう同学年だとかなり目立ってる方だと思うけどな」
今度は左から、軽薄そうな口調で違う男子生徒が口を挟む。
「俺はそんなに目立ちたくないんだけどな……」
「っは、ルックスも普通にいいし……カリスマ性はあるんじゃねえの?俺の好みだぜ」
引用元:第一部 第三章 侵略の足音-invasion sign- 2節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/17/
主人公とクラスメイト男子数名の会話なのだが、冒頭で述べた通り、主人公は「意識の低い有象無象のクラスメイトとの絆などは不要」と考えており、そもそもクラスメイトのモブキャラ達との会話シーンがあること自体が不自然。仲間との連携や友情パワーで価値観がアップデートされたという描写もない。
第一部 第一章 5節では上級生からいじめられる同級生を救出したことで、クラスの皆からリスペクトの目で見てもらえるようになり、主人公が何もしなくても周りが話し掛けてくれるようになったということだろうか。
だが、主人公がクラスメイトと良好な関係を構築するに至る過程は一切なく、なぜか友人相手のように雑談をしているという結果だけが描写されている。
理解できないのが「カリスマ性はあるんじゃねえの?」というクラスメイトの発言である。
主人公の行動や言動のどこにカリスマ性を見出したというのだろうか?
学園内では「序列」というシステムがあり、強い奴の立場が上と見なされる描写がある。
つまり、「意識の低い有象無象のクラスメイト」は主人公より弱いから暗黙のうちに格下扱いで、主人公が主導権を握る権利を常に有している。
それをカリスマ性と表現したのかもしれないが、実際のところ、学校行事で主人公が率先してみんなを引っ張ったり、リーダーとしての才覚を発揮する場面は見られない。
正義感のあるアツい戦闘シーンは基本的にクラスメイトのモブたちの見ていないところで実施されており、同級生救出の実績以外でカリスマ性があると思えるシーンが発見できない。
ここから推察されるのは、岩永くんがコミュニケーションの土台を序列(カースト)や主導権を軸とした関係性で解釈しているという可能性である。
具体例を挙げてみよう。
ふと、レイラの顔を見るが笑ってはいなかった。
いや、実際には笑顔を作っている。これは内心では笑っていないであろうという意味だ。
少し調子に乗ったか……と恭弥は少しだけ後悔した。
主導権を握られない程度の挑発でとどめておくつもりだったのだが。
引用元:第一部 第四章 罪人達の宴-revelry of esupuriende- 3節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/25/
自衛隊のレイラという登場人物に色々あって連行される主人公。
その移動中のシーンでハッキリと「主導権」という単語が出てきている。
相手は大人であり、自衛隊という国家権力に属しており、10代の少年が普通に反抗したら100%勝ち目がない状況だ。
それなのに挑発的なことを口にしたことでレイラからの心証が悪化したことが描写されている。
率直な印象として挙げられるのは、主人公が対人関係で相手に支配されることを嫌がる傾向にあるということである。
コミュニケーションにおいて、自分がコントロールできない不安要素を排除したいと考えるのが主人公の方針であり、同時に岩永くんの価値観ではないかと思う。
このシーンでは強制連行のような形で身柄を自衛隊に預けている状況であり、逃げ出せない(コントロールできない)。
その不安感を緩和するために、せめて会話だけは主導権を握ろうとしたのではないか。
話を少し戻して、主人公がクラスメイトとの人付き合いを好まない設定に反するシーンをもう一つ出す。
主人公が少し遅めの昼食にしようと学食に行くシーン。岩永くんの「ぼっち飯」に対する考え方が出ている箇所。
(とはいっても一人で学食ってのもなぁ、一之瀬辺りを誘えばよかったんだが……最近あいつどっかに消えてる事が多いんだよな)
空腹か、羞恥心か、こういった時にどちらを取るべきとは決められないが、実際の所学食のような食事処で一人飯を食べるというのはそこまでおかしい事ではない。
食事くらい一人で落ち着いて食べさせて欲しいと思う者もいるだろうし、食べる時間が惜しいならなおさらである。
結局、空腹に勝る恥などといったものが恭弥の中で勝利する事はなかった。
そうして、仕方ないか、と内心で呟きながら恭弥は学食に足を踏み入れた。
引用元:第二部 第一章 日常と暗躍-Life and shadow- 3節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/38/
主人公はぼっち飯が恥ずかしいものであると考えているらしく、羞恥心という表現が直接的に出ている。
「実際の所学食のような食事処で一人飯を食べるというのはそこまでおかしい事ではない。食事くらい一人で落ち着いて食べさせて欲しいと思う者もいるだろうし、食べる時間が惜しいならなおさらである。」などと自分を納得させるための言い訳がましいテキストを並べ、仕方なく一人で食事しようと決意したようだ。
しかし、「薄っぺらな、意識の低い有象無象のクラスメイトとの絆などは不要」と考えて、一匹狼になる覚悟だった主人公が、一人で食事することを嫌がるとはどういうことなのか?
これは、自分が他人からどう見られるかを気にする岩永くんの性格的傾向がダイレクトに反映された部分と思えるが、どうだろうか。
■みんなを護りたいという原則に反する描写
作中で何度もみんなを護りたいという表現が出てくることから、それが主人公の行動の基本指針となっている。
いざとなれば自分を犠牲にしてもみんなを助ける可能性が示唆されていることから、犠牲者を出したくないという想いが過剰なほどに強いことが伺えた。
それを踏まえたうえでこれを読んでみよう。
なるほど、大体状況は掴めた。
女子生徒と男子生徒の関係を見る限りだと、
大方廊下でイチャイチャでもしてたところを、上級生に目をつけられたってところか。
(これは微妙だな〜、この学園に入って、そんな所構わずイチャイチャするような意識の低い奴ら、自分らが悪いってのも少しはあるよなぁ……)
まぁでも、と、恭弥はゴソゴソとポケットに手を突っ込みながら思った。
モテない男の僻みにしては、少々やり過ぎだし、こんな所を上級生が歩いてる時点で、俺達新入生を黙らせるのが目的ってのもあるだろう。
……こいつは、楓の言ってたような、つまるところクズか。
引用元:第一部 第一章 復活のプレリュード-prelude of resurrection- 5節
https://ncode.syosetu.com/n5724bn/5/
同級生が上級生にいじめられており、主人公がどうしようか迷っているシーン。
旧ツイッター分析でも取り上げた通り、2013年当時の岩永くんはリア充に対して極度に強い敵意を持っていた。
その価値観が主人公の行動を上書きしてしまったためか、(自分らが悪いってのも少しはあるよなぁ……)と考えてウダウダしており、即座に助けに入らない。
考えてみてほしい。同級生はイチャイチャしていただけである。周囲の人はイラっとしたかもしれないが、それがボコボコにされるに値する悪行であるとは思いにくい。
そもそも、主人公とてアリカや雛とイチャイチャしており、身体的な接触も多いではないか。
主人公と女性キャラがイチャイチャするシーンを描写しておいて、モブキャラのリア充は有罪と見なすのはどういうことなのか。
主人公の願望が「みんなを護りたい(※でも作者が気に入らない奴は見捨てる)」ということなのか。
ここでも、護るか護らないかの二つを分ける合格ラインのような概念があるように思える。
周りの困っている人を平気で見捨てる人が、一体どの口で「みんなを護りたい」なんて言っているのだろうか?
ということで、岩永くんの小説から気になる部分を引用し、意見を述べてみた。
細かい粗探しをすれば不備は出てくるし、明らかにおかしい誤字脱字も見られたが、いろんな意味で興味深い作品だったと思う。
しかし、残念ながら2013年6月の更新が最後となっており、未完結のまま放置されている。
岩永くんのプロットでは広大な世界観とエピソードがたくさん作られていたはずだと思うが、誰も反応をくれなくてモチベーションが枯渇し、筆を折ったのかもしれない。
日間戦記05月16日 18位
週間戦記05月22日 51位
月間戦記05月23日 92位
小説のトップページではこのように実績が書かれており、他者から作品を評価してもらうことをモチベーションにしていたことが伺える。
あと、当時の岩永くんが「アクセス数を稼ぐために一括更新はせず、1話ずつちびちびアップしている」と語っていたことを思い出した。
他人の評価を気にしない人ならこのようなことはしないはずだ。
ところが、調べてみたところ、魔導戦記リザレクションに寄せられた感想や意見は0件であった。
小説家になろうサイト内のみならず、SNS等も総合的に検索したのに0件である。
一生懸命に作品を練り上げていた岩永くんがどれだけガッカリしたか、想像に難くない。
そもそも、友人知人なら面白がって自分の作品を見てくれる確率は高いが、見知らぬどこかの他人が見てくれる確率は低い。
なぜなら、「他人は俺に興味なんて無い」からである。
俺はVariot名義で今までゲーム、小説、イラスト等を作って公開していた時期があるが、完全初見の他人から直接的に感想やお褒めの言葉を頂いたことは基本的にない。ゲームのバグ報告が来たことは一回あったけど。
魂を込めた渾身の力作だろうと評価されないのはむしろ当たり前のことなのである。
ただし匿名掲示板、あれは例外だ。
債緑雑記を晒すスレがVIPで立てられた日には、アクセス数が1日で2000件くらいになり、アクティブユーザーが多いことが察せられた。
岩永くんも自分の作品を匿名掲示板で宣伝すればみんなが読んでくれたんじゃないか?
小説の最終更新日が2013年6月。
岩永くんが匿名掲示板にばりりーん雑記を晒し、なりすまし行為を行い、嫌がらせしてきたのは2013年7月。
思ったようにポジティブな評判や注目を得られなかったことから、憂さ晴らしに俺に嫌がらせしてストレス発散を試みた、あるいは匿名掲示板の住民が好意的に反応してくれることを期待した、といったところか。
巻き込まれた俺としてはいい迷惑である。
岩永くんはなぜ俺に嫌がらせをする必要があったのか
①はじめに
②現ツイッター分析
③旧ツイッター分析
④小説 魔導戦記リザレクション分析(今ここ)
⑤まとめと考察
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