『克己学』へのご招待


こんにちは。高見龍です。

ついに、動画プログラムを販売することになりました。

これまで、オンライン上では文章をメインで、様々な原理原則を提供してきました。

そんな中でも、会う人会う人に

「高見さんは喋ってるのを聴くのが一番いい」

という声をずっと頂いていました。

その声を受けて、オンライン上での発信を始めて約3年経った今、この動画プログラムを公開することにしました。

こちらの記事では、動画プログラムに懸ける想いと、どんなプログラムを提供するのかの概要を貴方にお伝えしていきます。 
 

案内を読む前に


まず、こちらを読んで頂く前に、いくつか注意事項があります。

今回、この文章もしかり、動画プログラムもしかりですが、1つ1つ魂を込めて作っています。

私は自分の作るコンテンツに自信を持っていますが、それだけでは不十分だと思っています。

一番大事なことは何か?

それは、貴方の姿勢です。

こちらの案内、並びにプログラムの内容を十全に受け取って頂くために、いくつか注意事項をお伝えさせてください。

①気が散る、雑音の多い環境で読まないこと
②なるべく1人の集中できる空間で読むこと
③電車やバスなどの待ち時間で流し読みしないこと
④居住まい、佇まいを正して読むこと

案内にしろ、貴方の受け取る姿勢が大事です。
集中してこそ読める文章が、沢山盛り込まれています。

私が魂を込めて作った案内ですから、貴方もそのつもりで受け取ってください。

何だったら正装に着替えて読んで頂いても構いません。

準備ができたら、読み進めてくださいね。
 

プログラム概要


この動画プログラム『克己学』は、徹底的に自身を疑い、常識を破壊し、新しい自分を創り出し、非凡な人生を生きる為のものです。

克己とは何ぞや、という内容については後述しますが、これまで私が学んできた内容をギッシリ詰め込んだ内容となっております。

非凡な人とそうでない人の違いは何か?
超人と呼ばれる人とそうでない人の違いは何か?

一言で言えば、克己しているかどうかです。

私の下で学んだ方の中には、様々な方がいます。

トップセールスを取った人がいました。

自分には無理だ、という限界を超えて、人に踏み込む提案をする勇気を持ち、結果を出した人が沢山います。

独立をした人がいました。

本当は独立して自由にビジネスをやりたいけど、リスクを取るのが怖いと思い、チャレンジしてこなかった。それを超えて独立し、自由を掴んだ人がいます。

売上を拡大と生産性の向上をした人がいました。

それなりに売り上げが上がっているけど、どうにも壁がある。とにかく頑張って働かなければいけない。お金はあるけど時間がない。それが何故なのか、従業員や顧客の問題ではなく、自分に問題があるのだと発見して、売り上げの拡大と、時間の自由の両方を手にし、生産性の向上をした人がいます。

結婚をした人がいました。

恋愛ができるということと、恋愛で幸せになれるということは違います。恋愛でいつになったら幸せになれるんだろう、という不安を持って人生を過ごしてきた。セッションを受ける中で、自分の中の愛情の欠乏の根源、そして人を愛するということに気付き、結婚に至った人がいます。

対人関係で全くひるまず、自己表現ができるようになった人もいました。

元々全く自己表現が苦手で、人と話すとひるんでしまう。自分が何かを言ったら引かれたり、嫌われたりしてしまうのではないか、というように思って生きてきた。だが勇気を持って自己表現することで、人が受け入れ、良い反応を返してくれるという体験を得た人がいます。

コーチングを志し、そのことを仕事にしている人もいます。

一般的に、コーチのコーチをしたがる人は少ないです。
何故なら、技術が盗まれると思っているから。

私は、私の技術を隠すことはしません。
今回学んでもらったことを外部で使って、ビジネスにして貰うことは全く構いません。

私は、私のビジネスのアイデアを、そのまま貴方に提供します。

おそらく、世の中で私以外に提唱している人が少ない内容なので、ユニークなセッションを提供できるでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。

全ては、克己から始まったことです。

貴方が自分自身を克己する時、貴方は貴方の望む結果を手にすることができる。

そのように考えてみて下さい。

また、このプログラム内では必要に応じて私から直接メールサポートをすることもあります。

ただ動画を観て終わり、というものではないのでご安心頂ければと思います。
 

何故、今のタイミングなのか?


これまで、セミナー自体は約2年間、コミュニティ限定での開催をしてきました。

月に4回開催していましたから、80回以上のセミナーを実施してきたことになります。

セミナーでは、私がこれまで約15年以上、かなりのお金をかけて学んだ内容をアウトプットしてきました。

それも、余すことなく、です。

お蔭様で、私の中での整理もかなり捗り、お金やコミュニケーション、心理学など、様々な分野に於いてのノウハウを整理することができました。

80回のセミナーにおいて、同じような内容をやったことは、2,3回しかないと思います。

殆どは全く違う内容、違うアプローチ、違うメソッドの話でした。

自分でも「そういえばこんなこと学んでいたな……」という内容が沢山出てきて、セミナーをさせて頂く側ながら、とてもありがたい2年間でした。

そんな中で「このセミナーが限定公開だけされているのではもったいないのではないか?」という声を頂きました。

私自身、扱っている内容が高度だと考えている為、間違って伝わることを恐れ、誰にでも伝えたいわけではない反面、それでも届くべき人に届いて欲しいという気持ちはありました。

様々な話し合いの結果
①適切な内容を抜粋して
②適切なワークを入れて
③適切な価格で
公開すれば、届けるべき人に届くのではないか?

そういう結論に至りました。

そして、様々な方のご助力により、今回の公開の流れへと至りました。
 

何を学べるか?


克己という名前から想像できるのは、自分の弱さに打ち勝ち、行動していけるようになること、というニュアンスです。

克己とは、自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。「克己して学問に励む」「克己心」
( 引用:https://kotobank.jp/word/%E5%85%8B%E5%B7%B1-502428)


ですが、もう少し深い意味を持たせています。

欲望、邪念は私達生来の身体に宿るものであることは確かです。

ですが、それだけではありません。

教育の中で身に着けた常識もまた、私達に強い欲望や邪念を持たせるのです。

つまり、我々の欲望には2種類あります。

①生来宿る欲望
②常識を身に着けたことによって発生する欲望

この中でも②常識を身に着けたことによって発生する欲望は、我々を強く努力させる反面、努力し、結果を出しても満足感をもたらさないという特徴があります。

我々は日々『~でなければいけない』と教育を受けてきました。
そして『~でない自分はよくない』というセルフイメージを抱きます。
その結果、劣等感、コンプレックスなど、弱い自分を手に入れます。

この常識と対比された劣等感、コンプレックス、弱い自分が、逃げ道として欲望を持つのです。

例えば、性欲や食欲は寂しさの代替欲求として出てきます。
その寂しさは「こんな自分は受け入れて貰えない」というセルフイメージから発生します。
そのセルフイメージは『~でなければいけない自分』という教育から外れている自分がいるから作り上げられます。

違う表現をすると、それはつまり日々の教育……人としての社会性を求められた結果、作り上げられるのです。

つまり、常識というのは元々存在しないようなそれら欲望や執着を、わざわざ作り出すのです。

それも、必然的に。

良い、悪いの話ではなく、我々の人生は既にそのようなレールに乗せられているのです。

そうして作られたコンプレックス、快楽を消費して、補うように社会は作られています。

教育でコンプレックスを作らせ、娯楽でそれを誤魔化すのです。

とんでもないマッチポンプで社会と我々の人生が回っていると思いませんか?

マッチポンプとは、自らマッチで火をつけておいて、それを自らポンプで水を掛けて消すと言う意味で、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。
( 引用:https://w.wiki/6rKj)


つまり、コンプレックスなどというものは、我々が欲しくて得たものではなく、この社会に産まれた以上、必ず一定以上は持たされるようにできている。

そして、そのコンプレックスから産まれた欲望、性、食、権威、物質などを追い求めて生きるように、消費をするように、仕向けられている。

 

この仕組まれた人生のどこに、自分の生き方というものがありますか?

 

ここに疑問を持たなければ、一生我々は社会の奴隷です。

誰が言ったかもわからない「~でなければならない!」に支配され。
それで作り上げられたコンプレックスにより娯楽を消費し。
それで一時的な痛みを忘れ。
また社会に戻って「~でなければならない!」の中で生き。
もっと強い娯楽が必要になり。
お金や時間などのコストがもっと必要になり。
それらを稼ぐために「~でなければならない!」の中で頑張り……

 

そんな風ではないですか?

 

その人生に、心の平穏、充実感、満足感、達成感はありますか?

 

愛の実感はありますか?

 

もし、ここで「ない」「ちょっとしかない」と、少しでも思った方には、本当にお役に立てる内容になっています。ぜひご期待ください。

具体的な内容に入っていきます。
 

学ぶ前に学ぶべきこと


まずこのプログラムの最初の章では、何かを学ぶ前に、まず既存の常識を徹底的に疑ってもらいます。

あなたが正しいと思っていること、この社会で教えられていることの多くに疑問を呈す内容をお届けします。

それだけでも、内容の半分弱を占めます。

人は、初めて学んだことを疑えません。
疑問を持つ検討のテーブルにも上がりません。

あなたは昨日「1+1はなんで2なんだろうか?」と考えましたか?
あなたは昨日「なんで緑色って、ミドリっていうのだろう?」と考えましたか?
あなたは昨日「自分の名前って、なんでこんな名前なんだろう?」と考えましたか?
あなたは昨日「人間って、なんで存在するんだろう?」と考えましたか?

考えないですよね。

そう、あまりに自然すぎて疑うことすらできないのが、常識です。

つまり、その常識はあなたの身体を乗っ取って、既に動かしているのです。

疑わないくらい身体に染み込んだ常識は、自分の身体を動かすのです。

例えば「1+1は?」って聞いたら「2」とすぐ答えますよね。
また「緑色のモノを指さして」と言われたらすぐそこらの木を指しますよね。
「君の名前は?」と訊かれたら、間髪入れずに言うはずです。
人間が存在するということに、何の疑いもないですよね。

そこに、思考は存在しませんよね?

ほとんど反射、反応で動きますよね?

このように『思考が存在しないくらい我々は様々な常識に使われている』ということです。

そして、そのことは残念ながらあなたには疑えません。

そんな常識が、あなたの身体の中に満ち満ちていて、それに動かされているだけの人生だとすると、恐ろしくなりませんか?

もし、様々なことを学んでも結果が出ない、もしくは限界があるというのが、その常識のせいだとしたら、その常識を取っ払ってみたいとは思いませんか?

この章のタイトルの一部を紹介します。

・苦しみの根源(11:04)
・『〇〇』という言葉に混じる嘘(31:46)
・『〇〇〇』は何かを隠している(05:04)
・〇〇という言葉を使うな(14:31)
・失敗の乗り越え方(2:18:09)
・我慢は〇〇(2:15:14)
・〇〇〇を超えて生きるには?(22:02)
・いじけの本質(1:30:35)
・人間は間違った〇〇〇を持っている(1:04:11)
・『善悪』に覆い隠された幻想(1:18:41)
・平等/不平等(1:37:34)
・〇〇〇を理由にするな(10:25)
・怠惰は〇〇不足(39:36)
・業、望まない〇〇〇〇はどこから来るのか(2:25:34)


興味を持たれましたでしょうか?
 

克己とは


『常識が様々な欲望を作る』と書きました。

そして、身に着けた常識は私達の身体を自然と動かしているということも書きました。

そして何より、その常識を私達は疑えないということについても、書きました。

どうすれば克己できるのか?

結論からお伝えします。

克己は、自信の常識の破壊から成り立ちます。

自分の常識を破壊できない人は、克己することはできません。

頑張って克己しようとしても、飽くなきコンプレックスからの欲望との戦いになるでしょう。

それは、穴が開いて海水が沈んでいく船から、海水を汲み出しながら、目的地に向かう作業のようなものです。

とても疲れそうではありませんか?

むしろ、疲れる努力というのは、そういったものであるかも知れないと思いませんか?

今回のメソッドでは、まずは常識の誤学習を認知してもらい、そこから出てきているコンプレックス由来の、自分を振り回す欲望を自覚していって頂きます。

人は、夢がなければ欲望に振り回されます。
人は、欲望に振り回されれば夢がなくなります。

つまり、コンプレックスに振り回されているうちは、本当の夢や理想を自覚することすらもできないのです。

だからもしかしたら、今あなたが持っている欲望は、貴方の常識コンプレックス由来のものかも知れません。

欲望を叶えても満たされず、むしろ喉が渇くのは、常識コンプレックス由来の欲望だからです。

もしくは、貴方が夢を持てないとすれば、それは間違いなく常識コンプレックスのせいです。

貴方が人生を諦めていたり、皮肉を言ったりするのであれば、それは常識に打ち負かされてしまっているのです。

そして、私達はそうなっている時、そのことを疑えないし、解決策はわからないですよね?

何故なら、常識は疑えないようにできているからです。

これは、とんでもない罠だと思いませんか?

我々は、自分の弱さを克服しようとしても、そもそも克服する土俵にすら立たせて貰えないようにできている、とすら思えてくるのではないでしょうか?

その常識コンプレックスをどう越えていくのか?
常識を超えた、どんな道理を身に着ければいいのか?

 

優れた疑問の中にいること


自問自答をするときに大事なことは、優れた疑問を持つことです。

人々は、優れた答えを求めようとします。

この世の中、多くの人が賢いことや頭が良いことを重要な事柄だと思っています。

ですから、優れた答えを求めて、勝てる存在であろうとします。

それを社会から求められるし、家族からも求められるでしょう。

私の発信を見ている人も、そういう人が多いでしょう。

 

ですが、それでは結局、過去の延長線上の今が手に入るだけです。

 

努力の先には努力しかありません。

努力をすれば報われる、と我々は教わりました。

ですが、努力の先にあるのは更なる努力です。

 

『答えの前提』に疑問を持たねばなりません。

 

なぜ賢くならねばならないのですか?
なぜ頭がよくなければならないのですか?
なぜ真面目に生きて行かなければならないのですか?
なぜ普通でなければならないのですか?
なぜ人と仲良くしなければいけないのですか?
なぜ自信を持たなければいけないのですか?
なぜ失敗してはならないのですか?
そこに行き着いて何を手にしたいのですか?
それを手に入れて、何を得たいのですか?
それを得たとして、貴方はどうなりたいのですか?
そうなる目的は何なのですか?

なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?

なぜ?


…………。

答えられますか?

貴方は、考えることを放棄していませんか?

「これは、こういうものだから。」と思考停止し、処理することで、省エネで賢い生き方をしていませんか?

1つ1つに悩んでいる人を見て「なんでそんなことに悩むんだろう?」と、悩んでいない自分を正当化していませんか?

色々なことがめんどくさくなって、それなりでまぁまぁな生き方をしていませんか?

 

それを繰り返して、微妙に薄っぺらい、他人と距離のある、満足感の少ない人生が手に入ってはいませんか?

 

それが、常識に負けたサインです。
それが、克己心を失ったサインです。

優れた疑問を持つ能力を失い、優れた答えだけを求めて、思考停止すれば、人は必ずそうなります。

優れた答えだけを求める、というのは、自分の心を守る作用です。

自分の心は守れば守るほど弱くなるのです。

つまり、優れた答えだけを求めた心は、ひどく脆く、弱いものです。

だから、克己心やガッツなどというものは、そこに存在しなくなります。

それに、思い当たりがありますか?
 

克己心を手に入れる


決して、常識に染まる、負けるということが悪いということではありません。

我々は、それしか選択肢がない社会に生きています。

要は、これまでただ知らなかっただけなのです。

だから、新しく知ればいい。

知って実践してみればよいのです。

常識を徹底的に洗い出し、破壊し、克己心を手に入れる。

それが、まず今回のメソッドで提供できることです。

常識に自分が負けていることに気付けば、自然と立ち上がる気持ちが湧くでしょう。

そして、自分の人生を生きていないことに気付くでしょう。

そうすれば、自分の人生を生きるとは何かを考え、自分の人生を生きたいという気持ちが芽生えてくるはずです。

自分がいかに常識に支配されて、疑問を持たなかったか?
自分がいかに諦めさせられて、立ち上がろうとしていなかったか?
自分では自分なりに必死に頑張ってきたつもりが、実際にはそんなことはなかった。

自分でもそのことに全く気付いていなかった。

これは、特に結果を出している人が直面するはずです。

非凡な売り上げ、非凡な収入を得てきた人ほど、今回のメソッドによって自分の深いレベルの諦めに直面することでしょう。

それが、始まりです。

自分を徹底的に疑い、検めることで、自分の隠れた無意識や諦めに気付く。

認めたくないこともあるかも知れません。

ですが、そこに立たねば、過去と違う未来は手に入らないのです。
 

心の働き、そして
多くの人が持つ勘違い


そうしたら次に、社会、学校、常識では教えられていないような、人間の心の仕組みや働きについてお伝えしていきます。

むしろ、なぜ社会常識に従っていては不自由になっていくのか?
多くの人々が信奉しているような信念、思考の間違い
それによって発生するエラーや対策

など、プログラムの前半では自分の内側の常識について疑問を持って貰いましたが、自分の現実を作る常識についてのお話をしていきます。

この章はむしろ、疑問を持ってもらうというより、端的に常識を切っていく形になります。

優れた疑問を持って、ご自身の常識のチェックをした後であれば、スッと入ってくる内容だと思います。

むしろ、常識のチェックをした後でなければ、入ってき難い内容ですらあると思います。

何故なら、ここで話されることは、これまでより更に常識とかけ離れた内容であり、自身の常識を疑える人でなければ、インプットを拒否する内容でもあるからです。

インプットを拒否する内容であるということは、それだけ本質的な内容なのだと、私は考えます。

貴方がこのプログラムを受ける中で、拒否感、忌避感、嫌悪感を感じれば感じるほど、それを味わい尽くせば味わい尽くすほど、貴方の人生に全く新しい世界が開けることを、お約束します。

そのためにも、しっかり順番通りにプログラムを進めて貰うことを強くお勧めします。

手順を踏んで、進めてくださいね。

下記が、この章のタイトルの一部です。

・報酬(1:04:19)
・ディフェンシブ/オフェンシブ(1:01:28)
・〇〇が人生を作る(30:34)
・『全部自分が悪い』という思考の罠(1:30:31)
・正しく自責するには?(1:40:42)
・人と親密さを作るためには(2:34:50)
・なぜ人生が退屈になるのか?(42:00)



人生で生きるべき態度
について


我々は『態度』というものを持ちます。

積極的か、消極的か、というような態度です。

仕事をしていると、態度の良い人と悪い人、積極的な態度と消極的な態度の人がいますよね。

貴方は、貴方の人生に対して、積極的な態度で生きていますか?

もっと言うと、貴方は貴方でいることに責任を取っていますか?

貴方は、自分が産まれてきたことに対して責任を取っていますか?

我々は「たまたま産まれた」と思って生きています。

産んでもらったと考えているのです。

生きることを選んだ、と考えたことはありますか?

自分の人生を生きる、と自分で選んだことはありますか?

我々の人生の不条理、理不尽、そういったズレは、外側にあるように感じるかもしれません。

違います。

貴方が、自分の人生を生きるということを選択していないから起こるのです。

『たまたま産まれた』
ではなく
『自分の人生を生きるということを選択する』

どういうことでしょう。

そういったことについて、貴方は考えたことがありますか?

もし貴方がそれについて考えていなければ、貴方は自分の人生を生きていないことになります。

貴方が生きているのは、他人の人生です。

常識、普通、平均といった、自分自身の望みや使命ではない、外部の何かに支配されている。

前述しましたように、常識は我々の身体を動かしています。

つまり、貴方が生きているのではなく、常識が身体を生きているのです。

もしそうなのだとしたら、貴方の人生にはまだまだ新しい可能性があるのです。

その可能性に、触れてみたくはありませんか?

その可能性に触れた時、自分がどんな人生を生きるか興味がありませんか?

1つ、断言できることがあります。

貴方が、貴方の人生を生きていないと気付いた時。

全く自分の思考や感覚がアテにならず、自分だと思っていたものがそうでないと気付いた時。

それらから離れて、貴方がまったく新しい選択をするとき。

貴方は、自分でも思ってもみなかった自分と世界に出会います。

それは、貴方という個体に本来秘められているものです。

私のプログラムでは、それを発見するサポートをさせて頂きます。

最後の章では、そのようなことについてお伝えしていきます。

下記が、最後の章のプログラム内容の一部です。

・『運』とは何なのか?(48:27)
・『〇〇』によって失うもの(1:44:48)
・〇〇〇〇はパワーを奪う(1:07:04)
・先に報酬をもらうな(40:09)
・人の話をどうしたら聴けるようになるのか?(17:10)
・どうしたら『許す』ことができるのか?(2:04:56)
・感謝の〇〇(46:21)
・あることをあるにする、失敗(28:16)
・自覚の重要性とプロセス(2:25:59)
・結果に責任を取る(1:50:50)
・個人を超えて生きる(45:11)



どう生きるか?


最後に、我々がどう生きるか、どう生きていくべきかについて、お伝えします。

昨今は、個人主義が極まった世の中です。

個人主義の台頭によって、多くの自由が与えられました。

ですが、世の中を見て下さい。

その自由を、適切に使えている人はいるでしょうか?

ただ放牧され、ただ餌を与えられていては、それは家畜と変わりません。

我々が人間として産まれた由縁は、家畜として生きる為ではなく、人間として生きる為です。

人間として生きるとは、考えて生きることです。

何を考えるか?

自分がどう生きるか?
自分が誰の役に立つか?
自分が何に喜びを感じるか?
自分が社会とどう関わるか?
自分が何に貢献していきていくのか?

衣食住以外の時間で、何をなして生きていくべきか?

考える頭を貰っているのですから、それについて考えねばなりません。

ですが、我々は訓練されず、学習していない状態では、獣としての思考しか持ちません。

つまり、個人主義だけがただ極まった状態では、我々はただの獣としての思考しか持ち得ないのです。

ただ食い、ただ排泄し、ただ寝、ただ子孫を残し、ただ死ぬ。

これでは、犬と変わりません。

これを、犬死にと言います。

獣として生きることが悪いのではなく、獣として生きることには大した幸福の実感、充実、魂の燃焼、使命感はありません。

ただ唯々諾々と過ごすだけの、退屈な人生になるのです。

自分や自分の周囲の人々を大事にするからこそ、充実した人生を生きるからこそ、考え、自分を訓練し、研鑽し、日々に励むのです。

その為にも、人間には指針が必要です。

最後の章では、人間として生きる為に必要な態度、そしてどう生きていくべきかについてのプログラムを提供します。

もし貴方が、このプログラムの最後の章に腹落ちした時、貴方は自分が何故この世に生まれ、どう生きていくべきで、誰の役に立つべきかが見えるでしょう。

それが、貴方の人生の道です。

克己の先には、貴方の人生の道が見えます。

是非、このプログラムを通じて、克己してください。

そして、貴方の人生の道を見つけてください。

プログラムを受け終わった方にはいくつか特典があります。

貴方がどんな道を見つけたか、是非私に共有してください。

そのことを心から、楽しみにしています。
 

最後に


今回のプログラムは、審査制です。

これまでの話を受けて
「常識を壊したい、常識を超えていきたい!」
「自分の新しい生き方、道を見つけていきたい!」
「自分がどう生きていくべきなのかを知りたい!」
そう、真剣に心が動いた人に対して、最高の環境を用意しました。

そのような環境に飛び込んでみたい、あるいは興味がある人は、こちらのフォームから是非、この記事の感想メッセージを私に送ってください。

提出締め切りまで...

2
4時間
44
53


感想/一次審査フォーム 

なお、この感想の提出は、私の集大成のプログラム参加者募集『一次審査』も兼ねています。

ですので
・克己学に興味がある人
・克己学を実践したいと思った人
・日頃から私の発信を見ていて、心動いた人
・このメッセージを見て「自ら動く」という体験を通じて変化のきっかけを掴みたい人
・過去と全く違う人生を生きたい人
・自分を根底から変えたい人

は、こちらからあなたの純粋な「声」を書いてください。

待っています。

追伸


ここまで読んで、迷っている方にお伝えします。

送るべきか、送るまいか。
ためらい。傍観。臆病。
声を送ることへの抵抗、恐れ。
揺れ、恐怖。

迷っていて、これを読んでいる人には、そういう心情があるはずです。

1つ、お訊きします。

動かない人生の果てが、今だったのではないですか?
そしてその今が不満だから、これを読んでいるのではないですか?
私の発信に辿り着いたのは、自分の人生をよくしたいからなのではないですか?

今までそれを繰り返して、ここまで来た。

それを繰り返したのは、貴方です。
誰が何と言おうと、外部の問題ではありません。
貴方の人生の態度の問題です。

貴方が貴方の人生に対して、ぬるさや、甘さや、軽視、怯えがあるから、そこにいるのです。

その先には、自己嫌悪と後悔、そして自己正当化の人生しかありません。

数ある縁の中から、この案内に辿り着いた。

そして、ここまで読み込んだ。

であれば、貴方は何か感じることがあるのです。

貴方の心は、勇気を出して、どうすべきだと言っていますか?

その声に、従ってください。

この案内を最後まで読んで、貴方は何を感じましたか?

1回で理解ができましたか?
私が何を伝えたいのか、わかりましたか?

「え?」
「何を書いているんだろう?」
「どういうことだろう?」

そう思った部分に関しては、何度も読み返してください。

読み返してもわからないところは、写経して書き写してください。

この案内1つにも、貴方の人生に学びになることがあるはずです。
そういった1つ1つの学びを逃さないようにしてください。

この案内もただの案内ではなく、貴方の人生に影響を与えうるものだと思って、何度も読み返してみてください。
 

最後の最後に


この案内、並びにプログラムの申し込みには期日があります。

どうか、貴方がくれぐれも後悔のない選択をすることを心から願っています。