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　冬の夜空に月明かりが輝いて見える。
　病院を出た後　私は一人食事をしてマンションへと戻った。
　すっかり陽が落ち、足早に家路に向う人々の姿が見える。


　『あなた・・・・あなた・・・』
　恵の口からは小さくその言葉が何度も漏れていた。


　恵はこの数日間　波多野たちに調教された・・。
　薬物を使われたからだろうが、波多野と性行為もあっただろう・・・。
　もし・・・薬物が無かったとしても、恵は男を受け入れたかも知れない。
　でもそれは、恵の中に流れていた“血”がした事・・・・・・そう思わないと遣り切れない私が確かにいる。


　私の中には、まだいくつかの　？が残っている・・・・。
　あの5枚の絵のモデルは本当に全て京子なのだろうか・・・。
　そして恵が言った道尾との出会い・・・。
　道尾は本当に純粋に恵と恋に落ちたのだろうか。
　京子が言ったように、本当のところは道尾にストーリーがあったのではないだろうか？
　でも純粋に道尾に“恋をした”と言った恵に、どこかでホッとした自分がいた事も確かだ。


　恵が私に助けを求めた事・・・・。
　道尾が亡くなって二週間後の電話。
　そして　あの書き置き。
　その2つは信じようと思う。
　己のもって生まれた“血”と戦いながら、恵は私を求めた・・・。


　私は恵の過去を知りたいと思っていた。
　そして　それを知った・・・。
　これで私は前に進めるのか？
　私は妻に愛を与え続ける事が出来るのか？


　私の目に夜空に聳（そび）え立つマンションが見えてきた。
　いくつもの窓明かりが見える。
　あの一つ一つの窓明かりの向こうには、それぞれの温もりがあるのだろう。
　私の中に懐かしいものが蘇ってくる。


　月明かり・・・・。
　恵のあの悲しい顔は月の裏側に・・・・・・。
　私の涙腺が震え、視界が曇で覆われた。








　次の朝。
　玄関の鏡を覗く私がいる。
　この数日間で、幾分か頬がこけた私。


　（しっかりしろよ）
　心の中で鏡の中の自分に声を掛ける。


　『明日　又　来る』
　昨日　病室を後にする時　恵に掛けた言葉。
　心細そうに無言で私を見つめた恵の瞳を思い出す。
　“許してください・・”　・・・そんな目をしていた。


　マンションを出た私は、いつもの道を通り駅へと向かう。
　丁度　朝のラッシュが終えた車両は冬晴れの陽射しを迎え入れている。
　私の斜め前に老夫婦が仲良く腰を掛けている。
　手こそ繋いでいないが、肩を寄せ合い2人の顔は穏やかな笑みで溢れている。
　この2人にはどんな歴史があったのだろうか。
　ふと　そんな事が頭に付く。


　私たちは・・・・。
　私たちにも、いつか過去を笑って話せる日が来るのだろうか。


　最寄の駅に着いた私は、ゆっくり足取りを確かめながら病院への道を歩く。
　恵・・・・・。


　退院の手続きを先に済ませ、病室へと向かう。
　扉の前に立ち、ゆっくり深呼吸してノブに手を掛ける。
　静かに開いた向こう側に恵の姿が見えた・・・。


　あなた・・・・ベットに腰を掛けた恵の唇が、そう動いた。
　

　黙って見つめる私。
　今にも泣き出しそうな恵。
　まるで神の審判を待つ身の様に強張った表情・・・。


　（・・・・・・・・・・）
　（・・・・・・・・・・）


　わずか2年の歴史しかない私たち。
　「け・・・い」
　微かに響く小さな声。


　「恵・・・又・・・・温泉にでも行こうか」
　突然　私の口から考えてもいなかった言葉が出た。
　その瞬間　恵の顔がみるみる崩れていく。
　涙の雫がポタポタと床に向かって落ちていく。


　私は涙腺を噛み締める。
　「恵・・・やっぱり・・・・・やっぱり温泉は・・ダメだ」
　そんなあ　・・・　恵の瞳に声にならない言葉が浮かぶ。


　「うん・・・・冬休みには・・・・南の島に行こう・・・・恵には・・・・・・・恵には　暗い月明かりは　似合わない・・・・・・・うん　太陽のような・・・明るい笑顔が・・・・だから・・南の・・島に・・・」
　私の言葉は、もう涙で精一杯だった。


　恵のその顔が泣き笑いの様な、何ともいえない表情になる。
　そして。。。。
　やっと微笑んだ。
　その笑顔は20年前に見たあの笑顔には程遠いが、いつかまた・・・・・私の手で・・・・。

　私の手で・・・。
　私の手で・・・。
　冬の陽射しが差し込む病室で、その言葉がいつまでもいつまでも頭の中で響いていた。


　第一部　完