清水亮という男がいる。ネットのidはshi3z。

本当に嫌な奴で、だいたい飲み会の席で同席すると喧嘩になる。

4年ほど前にもこんなことがあった。九州大学工学部大学院の『高度ITCリーダーシップ特論』という授業の講師として招かれた我々は講師陣の飲み会で口喧嘩を始め、shi3zさんは私に捨て台詞を吐いてその場を退席したのだった。リーダーの見本たるべき私達が飲み会の席で喧嘩別れし、しかもその直後からTwitterなどの公の場で互いに罵り合う姿を見て、「自分はこんなリーダーにだけはなりたくない」と思った学生も少なからずいただろう。この授業の本質が、ダメなリーダーを反面教師的に間近に見ることで受講生の意識改革を促すことにあったのだとしたら、そこまで見越してコーディネートした楠さんの深謀遠慮には敬服の意を表さざるを得ない。

喧嘩している時を除けば、授業の内容や私たちの会話はそれなりに有意義なものだったと思う。2007年の夏にはshi3zさんは当時まだ出たばかりで一部のギークのためだけのものと目されていたiPhoneについて「小野さん未だに持ってないの?」と煽り、その翌年の2008年には私は当時はまっていたWoWについて「ゲーム業界に身を置きながらWoWやってないなんて、もはや生きている意味がないでしょ」とshi3zさんを焚きつけた。結果、shi3zさんは集中講義期間中にWoWをインストールし、このインストーラーが内部的にBitTorrentを使っていたため、「学内のネットワークでP2Pの利用が検出された」と九大の情報システム室から問題を指摘され、お叱りを受けた。この点についてはshi3zさんに謝罪しなければならない。

shi3zさんの昨日のエントリによれば、小野和俊、すなわち私という人間は、慶応大学、さらにはSFCに対する所属意識が病的なレベルで極めて強いらしく、1分に1~2回は「SFC」とか「慶応」という言葉を口にするそうである。

1分に1~2回、特定の言葉を口にするのは実はそれほど容易ではない。具体的な情景を想像してみよう。例えば社内の会話の風景。

社員A 「小野さん、ちょっとお願いしたいことがあるんですが、今日忙しいですか?」
小野「あ、大丈夫ですよ。慶応出身ですから。正確にはSFCね。」
小野「ところでAさんも慶応でしたよね。慶応って本当にいいよね。そういえば新入社員のBさんも慶応だったっけ?」


1分に1~2回というのは、これくらいの頻度で慶応とかSFCとかいう言葉を使っていかないとなかなか到達できない領域だ。大学のカリキュラムについて会話しているなどの特定のコンテクストを除き、もし実現したとしたら相当迷惑なレベルである。


今日エントリを書こうと思った理由は2つある。

一つは、そんな無茶苦茶なことを言ってくるshi3zさんという人を、それでも私が愛せずにいられない理由について。もう一つは、shi3zさんが私のことを「選民思想」と指摘している点について、私なりに思うところについて。


まず一点目。

私が初めてshi3zさんのことを知ったのは、大学2年くらいの頃だった。

その当時、「こんなゲームができたら面白い」と、企画から実装まで、合宿形式で八王子の私の実家で泊り込みでゲーム開発のプロジェクトを進めていた私たちは、このゲームは3Dで作ろう、という結論に達した。その主たる理由は、単に私が3Dプログラミングをやってみたかったからであり、当時のマシンスペックやユーザー体験などはおよそ考えていない安易な考えから来るアイデアだったが、とにかく3Dでやってみよう、ということになった。プロジェクトのリーダーは、件のエントリにも出てくる鈴木健だった。

当時、ゲームと言えばWindowsであり、Windowsで3DプログラミングをするならDirect3Dだった。

3DプログラミングについてもDirect3Dについてもについてまったくの素人だった私は、参考書として手元において置ける書籍を探したものの、なかなか良い書籍が見つからず、ネットでも良質な情報は見つけることができない中、ひときわ輝く書籍が一冊だけあった。

それは、同い年で当時大学に入ったばかりのshi3zさんが書いた『Direct3Dプログラミングガイドブック』だった。著者が同年代だと知らずに最後まで読了し、「これ書いた人すごいね」と感想を述べたところ、「著者の人、小野と同い年じゃん」と鈴木健から指摘され、一体どんな人なのだろうと、衝撃を受け止めきるのに半日くらい要したことを今でも鮮明に記憶している。

その後5年くらいして、大学を出て、サン・マイクロシステムズに入り、アプレッソを始め、鈴木健主催のソフトドリンクという飲み会で、私が一方的に知っていたshi3zさんに直接会う機会があった。

具体的に紹介するとまた喧嘩になるので詳細についてはここでは割愛するが、当時から、というか多分そのずっと前から、shi3zさんはイヤなヤツであり、「はぁ?お前何言ってんの?」と思わざるを得ない発言を連発していた。

しかし一方で、彼はやはり最前線を突っ走っていた。

まだ誰もつくったことがないようなiアプリ、まだ誰からも聞いたことがないような物の見方。shi3zさんは当時から明らかにイヤなヤツだったが、その一方で、この人は世に何かを問い、周囲の人々に影響を与えて行くのだろう、ということも明白だった。

そんなshi3zさんは今、enchant.jsで成功し、enchantMOONというハードウェアで世界に打って出ようとしている。確実に、そして着実に、誰よりも前に進み、挑戦している同世代のイヤなヤツであるshi3zさん。

私はshi3zさんのことは大嫌いだが、その一方で大好きである。
尊敬している、という方が正しいかもしれない。

それは、shi3zさんは常に何事かを成さんとする意欲を持ち、実際に自分自身で動いてチャレンジし、そして何より、正義感に溢れた人だからだ。

「これから世の中はこんな風になっていくだろうね」

そんな風に予言する人は世の中にごまんといる。

しかし、それを自分のリスクとして引き受け、世に問うことができる人は本当に少ない。
役に立つことが証明されていないことに投資することには高いリスクがあり、多くの場合、自らの予見に対して責任まで取ることはできないからだ。

それでも、shi3zさんは前に進み続ける。

あたかも、生き物がかつて海でしか生きられなかったにも関わらず、バタバタと死にながら地上に向かい、いくつかの個体がかろうじて生き残り、それが生命の地上上陸を果たすきっかけとなったように、現れては消える新しいテクノロジーに対して、shi3zさんは突進し、たくさん失敗し、それでも前に進み続けている。そしてその結果、今では誰よりも人に対して影響を与え、自らも成功しつつあるのだ。

そして彼には正義感がある。

shi3zさんは最初に会った時から明らかにイヤなヤツだったが、一方で、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、明らかに正義感に満ち溢れた人でもあった。

自らの価値観に照らし合わせ、許せない、とはっきりと判断したとき、それを指摘することによる自分自身へのネガティブな影響を一切考えていないとしか思えない程度に、shi3zさんは不快感を公の場であらわにする。守るべき価値の前には、守るべき立場や地位などないのだ、と言わんばかりに。

そんな彼を、愛さずになどいられるわけがない。


そして2点目。

shi3zさんは、私は選民思想を持っているという。

これは、ある意味で正しい。

どのような意味で正しいかというと、私は従来から、「ノブレス・オブリージュ」という考え方を、自分についても、他人についても、重要視しているからだ。

ノブレス・オブリージュとは、「持つべきものの義務」とでも言うべきもので、社会的地位や才能など、何かしらのものを持つ者は、それに応じた義務があるだろう、というものの見方である。

この意味において、私は、何かしらの才能や地位がある人間は、「自分は普通ですから」などとへりくだらずに、いま自分自身が置かれている状況を直視して活用していくべきだと考えている。例えば学歴などは毎年何千人、何万人と最高学府に近いところに所属する人が新しく生まれるわけで、特段交換不可能なものではないが、それなりの大学に行ったのであれば、それなりの活躍をしてみましょうよ、という風に考えている。

私が身をおいているプログラマーの世界でも同じ話だ。

開発力のあるプログラマーには、ぜひ何かしらの意味でチャレンジングなプロジェクトに携わり、自分自身を試し、世に何かを問うてほしいと思っている。

そして、皮肉なことに、shi3zさんは大嫌いであるところの私のこうした考えを、ある意味で誰よりも実践している。

shi3zさんは自分が持つ力を自覚し、上述の通り、それを世の中にぶつけ、上手くいかないことがあっても、何度も倒れては起き上がって前に進む、ということを続けている。

私はそんな彼に対して、大嫌いではあるが、しかしある意味誰よりも尊敬の念を抱いている。


前にどこかで、「shi3zさんと小野さんが仲が悪いのは、同族嫌悪なんじゃないの」と指摘した人がいた。

この指摘を目にした時の私の第一印象は、「的が外れている」というものだった。

しかし今一度胸に手を当てて考えてみれば、表面的には対極のようにさえ見えるshi3zさんと私との間には、根底に共通する価値観があり、それでこんなにも仲が悪いのかもしれない、と、最近ふと思うことがあったのだった。