44 塩田の笑みは、銭湯につく頃には消えていた。 女将の前だから、あえて明るく振舞っていたのか。 無言のまま暖簾(のれん)を潜り、服を脱ぐ。 今は珍しくなった昔ながらの銭湯。 昼間の銭湯(そこ)は、私と塩田が唯一の客だった。 湯船につかり、しばらくすると塩田が声を掛けてくる。 「サウナに行こか? お前もアルコールを抜いたほうがエエやろ」 私は頷き、腰を上げる。 「山本、いろいろすまんかった。 ・・・・・・俺がお前を京子さんの店なんかに連れて行ったばっかりに・・・・」 狭いサウナ室の壁を見ながら、塩田の口が開く。 思い詰めた様に畏まった声。 「いや・・・・気にするな。 ・・・・・京子・・・・さんは、ずっと以前から恵に恨みを持っていた・・・だから 俺があの店であの絵を見なくても、そのうち何か “仕掛け”をしてきたよ・・・・波多野が東京駅に現れた事だって」 「・・・・・・・・・すまん」 「お前が謝る事じゃないよ・・・・それより お前も京子さんと話をしたんだろ?」 「・・・・ああ 電話でやけどな・・」 「・・・どんな事を言ってた?」 「・・・ああ・・・・」 流れ落ちる汗を白いタオルで拭(ぬぐ)い、塩田が一つ息を吐く。 「丁度 俺が電話した時 慌ててた。・・・恵ちゃんが舞台から落ちて頭を打って救急車で運ばれた って・・・・」 「・・・・・・・・・」 「俺は言ってる意味が分からへんかったけど・・・・問い詰めたら、色々白状してくれたわ」 「・・・・・・・そうか」 「ああ・・・・俺もショックやったわ・・・・まさか、会った事も無い恵ちゃんを恨んでたやなんて・・・」 ふー、私は一つ大きく息を吐く。 「京子さんは昔から嫉妬深い女(ひと)だったのか?」 「・・・・・いや 姐御肌(あねごはだ)で、カラッとした女(ひと)やと思ってたけど・・・・。でも 女心なんて分からんもんやからな・・・・」 私は汗を拭い、次ぎの言葉を捜す。 恵の事・・・・。 「・・・・それで京子さんから恵の事も何か・・・聞いたか?」 「・・・・・・・すまん・・」 正面の壁を向いたまま、塩田が再び頭を下げる。 「電話口で “箍(たが)” が外れたのか、聞きもしない事を喋り始めたんや・・・・その・・・恵ちゃんの悪口とか・・・その・・」 塩田の口髭が困ったようにピクピク震えている。 「そうか・・・それじゃ お前は知ってしまったんだな 恵の事を・・・道尾との事、そして波多野との事も・・・」 「・・すまん!」 その大きな声が肯定を物語っていた。 私は黙ったまま壁の一点を見つめる。 「出ようか?」 その熱さと沈黙に我慢の限界が来たのか、塩田の頬がホッとする。 私達はサウナ室を出ると湯船に浸かった。 「塩田、正直に教えてくれ」 その声に塩田が、覚悟したように頷く。 「お前は若い頃 道尾の担当をしていた・・・。そして当時 京子の事もよく知っていた。そして2人は別居して離婚する・・・。お前は担当から外れるが、道尾が恵と再婚した事も知っていた・・・」 「・・・・・・・・」 「塩田、・・その・・・・道尾と京子さんの異常な夫婦関係・・・あの織田と言う男も絡んでの異様な形・・お前は何も知らなかったのか? 何も分からなかったのか?・・・・・いや その頃から何かを感ずいていたんじゃないのか」 「・・・・・・すまん!」 この日 何度目かの “すまん” だった。 塩田が突然ザブンと湯に顔を付ける。 そして顔を上げると、大きくブルブルっと雫を撒き散らした。 「実は・・・俺は直接見た事は無かったけど・・・俺が部下と担当を交代して・・・少しずつ道尾が売れ始めて・・ある時 部下が “覗いてしまった” らしいんや・・・」 「覗いた?」 「ああ、部下がある日 時間を間違えて道尾の所に行ったんや。そしたら 男が京子さんを縄で縛って、ロウソクを垂らしてたらしい」 (・・・・・) 「それで 道尾はその様子をジーっと見てるんや・・・。そしてその後に縄をほどいて・・今度は波多野が・・・その・・・京子さんと・・・セックス・・・したらしい・・・」 (・・・・・・) 「そして 京子さんと波多野の交わりが終わったら・・・・道尾が何かに取り付かれたみたいに、一気に紙にペンを走らせたそうや・・・」 塩田の口調に、湯船の背筋が粟だった。 |