39 私の目を見て、作務衣の男が大きく首を振る。 「ま・・待ってくれ・・・・・俺の話を聞いてくれ」 後ずさる男をしばらく見つめ、静かに首を縦に振る。 男が私の指した正面のソファーに腰を降ろす。 一呼吸おいて男が口を開いた。 男は私に “織田”(おだ) と名乗った。 本名なのか、それとも“その世界”での名前なのか、私には関係なかった。 織田はこの数日間 恵を“調教”したと言った。 調教を行うにあたって “媚薬”と “興奮剤” を使ったと説明した。 ただ それ全て 夫である私が、了解した上での事・・・京子からはそう聞かさている・・・・と言った。 私があの舞台に現れた事も、プレイの余興だと思っていた・・・と言った。 申し訳なさそうにそこまで話す織田の姿に、どこかでこの男の話にウソは無いと思えた。 歳を重ねるごとに身についた、人の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚が、そう判断したのかも知れない。 「織田さん、・・・妻の過去の事・・・・あなたが知ってる事を教えてくれないか・・・・・正直に」 織田が小さく頷く。 そして思い出すように、言葉を選ぶように話し出した。 織田は 初めて恵を見た時 驚きを覚えたと言った。 そして その驚きは、今は無き友人 道尾圭介もその後感じた驚きと同じだと言った。 一つは、京子の若い頃と容姿が似ていた・・・という事。 そしてもう一つ驚いた事は、その物静かで儚(はかな)げ美しさ・・・だと言った。 しかし その時の瞳の奥には、強い覚悟があった・・・とも言った。 家族の借金の為の仕事、 どこでどうなったのか、・・・“体だけは売りたくない”・・・・そしてモデルとして私の元へやって来た・・・と織田は言った。 ある時 “その場所”に道尾がやって来た。 縄化粧を施された美しい裸体を晒す “佳恵”に、道尾は魂を吸い取られていく高鳴りを感じたらしい。 その頃 道尾は、当時の妻 京子と別居生活に入る頃だった。 道尾は織田に佳恵の素性を聞き、その事情を知った。 そして 田中家の借金の肩代わりを申し出た。 恵は素直に、道尾に感謝した・・・らしい。 道尾と京子の離婚が正式に決まり、それから月日が経ち 恵は道尾の妻となっていた。 2人が夫婦となって数年後のある暖かい日、道尾が “相談がある” とやって来た・・・・。 道尾は織田に “妻を又 縛ってくれ、打ってくれ、甚振ってくれ”・・・と言ったらしい。 織田は、“執筆の行き詰まり を感じたのか”・・・と思った。 京子の時の様に、作家として刺激を求めている・・・と思ったらしい。 そして又 淫靡な時間が始まった・・・・。 恵の身体から発するエロスの匂いは、2人の男を狂わせた・・・と言った。 人妻になっていた恵を甚振る快感に、自分がプロの縄師である事を忘れそうになった・・・と言った。 『私は 佳恵に導かれるように縄を使い、ムチを振るった』 『そして 脳みそから涎(よだれ)を流しながら “絵”を描いた』 『道尾は、目を血走らせ 口から涎を垂らしながらペンを走らせた』・・・らしい。 そして・・・。 織田が、一呼吸おいて私を見る。 目の奥に迷いが見える。 「それで・・・」 私は先を促すように、小さく聞いた。 織田は、覚悟を決めたように語り出した。 道尾は助手の波多野に・・・。 佳恵と寝るように命じたらしい。 『私は聞いた話だが』・・・と織田は念を押すように付け足した。 この頃から 道尾の様子が変わっていく。 怪しげな連中との付き合いが激しさを増し、金使いが一段と荒くなっていく。 『時折見かける佳恵の様子は、どこか病的な雰囲気に包まれていた』 そして・・・。 道尾が入院した・・・癌で。 『入院先で見かける佳恵の顔は、とても疲れていた』 織田の悲しい響だった。 その響を最後に、私の耳には何も聞えなかった。 目の前で織田の口が、まだ開いたり閉じたりしていた気がする。 やがて 織田が何度か頭を下げ、私の前から去って行った。 それからどれ位 その白い壁を眺めていたのか? 気が付いたら目の前に、白衣を着た男が立っていた。 私は事務所のような所へ連れて行かれた。 「×××は、××××ほどに してくださいね・・・」 頭のどこかで“興奮剤” “媚薬”・・・そんな言葉が聞えていた・・・気がする。 私が使ったと思っている ・・・ そんな考えが浮かんだ。 私の事を“奇妙な物”・・・そんな風に見る白衣の男の目。 その目を見て私は、深々と頭を下げた。 「2、3日で退院できますから」 その言葉を聞いて病院を後にした・・・一目 恵の寝姿を確認して・・・。 |