25 絶頂に達した私の胸元に、ポタポタと雫(しずく)が落ちた。 汗? 涎(よだれ)?・・・それとも涙? 私に跨(またが)リ痙攣していた人影が、スローモーションのように倒れ掛かってくる。 それを受け止め抱きしめた両腕が、覚えていた。 間違いなく恵・・・。 今 獣(けだもの)のように、夜叉のように男を貪(むさぼ)っていたのは、妻の恵だった・・・。 『栗色の毛先も気に入ってましたけど、こっちも良くないですか?』 あの旅行前に、日本女性的な黒髪に戻したそれを優しく撫でてみる。 目を瞑った横顔に月明かりがおちる。 間違いなく私の妻。 シーンと言う音が聞えてきそうな、静まり返った寝室。 幻夜・・・・。 私は恵の身体を抱きしめ続けていた。 目覚めのよい朝だった。 一人目覚めた寝室に、昨夜の出来事を思い出す。 あれは夢だったのか? いや 違う。 私のむき出しの下半身が、直ぐに教えてくれた・・それと腿(もも)にこびり付く残り香が。 しばらくして階段を下りる私。 点けっぱなしのテレビからは朝のニュースが流れている。 テーブルの上には、湯気の上がるご飯と味噌汁、それに小皿に小鉢。 いつもの食卓の前には、恵の姿が見えない。 すぐに人の居ない気配に違和感を覚える。 テーブルの片隅に1枚の便箋。 いかにも女性的な優しい字体。 《しばらく留守にさせて下さい。捜さないで下さい。心配しないで下さい。 ・・・恵》 立ち尽くす私の耳の片隅に、テレビのアナウンサーの声だけが聞えていた。 人は予期せぬ出来事に遭遇した時、どういう行動を取るのだろう。 なぜ なぜ なぜ ・・・ その言葉が頭の中で回りながら、私はいつものようにスーツに着替え、家を出た。 恵が出て行った・・・・家を、私の元を・・。 あの可愛らしい顔、はにかむ瞳、クスっと笑う淑やかな口元・・・それらの顔の間に見え隠れする夕べの貧欲な姿。 幾つもの顔が現れるたびに “なぜ” の文字が浮かび上がる。 呪文の言葉を聞きながら、私の身体は駅に居た。 幾人もの人達が、私を追い抜いていく。 私の目にその者達の背中が映る。 波多野! そうなのだ、恵は奴の元に居るはずだ。 携帯電話を開き、なじみの番号を押す。 電話口の部下に一声かける。 「悪い、今日は休むから後は頼む」 その言葉の後 すぐに電話を切った。 電話の向こうには、キツネに摘まれた表情をしている部下がいるはずだ。 そんな事も気にせず、改札口へと向った。 体が勝手にあの駅へ向っていた。 恵が波多野と会っていたY駅へ。 駅に降り立った私は、あの時のファーストフードの店を覗いてみる。 そこに2人が居るとは思わなかったが、私の頭の中では “恵は波多野と居る” ・・そんな確信めいたものがあった。 ファーストフード店を出た私は、記憶をたどり波多野のマンションを捜し歩く。 風の冷たさも、息切れも感じなかった。 時折響く携帯電話の震えも、発信者を確認するだけだった。 恵が居なくなった理由を突き詰めて考える事も無かった。 ただ、今は 何かにせかされるように歩いた。 ようやくいつかの見覚えのあるマンションの前にたどり着く。 オートロックのドアの横の集合ポストの名前を端から目で追いかける。 903号室 波多野。 そのプレートを見つけた瞬間、初めて緊張感が湧いてきた。 インタフォンの前で小さく頷き、部屋番号を押す。 しかし・・・。 何度の呼び出しにも何一つ応答が無い。 時刻は9時半前。 まだ 寝ているのか? それとも・・・。 しばらくして一旦エントランスを出て、携帯を手にとった。 今朝から初めて恵への電話だった。 (・・・・・・・・・・・・・・・・) 留守電・・・私はゆっくり電話を畳むと、マンションを見上げた。 |