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月明かり










23
 そうなのだ。
 『私は病んでいた』 その部分を知るのが怖いのだ。
 恵は道尾との事を、包み隠さず話してくれた・・・・話してくれたと思っている・・・・話してくれたと思いたい。
 しかし・・・。
 私は恵を幸せにしようと誓った時、同時に恵の背負ってきた全ての歴史を受け入れようと誓ったはず・・・・・・。
 それなのに・・・。
 波多野という一人の男の登場に、私の心が揺らいでいる。
 波多野(やつ)が、恵の過去に絡んでくるのか?
 恵を問い質せないのも、つい先程の波多野の答えに反論できないのも・・・過去を知る恐怖が私を包んでいるからだ。


 「山本、一つだけ言うとくぞ。過去は過去、今現在 恵ちゃんが不貞行為を働いた訳やないぞ。・・・とにかく恵ちゃんを信じるんや」
 「ああ・・・」


 「それと何があっても助けてやるんやぞ、さっきも言ったが、恵ちゃんが波多野に脅されてる可能性もあるんやから」
 「うん わかってる」


 「俺はもう少し 波多野の事を探ってみる」
 「・・すまん」
 2人の目に地下鉄の出入り口が見えてきた。

 
 その後 マンションに着いたのは、10時半頃か。
 「ただいま」
 明るく振舞う声。
 しかし・・・。
 私を迎えた恵の顔は青白い。


 「どうしたんだい」
 「・・ごめんなさい。・・何だかだるくて」


 「僕の風邪がうつったのかも知れないね」
 「・・・・・・」


 「今日は 暖かくして早く寝なさい」
  少女のようなピンクのパジャマの背中に手をあてる。


 「あなた すいません。 具合が良くなるまで、もうしばらく寝室は別にしましょう」
 赤身を帯びてる顔が、更に赤くなっていく気がした。






 それかしばらく恵の元気のない日々が過ぎていく。
 変わった事は無いかい? 、 困った事は無いかい?、 遠まわしにそんな事を聞こうと準備していた私も、恵の体調を前にその話題を持ち出すことは無かった。
 恵が元気になったら聞いてみよう・・・私の思いだった。


 仕事はクリスマス、年末に向けて、今年最後の追い込みに向う。
 哀しいかな仕事に没頭している時は、愛妻の顔さえ浮かぶ事がない。
 それでも波多野とあった夜、その夜から体調を崩している恵に、昼間 仕事の合間に頻繁(ひんぱん)にメールか電話を入れるようにしていた。
 電話口に恵の声が聞こえた時、メールの返信がきた時、ホッとすると同時に思春期の匂いを嗅ぐ事が出来た。


 仕事が忙しいのは、塩田も同じようだった。
 『~波多野の事を、探っといたる』 あれ以来、奴からその連絡は無い。




 その日の朝・・・。
 トントントンとリズム良く包丁が、まな板を叩く音が聞えてくる。
 香ばしい味噌汁の匂いがプ~ンと鼻に付く。
 いつもと変わる事の無かった我が家の朝。
 違うのは、恵の具合の悪そうな表情。


 「おはよう 恵」
 「あ あなた おはようございます」


 「今朝の気分はどうだい?」
 「はい 大分よくなってきてます」


 「うん でも、昨日も言ったけど無理しなくていいんだよ、もっと遅くまで寝てれば」
 「いえ・・そう言う訳にも・・・・」
 気丈に答えた声も、まだいつものものではない。


 恵の魅力の一つのアーモンド形の瞳。
 その目尻が薄っすら赤くなっている、まるで涙の後のように。
 そう言えば 夕べ帰った時も、涙を拭いていた?・・・・恵は直ぐに鼻を咬み、取り繕った様子だった。


 「恵 お茶のお代わりをもらえるかい」
 「・・・・・・・・・・・・・・」


 「恵・・・・・・・・・恵」
 「えっ!  は はい」
 ここ数日この様な時がある。


 「恵 大丈夫かい? ・・本当に」
 「すいません ボーっとしてました・・・」


 「・・・・・・・・」


 朝食を終え、それからしばらくして家を出る私。
 今夜も帰りは遅いのですか? ・・・ いつものお決まりの言葉は今朝も聞く事が出来ない。


 「じゃあ 行って来ます」
 私の精一杯の笑顔に、ぎこちない恵の笑顔があった。










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