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月明かり










22
 『佳恵さんは良い方でした』 目の前の波多野の嫌味の無い、透き通るような声だった。
 塩田が瞬きして納得したように、ゆっくり頷く。


 「ところで 京子さんから聞いたんやけど、そこの階段の壁に飾られてた “絵”・・あれは波多野さんがプレゼントしたとか?」
 「ええ そうですよ」


 「ひょっとして あれは、波多野さんが描いたんですか」
 「・・・・・・・・・・いえ、あの絵は先生が所有されてた別荘に飾られてた物なんですよ。・・先生が亡くなった後に、こっそり失敬させてもらいました」
 悪びれた様子も無く、波多野が答えた。


 「それで それを京子さんに送られたんですか」
 「ええ まあ・・・私の一人暮らしのマンションじゃ狭くて飾れないし・・・ある時 偶然、京子さんと会って、この店の話を聞いて、あの絵がこちらの店のイメージに合うんじゃないかと思いまして・・」


 「なるほど 実際、見られてどうですか」
 「さっき 見ましたけど、ああ言う風に飾られてる所を改まって見ると、やっぱり京子さんに譲って正解だったと思います」


 「・・・・・・・・」
 「あの絵は先生が書かれた小説のイメージ、シーンにぴったりですよ」


 「そうですか 僕も最初見た時、魂が吸い込まれていくような感じがしましたよ・・・・・ところで あの絵は、誰が描かれたんですかね」
 塩田の問いは、私の次ぎの疑問だった。


 「・・・・さあ それは、私の記憶にも無いのですよ・・・・・。先生の交友関係の中で、誰かから頂いたのか、あるいは誰かに頼んで描いてもらったのか・・」
 塩田の髭がピクリと動く。


 「描いてもらったとしたら、モデルは・・・・誰でしょう・・ね」
 「・・・・・・」


 「僕は、佳恵さんに似てるような気がするんやけど・・・」
 「・・・さあ どうでしょうかね」
 塩田のその言葉にも、波多野の口元は微動だにしなかった・・・・・ように感じた。
 波多野の言葉の後は、しばらくの沈黙がやってきた。


 「ところで こちらの方は?」
 波多野の落ち着いた口調が、初めて私に向く。
 

 「・・こちらは山本さん・・・・実は、佳恵さんの今のご主人ですわ」
 波多野を見据える私の耳に、落ち着いた塩田の声が届く。
 そして黙ったまま、波多野が一つ頷く。

 
 それまで、取締りのような2人のやり取りを聴いていた私の口がようやく開く。
 「最近 恵(けい)と会いましたか、波多野・・・・・・さん」


 「けい?」
 波多野が首を捻る。


 「妻だ・・私は妻の事を恵(けい)と呼んでいる・・・・・・」
 その言葉に感心したかのように、2,3度頷く波多野。
 落ち着いた目が私を真っ直ぐ見据える。


 そして・・・・。
 「いいえ」
 気負いも感情もない、その言葉が吐き出された。
 私の疑問を疑心に変える答えだった。



 私達はショーを見る間もなく『One‘s Desire』を出ると、宛も無く来た道を歩いていた。
 「山本、恵ちゃんと波多野が会ってたんか?」
 「ああ お前には言ってなかったけど・・・・」


 そして私は、恵のメールを覗いた事。
 Y駅に行った事。
 そこで2人が話している姿を見た事。
 そして波多野をマンションまで尾(つ)けた事を話した。


 「山本、でも仮に波多野が恵ちゃんと会ってた事を後になって認めたとしても、それはさすがに不貞行為にはならんぞ」
 「ああ わかってる」


 「それで その事は、恵ちゃんに問い詰めたんか」
 「いや・・それが・・・」


 「まてよ・・・東京駅で恵ちゃんが波多野と話してるのを見た時、恵ちゃんの顔が 『死人のようやった』 って言ってたよな」
 「ああ」


 「その事を考えたら、2人がY駅で会ってたのも、恵ちゃんが弱みでも握られて仕方なしに会ってた可能性が高いな」
 「・・・・・・・」


 「・・そして さっき、お前の 『会った事があるか?』 の問いに波多野はウソをついたのか」
 「・・・ああ そういう事だ」


 「んんん・・・これは 恵ちゃんを問い詰めろと言うより、“助けてやれ” という言い方に訂正やな」
 「・・・・・・」


 「ただ お前としては、恵ちゃんの過去の部分・・・そこから“何か”が出て来そうで怖いんやろ」
 私は心の中で頷いた。
 頭の中に再会した頃 聞いた言葉が蘇る。
 『私は病んでいた』










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