20
　数年前に都心の地下に開通した新線。
　それの某駅西口が今夜の待ち合わせ場所だった。
　先に着いたのは私。
　その場所から後方を振り返ると、ヒルズの名の付く高層ビルが夜空に向かってそびえ建っている。


　待ち合わせの７時までは後１０分少々。
　これから時間が過ぎれば過ぎるほど、怪しげな人種が己の欲望の為、徘徊を始める街・・六本木。
　その街の一角にある　“隠れ家”・・会員制クラブ『One`s Desire』
　私は塩田を待ちながら２本目のタバコに火を付けた。


　オーナー京子からの情報。
　今夜　初めて波多野が、そのクラブに来るという・・・。


　「よお　山本、待ったか？」
　六本木には似合わない、くたびれたスーツを着て塩田が現れる。


　「おお・・・」
　タバコを口から離し、小さく返事をする。
　その声と表情に私の緊張が、こいつにも伝わったはず。


　「へへ　顔が強張ってるぞ」
　長い付き合いのこいつが、一目で私の様子を当てる。


　｢行こか」
　独特のイントネーションと無愛想な響きに黙ったまま頷く。
　吸いかけのキャビンを捨て、塩田に肩を寄せる。


　｢京子さんには何て言ってあるんだ」
　「ん？　んん、特別な事は話してないで。波多野とは昔、２、３回顔を見かけた程度やけど、『道尾（せんせい）の思い出話でもしたいから店に来るような事があったら教えてくれ』　って言うといたんや」


　「ふふ　わざとらしいな」
　「まあな・・それで金曜日に京子さんから電話をもらったんや。・・波多野から突然電話があって・・　『店に遊びに行ってもエエか？』　って」


　｢波多野は初めてなのか、“あの店”　に行くのは」
　「ああ　どうもそうらしい。せやから自分が送った　“あの絵”　が飾られてるのを見るのは初めてのはずや」
　階段の壁から炙(あぶ)り上がる５枚の官能的な絵が、頭の中に浮かぶ。
　丁度　視線の先に、ビルの姿が見えてきた。


　地下に続く階段に足を踏み出すと、あの時の様にセンサーが働き、光が瞬く。
　暗闇からムワっと官能の絵が浮かび上がる。
　初めてココを訪れた者は必ず足を止める筈だ・・・いや何度と来た者でも・・・・。
　階段の下に見える店の扉が、怪しい世界の入り口に見える。
　私はあの時と同じように一枚づつ、その絵を見入った。


　しばらくして塩田を先頭に、扉を潜った私達。
　ダークスーツの男が後方のテーブルの一つへと案内してくれる。
　｢ショーは１０時頃です」
　黒い男がニヤッと笑う。
　あっという間に、私達の値踏みは済んだようだ。


　「京子さんは　居るかな？　オーナーの・・」
　あっ　・・・　男の口が小さく開き、声にならない声が漏れる。


　「これは失礼しました。少々お待ちください」
　男が非常口の明かりの元に急ぐ。


　淡い光の店内に目を凝らす。
　前方には一段高い舞台があり、今は緞帳（どんちょう）が降りている。
　店内のテーブルは全て、その舞台に向けて配置されているようだ。


　客の入りは半分くらい。
　場所柄なのか、日本人以外にもわずかながら白人、黒人の姿も見える。
　硬いスーツ姿の男がいれば、出勤前のホステスのような格好も居る。
　妖しいマダムに和服美人も居れば、身持ちの固そうなセレブタイプも居る。


　「失礼致します」
　先程の黒い男がテーブルに戻ってきた。


　「申し訳ございません。京子さんですが、本日は体調不良で先程帰らせていただいたのですが」
　「えっ　そうやの、あらら　どうしよう」
　男の丁寧な言葉に、塩田が大げさな声を上げる。


　「はい　それで京子さんからこれを預かっていました」
　そう言って男が一枚の紙切れを渡す。


　塩田が手に持った紙切れを覗き込む。
　《８時　３番テーブル》
　

　｢３番テーブルって　どれや」
　塩田の問いに男が、慣れた手つきで片隅のテーブルを指す。
　主（あるじ）を待つように誰も居ない茶色のテーブルの上に、　“予約席”のプレートが見えた。


　私は携帯電話を開き、時間を確認する。
　時刻は７時４５分。


　あの絵を２０分近く見ていたのか。
　そんな事を考えたとたん、心臓がバクバク鳴り始めた。


　（ふふ　面接試験じゃあるまいし）
　私は２、３度　一人頷き、自分に言い聞かせる。


　｢山本、俺も同席させてもらうで、　“原因”を作ったのは俺やからな・・・まあ　俺に任せとけ」
　塩田の言葉に、私は黙って頷いた。