14 わずか24時間前と同じはずの “夜” が、今は又 別の匂いで私を包み込んでいる。 昨夜と同じものは、窓から覗く月明かりだけか。 1ヶ月程前、言葉にしようか躊躇したその名前を、今夜恵の口から聞くとは・・・。 波多野・・・・。 眠れない私の横で、スヤスヤ寝息をたてる妻。 本当に私の妻になったのか・・・。 時折浮かんでくる言葉を呪いながら、自分に言い聞かせる。 『~私は慶彦さんのものになりたい~』 そうなのだ・・あの夜から恵は私のものなのだ。 私は何とか眠りにつこうと、目を瞑り続けた。 『めずらしいなお前の方から電話をしてくるなんて』 次の日。 塩田に電話をするのも久しぶりの事だった。 『又 京子さんの店に行きたくなったのか?』 奴の独特のイントネーションが少しだけ私の心を楽にしてくれる。 「いや・・お前に土産を渡そうと思ってな」 『それはそれは おおきに。山本だけやよ 俺に優しくしてくれるのは』 こいつのオーバーな表現が又一つ、私の心を軽くしてくれた。 その夜 小料理屋“みゆき” 「あら 山本さん、私にはお土産ないの?」 女将のふくよかな顔から、いかにもの冗談が溢れ出る。 その横で塩田が手に持った土産の包装紙を乱暴に開ける。 「塩田さんて甘い物と一緒にお酒を飲めるのね・・・変わってるわね」 女将の言葉など気にせず塩田が饅頭を口に放り込み、ビールを飲み干した。 「塩田・・」 幾分か酔いが回り始めた頃だった。 カウンター席の隣の塩田の顔を覗き込む。 赤ら顔の中 何故だが真剣な眼差しにギョッとする。 私の表情を確認した奴の口がゆっくり開く。 「なんかあったんやろ・・」 「えっ!?」 「へへ 昼間 電話をもらった時から何かお前の声のトーンが可笑しかったぞ」 「・・・・・・・・」 「何年お前と付き合ってると思ってるんや」 「・・・・」 「どうしたんや 何かあったんか?・・・恵ちゃんの事か」 話の切っ掛けをもらった私は、昨日 “波多野” を見かけた事を話した。 そしてその時の恵の死人のような表情の事も。 耳の片隅に別客の相手をする女将の笑い声が聞えている。 「やっぱりなんだかんだ言いながら、嫁はんの過去が気になるんやな」 「・・・・・・・・」 「でも その原因は俺が “あの絵” をお前に見せたからやな」 そう言って一つ大きな息を吐く。 「塩田・・俺は情けない男か」 「・・・・・・・・・・・・・いや・・そんな事はないと思うで」 短い沈黙の後、塩田が否定してくれる。 「山本、それとなく波多野の事調べといたる」 「・・・・・」 「伴侶の過去を気にしないのは、立派な事かも知れないけど・・・・それはその事実を全て知った上での事やからな」 「・・・・ああ」 どこかで誰かの理解を求めていたのだろう、私の胸の痞(つか)えがほんの少しだけ楽になっていく気がする。 「まあ どこまでわかるかは分からんけど、又 連絡するわ」 塩田の言葉に頷き、目の前のグラスを一気に飲み干した。 店を出た私は外気の冷たさにゾクッとする。 「あっという間に冬が来るな」 塩田の赤い顔に可愛らしい髭が揺れる。 空を見上げる私の目に、星一つ見えない曇った夜空が映った。 |