8 その女性は、私をしばらく見つめるとフッと微笑んだ。 年齢は50前位だろうか。 ロングヘアーをサイドにまとめ、ハーフアップにした薄茶色の髪が部屋の灯りの下、その表情を優しくしている。 しかし ふくよかな身体と大きな目、その瞳の奥の輝きに、この女性が相当の器量の持主である事が推測される。 「何をそんなに見つめてるの・・・・さあ お座りになって・・・塩田さんも」 緑のスカートの膝を払い、ソファーに座る様子を見て私達も腰を降ろした。 「京子さん、こちらが俺の大学時代からの友人の山本ですわ」 「うふふ 塩田さんの関西弁・・久しぶりに聞くとやっぱり良いわ」 女の目が細くなり目尻に皺(しわ)がよる。 厚塗りの頬(ほお)が揺れ、赤い唇がゆがむ。 「うふ 初めまして、オーナーの京子です」 その言葉に頭を下げ名前を告げる。 スタッフらしき男がテーブルの上に缶ビールと灰皿を置く。 「山本、一ヶ月くらい前にな こちらの京子さんから電話をもらったんや」 塩田の視線に京子がスッと目を細め軽く頷く。 「もう5年ぶり位の電話でしたよね」 「ううん もっと経ってるわよ」 今度は塩田が思い出したように頷く。 つい先程まで鼻の下を伸ばしていた顔がまともになっている。 「それで 『久しぶりに会いたくなったから』 って店に来るように誘われて行ったわけや」 「それがこちらの店だったんだ」 「そういうこっちゃ。。。。それでまあ、入り口の所で “あの絵” を見たわけや」 「・・・・」 わずかな沈黙の後 京子が口を開く。 「うふふ それであの絵がどういう経路でここにあるのかを聞きたいわけね」 京子の口元が妖しいマダムのそれになる。 「その前に 山本・・・・・・・一つお前に言っておかなアカン事があるんや」 口を挟んだ塩田の言葉に、こめかみが一瞬ピクンとする。 「ん?」 「実は・・・・・こちらの京子さん・・・・・道尾先生の前の奥さんなんや」 「えっ!」 見開かれる私の目を見ながら、マダムの口元が悪戯っぽく微笑んだ。 京子がゆっくりピアニッシモのメンソールに火をつける。 「京子さんとは俺が若僧の頃、道尾先生の専属担当の時からの付き合いなんや」 「そうね、付き合いといっても身体の付き合いはなかったけどね」 京子がサラッと言った言葉に、塩田が困ったように頭をかく。 「それじゃ 京子さんは、今の私の事も・・・・」 「ううん。私は道尾と離婚した後は、あの道尾(ひと)との付き合いはなかったわ、慰謝料もすんなり払ってくれたし。それでその後、売れっ子になってテレビなんかに出るようになって初めて知ったの、再婚してたんだって」 「・・・・・・」 「塩田さんとはたまに連絡は取ってたのだけど・・道尾の話は殆どしなかったわよね」 「ええ、その後 “僕” も部下と担当を交代しましたからね」 「だから佳恵さん? その女(ひと)の事も知らなかったし、その後その佳恵さんが、あなたと再婚した事はついこの間 塩田さんから初めて聞いたのよ」 「そうですか・・・・道尾さんが亡くなった時は?・・・」 「それはニュースで知ったわ・・・・でもお通夜にも告別式にも行かなかったけど・・」 一瞬京子の瞳に影がおちた・・・・ような気がした。 しかし 思い出したように喋り続ける。 「・・・それで塩田さんにこの店に初めて来てもらった時、あの絵を見てビックリするから私も逆に驚いちゃったわよ・・・私 佳恵さんの顔なんかも全然知らなかったし」 「・・・・・・それで」 塩田が横から缶ビールの蓋を開ける。 京子に促され私はビールに口をつける。 「それで あの絵のモデルが奥さんかどうか確かめたいの?」 「え!?・・い いや」 「まあまあまあ 京子さん、山本もさっき初めてあの絵を見たんやけど、一応まだ新婚みたいなもんやし、自分の嫁さんに似た女の絵があったらやっぱり気になりますでしょ・・・ははは」 「ふ~ん そう言うものなの・・・・?」 京子の言葉に塩田が半分困ったようにこちらを向く。 「あの絵は頂いたの、波多野(はたの)君っていって昔 道尾の助手をしてた人から」 「あっ そう言えばそういう名前のお弟子さんがいたような気がするわ、たしか芸術大学を出て作家を目指してたって言う・・・・」 「ええ たまたまその波多野君と偶然会って、この店の話をしたら、ここのイメージに合うんじゃないかって送ってくれたの」 「・・・・・」 「この店の仄暗いイメージと、あの絵の月明かりがマッチするんじゃないかって・・」 マダムの口からメンソールの煙が妖しく舞い上がった。 私の頭の中に1枚目の絵が浮かんできた・・・。 |