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月明かり










3
 道尾圭介(みちお けいすけ)が死んだ。
 あのパーティーの2次会から半年近くが経った頃だった。
 友人 塩田(しおた)の電話口の声は “やり切れない”、そんな無力感が漂っていたと思う。 


 『癌・・・やったらしいわ』
 塩田の勤める出版社にとって、道尾の存在がどの位のものなのかは私には分からなかった。
 そんな私の心に帰来したのは、塩田の苦虫を潰した顔ではなく、まして道尾圭介の事でもなかった。
 恵(けい)・・・・。


 『山本・・・・お前もお通夜に行くか?』
 『ああ・・・是非』
 その時の私の声の響きは、死者を弔(とむら)うものでは無かったと思う。
 頭の中に浮かんだのは、恵のあの時の物悲しい翳りのある瞳。


 季節は丁度桜の花びらが散り始めた頃だったか。
 めったに着る事の無い礼服を身に纏い、都内の由緒ある寺へと向った。
 有名作家の “死”に芸能レポーターが、参道で申し訳程度に、故人を偲ぶ声を響かせていた。


 『お前の初恋の佳恵さん・・・・いや 恵さんやったな・・・・可愛そうになあ』
 (・・・・・・・・)


 私より頭一つ低い小柄な塩田が、参道の夜桜を見上げながら声を掛けてきた。


 『ほんま この花びらが散るみたいに人間の死もあっけないもんやな』
 (・・・・・・・・)


 『なあ 山本、俺らも悔いのない人生を送るようにせなあかんな』
 隣の塩田の言葉を頭の片隅で受け止めている私に、焼香の列が見えてきた。


 半年振りに見た恵は、死者を送る静粛な儀式の場で絶えず緊張している様子だったと思う。
 長い髪を後ろでお団子のように結(ゆ)わき、薄い方化粧(かたげしょう)に施された表情は、半年前に見たあの黒い光の下のものと比べると、幾分かふっくらしているかのように見えた。


 あっ! 2人の口からは、再びそんな音が漏れたと思う。
 焼香台の前で見つめる私に、恵はその柔らかそうな唇を軽く結んだ。
 アーモンド形の瞳が優しく節目がちに視線を下げる。
 品のある会釈に、私も頭を下げた・・・・。
 

 そうだった・・・・左目の直ぐ下に小さな黒子(ほくろ)があったよね。
 そんな昔の事を思い出しながら、まだ見つめていた。


 『さあ 行こう』
 塩田の声に踵(きびす)を返そうとして、もう一度振り向いた。
 何か言いたかった。
 何か聞いてあげたかった。
 恵の翳りのある瞳が私を見つめていた・・・・・・・・。




 何も出来なかったお通夜の日から、二週間ほど経った頃だと思う。
 震える携帯電話に見知らぬ電話番号が表示されていた。


 『・・・・・・・・田中です。・・・・・・・・田中佳恵です』
 『恵(けい)!?・・・・』
 

 『はい・・・・・』


 泣き声とも安堵ともとれるため息のような言葉のあとの事は思い出せない。
 ただ 何かに魂が導かれるように歩いたと思う。
 夢中になって人込みを掻き分けたと思う。


 気付いた時には新宿駅南口の正面にある、コーヒーショップの前に立っていた。
 扉が開くと、一番奥の席に “恵(けい)”がいた・・・・・・。


 私達は20年ぶりの会話を交わした。
 決して昔の恋人ではなく、私の一方通行の片思いの相手だった。
 でも そんな遠い昔のほろ苦い想いも関係なかった。


 私の言葉は気の利いた大人のそれではなかったと思う。
 恵の微笑む顔が見たかった・・・・ただ それだけだったと思う・・・・。




 恵と約20年ぶりの再会をはたし、それから2年後私達は結婚した。
 再会してから結婚まで、すんなりいった訳ではない。
 恵は伴侶をなくしたばかりの未亡人。
 

 恵は私と偶然の再会をした時、気持ちの拠り所を見つけたような気がしたと言った。
 それほどこの数年間 『私は病んでいた』・・・・・・と言った。
 翳りのある瞳で・・・・・・・・。










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