果たせぬ約束「ダモイ」 シベリア抑留中死亡者の道標を建立 利尻島

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奈良山雅俊
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 その慰霊碑は日本海に浮かぶ北海道・利尻島で風雪に耐えている。シベリア抑留者でもある古老の元漁師が寄付などを得て建て、終戦翌年に自らの手で永久凍土に埋葬した仲間たちを弔う。彼らとの果たせぬ約束……「Дoмой(ダモイ)(帰国)」。残された時間の中で、せめて異境の地でさまよう霊の道標にと願う。

 碑には「シベリア抑留者 慰霊之碑」と刻まれている。吉田欽哉さん(98)が2023年8月、自宅近くに建てた。集まった約390万円の寄付を利用し、周辺も整備。寄付の窓口として市民団体「シベリア抑留体験を語る会札幌」が協力した。道路を挟んで真下に広がる広大な海、その先にシベリアがある。除幕式で、吉田さんは「日ロ関係が改善したら必ず遺骨を日本に帰してやりたい」と語った。

 吉田さんは終戦直前の1945年5月、衛生兵として日本が統治していた南樺太(現サハリン)の北部、上敷香の陸軍病院で軍務に就いた。8月になってソ連軍が突然、対日参戦し、国境線から南下。終戦後も各地で交戦が繰り広げられ、集団自決も相次いだ。

 吉田さんは豊原(現ユジノサハリンスク)での空襲の戦火を逃れ、稚内に戻るため、9月に大泊(現コルサコフ)へ。ここから多数の日本人とソ連の油輸送船に乗った。ソ連兵は「ホッカイドウ、ダモイ」と口にしていたが、船は海馬島(現モネロン島)を過ぎ、着いたのは樺太西対岸の港町ソフガワニで、そのまま強制連行された。

 飢餓、厳寒、森林伐採など過酷な労働に耐えながら約4年、吉田さんはシベリア鉄道沿いに沿海州のラーゲリ(収容所)を転々とした。忘れられないのが、抑留翌年6月の遺体の埋め替え作業だ。土がかぶせられた「土まんじゅう」から湿って重たい棺(ひつぎ)を掘り起こし、別の穴へ埋め戻す。

遺骨の代わりに持ち帰った石

 扱った遺体は約30体。土日…

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