プロの集団にミーティングは要らない――。一瞬、あれっとクビをかしげたくなるけれど、よく読めば「なるほど」という組織論、人生論が詰まっているのが「権藤主義 唯一無二の痛快野球論」(ベースボール・マガジン社)だ。著者は横浜(現DeNA)を率いて日本一となり、現在、日本経済新聞朝刊スポーツ面にコラム「悠々球論」を寄稿中の野球評論家、権藤博氏。組織を率いるリーダーに、この1冊を通して伝えたいことを聞いた。(聞き手は日本経済新聞編集委員 篠山正幸)
「選手をメジャーに吸い上げられる一方」に危機感
――負けても責任を取らない監督、データ偏重に陥りがちな選手など、プロフェッショナルの集団であるはずのプロ野球の様子がおかしくなった、という危機感が、執筆の動機になったと聞きました。
「この20、30年で選手の体格は格段によくなり、トレーニング方法も進歩し、野球のレベルは間違いなく上がった。しかし、監督が2位、3位でもクライマックスシリーズに出られるのをいいことに平気で続投するとか、おかしなことになって、プロとは何かを忘れている。実業界の友人たちに聞くと、一般の企業でも社長になるのが目的で、社長になってからどうしようという展望がない、アマチュア的な経営者が少なくないといいます」
「この30年、日本は世界を変えるような技術を生み出せず、携帯端末でも後れを取ってきました。日本のプロ野球も、規模の拡大どころか、現状維持にきゅうきゅうとしています。その結果、選手を米メジャーリーグに吸い上げられるだけのマイナー組織に化した感がある。プロ野球は産業界の縮図でもあるのです」
「かつては革新をもたらす組織と風土が日本にはありました。『SONY』のロゴをデザインし、『ウォークマン』を世に送り出した工業デザイナーの黒木靖夫さんが、こんな話をしてくれました。あるとき、1人の部長と創業者の盛田昭夫さんが激論を交わした。盛田さんに賛同できなかった部長が『話が合わないので、辞めさせていただきます』と言うと、盛田さんは『話が合わないから、いいんじゃないか』と引き留めたそうです。『同じ意見だったら、僕ら2人のどちらかは要らないってことになるけど』とね」
「まさにわが意を得たり、でした。私は近鉄(現オリックス・バファローズ)時代と中日時代の2度、監督と意見が合わず、投手コーチをクビになっています。監督は勝つために投手をいくらでもつぎ込みたい。一方、投手コーチは投げすぎて壊れないよう投手を守りたい。ですから、どうしてもぶつかるわけですけど、監督にとって耳に痛いことも進言するのが、投手コーチの仕事です。監督のイエスマンになっていたら給料泥棒です。クビになったことを私は後悔していませんし、元気だったころの日本の組織にはソニーのように、頑固もん同士が意見を戦わせる気風があったのではないでしょうか」
史上最短の「監督方針演説」をしたワケ
――監督としての権藤さんは個人がプロとして自立し、創意工夫を凝らせる組織作りを進めて「放任野球」と言われていました。
「放任野球はやめてください(笑)。組織ですから、最低限のルールはあるし、放任してたわけじゃない。あえて言うなら『自由奔放野球』です。監督として一番大切なのは選手を一人前のプロとして認めることです。1軍のレギュラーは『自分の生きる道はこれ』という技術を持っていますし、自己管理も徹底していますから、首脳陣や球団がとやかく言う必要はないのです」
「1998年、監督就任1年目に横浜は38年ぶりのリーグ優勝、日本一を遂げたわけですが、春季キャンプを前にしての私の第一声は『みなさんプロですから、プロらしくやってください』の一言だけ。史上最短の『施政方針演説』と言われているみたいです(笑)。それまでいろいろな監督に仕えて、監督が前に出過ぎて悪くなるチームはあっても、良くなるチームはない、と身にしみていましたので、選手に任せて見守ることに徹しました」
「権藤は野球がわかっていない」は最高の褒め言葉
――バントやヒットエンドランなど、細かい作戦を仕掛けないことも話題になりました。
「石井(琢朗選手)が『監督、バントをしてください』なんて言ってきたこともありました。バントをして勝てるなら、いくらでもします。でも、投手からすれば、バントをしてあっさりワンアウトをもらえたら、どれだけありがたいか。特に1998年の横浜はマシンガン打線といわれて、切れ目がなく、相手投手もバントするより打たれる方が嫌なわけです」
「選手は個人事業主である、ということも考えました。例えば、ヒットエンドランやスクイズのサインを出したときに、とんでもないボール球が来て、凡退したとします。経緯はどうあれ、記録上は『凡打1』となって、打率が下がる。次の契約更改にも響く。だから監督はいちかばちかの作戦で、選手の仕事の邪魔をしちゃいけないんです」
「他球団の監督から『権藤は野球をわかっとらん』といわれていたみたいですが、私としては最高の褒め言葉でした。同じ日本一という山に登るのでも、人と違う道、常識とは逆の道を行こうと思っていたので」
「当時の横浜でも、特に強烈なプロ意識を持っていたのが駒田徳広でした。私が代打を出したときに試合の途中で帰ったこともありました。通算2000安打に近づいたときの出来事で、その後、駒田が2軍調整となったことで、いろいろ言われました。ですが、私は調子を落としていた駒田は中途半端に試合に出続けるより、1度リフレッシュした方がいいと思いましたし、彼ならわかってくれると思っていました。戻ってきた駒田は2000安打を達成しました。あれだけのプライドがある選手、本物のプロがいたから横浜は優勝できた。チームとして結束は必要だけれども、仲良し集団である必要はないわけです」
ミーティングに出なかった横浜の「大魔神」
――上司と部下の意思疎通、コミュニケーションが重要だと声高に叫ばれる時代ですが、プロ野球の現場はいかがですか。
「日ごろの雑談は大事ですね。しかし、いざ野球の現場となると、思ったほどコミュニケーションは必要ありません。よく『権藤さんがマウンドに行くと、ストライクが入らなかった投手が立ち直ります。あれは何を言ってるんですか』と聞かれますが、なんのことはありません。『ボール、ボールで良ければ(とっくに引退した)俺だって投げられるぞ』とか。ストライクを放れ、なんていっても、投手だって『そんなのわかってますよ』ですよ。監督やコーチは事前に投手に、打者を攻める気持ちを持たせるだけで、マウンドに上げたら、もうできることはありません」
「ミーティング不要論もその延長上にあります。試合前、投手陣がミーティングをして『相手のこの打者は最近調子がいい』とか、打ち合わせをするのですが、この情報共有というやつがくせ者で……。大魔神こと佐々木主浩はミーティングに出ていませんでした。打者の状態は実際マウンドに上って、対峙してみないとわからないからです。例えば、その日の松井秀喜(巨人)は勝負していいのかどうか。佐々木は自分の感性でかぎとっていた。ミーティングが悪いとはいわないけれど、データ偏重で、頭でっかちになり、感性を殺してしまう危険性には注意しないといけません」
「相手投手の攻略にてこずったとき、よくベンチ前で円陣を組んで指示を出します。あれも一種のミーティングですが、私は現役時代、相手打線が円陣を組んだら、しめしめと思っていました。まだ自分が勝っている証拠ですから。それに相手が円陣で話すことといえば『打撃の基本通り、センター返しをしよう』といった通り一遍のことに決まっています。こうなると、ますますこちらの思うツボです。それに打撃のスタイルは打者1人1人異なっているのですから、全員、同じにやることが有効かどうか。高校野球などは束になってかかる、という意味で意思統一は必要ですが、プロは『一色』にすると裏目になりがちなんです」
「私の知る限り、自軍、敵軍含めてミーティングが有効だったという話を聞いたことがない。特に個人の創意工夫の余地をなくすミーティングや、結局指揮官が思う通りの結論になる話し合いなど、百害あって一利無し。それが私の結論です」
ご回答ありがとうございました