【アニメ】マッハGoGoGo_OP Speed Racer japan
♪風もふるえるヘアピンカーブ
ヘアピンってサーキットでは
シケインを除けば一番速度が
落ちる所なんだよね(笑
時代と共に最高速度は上がっ
ても、ヘアピンは殆ど変化無
し。大体60km/h~70km/h程
でクリップするコーナーが殆
どだ。凡そ30R前後。
「マッハGoGoGo」(1967~1968)
は大好きだった。
私が小学校に入学すると同時
に放送が開始された。
タツノコプロの「パイロット
A(エース)」と「マッハ三四郎」
が合わさって「マッハGoGoGo」
が誕生した。
Go!という英単語が1960年代
末期に流行ったのもこのアニメ
の影響だったろうと思う。
タツノコプロのアニメでは私は
1965年~1966年まで放送されて
いた「宇宙エース」が大好きだ
った。宇宙物が目白押しだった
のが1960年代中期アニメシーン
だった。
・宇宙エース(65~66/フジ=8ch)
・宇宙少年ソラン(65~67/TBS=6ch)
・遊星少年パピイ(65~66/フジ=8ch)
・レインボー戦隊ロビン(66~67/
NET=テレ朝=10ch)
・遊星仮面(66~67/フジ=8ch)
「宇宙エース」は私が幼稚園時
代の作品(笑
今でもソラで主題歌歌えるのだ
から、刷り込みは恐ろしい。
横浜市歌のようなもんだ(笑
宇宙エース オープニングタイトル
それにしても、アニメは子ども
の脳を刺激した。
1963年正月から放送開始された
虫プロTVアニメ第一作目の名作
「鉄腕アトム」は正月放送を楽
しみに観たのをよく覚えている。
私の年齢は満2才だ。
鉄腕アトム(1963)
2才児だろうと、記憶は鮮明に
残っている。再放送などではな
い。タイムリー記憶だ。かなり
衝撃的な第一話だった。
その頃のバイク初乗りの記憶も、
親戚の淑祖父の会話の言葉その
もの全てやバイクの音までよく
覚えている。YDS1のその音は
後年知るRDよりもRZの音のほ
うが近かった。おっちゃんの
バイクは、今思うとプラグが
被り気味だったかも(笑
電車以外では経験した事が無い
身体むき出しでの速度にぶった
まげた。世界観が一変した。
まだ2才だが。
私はバイクが走っていると面
白すぎてケラケラ笑い、エン
ジンを切ると悲しくて泣きだ
した。
淑祖父は言った。「ほれ、見
てみぃ。おかしな子じゃのう」
と。で、エンジンかけたり切
ったりしている。俺を実験台
のようにして笑いながら。
こちとら、その都度ケラケラ
とウゥ・・・ェーンとなった。
母が母の実家から飛び出て来て
「こんな小さな子どもをオート
バイなんかに乗せて!」と怒っ
ていた。淑祖父は悪びれもせず
に「ええから見てみぃ」と言っ
て何度かエンジンのキック始動
とエンジン切りを繰り返す。
私はミラーつけ根を握ってタン
ク前部に跨ったまま。
そのバイクに乗った時の話を話
すと母が「よく覚えてるねぇ」
と驚いたが、こちらは鮮明に覚
えている。
鮮烈な出来事は記憶に視覚的な
部分は映像化によって、また音
と具体的内容は記憶の抽斗に正
確にしまわれる。
なんせ1才の頃の中目黒の隣り
のおばちゃんの顔も覚えてる
くらいで(笑
まだおしめ時代の頃の事だが。
記憶ってそんなもん。
私は自分が生まれて初めて二
足歩行した時の記憶(0才児)
も鮮明にある。覚えている事
を話すと世間では嘘っぽがら
れるのであまりそれとは言わ
ないが。「記憶にございませ
ん」てな対応で(笑
直立初歩行の時は「あ!歩い
た!」と母が叫んだ。同行者
の女性のとこまで歩いた。
写真を見ると同行者は3名の
ようだが、もう少し員数は
いた記憶がある。
ただ、二度目にまた歩こうと
したら転んだ。生後10ヵ月の
時だった。言葉は片言を喋っ
ていた。初めて二足歩行した
のは新宿御苑の芝生の上だっ
た。
私はハイハイをせず、いきな
り直立歩行したらしい。
実は私の娘もそうだった。
私の娘は新宿の家の中でいき
なり自分で立った。風呂場の
バスタブの縁につかまって
スッと立ってキャッキャと
笑いながらはしゃいでいた。
ピョンピョンとジャンプしよ
うとしたので、危ない危ない
と押えた。
娘が初めて単語を喋ったの
は生後8ヵ月の時で、それは
犬の名前だった(笑
たまたま私の母が広島から新
宿の家に出て来ていて、その
人生初言葉の場にいた。
犬の名前を発したので大笑い
した。
娘は1才2ヵ月で齢を訊かれた
ら指を1本立てて相手に示し
ていた。数勘定は教えたが、
こう訊かれたらこう答えろ、
などとは一切教えていない。
1才半の時には、ごく普通に
大人と普通の会話をしてい
た。
とにかく、絵本の読み聴か
せを早くからずっとやって
いた。
教育関係者によると、読み
聴かせはあまり表現を豊か
にせず、淡々と朗読するのが
よい、とされていたが無視し
た。
まるで、深夜版ラジオドラマ
「あすは帰ろうオデッセイ」
のように、私一人で一人芝居
のように擬音も擬態も言葉も
リアルにやった。馬が鳴く時
などはまるで形態模写のよう
に。
気づくと、海綿が水を吸うよ
うに脳が発達してきた0~1才
児は、目を皿のようにして
集中してこちらの読み聴かせ
にいつも食い入るようになっ
た。時々、視覚作用ではない
想像力を育てる為に、絵本な
しで話をする事も多くやった。
とにかく、いろんな事を話し
て自分で考えさせる事をごく
早期からやった。
すると、2才あたりから「なん
で、なんで?」現象が起きる。
それの答えも、すぐに答えを
教えるのではなく、自分で考
えさせる事をさせた。
5才の時には城郭の濠の役目に
ついて、私の見解を批判して
そうではなく防備上の意味が
ある水の透明度の管理措置を
している事を指摘していたり
もした。私を諭すように「い
い?よく聞いて」と(笑
一理ある説だったので、私は
思わず、「君はなかなかやる
ね~」と言いつつ車の中で
噴き出した。
人は「考える事」はとても大
切だ。
人から「考える事」を外圧で
奪う行為は、虐待以外の何も
のでもない。人間疎外などの
レベルではなく、それは人間
を破壊する。
なお、私の子は、幼い時に駄々
をこねて地団太踏んだりするよ
うな事は一切無かった。
母から聞くと私も一切、全く
無かったようだ。
母が噴き出した話として、私
が4才の時、あるご家庭に訪問
した。母の昔の知己らしい。
そうしたら、応接間でお茶と
和菓子が出された。
母は旧友と話が弾んでいたよ
うで、出された茶にも菓子に
も手をつけない。
すると私が「お母さま、そろ
そろ頂きましょうよ」(ママ)
と言ったらしい(訪問の記憶
はあるもその言動の記憶無し)。
母と旧友は思わず噴き出した
のだという。後年それは聞か
された。
ただ、正確に4才児であろうと
も、敬語は使っていたという
事だ。
これは5才時に正座させられて
父から論語の素読を躾けられ
る以前の事だ。
論語素読を始めた頃。
64年東京オリンピックの翌年。
がある。加速添加剤。
それは「幼児言葉」を親が子
に対して使わない事だ。
幼児言葉から通常言葉への変
換過程を省いてやるのだ。
靴はクツでありクックとは
呼ばない。その手の類の教育
方法。自分で考えさせる事の
フィルターとなる言葉を大人
が使う単語とできるだけ同じ
くするのだ。漢字熟語とかで
はなく。車はクルマであり、
ブッブではない、というよう
に。
すると、人間の脳の発達が幼
少時から抜群に加速する。
これ、ほんと。
それは中学あたりまで脳の飛
躍的発達として持続する。
幼稚園児の時にIQ160、中2時
点での検査でもIQ150台後半
というのも事実、発現したり
する。
なお、それらIQは学力とは厳
密に連動はしない。
学校の勉学には好みが発生す
るので学科により学力偏向が
生じるからだ。
IQテストは複数の方式がある
が、個人の好みなど関係なく
脳の活性具合と発達度合いが
計れる。
日本人の平均値はIQ108で、
これは全世界の中でもトップ
クラスに類別されている。
あたしゃ思うに、テレビによ
る「一億総白痴化」と言った
政治家や学者は実はバカで、
日本のTVアニメによって「次
の展開を想像し、考えさせる」
という児童への脳の活性化が
1960年代に大幅に躍進したの
ではと思う。
そして、1960年代のアニメは
現代のように人を叩きのめし
てドヤるパターンではなく、
常に社会正義を子どもに考え
させる作り込みだった。
これは、戦後の日本再建の為
には、絶対に必要な教育的措
置でもあった。みんなで考え
みんなで社会をよりよいもの
にしていく、という。
面白い事例があった。
中学の時、修学旅行ではなく
謝恩会での遠足?があった。
中学生という事で、ガイドの
かわいいおねーさんがいろい
ろ観光バスの中で喋ったり
笑わせようとしたりする。
バスの中の我がクラスの男女
一切笑わない。はしゃぎもし
ない。全員シーンとなってガ
イドさんを見ているだけ。
ガイドのおねーさんは何度も
声に出して言ってしまった。
「何なの?この子たち。これ
って何?気持ち悪い~」と。
何度も「なにこれ?」と言う。
だって、言ってる事が幼稚す
ぎるのだもの。誰も笑ったり
それでウケたりするかっつー
の。小学1年生じゃないんだ
から。当時の連続企業爆破
事件について時事問題の観点
から議論してたり、部落問題
や反戦平和問題を真剣に議論
したり討議するような中学生
たちだったのだから。
それにね、おねーさん、人を
笑わせたりするのを舐めてる。
古典落語とか見たり聴いたり
して見聞ひろめろ、とかその
時思っただよな、俺は。
「うんこちんちん(とは言わな
かったが)」みたいなネタで
子どもが喜ぶのは幼稚園まで
だっつーの。人がバナナで転
んだりパンツずり落ちて笑っ
たりするのも園児や小学校低
学年までだっての。
特に1960年代の激動の社会を
目の当たりにして育った世代
は。抜き差しならぬ現実を見
て育った世代は。
おねーさん、わかってねぇよ
なぁ。
牧歌的なとこの生徒さんばか
りをそれまではガイドしてき
たのかもしれない。
彼女にとってもカルチャーシ
ョックだったろうが、そうい
う幼稚なトークで今どきの中
学生が一瞬たりとも笑うと思
ってか、てなのはあったな。
それは中3の1975年の秋の話。
中3だが、男はみんな高校生
みたいだし、女の子なんても
っと発達していて女子大生み
たいな感じだった。
そういう傾向は1980年代あた
りまで継続していた。
だから、1980年代初期のアイ
ドルたちは、かなり大人びて
いたでしょ?どんなにぶりっ
子していても、それはあざと
い演技であって。
時代的な若者の世相状態はそ
んなもん。
なんだか、今の時代は幼稚す
ぎる。大学生などは小学生み
たいな非自立性だし、女性も
まるで小学生みたいなの多い
しさ。
大人でもいい齢こいたおっさ
ん世代が食事中に着帽のまま
飯食ってたりする。
根本的に1960年代生まれとは
人間が異なる。
ねじれた個人主義は個人の想
像力や思考力、俯瞰的客観性
を自己に向ける能力さえも排
除するバカ生産主義だと思う
よ、俺は。
俺だけでなく「近頃なぜかバ
カばっか」とか思ってる高齢
者多いのではないかな。
で、「年寄りおっさんのボヤ
キ」ではない深刻な日本人バ
カ化の社会現象として現出し
ている事に気づこうとしない。
それ、本物のバカだから。
でもね、娘に言われた事があ
るよ。
「人の事をバカと言う人が
本当はバカなのよ」と。
娘が3才の時だ(笑