ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する! 12th season

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 満を持して高橋是清(1854~1936)の登場です。高橋は14才の時に留学生として渡米し、身に付けた英語は日露戦争の戦費調達にも役立ちました。その後の高橋は日銀総裁・農商務相・蔵相などを歴任しました。また高橋は「国力=国民の生産力」と捉え、国民の協同共営には国家精神(ナショナリズム)が必要だと考える経済ナショナリストでした。

 1910年代の世界経済は金本位制(自国通貨と金をペッグ・求めに応じて金と兌換)が基本で、第一次大戦(1914~18)で離脱した欧米諸国が復帰し始めたため、浜口雄幸内閣(1927~)の井上準之助蔵相も金解禁(金本位制復帰)に向けた緊縮財政を開始(井上プラン:国家財政縮減→個人消費減少→物価下落→輸入減少→金流出減少→金解禁でも安心)し、大正バブル崩壊(1920)を引きずっていた日本は深刻なデフレ不況に陥りました(昭和金融恐慌:1927)。ここにニューヨーク株式市場の大暴落を端緒とする世界恐慌(1929~)が加わり、にも拘らず井上が金解禁を断行(1930)したため恐慌が激化しました。この危機的状況で登場したのが犬養内閣の高橋是清蔵相です。ちなみに明治以降の蔵相には2つ系譜があり、それは由利公正・大隈重信・高橋是清(積極派)VS松方正義・井上準之助(緊縮派)です。

 高橋は金輸出再禁止・金兌換停止・金融緩和・財政出動(国債発行)といったケインズ主義的経済政策を施し、ようやく日本国は蘇生しました。高橋の財政政策には公共投資としての軍備増強も含んでいましたが、このタイミングで起こったのが満州事変(1931)でした。陸海軍からの軍事費増額要求が強まり、これを拒否した高橋が軍部に命を狙われるのは必然でした。2.26事件(1936)に加わった青年将校らは純粋に貧しい民を思っての決起だったのでしょうが、財政を通じて最も貧困から民を救ってきた高橋を粛清対象に加えたのは軍上層部だった可能性が有ります。昭和天皇が「股肱之老臣を殺戮」した2.26首謀者に激怒したのは当然です。国際協調を望む昭和天皇軍事費膨張を拒否した臣・是清は志向が一致していました。

 さて、高橋是清の言う「国民の生産力」を発揮するには「ナショナリズム」が必要で、その結節点には是非とも天皇という存在が必要です。それは抽象的なの器御簾内の祭祀王ではなく、姿を現わせば国民からの視線と敬愛を一身に集める愛子天皇であるべきなのです。   

文責:京都のS

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