↑Skeletal reconstruction of Allosaurus anax based on OMNH 1771 (postorbital), OMNH 2145 (quadrate), OMNH 1935 (humerus), OMNH 1708 (femur), and OMNH 1370 (tibia). These materials recovered from the same Kenton 1 Quarry and may represent same individual based on its size.
Scale bar is 1m.
エパンテリアスしかりサウロファガナクスしかり、「ティラノサウルスよりも巨大なアロサウルス科」の伝説は長く愛されてきた。エパンテリアスにせよサウロファガナクスにせよ、それらの既知の要素はすべてかき集めても部分骨格もいいところだったが、しかし骨格のよく知られているアロサウルスにそのまま当てはめてやれば、高い精度で推定全長がはじき出されるというわけである。――サウロファガナクスがアロサウルス科であり、そしてアロサウルスの骨格が本当によく知られていれば、だ。
1930年代――ともすれば恐竜の研究史において暗黒時代といわれる時期でも、恐竜化石の発掘なり研究そのものが途絶えてしまったわけではなかった。大恐慌と第二次世界大戦の足音の中にあって、アメリカではWPA――ニューディール政策の要として発足した公共事業促進局が、しばしば化石の発掘やプレパレーション、そして博物館の展示制作に人材を派遣していたのである。こうしたWPAの功績は全米各地の博物館にしっかりと足跡を残しているが、“サウロファガナクス”もそのひとつであった。
1931年、オクラホマはシマロン郡ケントン(ニューメキシコは目と鼻の先で、北に行くとすぐにコロラドである)近郊で、牧場主のコリンズとタッカーが巨大な骨がいくらか散乱しているのを発見した。この報を受けたのはオクラホマ大のストーヴァル(ワン・ラングストンJr.の師として知られる)だったが、本格的な発掘に乗り出したのは1935年――発足したばかりのWPAに支援を要請してからだった。
この産地――単に“ピット1”、あるいは“ストーヴァル・ピット1”、“ケントン第1クオリー”として知られる――はモリソンMorrison層のケントンKenton部層、つまりコロラドやユタ、ニューメキシコで言うところのブラッシー・ベーズンBrushy Basin部層上部の中部(ざっくり1憶5130万年前;キンメリッジアン後期の前半)にあたり、大量のアパトサウルスにカマラサウルス、ステゴサウルス、カンプトサウルスそして巨大なアロサウルス科の化石がWPAの派遣した作業員たちによって発掘された。が、この作業員たちは化石の発掘そしてプレパレーションに必要な「特殊な訓練」を欠いており(地元の非熟練労働者を主に建設業に動員する、というWPAの施策からしてみれば当然であった)、黒色火薬・人力・馬による発掘・輸送からタガネ・ヤスリ・ジャックナイフによるクリーニングまで恐ろしく稚拙な作業の連続であった。そもそも、発掘の初年度に採集された化石はコンクリーションにまみれており、化石と母岩の区別が困難な代物だったのである。
発掘は1938年まで続き、1941年には現地にアパトサウルスの大腿骨のレプリカ(コンクリート製)まで設置された。ストーヴァルはケントン第1クオリーから産出した巨大なアロサウルス科が未記載種であるとにらんでおり、1941年に出版された一般向けの雑誌の中で“サウロファグス・マクシムスSaurophagus maximus”として紹介された。しかし、ストーヴァルが“サウロファグス”を記載することはとうとうなかったのである。
(ストーヴァルとラングストン、そしてラングストンの友人であったプライスが“サウロファグス”の関節した巨大な後肢を発掘している写真がこの雑誌に掲載されたが、これは完全なやらせであった。のちにラングストンの述懐するところでは、オクラホマ大学のキャンパスからほど近いペルム系のレッドベッドまで化石を運んでいって撮影したという。)
事実上の素人集団による発掘(産状図もなにもない中で大量のコンクリーションにそれぞれフィールド番号を振る始末だった;オクラホマ大のあるノーマンからケントンまでは相当な距離があり、いちいちその場で監督するというわけにはいかなかったのである)と、ストーヴァルの死後10回以上にわたって行われたコレクションの引越し(そして嵐)によって産出記録と標本の相当数が失われ、少なくとも4体(うち3体は相当に巨大)のアロサウルス科の骨格を含んでいたケントン第1クオリーの産状はほぼ何もわからなくなった(さらに厄介なことに、WPAによって発掘された近所の別産地がケントン第1クオリーと混同された)。“サウロファグス”を裸名とみるか有効な学名とみるか、そもそもSaurophagusがキバラオオタイランチョウの(シノニムの)属名であった(タイランチョウの属名からしてティラヌスTyrannusである)ことは些細な問題でしかなかったのである。
このあたりの混沌とした事情に手を突っ込んだのがダン・チューレであった。チューレはアメリカ中を駆けずり回ってアロサウルス科の標本を漁る中で、OMNHに辛うじて残っていた一連の“サウロファグス”の中に奇怪なラミナ(含気腔の仕切)を備えた神経弓があるのを発見したのである。チューレは他にも、“サウロファグス”の環椎や血道弓がアロサウルスとはだいぶ別物であることを見て取った。“サウロファグス”のほかの要素は(違いがないわけではなかったが)アロサウルス・フラギリスとよく似ていたものの、胴椎の神経弓や環椎、血道弓は全く似ていなかったのである。一連の“サウロファグス”の標本の産状に関する情報はほぼなにも残っていなかったが、とはいえケントン第1クオリー産の複数の大型獣脚類が単一の分類群――アロサウルス科の未記載種であることは確かなように思われた。かくしてチューレは胴椎の神経弓OMNH 1123をホロタイプとし(単離した要素ではあるが、もっとも特徴的な部位という点では至極まっとうである)、ストーヴァルが記載するはずだった裸名に敬意を表してサウロファガナクス・マクシムスSaurophaganax maximusを記載したのである。
チューレによる原記載は予察的なものであったが、とはいえサウロファガナクスを“サウロファグス”に取って代わらせ、そして最大の獣脚類ランキングの最上位争いに加わらせるには十分であった。先述の雑誌にはすでに“サウロファグス”の後肢(コンポジットであることは言うまでもない)が2.5mを超える長さであったことが述べられており、大腿骨の長さが1135mm(これはOMNH 1708のことを指している;現実問題としてジュラ紀の獣脚類としては最大級である)あることも記されていた。雑誌に曰く、ストーヴァルは“サウロファグス”の全長を約14mと推定していたというのだが、ユタ大学でクリーヴランド=ロイド産のアロサウルスの化石をマウントしてせっせと世界中に輸出していた(かはくの有名なマウントもその一つである)ジェームス・マドセンは大腿骨長825mmの骨格を全長12mに組み上げていたのである。ティラノサウルスほどマッシブではなかったはずだが、サウロファガナクスは北米ひいては世界最大級の獣脚類のひとつであり、ティラノサウルスの全長が12、3mに縮んだことを鑑みれば「最長」の獣脚類の可能性さえあるようだった。
(肉食恐竜事典でグレゴリー・ポールが批判している通り、マドセンによるアロサウルスの復元は尋常ではないほどに尾が長い。かはくのアロサウルスの復元骨格はポージングこそ(半ば無理やり)水平に再マウントされているものの、尾や各所のアーティファクトは1960年代のアロサウルスのなんたるかをはっきりと今に伝えている。)
チューレ自身認めていた通り、大腿骨のカーブ具合や中足骨の束ね具合を除いてサウロファガナクスの四肢はアロサウルス・フラギリスのそれと区別が困難であった。チューレは2000年に完成した博士論文の中でサウロファガナクスの票徴を改訂したものの、2000年代になるとサウロファガナクス・マクシムスはしばしばアロサウルス・マクシムスと呼ばれるようになった。ニューメキシコのブラッシー・ベーズン部層産の巨大かつ保存の悪い部分骨格NMMNH P-26083(大腿骨長は推定で1.1mに達する)はしばしばサウロファガナクスの新標本として語られたが、これは不定のアロサウルス科としか言いようのない代物でもあった。サウロファガナクスのホロタイプにみられる含気腔のつくりはどこかカルカロドントサウルス類を思わせるようなものでもあったが、サウロファガナクスをアロサウルス科から切り離すような意見、あるいはケントン第1クオリーの大型獣脚類がカルカロドントサウルス科とアロサウルス科のキメラであるというような意見がきちんとした形で示されることはなかったのである。
(アロサウルスの成長に伴う体型の変化は(AMNH 5753やDINO 2560、CM 11844といったかなり完全な骨格に基づくマウントがそれなりに古くから存在したにもかかわらず)かなり見過ごされていた点に注意が必要である。ティラノサウルス科ほどラディカルな変化を見せるわけではないが、こうした大腿骨長800mmを超えるアロサウルス・フラギリスの大型個体ではかなり胴が長く、相対的に後肢の短くなった体型を示す。上の骨格図はAMNH 5753をはじめとする部分骨格をDINO 2560(大腿骨長880mm)の頭骨に合わせたものだが、これの全長はちょうど9mほどのようだ。伝統的にアロサウルス・フラギリスとされてきた部分骨格の中には大腿骨長が1m前後に達するものもいくつか知られており(たとえばAMNH 680)、これらの個体はサウロファガナクスとさほど変わらないサイズだったということになる。こうした「アロサウルス・フラギリスの超大型個体」の大腿骨は、わずかに長いケントン第1クオリー産の大腿骨群と比べ、よりまっすぐに伸びることをチューレは指摘している。)
最近まで誰も気が付かなかったことに、サウロファガナクス・マクシムスのホロタイプOMNH 1123――単離した胴椎の神経弓――は他のなによりも竜脚類の幼体に似ていた。チューレが特に迷うことなくアロサウルス科としたように、獣脚類的な特徴もままあった――が、それらはいずれも竜脚類の幼体の神経弓にも共通する特徴であった。OMNH 1123のラミナと似たものはカルカロドントサウルス科でもみられないわけではなかったが、しかし何よりもまず同じケントン第1クオリー――紛うことなき同じ産地から多産した様々なアパトサウルスの不定種のものと酷似していたのである。
結局のところOMNH 1123は神経弓の断片に過ぎず、竜脚類の幼体のものであるか、もっと突っ込んでケントン第1クオリー産のアパトサウルスの不定種(1種とは限らないかもしれない)と同じ分類群に属するかどうかを確定することはできなかったが、どうあれケントン第1クオリー産の四肢やわずかな頭骨要素――疑いのないアロサウルス科の要素と結びつけることはやめておくべきだった。OMNH 1123が獣脚類であることを積極的に否定できる特徴は(いかんせん断片的であるため)見出されなかったものの、積極的に肯定できる特徴は何一つ存在せず、ラミナの特徴は同産地産のアパトサウルスと酷似しているのである。ホロタイプはひどく断片的であるうえ産状についてわかっていることは産地情報以外にほぼ何もなく、ホロタイプの分類はおろか参照する行為さえおぼつかない以上、ダニソン(ホロタイプが竜脚類の幼体に酷似していることに最初に気付いた)やウェデル(竜脚類の椎骨の大家である)らが取るべき道はひとつしかなかった。サウロファガナクス・マクシムスを疑問名とするのである。
環椎や血道弓――やはりアロサウルス・フラギリスとは別物の形態を示している――の行く末はもっとシンプルで、もはや竜脚類以外の何者とも考えられなかった。環椎はアパトサウルスやカマラサウルスのようであったし、血道弓をよく見てみればディプロドクス科以外の何者でもなかった。つまるところ、チューレが原記載で示した“サウロファガナクス”の標徴のすべてがアパトサウルスの不定種――ケントン第1クオリーでもっとも多産したらしい恐竜に由来していた可能性さえ出てきたのである。
というような話が今年のSVPでなされていたわけなのだが、そうは言ってもケントン第1クオリーから産出した複数個体分のアロサウルス科の骨格は興味深いもので、残された要素には既知のアロサウルス属――“アロサウルス・ジムマドセニ”を非公式に命名したチューレの博論から20年以上が過ぎ、北米ではアロサウルス・フラギリスとアロサウルス・ジムマドセニの保存良好な骨格が知られていた――とは少なからず差異があった。チューレが博論の中で“サウロファガナクス”の再記載を行った際に改訂した票徴のうち、問題の椎骨要素や血道弓以外に基づくものの中には依然として有効そうなものが残っていたのである。かくしてダニソンらは、チューレの命名に敬意を表しつつ、結局のところティラノサウルス並みに巨大なことにも違いないアロサウルス科にふさわしい学名をひねり出した。ほぼ完全な後眼窩骨OMNH 1771をホロタイプとした、アロサウルス・アナクスAllosaurus anax(アロサウルスの王、の意)である。
(ダニソンらは論文の中でケントン第1クオリー産のアロサウルス科をアロサウルス・アナクスとアロサウルスの不定種として分類している。後者は単に種レベルの分類をできそうな特徴が見出せなかった、というだけの話であり、まず間違いなくすべて同一の分類群に属しているとみてよい。ダニソンらはホロタイプのほかに単離した胴椎や腓骨も(ホロタイプと直接比較できないにもかかわらず)アロサウルス・アナクスとしているが、これはつまり既知のA. フラギリスやA. ジムマドセニにはみられない特徴を備えていたためであり、上述の仮定を前提としている。チューレによる“サウロファガナクス”の記載で言及されていた巨大な末節骨や腰帯、足の要素の大半などはダニソンらによるケントン第1クオリー産標本のリストには含まれていないが、結局のところ混同された別産地のものということなのかもしれない。)
なんだかんだ言ってもモリソン層産のアロサウルス科(エパンテリアスは疑問名として扱われるようになって久しい)の骨格の研究は相当な途上にある。マドセンによる1976年のモノグラフはよく知られているが、しかしこれは(クリーヴランド=ロイド産のアロサウルス・フラギリスの様々な成長段階の個体を中心に寄せ集めた情報に基づいている、という点で非常に重要だが)、1個体分のまとまった標本に基づくものではない。先述の大型個体に至ってはいずれもほぼ未記載と言える状況である(AMNH 5753はかつてグレンジャーによって詳細な骨学的記載が計画されており、クリストマンによる美麗な図版が残されている)。
そんなわけでアロサウルス・アナクスの分類学的な評価が定まるのはまだ先の話でもあろうが、いずれにせよケントン第1クオリーから産出したアロサウルス科の標本の整理は一息ついた格好である。ティラノサウルス科の特異な形態を対比して「標準的な大型獣脚類」としてしばしば語られるアロサウルスだが、結局のところ骨格についてよくわかっていない部分は相当にある。アロサウルス・アナクス――かつて“サウロファガナクス・マクシムス”と呼ばれていた恐竜の獣脚類部分の恐らくすべて――の全長がそこらのティラノサウルス科よりも長く、あらゆる獣脚類の中でもだいぶ巨大な化け物であったことだけは確かである。
(アロサウルス・アナクスの模式標本群が産出したケントン第1クオリーはモリソン層の中でも相当に上部に位置し、“エパンテリアス”が産出した「コープの乳首」はさらにその上位にあたる。様々な恐竜でモリソン層の上部ほど大型の個体が産出し、これはコープの法則の例である、というような話はしばしば語られるが、実際にはそう単純な話ではない。先述のAMNH 680(尾椎少々と腰帯、ほぼ完全な後肢;大腿骨長1008mm)が産出したワイオミングはボーン・キャビンはモリソン層のソルト・ウォッシュSalt Wash部層上部の中部にあたるとみられており(AMNH 5753の産出したオーロラ第3クオリーも割とそのあたりのようだ)、ケントン第1クオリーや「コープの乳首」と比べて100万年ほどは古いようである。ボーン・キャビンではAMNH 600をはじめ明らかなアロサウルス・フラギリスの産出がいくつも知られており、大腿骨の形態からしてもAMNH 680はアロサウルス・フラギリスとみておくべきであろう。一方で、アロサウルス・ジムマドセニはスーパーサウルスやトルヴォサウルスの模式標本群で知られたコロラドのドライ・メサからも産出するが、これはボーン・キャビンよりも相当に新しく、アロサウルス・フラギリスのホロタイプ及びネオタイプの産地であるマーシュ-フェルチ・クオリーよりも新しいものであるようだ。つまり、アロサウルス・ジムマドセニとアロサウルス・フラギリスの時代は明らかに(部分的に)重複している(一方で、もっか同所的に産出はしていない)。アロサウルス・ジムマドセニの既知の比較的完全な骨格はいずれもそれほど大きな個体のものではない点も含め、考えるべきことはいくらでもある。)