神社の参拝に正式な作法はない
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。もうすぐ新年ということで、オールドメディアのテレビワイドショーでも、ニューメディアのネット動画でも、「これが正しい神社の参拝作法」なんてのが盛んに流れることでしょう。
私は無信心・無宗教な人間なので、どの宗教にも依らずに宗教を文化習俗として客観的に検証できます。正しい日本文化は、この記事の表題に掲げた通りです。神社の参拝に正式な作法なんてものは存在しません。
平成世代のみなさんは、二礼二拍手一礼が正式な参拝作法だと信じてたりするのでしょうか。
昭和40年代生まれの私は、神社で二礼二拍手一礼なんてやってる人を、長年見たことがありませんでした。私は首都圏でしか暮らしたことがないので他の地域の習俗は知りませんが、私がこどもの頃に教わったのは、柏手を二回打ったあと、そのまま合掌して祈る、というやりかたでしたし、老若男女を問わず、周囲の人は全員そうやってました。最初に二礼してる人なんて見たことないし、終わりの一礼も省略するか、せいぜい軽く頭を下げるくらいで、「礼」といえるほどの動作ではありませんでした。このやりかたに特別な名称はないので、ここでは仮に、二拍手合掌としておきます。
二礼二拍手一礼が正しいとされるようになったのは、たぶんここ20年くらいのことだと思います。ヘンですよね。古来からの伝統であるはずの神道作法が、急に近年アップデートされたんです。昭和世代にとっては違和感しかありません。
大宅文庫の雑誌記事検索をしてみると、そもそも神社参拝の正しい作法を教える記事なんてのは、昭和の雑誌には見当たりません。平成に入り、96年1月の『DIME』、99年1月の『ムー』あたりからようやくお目見えします。そして、2006年ごろから『ムー』のような特殊雑誌だけでなく、一般誌にも記事が載りはじめます。20年くらい前から広まったという私の感覚は間違ってなかったようです。
それに加えて近頃では、
「神社に入る前に鳥居におじぎをする」
「参道の真ん中は神様が通るところなので人間は左右のはじを歩け」
などという、昭和の頃には聞いたこともなかった怪しげな作法が続々登場しています。
「参拝をするときには自分の住所氏名を念じること。そうしないと神様があなたのところに来られないので願いがかないません」
いまどきの神様は移動にナビ使ってるの? 住所をカーナビに入力しないと目的地にたどりつけないなんて、そんな新人タクシー運転手みたいな神様ばかりなの?
これはおそらく、門松を置くのは年神様を迎えるための目印という民間信仰を、神社での祈願と混同したカン違いじゃないかと。だったら絵馬にも住所氏名を書かないと願いがかなわないことになりますが、個人情報を書いたものを境内にぶら下げてたら、神様じゃねえヤツが自宅に来ちゃいそうです。
ある神社の宮司さんは、これらの怪しげな作法は近年作られた俗説だといってました。スピリチュアル系タレントが創作してテレビで広めたのではないかとのことでしたが、たしかにその手の番組が人気になったのも、2006年ごろのことでした。
二礼二拍手一礼だけは、俗説ではありません。宗教学者・島田裕巳さんの『神社で拍手を打つな!』によると、明治時代に宮内庁の神職がやっていた作法だとのことですが、それはあくまで専門職の作法であり、宮内庁がそれを一般国民に奨励したことはありません。
日本人の公衆マナーがヒドすぎるという声を受けて、文部省が昭和16年に発行した公式マナー本『礼法要項』では、二礼二拍手一礼が正式な作法とされました。でも一般国民の間にはまったく定着しませんでした。だから戦後も長らく、(少なくとも首都圏では)二拍手合掌が庶民のスタンダードとして通用していたのです。
島田さんの著書では、戦前の映画『姿三四郎』に、拍手なしで合掌だけで静かに神社で祈るシーンがあると指摘されてます。これは私も映画を観て確認できました。それと、昭和に作られた向田邦子ドラマのなかで、父と娘が二拍手合掌で参拝してるシーンを見たような記憶があるのですが、確認してないので、私の記憶違いかもしれません。
なお、二礼二拍手一礼の起源や歴史に関しては、ウィキペディアにとても詳細で秀逸な記事があります。徹底的に資料を調べて書かれたことがわかる記事なので信憑性は高いです。詳しく知りたいかたは参照してみてください。
カン違いしないでほしいのですが、私は、そういったもろもろの参拝作法は間違い、邪道だからやめろといってるのではありません。神社参拝に正式な作法はないという、日本文化の正しい事実をお伝えしたいだけです。正式な作法がないってことはつまり、どんな作法でもかまわないってことなのです。二礼二拍手一礼は唯一絶対ではなく、数ある流儀のひとつにすぎません。二礼二拍手一礼でも二拍手合掌でも、拍手なしの合掌でもいい。鳥居におじぎしてもいいし、しなくてもいい。参道のはじを歩いても真ん中を歩いてもいい。自分の住所氏名を念じたいのなら、すればいい。
神社の参拝作法はフリースタイルなのです。日本の神道は多様性を特徴とする宗教です。それぞれの地域で、山だの木だの石だのと、さまざまなものや人(おもに何か業績を残して死んだ人)を御神体や神として信仰してきました。
それどころか、神道は他の宗教(仏教など)と同時に信仰することさえ認めてるのですよ。最近ではアニメやゲームのキャラとコラボイベントみたいなことをしてる神社もけっこうあります。伝統にこだわらず多様な要素を取り入れる寛容さが特徴の神道ですから、参拝の作法についても、多様なやりかたが尊重されて当然です。
周囲に迷惑をかけず、常識の範囲内であれば、自分の好きなやりかたで参拝してかまいません。二礼二拍手一礼などの作法が掲示されてる神社もありますが、それはあくまでひとつの参考例として推奨してるだけです。あんたの参拝方法は間違ってるから、この神社にはもう来るな、なんていう神主や宮司はいないはずです。
万が一そういうこころの狭い神社があったとしても、他の神社に行けばいいだけのことだし。なにしろ日本には神社がコンビニの3倍あるといわれてるくらいですから。
私は無信心・無宗教な人間なので、どの宗教にも依らずに宗教を文化習俗として客観的に検証できます。正しい日本文化は、この記事の表題に掲げた通りです。神社の参拝に正式な作法なんてものは存在しません。
平成世代のみなさんは、二礼二拍手一礼が正式な参拝作法だと信じてたりするのでしょうか。
昭和40年代生まれの私は、神社で二礼二拍手一礼なんてやってる人を、長年見たことがありませんでした。私は首都圏でしか暮らしたことがないので他の地域の習俗は知りませんが、私がこどもの頃に教わったのは、柏手を二回打ったあと、そのまま合掌して祈る、というやりかたでしたし、老若男女を問わず、周囲の人は全員そうやってました。最初に二礼してる人なんて見たことないし、終わりの一礼も省略するか、せいぜい軽く頭を下げるくらいで、「礼」といえるほどの動作ではありませんでした。このやりかたに特別な名称はないので、ここでは仮に、二拍手合掌としておきます。
二礼二拍手一礼が正しいとされるようになったのは、たぶんここ20年くらいのことだと思います。ヘンですよね。古来からの伝統であるはずの神道作法が、急に近年アップデートされたんです。昭和世代にとっては違和感しかありません。
大宅文庫の雑誌記事検索をしてみると、そもそも神社参拝の正しい作法を教える記事なんてのは、昭和の雑誌には見当たりません。平成に入り、96年1月の『DIME』、99年1月の『ムー』あたりからようやくお目見えします。そして、2006年ごろから『ムー』のような特殊雑誌だけでなく、一般誌にも記事が載りはじめます。20年くらい前から広まったという私の感覚は間違ってなかったようです。
それに加えて近頃では、
「神社に入る前に鳥居におじぎをする」
「参道の真ん中は神様が通るところなので人間は左右のはじを歩け」
などという、昭和の頃には聞いたこともなかった怪しげな作法が続々登場しています。
「参拝をするときには自分の住所氏名を念じること。そうしないと神様があなたのところに来られないので願いがかないません」
いまどきの神様は移動にナビ使ってるの? 住所をカーナビに入力しないと目的地にたどりつけないなんて、そんな新人タクシー運転手みたいな神様ばかりなの?
これはおそらく、門松を置くのは年神様を迎えるための目印という民間信仰を、神社での祈願と混同したカン違いじゃないかと。だったら絵馬にも住所氏名を書かないと願いがかなわないことになりますが、個人情報を書いたものを境内にぶら下げてたら、神様じゃねえヤツが自宅に来ちゃいそうです。
ある神社の宮司さんは、これらの怪しげな作法は近年作られた俗説だといってました。スピリチュアル系タレントが創作してテレビで広めたのではないかとのことでしたが、たしかにその手の番組が人気になったのも、2006年ごろのことでした。
二礼二拍手一礼だけは、俗説ではありません。宗教学者・島田裕巳さんの『神社で拍手を打つな!』によると、明治時代に宮内庁の神職がやっていた作法だとのことですが、それはあくまで専門職の作法であり、宮内庁がそれを一般国民に奨励したことはありません。
日本人の公衆マナーがヒドすぎるという声を受けて、文部省が昭和16年に発行した公式マナー本『礼法要項』では、二礼二拍手一礼が正式な作法とされました。でも一般国民の間にはまったく定着しませんでした。だから戦後も長らく、(少なくとも首都圏では)二拍手合掌が庶民のスタンダードとして通用していたのです。
島田さんの著書では、戦前の映画『姿三四郎』に、拍手なしで合掌だけで静かに神社で祈るシーンがあると指摘されてます。これは私も映画を観て確認できました。それと、昭和に作られた向田邦子ドラマのなかで、父と娘が二拍手合掌で参拝してるシーンを見たような記憶があるのですが、確認してないので、私の記憶違いかもしれません。
なお、二礼二拍手一礼の起源や歴史に関しては、ウィキペディアにとても詳細で秀逸な記事があります。徹底的に資料を調べて書かれたことがわかる記事なので信憑性は高いです。詳しく知りたいかたは参照してみてください。
カン違いしないでほしいのですが、私は、そういったもろもろの参拝作法は間違い、邪道だからやめろといってるのではありません。神社参拝に正式な作法はないという、日本文化の正しい事実をお伝えしたいだけです。正式な作法がないってことはつまり、どんな作法でもかまわないってことなのです。二礼二拍手一礼は唯一絶対ではなく、数ある流儀のひとつにすぎません。二礼二拍手一礼でも二拍手合掌でも、拍手なしの合掌でもいい。鳥居におじぎしてもいいし、しなくてもいい。参道のはじを歩いても真ん中を歩いてもいい。自分の住所氏名を念じたいのなら、すればいい。
神社の参拝作法はフリースタイルなのです。日本の神道は多様性を特徴とする宗教です。それぞれの地域で、山だの木だの石だのと、さまざまなものや人(おもに何か業績を残して死んだ人)を御神体や神として信仰してきました。
それどころか、神道は他の宗教(仏教など)と同時に信仰することさえ認めてるのですよ。最近ではアニメやゲームのキャラとコラボイベントみたいなことをしてる神社もけっこうあります。伝統にこだわらず多様な要素を取り入れる寛容さが特徴の神道ですから、参拝の作法についても、多様なやりかたが尊重されて当然です。
周囲に迷惑をかけず、常識の範囲内であれば、自分の好きなやりかたで参拝してかまいません。二礼二拍手一礼などの作法が掲示されてる神社もありますが、それはあくまでひとつの参考例として推奨してるだけです。あんたの参拝方法は間違ってるから、この神社にはもう来るな、なんていう神主や宮司はいないはずです。
万が一そういうこころの狭い神社があったとしても、他の神社に行けばいいだけのことだし。なにしろ日本には神社がコンビニの3倍あるといわれてるくらいですから。