田中ひかる『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』批評社、2006年3月10日初版第1刷発行
「なんだいカリカリするなよ、生理中だね」
少し前まで下品で失礼なおじさんたちが口にしていたこの都市伝説。これはいったいどこから発生し、どのように広まっていったのか。
著者は各分野にまたがるあまたの資料を渉猟し、この謎の偏見の誕生と発達の経過を具に描いてくれる。
改めてびっくりしたのは、「月経中の女は凶暴になり、犯罪を犯す確率が高くなる」という考えは、都市伝説どころか、「今」(少なくともこの本の発行の2006年)も刑事・司法界を目指す学生を対象とした犯罪学のテキストに載っているのだそうだ。ゲゲーッ!
開いた口がふさがらない。
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この「月経要因説」の科学的根拠とされるのは、イギリスの婦人科医キャサリーナ・ダルトン(1916-2004)の研究なのだという。だが、この人の研究はあくまでも月経前症候群PMSのことを言っており、かの妄念は、都市伝説は「生理前」ではなくて「生理中の女は」なのだ。
(ところがこのキャサリーナ・ダルトン先生もちょっとヘンで、「PMSで暴力を振るう習慣がある」恋人を絞め殺した男性が「女性のPMS暴力からの正当防衛」だといって無罪になったのに、いたく満足してるらしいのだ。がくっ)。
じゃ、いったいどこから出てきたの?
日本に月経要因説を定着させた寺田精一の『婦人と犯罪』。その最も重要な参考となった、イタリアの犯罪人類学者、ロンブローゾの「研究」……。
また「月経要因説」は、一方では、犯罪を犯してしまった女性に情状酌量を訴えるためにつかわれ、かたや、「新しい女」たちを異常あつかいし、婦人参政権を阻止(「女は生理になると頭が変になるので政権を与えるのは危険だ」という主張)する論拠に使われる……
著者の地道で鮮やかな手際によって、あやふやな科学研究・言説が次々紹介され、「科学」がいかに偏見を助長するがあかされ、慄然とする。
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慄然としながらも、著者の文章は軽妙でエピソードの切り口が鮮やかでおもしろい。
印象強かったのが、たとえば、『青鞜』に拡張高い「山の動く日きたる」を書いた、我らが?与謝野晶子は、姑殺しをした女性を擁護するため、「月経犯罪説」を持ち出したのだという。
そして与謝野晶子は同じ論法で、今度は、日影茶屋で不実な大杉栄を刺した神近市子のことを、「女性ならではの感情に引きずられた」と難じたのだというから、なんだかよくわからない。
(晶子に擁護された姑殺しの女性と神近市子は、刑務所で出会って仲良くなった、とか、神近市子が、記者だったときにこやかに迎えてくれた晶子と事件後に出会ったら、プイと不機嫌に接せられた、というエピソードがちょっとご愛敬だ)
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でも、こんな識者もいる。
死刑廃止論を説いたことで名高い刑法学者木村亀二(1897-1972)は、犯罪学者たちによって「月経要因説」が「常識」とされる中、「婦人犯罪と婚姻及び家族制度」(『刑事政策の基礎離村』1937年)という論文を書き、そもそも「婦人特有の犯罪というものがあるのか、ないのか」を吟味し、各国の統計を分析した結果「婦人特有の犯罪」などない、と結論しているそうだ。
そして「デパートで万引きするのは月経時の女性」というのが「伝説以上何等の価値ある主張とは為し得ない」と結論している。実際、デパート出の万引き犯は女性特有どころか男性の方が多いのだと。
こんな「ごくまっとう」のことをいうのに、まっとうな学者たちは、どんなにたくさんの圧力をはねのけねばならないことか。
木村亀二博士にも、著者の田中先生にも敬意がやまない。
この木村博士の研究と同内容の結果は、戦後のアメリカで誕生したフェミニスト犯罪学者たちによって大きく広められたが、日本の犯罪学者たちに影響を及ぼしたとは、言いがたいそうだ。
残念なことに、「女性に特有の犯罪」という考え方は、日本初の女性検事(門上千恵子)もほとんど疑わずに内面化していた(検事、出射義夫との共著『女性犯罪』)ようだ。あーあ。
(ちなみに出射義夫は、月経時に犯罪が多いというのは女性への偏見によるものだ「女性犯罪に関する常識とは、実は男性の常識であるということを理解することが必要なのである」と、書いているそうだ。)
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本書を読み終わってつくづく思うのは、司法関係者に学者、優れた頭脳を持つ筈の人でさえ、人間というのがいかに与えられた命題自体を疑うことが出来にくいか、ということだ。
「女性と犯罪」、「月経と女性の異常性」についてはこれだけまことしやかなトンデモ研究がなされてきたが、実際、犯罪者の大半は男性なのだ。なぜ月経のない男性がこうものべつ幕なしに、傷害、暴行、殺人、万引き、強盗、空き巣ねらい、強姦、痴漢、そして戦争などの犯罪を起こすのか。「男性と犯罪」という議論はなぜ起きないのか。「男性が犯罪を犯すのは、彼らが月経を経験しないからでは内だろうか」という議論は、なぜ起きなかったのだろう。
田中ひかる先生の本、もっと読みたい。