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Conversation

俺は、無罪判決に対する外野からの当を得た批判は論理的に困難なのではないかと考えている。 一般論として、裁判所はもちろん間違うこともあるし、判決の当否への批判はあってよい。 しかし、刑事事件の無罪判決に限って言えば、的外れでない批判をすることはなかなか難しいように思う。 それは、「疑わしきは被告人の利益に」という、近代立憲主義国家ならば必ず採用している刑事裁判のルールによる。 合理的な疑いを差し挟む余地がないほどに犯罪が立証されない限りは無罪。検察官の立証が合理的な疑いを超えるラインに少しでも不足していれば無罪。 それが鉄則である。 この鉄則の下では、有罪判決を外野が批判することは比較的容易にできる。袴田事件のような大昔の著名な冤罪事件を持ち出さなくても、たとえば和歌山カレー事件について冤罪説を主張する人は沢山いる。曰く、誰がヒ素を鍋に入れたかについての証拠が弱い。曰く、殺人の動機がない。 「疑わしきは被告人の利益に」原則を前提にすると、このように有罪判決の穴やツッコミどころを指摘することは、一応筋の通った判決批判となる。有罪判決に穴があってはいけないのだから。 このツッコミタイプの批判ならば、判決文を読んだだけでも可能な場合は多々あると思う。 翻って、無罪判決を本来有罪であるべきだと批判する場合はどうだろうか。 その批判は論理必然的に、「検察官による立証は十分であり、裁判所から見て合理的な疑いを差し挟む余地(穴・ツッコミどころ)がない(なのに裁判所が判断を誤った)」という主張でなければならない。 検察官が提出した証拠も見ていないのにそんなことを主張できる人って、果たしているのだろうか。 それは少なくとも一介の弁護士である俺の能力では到底不可能なことだし、俺など及びもつかない一流の刑事弁護士でもおそらく不可能なことだが、素人ならばそれができるのだろうか。そんなことは考え難いと思う。