巨人ファンが(たぶん)9割を占めていた1970年代後半の東京の小学生にとって、彼は憎むべき敵の切り込み隊長だった。
(タカハシが塁に出た…走ってくるぞ)
小学生にもわかる作戦なのに、あっさり盗塁を決められてしまう。
赤い疾風-。
武骨な野武士ぞろいの黄金時代の赤ヘル軍団のなかで、華のあるプレースタイルに、いつしか魅せられていたことを思い出す。
「あのころは、野球やってて面白かったなあ。ナインの仲がイイわけじゃないんだ。みんな一匹おおかみでね。けれど、プレーしていて楽しかった。頼れる先輩がいたからね。(山本)浩二さん、江夏さん、衣笠さんの背中を見ながら、若手の俺は自由にやんちゃさせてもらってた」
記憶だけではなく、数多くの記録も残している。
3度の盗塁王(79年、80年、85年)を獲得。78年には33試合連続安打を樹立。これは現在も破られていない日本記録だ。
「あのときは、勢いと若さと、やっぱり練習量かな。結果は、やった分しか返ってこない。やった以上はこないから。(後輩の)選手にも言うんだ。練習しないで打てるのならそれが一番いいよ、って。でも、できないなら練習するしかない。野球は結果が数字で出るから。『頑張ったんです』と言ってもダメ。すべて数字で評価される」
一流選手は指導者としては大成しない、とも言われる。だが、彼は違った。福岡ダイエーホークスのコーチ時代には村松有人や浜名千広。ロッテ時代には西岡剛ら、自身と同じスピードスターを多数育成している。
「いや、育ってくれたんだよね。(教えたことを)選手が自分で判断しただけ。最終的には選手が勝手に育つ。正しいこと言っても、受け取ってもらえなければダメなんだ」
コーチとして、野球人としての師匠は、黄金時代の名将・古葉竹識監督(77)だという。
「古葉さんは怖かった。よくあのメンツをまとめていたと思う。ファンやマスコミには笑顔しか見せない人だけど、俺たちには違ったから。勝つためには、監督の考えを理解して、みんなが同じ方向を向かなきゃダメだということを教えられた。俺が今までコーチでやってこられたのは、あのころの古葉さんの教育があったからだよ」
ただ、野球には厳しい指導があったが、私生活にはまったく指導がなかったらしい。練習も真面目にしたが、遊びも真剣だった。女優との浮名を流し、『夜の盗塁王』と呼ばれたこともある。
「若いころは、時間があったらよく飲みに出てたね。中州、薬研堀(やげんぼり=広島市の歓楽街)、新地に銀座、ススキノ。今の選手は遊ばなくなったねえ。あのころはモテようと頑張ってたなぁ。夜の盗塁は失敗したことないから、アハハハッ」
何を言ってもやっても絵になる男が、8月公開の映画「ダイヤモンド」(本間利幸監督)に初主演する。元木大介(41)、パンチ佐藤(48)、ギャオス内藤(44)ら、元プロ野球選手総勢9人が出演する任侠映画だ。
「野球から離れてタレントやっていた時期(98~2003年)も少しあるんだけど、映画は初めて。セリフとか殺陣とか、難しかったよ。演技は(愛甲)猛がうまいんだ。シーンでは銃撃戦が面白かったね。子供のころ、モデルガン遊びが好きだったから」
豪華なメンバーがそろった注目作だ。
俳優活動にも大いに期待したいが、やはりファンとしては古巣である広島カープのコーチ、監督としての復帰が気になる。
「そりゃ、やりたいよ。やっぱりメーンは野球だと思っているから。カープで15年育てられたわけで、OBはみんなやりたいはず。まあ、いろんなことがあるけど…俺が必要とされるならね」
再びの赤い疾風を待ちたい。 (ペンとカメラ・永瀬白虎)
■たかはし・よしひこ 1957年3月13日、北海道芦別市生まれ、56歳。74年、東東京代表として城西高校のエース兼4番で甲子園に出場。同年のドラフトで3位指名され、広島東洋カープに入団。70年代後半から80年代の赤ヘル黄金期を支える。89年、ロッテに移籍。90年、阪神タイガースへ。92年、現役引退。95年から97年まで福岡ダイエーホークスのコーチ、2004年シーズン途中からロッテのコーチに招聘され、05年の日本一に貢献。12年、ロッテを退団。彼をモデルにした村上龍氏の小説『走れ!タカハシ』(講談社)もある。
映画「ダイヤモンド」(製作・配給オールインエンタテインメント)は8月3日からヒューマントラストシネマ渋谷でレイトショー後、全国で順次公開予定。