第22話 他人の不幸は蜜の味、相棒の不幸は泥の味

 午後十二時過ぎ、暁人は早速バイクでツーリングしてくると言ってフルフェイスヘルメットをかぶって、革ジャンを着込んで家を飛び出して行った。

 健一郎は見本誌を読んでいた。既に入稿手続きは完了。あとは年末——十二月二十九日火曜日に出版されるのを待つばかりだ。

 三作目の長編小説「此岸の桟橋」は、恋人と死別した主人公が彼女の残響を追うように、彼女の姉と恋に落ちるホラー恋愛である。しかしその姉には婚約者がおり、主人公はどうにかして姉を簒奪しようと画策する。そこにお得意のオカルトを掛け合わせ、エロスとバイオレンス、ダークを絡めた作品となっていた。

 暁人は「主人公が大学生の割に幼い気がする」と言っていたが、健一郎にとっての大学生などそんなものだと思っていた。


 中高までは純粋な恋愛を信じていた子供も、大学に入った途端猿のように性欲に取り憑かれ、口を開けばあの女はヤリマンだ、尻軽だ、と居酒屋ではしゃぐ手合いである。

 そうした健一郎の屈曲したアンチテーゼも多分にこめられているとはいえ、根幹にあるのは、死というテーマだ。死者、というものへの憧憬が、主人公の恋愛の動機である。彼は姉ではなく、よく似た死んだ恋人をそこに投影しているに過ぎないのだ。


 健一郎の持論は「大人など図体のでかいだけの思春期のガキ、その延長」であり、彼の描く大人は皆、どこか幼稚だった。それが、世間一般の大人の「弱さ」の代弁であるとする少し論点の違った評論も、溟月の文学フリマで出回ったが、否定する気はなかった。

 作品をどう読んでどう受け取るかなど、万人次第。ゴッホもガンジーも普通ではなかった。彼ら自身にとっては普通であったとしても、普通ではない評価を受け、それが彼らをどう思わせているかなど誰も気にしていない。

 健一郎は表現者として自分の表現がときに自分の意図しない受け取り方をされることくらい知っていたし、慣れていた。


「じゃあパパ、行ってくるね!」

「私は輝子を送り迎えしつつ、しばらくドライブして過ごします」

「ああ、いってらっしゃい」


 健一郎も少し散歩に出かけようか。そう思った。


「美琴、少し散歩してくる。寺まで。ついてくるか?」

「はい、ご一緒させていただきます!」


×


 溟月LLライトライン桜坂駅の前にはちょっとした繁華街が広がっている。そこにあるライブハウスに輝子を送り届けた焜は、彼女が降りる間際「これ、よかったら」と一枚のチケットを渡された。


「公演は夜七時からなんですけど、よかったら聴いていって」

「ありがたくもらっておく。六時半にはライブハウスに入るわね」

「うん! 絶対だから!」


 輝子がギターケースを手にライブハウスに走っていった。焜は車を出して、中途半端な時間に朝食を食べたから昼ごはんを食べてないんだよな、と思っていた。

 別に食べなくてもいいのだが、小腹は空いている。蕎麦くらいなら食べられそうかな、と思って、焜は蕎麦処に車を停めた。昼のラッシュ時間からずれていることもあり、駐車場は空いていた。

 よもや中休みじゃないよなと思いながら店に入ると、しっかり営業中だった。


 カウンター席に座ってとろろぶっかけ蕎麦ネギ抜きをオーダーし、差し出されたおしぼりで手を拭って熱い蕎麦茶を啜る。

 すると唐突に、隣の席に男が座った。

 空いてる席などうんざりするほどあるのに、なぜわざわざ隣に座るのか。


 男はモヒカンで、逆立てている部分以外の毛をつるりと剃り上げており、眉を全て剃ってピアスを刺していた。いかつい男だが、この溟月では珍しいファッションではない。陰陽師は見た目も勝負であり、あえて毒々しい服装や粋な服装をする侍風の術師もいる。

 男は腰に洋剣を差し、毛皮のファーがついた革ジャンを着込んでいた。

 モヒカンの色は金色で、目つきは、丸いサングラスのせいでよくわからない。


「ご注文は……?」

「千穂川焜。香川民間陰陽師事務所がお前に懸賞金を出した。のうのうと暮らしているお前にな」

「なんですって?」

「その首に、八十万だとよ」

「あの、お客様、ご注も゛ッ——」


 男が割り箸を女性店員の喉に突き刺した。


「うっせえんじゃ、ドアホ。話してんだろうが」


 厨房に悲鳴が上がる。焜は咄嗟に着替え式符で戦衣いくさごろもに着替え龍骸刀と白龍刀を顕現。男が抜剣し、直後、激しい暴風が吹き荒れた。

 蕎麦処の出入り口が爆裂し、通りがけの通行人が悲鳴をあげた。

 焜は派手に吹っ飛ばされてバス停のベンチに叩きつけられ、肺から酸素が搾り出される。

 頭上、ブロードソードを構えた男がそれを振るう。


 風圧が駆け抜け、刃のように炸裂。焜は転がって術を発動。相手が木属性ならこちらは金属性を出したいが、焜は現状金の霊獣を持っていない。

 ならば——。


「〈赤狼〉」


 三体の〈赤狼〉を顕現。木は火を燃やす素材。相生の関係性にあたり、相性は悪くない。


「行け」


 三体の〈赤狼〉が唸りをあげて男に迫った。暴風の壁が炎を吹き荒れさせ、爆発。しかしその爆発が滞留し、次の瞬間焜に向けて反射された。

 咄嗟に一体を間に割り込ませて起爆し、爆発力を相殺。妖力で体を覆って防御し、二転三転して立ち上がる。

 この男の術式——知っている。

 こいつは、この男は……。


「ジェットストリーム・ジェイク」

「覚えていたか、千穂川焜。二年前お前が俺に喧嘩を売った時のことを」

「まさかあんたが下手人になるなんてね。所詮呪術師か」

「俺たち呪術師の友は金だけだからな。あの時はとるに足らん野狐だったが、今は八十万の首だ。逃しはしない」

「冗談じゃない。私には……今の私には帰る場所がある!」


 ジェイクが踏み込んだ。暴風が逆巻き、街路樹が派手に揺れる。

 奴の術式は風による反射だ。とはいえ当然発動条件や限定条件があるだろう。どんなに万能に見える術式にも抜け道と弱点はあり、制限のない術式効果の発動は不可能である。そんなの、脳が焼き切れて一瞬で死亡だ。


 見切れ、見切れ。何かある。


「〈白犬〉」


 二体の〈白犬〉を形成し、氷雪を巻き起こす。風の軌跡が雪道に刻まれる。

 前方から抉るように迫る風だが——背後には、風がほとんど形成されていない。

 あの反射暴風は前面にしか機能しないのだ。

 敵がそれに

 氷雪を解除、焜は〈赤狼〉を二体形成。三体出すよりは一体あたりの爆発力が増す。


「同じことの繰り返しだ!」


 前方から迫る〈赤狼〉を暴風で受け止め、起爆を押し留める。だがその隙に、


オン

「————ッ!」


 背後に回った〈赤狼〉が、起爆。

 だが、相手は己の弱点くらい理解していた。

 爆発を背後に反射し、〈赤狼〉の爆風を相殺。その爆発力を利用して加速し、焜の右肩を剣で切り裂いた。


「ぐ——」

「お前は一人でいるべきだった。お前に懸賞金がかけられる以上、次はお仲間に迷惑がかかるぞ」

「黙れ、みんな返り討ちにしてやる」

「やってみせろ」


 剣が沈み込む——その瞬間、フルフェイスに革ジャンの少年が龍殻の拳で男を殴り飛ばした。

 バキバキっと音を立て、頬が軋んで奥歯が折れ、ジェイクは糸を引いた血と歯をこぼし、たたらを踏む。


「なんだお前は」

「焜のバディだ。俺には懸賞金をかけてくれねえのか? 俺の首にゃあ三倍の価値はあると思うぜ」

「……臥龍のボンボンか」


 暁人はヘルメットを脱ぎ捨て、白龍の白銀の龍殻を形成。しかし右腕の前腕だけは、血染めの闇色の龍殻だ。これ自体はヤマタノオロチのものなので変えようがない。これ自体が五行を兼ね備えているのだろう。


「暁人……」

「暇だから繁華街に来てみりゃこの騒ぎだ。なんだよこいつ」

「呪術師よ。私の首に、前いた事務所が懸賞金をかけた」

「天城さんに頼んで取り下げさせよう。その前にあいつだ。ボコって締め上げる」


 暴風はどう考えても木属性。金属性の暁人には相性が悪いだろうが、問題はあの剣だ。

 暴風が剣の術式とは思えない。焜は〈白犬〉を形成し、氷雪を吹雪かせた。


 接近、ジェイクが剣を構える。刀身が赤く煌めき、熱を発する。炎の術式が組み込まれている。やはり金属性対策はしているのだろう。

 暁人は白龍の影響を受けた右腕ではなく、黒龍の腕を顕現した左で受け止める。水属性は火属性に勝る。

 さらに暁人が撒き散らした水が〈白犬〉によって凍結され、あたりは踏み締めた雪の氷のような様相を呈した。

 暁人は足元を踏みしめながら移動し、ジェイクは一瞬、足を取られて暴風の軌道を真上に逸らす。その隙に焜が脇差・白龍刀でジェイクの右肩を切り裂き、剣を取り落とさせた。


「がぁっ……!」

「暁人、縛妖索ばくようさく!」

「まかせろ!」


 式符から対妖怪・対陰陽師用の捕縛索である縛妖索を取り出し、それでジェイクを縛り上げた。


 項垂れたジェイクはくくっと喉を鳴らし、「その女は不幸を振り撒く女狐だ。お前も損を見るぞ」と暗く笑う。

 暁人は無言で彼に歩み寄り、そして頑丈なブーツでその顎を蹴り砕いた。


「黙れカス。呪術師てめえらの物差しで他人の不幸せを語るんじゃねえ」


×


 座卓の職員にジェットストリーム・ジェイクこと高橋ジェイクが連行されていく。暁人は蕎麦処の女性がかろうじて一命を取り留めたとのことを座卓の治療師から聞いて、一安心した。焜は少し離れたベンチで、自販機で買った温かいハチミツレモンを飲んでいる。

 暁人は缶コーヒーを買って、隣に座った。バイクは蕎麦処に停めてある。


「元気ないな」

「……女の前でだけブラック飲む男は却って嫌われるわよ」

「好きで、飲んでんだよ」


 缶コーヒーのプルを引いて一口呷る。深い苦味が体に沁みていく。だが今はそれが泥のように濁った味に感じた。

 何かを考えるように焜はハチミツレモンのボトルを掌で転がす。半分ほど減った黄金色の液体が彼女の心情のように揺れ動き、それは不安を表しているように見えた。

 別段、言い当てる必要もないが、言おうとして言わないという状況に、暁人はだんだん腹が立ってきた。


「あいつが言ってたこと、気にしてんのか」

「何怒ってんの?」

「怒るだろ。バディのこと小馬鹿にされたんだぞ。呪術師のくせして、他人の幸せとか不幸せの基準を語ったんだ。俺の個人的な怒りかもしれないけど、同時に、お前にも怒ってる。はっきりものを言わないお前は、あまりにも様になってねえ」

「ごめん……」


 焜はボトルを開けた。湯気が、大岩戸内部の薄暗い、行燈を頼りにした景色の中に溢れてランプの魔人のように踊る。

 湯気が夢を叶えてくれるなんてことはなく、焜は一口飲んで、切り出した。


「私は不幸を呼ぶ。五年前、大ポカをやらかしたとき、同僚が大怪我した。今回だって、あんたを巻き込んだ。それにあの店員さんだって……治療師が間に合ったから良かったけど、一足遅ければ死んでてもおかしくない」

「責任問題を履き違えるな。やらかしたのはいずれも悪党だ。普通に生きてるだけで他人に迷惑かけられて、その迷惑の巻き添えの責任まで取れってのは大間違いだろ。お前は最善を尽くした。それでいいじゃねえかよ」


 焜はハチミツレモンの湯気を眺めた。湯気は暁人の方に向かって、彼はコーヒーを啜って青い目を巨岩の岩壁に向ける。

 岩壁には通風口である巨大なファンが取り付けられ、整備用の簡易なエレベーターやキャットウォークが張り巡らされている。

 この時期は通風口が凍結するため、氷柱を溶かす。落とすと一般人に当たりかねないので、耐熱合金製のファンに氷が溶ける程度の炎熱術式を当てて少しずつ溶かしていくのだ。

 同時に岩壁には擬似的な雨を降らす配管があり、そこもメンテナンスがいるので、作業員が仕事をする。非常に危険な高所作業であり、給料はかなりいいらしい。


「家族って、支え合いながら互いに迷惑を掛け合うもんでな。でもそれが、支え合いとか助け合いなんじゃないかと、最近俺は思う。それを気づかせたのは、唯一の自分を目指すようにって道導をくれたお前なんだ」


 暁人がなぜ今更そんなものを見たのか。

 あるいは彼らもまた、その一人ひとりが誰かに迷惑をかけているのかもしれないと思っていて、世の中なんて迷惑の掛け合いだと、そう思っているのかもしれない。

 迷惑の掛け合いが助け合いであい、支え合いである。それが、社会の本質だと。そう考えているのかもしれない。

 世間一般の社会人や成功者とて、その陰で他人を踏みつけにして成り上がった者もいるだろう。だがそうした彼らが家庭や社会に貢献していて、ひととは、一枚岩ではない。


「焜。俺はお前と組むのが本当に嫌だった。俺を目の敵にしてたし、生意気だし、自信過剰だし。でも今は嫌じゃない。凄く頼もしいし、強くて、俺にはないものをたくさん持ってる。だから俺はお前だけになら背中を預けられる。妹のことも、任せられる。だから、俺たち家族の強さも信じてほしい」


 どうしてこいつは——こんなに真っ直ぐなんだろう。いつからこんなに真っ直ぐになったんだろう。

 焜はボトルの中身を飲み干し、頷いた。


「頼らせてもらうわよ、相棒」

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