第21話 プレゼントは、新入居者にも

 焜が起きたのは九時頃だった。美琴にいい加減起きてください、と部屋をノックされ、起きたのである。

 発情期だからかやけにムラムラしたが、かれこれ六十七回も経験すれば抑え方も身につくと言うもので、冬の冷たい空気を窓から取り込んで深呼吸すると、興奮がクールダウンした。それから手のひらのツボを押し、抑える。なんとなれば女性専用遊郭にでも行くが、そこまででもない。


 妖怪は愛欲と肉欲を結びつけないことが極めて多い。それは彼らが発情期という避けられない命題を持つが故であり、繁殖をシステムと認識しているからだ。

 恋愛感情——愛欲は万年あるが、性欲はそうでもない。そして、どうしても我慢できない時は事務的な発散として、遊郭に行く。それはパートナーも認知の上であり、そこが人間と妖怪の恋愛観の違いだった。

 だから妖怪はポルノ動画というものを、不思議に思う。システムとしての繁殖風景はあくまで生物学の授業に用いるべきで、コンテンツとして売り出すほどのことか? と。


 焜としては——というか妖怪や陰陽師の女は、動物的だ。弱い男に惹かれることは滅多にない。保護欲は抱いても、恋の対象として見ることはないのだ。

 やはり強いオスにこそ子孫繁栄の権利がある、と女妖怪・女陰陽師は考え、なんとなれば一族によっては当主の前で許嫁同士が御前試合を行うことすらある。たとえば臥龍家はそうだ。臥龍の女を軟弱者にくれてやるかという、代々当主の意思の表れであるし、臥龍の女自身も自分より弱い男に股を開く気はないのだ。

 あるいは暁人が妹に抱く感情も、それに近いのかもな、と焜は思っていた。暁人は妹に相応しい男を、妹に勝てる男でなくては、と思っているのかもしれない。実に妖怪的な兄だ。


 手早くシャワーを浴びて部屋着のニットに着替えると、リビングと二階を行き来する臥龍兄妹と美琴を見た。

 焜にはそれがなんなのかよくわからないが、表面にはコンピューターらしき絵があり、配信機材とかか? と思った。輝子の部屋は音楽をやる都合上防音性が高く、リフォームの際に全室防音にしたと暁人が言っていた。

 決して健一郎だけの稼ぎではないだろう。恐らくは遺産もあってこそのことだ。


 健一郎とて小説家、コラムニスト、エッセイストとしてマルチな文才で活躍するが、決して億万長者というわけではない。時々絵も描くそうだが、それは趣味であり、売り出してはいないという。だが独特な画才は、彼を文筆家に留まらせない迫力があると編集部は考えているらしかった。


 焜のまだ知らぬ健一郎の散財は、あくまでたまにのことで滅多にあることではない。実は月々の輝子の小遣いも、健一郎は五〇〇〇円しか出しておらず、しかしそれでも平均的な小遣いよりは多いくらいだとされていた。

 妹馬鹿の暁人も流石に甘やかすことはせず、せいぜい毎月、給料で美味いものを奢ってやるくらいである。

 そういう意味では臥龍家は普通だった。ただ、健一郎の羽目を外す瞬間の、その度合いが凄まじすぎるだけであって。


「おはよう、焜。美琴には渡したが、君にもプレゼントがある。気に入ってもらえるかは甚だ疑問だが……」


 あの箱だ、と言って健一郎は置いてある木箱を指差した。

 焜はその箱を開けた。

 中には刃渡り一尺九寸五分の脇差。白銀の鞘に納められており、抜くと、やはり白銀の刀身が覗く。


「白龍の龍殻で鍛造した脇差だ。術式は一切刻まれてないが、金の属性が込められていて、妖力を流せば多少の刀身自体の傷は再生する。龍殻は本体から切り離されても高い生命力で長時間生きるからね」

「こんなもの、どこで?」

「気色悪かったらすまない。おじさんの右腕だ。以前、黒塚商会に切り落とされたものを禮子さんが回収し、打ち直してもらったらしい。とはいえ俺は脇差なんて使えないから、持て余してしまって」

「ありがたくいただきます。……あの」


 健一郎はコーヒーを啜りながら「ん?」と聞いた。


「私の龍骸刀はあなたのお兄さんの骨です。背中から露出した黒骨こっこつを加工したものです。……恨まないんですか?」

「……兄は」


 コーヒーを置いて、健一郎は手首を揉みながら続けた。


「暁人を護るために全力を尽くした。恐らく、ヤマタノオロチに飲まれることも承知だったんだろう。であればその後、骸を呪具にされることだって兄ならわかっていた。強いていえば、その力を正しく振るってくれる子が兄の骨を握っていて、安心した。悪党の手に渡るくらいなら、俺は兄の骸は善人の手で使われるべきだと思っている。君が今後、力の使い方を履き違えないことを、俺は信じている」

「大人なんですね」

「大人、なんてのはね。図体が大きくなった思春期のガキの延長線さ。本当に大人なら大人しく、白龍を従えた力量でもって混乱する家を纏め上げ、当主にでもなってたさ」


 臥龍家は未だ混乱しているらしい。当主代理は周りに推挙される形で明子が務めているが、次男遼太郎派と四男貞夫派で意見が割れているらしい。

 男を当主にすべきだという強引な意見はあまりにも守旧的で、古い家らしい考えだが、現在龍としての実力で明子に勝てるものは誰もいない。

 よしんば相当するとして健一郎だが、赤龍を従える明子に対し白龍の彼はあまりにも五行相性がよろしくない。唯一のアドバンテージは男であること、そして男兄弟の中で最も強いことだ。

 やはり一番丸く収まるのは暁人が当主になることだが、彼は祖父の死すら悼まない一族に見切りをつけてしまっている。


「叔父さん、カッターってどこある?」

「んー? その辺の棚に入ってなかったか。使う時気をつけろよ」

「わかってるよ。……って、ないけど? こっちの引き出しにもない」

「あれ。俺の書斎かな。額装作る時使ったかもしれん」

「叔父さんの書斎ごちゃついてもっとわかんねえよ。まあいいや、俺の指で引っ掻けば開くだろ」

「龍の手をそんなことに使うなよ……」


 ちなみに美琴には溟月ロイヤルガーターのトレンチコートをプレゼントしている。ボーナスは来年夏からの支給になるが、彼女の雇用形態としては少し複雑で、天城民間陰陽師事務所で契約式神登録した彼女を護衛として臥龍家に置いているという感じになっていた。

 給料に関しては健一郎が一旦報酬という形で天城に払ったものを、彼女が美琴に支給する。多少の事務費は取られるが、天引きというほどの額ではないらしい。

 というか天城はそんなみみっちいことをしなくとも副業の株と為替で年数千万の利益を出す化け物だ。海外の銀行にタックスヘイブンを持つような富豪なのである。


「そうだ、朝飯は昨日の残りをみんなあっためて食ってたが、ほとんどもうなくてな。俺でよければ何か作ろう」

「いいんですか?」

「うん。まあ、ほんと簡単なものだけど。えーと、ネギ類、チョコ、グレープ系にアボガド……だっけ」

「まあ、そうですね。グレープ系は個体差があって、私は平気です」

「一番はネギ、チョコ、アボガドだろうな。俺ら龍は平気だから忘れそうになるけど」


 逆に龍はムカデが大嫌いで、過度な鉄分を含んだ食材を嫌う傾向にあり、笹の風味がダメである。

 特に暁人は笹餅が大嫌いで、あるいは笹が巻いてある押し寿司も絶対に食べない。たとえその笹が造花だと言っても、意地でも食べない。

 以前ムカデの式神を使う敵と対峙した時、禮子がその時暁人の面倒を見ていたが、彼は棒立ちになってしまったというほどだ。


「パスタでいいか? ナポリタン」

「いただきます」


 焜は頷いて、手伝いを申し出た。

 結局ナポリタンを大量に作って、彼らの遅めの朝食兼家族の軽食として消費されるに至った。

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