第20話 クリスマスプレゼント
五年前。法泉区貧民窟地下街という焜の古巣での仕事があった。焜は妖怪になって四十年だが、実際にしっかりとした事務所に所属したのは七年前。それまでは無頼漢として地上や貧民窟を行き来し、その日暮らしを続けていた。
事務所に入って二年。ある程度の信頼も勝ち取った焜に与えられたその依頼内容は地下闘技場の裏金調査であり、座卓からの依頼だった。しかし貧民窟の地下闘技場という比較的デリケートな場所でのその仕事は慎重を期さねば事務所にも損失を被るものであり、最悪逆上した地下闘技場の胴元が呪術師を差し向けてくることすらあるものだった。
焜はその仕事で大ポカかをやらかした。
選手と偽って出場した大会では脚本が用意され八百長を演じねばならなかったのに、相手が予想以上に弱く勝ってしまったのだ。
胴元は彼自身も間抜けで咄嗟のことに「脚本通りやれっつったろ!」とマイクをオンにしたまま叫んでしまい、そこからは乱闘だ。
結局隠れ潜んでいた座卓の術師が保護という名目で胴元の身柄を拘束し、ことなきを得たのだが、今思え焜も若かった。
それが原因で焜はケジメとして元いた事務所をクビになり、流浪の野良生活に戻った。
ようやく手に入れた安定した生活を自分はふいにしたのだ。アパートを追い出され、携帯は解約。仕事にも就けず、けれど女として体を売るのは嫌で、だから暴力でひたすら稼いだ。
半グレめいたこともした。辻斬り同然に呪術師を襲い、その懸賞金で暮らす日々。だが限界が来た。
業界でジェットストリーム・ジェイクと呼ばれている男に喧嘩を売り、敗北した。命からがら逃げ出して、路地で死にかけていたところを天城本子に拾われたのだ。
「その目の炎。死なせるには惜しい——」
そう言って、どこの馬の骨かも知らない焜を彼女は拾い、病院に連れて行き治療費を立て替え、数日後事務所に案内した。
事務所には白銀禮子という術師しかおらず、焜はすでに実戦で戦えるレベルだったというのもあり単独で仕事をこなすことが増えた。
大抵の仕事は淡々とこなし、成果報告をする彼女を、天城はマシーンのようだと思った。
この子の心は氷のように凍てついている。聞けば三年も野良生活。人間や妖怪の悪意を見てきたことだろう。無邪気にその純粋性を信じろという方が無理がある——天城はどうにか焜の心の氷を解けないかと思った。
そしてその後暁人がやってきて、状況が少し変わった。
焜が明らかに彼を目の敵にするというわかりやすい感情の変化を見せたのだ。
苛烈な野良暮らしの彼女と、温室育ち——と勘違いしている相手。実際暁人も荒れた時期があり、相当な苦労人だった。幼くして両親を亡くし、復讐者として牙を研ぐ彼は見ていると今にも折れそうな抜き身の刀剣のようにぎらつき、その狂奔のような熱は、焜の凍てついた心を焼き焦がしていた。
天城はそこにチャンスがあると思った。
やがて暁人がある程度の水準に達した時、焜は天城に呼び出された。
「君にはこれから暁人君と組んでもらうよ」
「はぁ!? 冗談じゃないですよあんなボンボン! あんなのの道楽に付き合って死ぬ気はないです!」
「彼が道楽で陰陽師をやるような手合いなら、龍の侵蝕をあそこまで受けてまで戦うとは私には思えないが」
「それは……」
「社長命令だ。組みなさい」
天城は多少強引にでも、焜の心の氷を解こうとした。これがうまく行くかどうかはわからない。だが、予感としては合っている気がした。
焜は嫌々——本当に嫌そうに、「わかりました」と頷いた。
×
翌日、クリスマス当日。十二月二十五日金曜日。一般的な社会人は今日も今日とてお勤めであるが、明日から土日ということで足が軽やかな者が多い。
街のクリスマスムードは最高潮であり、カップルがプレゼントを贈り合う様子や、なぜか野良猫まで恋の季節っぽい振る舞いをしている。極寒の溟月島では猫の発情期は大体三月後半、四月半ばから九月ごろまでだが、彼らもクリスマスを意識しているのだろうか。
名義上暁人が所有する裏山でも狐が発情期を迎え、恋の季節を満喫していた。とはいえ彼らは野生の生き物であり、本来嫌な相手との諍いは口をかっ開いて、口の大きさや牙の大きさなどで優劣を競う、威嚇程度の喧嘩(厳密には喧嘩ですらないらしいが)で済ます彼らも、メスの奪い合いは命懸けの闘争となる。
死んだ狐はクラツキオオカミの餌になるか、他の動物の養分になる。
そんな大自然を感じる朝、暁人は外から聞こえてくる業者と叔父のやり取りで目を覚ました。やがてトラックのエンジン音がして、遠ざかっていく気配。叔父のことだから新しい家具でも買ったのだろうか。本棚とか、彼はいくらあっても足りないと言っている。去年もリフォームして、書斎を大きくしていたくらいだ。
時刻は午前八時。クリスマスだからたまには走り込みを休んでもいい理論で今日は休んだが、明日からは再開だ——と心に決め、着替えをタンスから出す。
昨晩はあれから一階で家族揃って対戦ゲームに興じた。
アイテムボックスからでる大量の式符系アイテムやら、式神やらを駆使してバフやデバフを掛け合い、一位を目指すゲームである。
完全新規タイトルだがすでに溟月島での販売本数は百万本を超え、大ヒット。当然溟月島でしか販売しないタイトルだからその分利益を取ろうと割高な値段設定だったが、暁人が稼いだ報奨金で買ったので問題ない。
健一郎の異常にゲームの上手いこと、暁人は笑いを通り越して大人気ねえぞ、と文句を言ってしまった。彼は笑いながら「コツがあるんだ」と酔った顔に笑顔を浮かべていた。
VGSは一応暁人のものだが、妹もいじっている。ファミリーアカウント制なので他に健一郎、美琴、焜も登録済みだ。みんな真面目にアバターアイコンを作る中、暁人だけエイリアンのような気色悪いアイコンを作り、大いに
さても暁人は起き上がって着替えを持った。それから、叔父が仕上げたという本の見本誌を手に一階に降りる。
シャワーを浴びて汗を洗い流し、まだ浴槽は張っていないが、妖力の屑浚いのおかげで埃らしい埃はない。暁人はついでに風呂場で髭剃りを済ませ、ヒリヒリする顎を撫でた。そろそろカミソリの刃を変えたほうがいいかもしれない。
何気にカミソリの替え刃って高いんだよなあと思いつつ、体を拭いて部屋着の黒と青のパーカーに着替えた。
右腕は相変わらず、前腕の半ばまでが赤黒い龍殻に侵蝕されている。しかも表面的ではないらしく、検査の結果骨格構造や妖力を伝導する経絡が龍のそれに酷似しているらしい。
世の中には血液型やDNA情報が肉体の部位によって異なる「モザイク型」や「キメラ型」なるものがあるらしいが、暁人はまさにその状態で、龍と龍人の細胞が奇妙な共生関係にあるとのことだった。
それは医者によれば侵蝕というよりは「親和性」と読んで差し支えないらしい。つまり、現状では自我の乗っ取りはあり得ないらしい——とはいえ、このまま侵蝕が続けば、少なくとも外見は限りなく龍に寄っていくだろうと言われた。
ぐっぱぐっぱ右手を閉じたり開いたりする。体感、三日で削らないと龍殻が鋭利になっていく印象だ。このために電動やすりも買ってきて、一日の終わりに削っている。幸い表面には神経がなく、微細な振動で骨身がぶるぶるする程度だ。
「お兄ちゃん大変! パパが変態!」
「なんだ、焜が発情期でも迎えたか。ったく叔父さんに発情すんなよ」
「焜に怒られるよ」
「お前は叔父さんに叱られろ」
輝子は焜と暮らすようになって数日、互いに呼び捨てになっていた。
「で、なんだよ、どうした? 水道管が漏れたとか? あれほど熱湯は流すなっつったろ」
「ちがくて。リビング! リビング来て!」
暁人は最愛の妹に背中を押されてリビングに入った。すると二十五・五畳のLDKにはずらりとダンボールが並べられ、その大半はDTM機器とPC機器だった。余裕で二百万円は超えているであろうハイスペック機材。そしてこの家でDTMといえば輝子以外にいない。
彼女はこれまでノートPCにフリーの音楽ソフトで音源を打っていたが、だとしたらこの感動は凄まじいだろう。
「叔父さんやるなあ。ちゃんとお礼言わなきゃな」
「うん! いまパパ外いる! なんかトラックが来てたよ」
「トラック? 何買ったんだ今度は……どーせ本棚だろうけど、妙なインテリ性で収納性皆無じゃねえの」
健一郎はどちらかといえば倹約家だが、使う時はドバッと使う思い切りのいい男だった。決して浪費家ではないが、投資するタイミングを見誤らないというか、実際それで失敗したことがほとんどない先見の明を持っている。
あるいは辛い時期支えてくれた兄夫婦の息子と娘だから、可愛がりたいのだろう。
二人は外に出ると、叔父がバイクの点検をしていた。
「それっ、星鉄重工のスターストライダーX400じゃないか!」
「お前、欲しがってたろ。そのために頑張って夏休みは合宿で免許取ったもんな。大事にしろよ。それから車検代は自分でだせ。さすがにそこまで面倒は見れんし、頼むから事故ってくれるなよ。人身事故なんてする側もされる側も冗談じゃないからな」
「わかってる、ありがとう!」
暁人は美しい、ブラッククロームのボディと青いラインが入ったクロスオーバーバイクを見た。アッパーカウルは最新のAR投影技術を応用した特殊な風防パネルモニターを採用している。パネルの内側に特殊なマイクロマシンを充填し、そこに拡張現実情報を投影し、道案内やなんかを行うシステムだ。
エンジンは妖巧式、水冷妖術式冷却四ストロークDOHC四バルブ直列二気筒、総排気量は三九九cc。普通自動二輪でギリ乗れる排気量。
値段は確か一三五万円。
叔父はなんでもないような顔で「ほれ、鍵。妖気生体認証設定のやり方は説明書を見て勝手にやってくれ。俺にゃさっぱりだ」と言って、「さみー」と言いながら家に戻る。
その、本当になんとも思っていないような大人の姿に、暁人はやはりこの人には敵わないと心の底から感じるのだった。
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