第18話 決着に、異質な黒蓮を添えて
屋上の床を突き破って、三十四階のレストランに暁人と秋田は突っ込んだ。
派手な崩落音がして瓦礫が落ち、ハイパーコンクリートと超鉄筋をぶち破ってきた二人は咳き込みながら姿勢を正す。
秋田は左腕を庇うように立ち上がった。明らかに骨が折れており、クマジャンは弾け飛び下のシャツもえぐれ、腕の色が赤黒く変色している。
暁人は妖力の多くを消費し、時間経過の治癒を待つには少し消耗し過ぎたと思っていた。
ここからは余計に時間をかけられない。おそらくそれは敵も同じだろう。
「制限解放……〈
〈
術式の制限解放はあらゆる術師が持つ切り札であり、滅多に使わない奥義である。
暁人は構え、そして次の瞬間吹っ飛んでいた。
激痛——腹が焼けるような激痛がする。口と鼻から血が吹き出し、暁人はレストランのテーブルをいくつも巻き込んでぶっ飛び、壁に叩きつけられた。ゴッホの自画像の模写が砕け散り、暁人は再び喀血。
咄嗟に両腕でガードしたはずなのに、このダメージ。まるでトラックに追突されたような。
暁人はすかさず転がって、追撃を避けた。インターバルが三秒ほどに縮まっており、明らかに攻撃感覚が狭まっている。
右拳が暁人の左腕を穿ち、暴風の壁を破って吹っ飛ばす。
全身が痛み、骨身が悲鳴を上げる。
——死にたくねえ。
心の底から強くそう思った。
理由なんてない。死にたくないから、死にたくない。それだけだ、死にたくない理由なんて。同時に、脈打つ鼓動を愛おしいと思うのも、生きていることが素晴らしいからだとか言うつもりはない。そういう単純なものではない。
矛盾しているが、死ねない理由は単純明快なのに、生きる理由は不透明で不確かだった。
その水流の如き、清くも濁ったそれが頭を支配したとき、自分の中にうねる黒い気配を感じた。
黒い龍が、唸り声をあげて腕を伸ばしてくる。暁人はそれを掴んで、己の内側に引き摺り込んだ。
拳が迫った。直後、暁人の両腕が黒い龍殻に覆われ、膨大な水圧の水の防壁が形成された。
「なに……!?」
拳が水の防壁に沈み込み、派手に水飛沫が舞った。黒龍の水の力が、この土壇場で暁人の中で覚醒したのだ。
圧倒的水圧、水流の防壁。それに半ば飲まれる秋田の右腕の皮膚が抉れ、彼は咄嗟に腕を引き抜く。
暁人の血が混じった黒龍の水は徐々に赤黒く変じ、鉄分が増加していく。龍にとって弱点であり、だからこそ止める手立てがないそれ。
彼の力では血の増殖を御する術はない。だが、だからこそよかった。
右腕だけを白龍の龍殻に変え、金の属性を纏う。そして血の鉄分をそちらに注ぎ込み、赤黒い爪を形成した。
己の血を武器とした、龍血の爪と龍殻。赤黒い脈が這い回った白銀の腕は禍々しく、生命の象徴たる水と血にしてはあまりにも歪で恐ろしい様相を呈する。
「なんだ、それは……!」
「知るかよ。いちいち、名前なんか考えられねえ。龍血纏いとでも呼びやがれ」
暁人は構えをとった。守りを顧みない龍爪一碧の構え。相手の心臓を抉り、首を刎ねる殺意の権化に、暁人はなった。
悪という自覚のない悪意。仕事だからと残酷な方法で人を殺せる奴が、この広い三千世界にはのさばっている。
自覚——自分はそうした根本的な、自覚的であれ無自覚的であれ、悪党と呼ばれる人種を、どう足掻いても許せそうにない。
「〈
相手も拳を腰に引き、構え。
暁人の周りに漂う龍血水はその鉄分が硬化を始め、さながらメタルスライムのような粘度を得ていく。彼の鼻から出血。前頭葉に刻まれた術式の酷使が影響した、脳のダメージが出たのだ。
それは秋田も同じであり、彼も鼻血を出していた。
術式は脳の前頭葉という部位に刻まれ、使用すればするほど脳はダメージを負う。それが超回復に近い現象を起こすことで、術は使えば使うほど育つが、もちろん無理な運用は脳を焼き切り兼ねない。
相手が、動く。
加速にも攻撃にも〈
一枚二枚と龍血水の結界を叩き割り、拳は暁人の左腕に到達。黒龍の龍殻が軋みをあげ、骨が圧壊寸前の悲鳴を上げるが、——受け止めた。
「終わりだ、秋田透。あの世で懺悔しろ——歯ァ喰いしばれ!」
暁人の右腕が、龍血に飲まれた白龍の腕が、龍殻剛爪の術を以て秋田透の心臓を抉った。
ボバッ、と血を吐き、秋田は数秒間、何かいいたげに口を動かしたが、また喀血。そして最期に——。
「敵ながら、見事也」
そう言って、真後ろに倒れ、大の字に
暁人はその潔い最期に、妙な礼節を感じた。本来なら死体に唾を吐かれても構わないような呪術師なのに、その時ばかりは彼が誰もが辿る死ねば仏という末路に相応しい気がして、暁人は己の逸る鼓動を抑える意味でも名目し、胸の前で手を合わせるのだった。
「こちらこそ、いい勝負だ——、った……」
そこで、暁人の意識は途切れた。
暁人は前のめりに倒れ、全身を支配する激痛に意識を蝕まれ、奪われていった。
フルオート迎撃の居合にはいくつか条件がある。
一つに半径が二メートル弱であること、反応できるのはあくまで妖力を保有したものであること、そして踏み込める土壌がなければ不発に終わること。
〈白犬〉が作り出した擬似的な雪原は熊切童子にとっては厄介極まりなかった。踏み込みが遅れ、結界反射居合の剣速が鈍る。
〈金心〉を一体消したまでは良かったが、そこから焜はさらに別の一体を併用し、〈白犬〉を合計で五回出して雪原を形成。
一方の焜自身は狐であるから雪道には慣れ、雪原化した展望台で一方的な展開を見せていた。
このままではいずれ負ける。熊切童子はそう判断し、侵蝕覚悟で穢れ刀の出力を上げた。
「吼えろ、〈
直後、蠱惑的な黒い蓮が地面から咲き誇った。
黒い蓮は穢れの象徴。それが一面に咲き誇り、雪原を侵蝕する。焜は咄嗟に龍骸刀を振るった。青い浄化の妖力が吹き荒れ、しかし穢れ喰いの刀が押されるほどの勢いであり、喰らって妖力に変えたのは僅か——というより、異質すぎてあれをただしく穢れと認識できていないようだった。
美しく、毒々しく咲き誇る黒い蓮。
あの妖刀の真名・〈
妖刀は必ずその刀身に術式と、その術式を冠した真名を刻まれる。それが妖刀の妖刀たる所以であり、一本一本が人間の前頭葉並みの複雑な術式を刻まれている。
生成には非常に高度な技術が必要であり、妖刀作刀師は滅多にいない。妖刀も所詮はピンキリとはいえ、〈
「ゼェ……ハァ……っ」
熊切童子の憔悴は目に見えていた。妖巧の義手にも僅かに黒い蓮が咲いており、腕がカタカタ震えている。
「やめなさい! 穢れ堕ちするわよ!」
「ここまで来て、引けるか……! 黒塚商会に、失敗は許されんのだ……!」
「イカれてる……」
〈金心〉が消滅。オン・キリカク・ソワカと唱えて〈赤狼〉を二体召喚し、焜はそれを炎の噴射で飛ばしつつ黒い蓮の影響県外から突っ込ませた。
「
一体目が爆発。派手な爆風が発生し、熊切童子が展望台の欄干ギリギリに押し飛ばされた。落下防止柵に背中を押しつけ、今までなら悲鳴すら上げなかった彼女が痛々しい呻き声をあげる。
「せめてもの情けよ。一撃で吹き飛ばしてあげる。〈赤狼〉、最大出力——
使役数を一体に絞り、術式の一時的な制限解放を上乗せした起爆術。
プラスチック爆薬すら上回る激しい爆轟が生じ、展望台が粉砕された。熊切童子は吹き飛んだ欄干にも落下防止柵にもおらず、ただ唯一生身だった左腕が転がっているだけだった。その腕にも黒蓮が咲き始め、穢れの苗床になる。
よしんば今の爆発で死ななくとも、三十四階からの落下だ。無事では済むまい。
焜は今し方目撃した「異質」な穢れを前に、微かに、そして久方ぶりに明確なおぞましさと恐怖を感じた。
龍骸刀を見ると、それはただ龍骸刀でしかなく、さっきの穢れはなんだったのだと言わんばかりの疑問をぶつけてこられてるようだった。
焜はため息をつき、先ほど巻き起こったレストランの方——対岸側の爆音を確かめに行った。恐らくは禮子達が向かったのだろうが、暁人も決着がついたのだろう。あの秋田と名乗った男の妖気は、消えていた。
「やれやれね」
大岩戸がぽっかりと口を開けた空に浮かぶ三日月が、彼らの健闘を讃えるように金色の輝きを灯していた。
×
三日後、暁人は病院で目を覚ました。
桜坂区の区民病院であり、景観の良い巨岩の外側にある。暁人は三階の三〇二号室に入れられ、目を覚ますと泣き腫らした顔の妹に開口一番「バカ兄貴!」と怒鳴られた。
その大声に泡を食って看護師がやってきて、暁人は簡単な検査を受けることになった。
ひとまず異常はないらしく、体調は回復に向かっているとのことらしい。暁人は味気のない病院食に早々に飽き、見舞いに来ていた健一郎に頼んで購買で焼きそばを買ってきてもらうと、それを病室で食べた。
「それだけ食欲があれば問題ないな」
「そうかな。でも、体調はいいよ。頭痛もないし」
「良かったな、術式が完全に焼き切れなくて。お前、相当無茶したんだぞ」
普段説教なんてしない健一郎が、暁人の右腕を見ながら言った。輝子もそれを見る。
暁人はああ、と思って、その腕を掲げた。
「かっこいいだろ」
「どこがよ」
暁人の右腕は赤黒い闇色の龍殻の侵蝕を前腕の半ばまで受け、そこから戻らなくなっていた。龍人化の侵蝕現象だ。病院側で研磨してなんとか人の手指の形に近づけているが、その「爪切り」は定期的にしないといけないらしく、暁人はそれが面倒だと思っていた。
「ヤマタノオロチはただの龍神じゃない。俺もあの奥義書に目を通したがお前の力は異質なんだ。その自覚を持て」
「……わかってる。明らかに変な力だ、これ」
焼きそばを平らげた暁人はそう言って、窓の外を見た。箸を持つ感覚が、少し違う。右手が生身でありながらそうでないような気がして、不思議な感触だった。角質化が進んで神経が、その触感が鈍くなったようで敏感になったような感じ。
外には海が見える。そこに浮かぶ島も。
ややあって、病室に一人、別の者が訪れた。
「先生、原稿の直しが届きましたよ」
「ありがとう美琴。帰ったらすぐチェックする」
それは美琴であり、彼女は健一郎を先生と呼んでいた。どういうことだろう? と輝子を見ると、
「美琴ちゃん行くあてがないから、うちで預かろうって。パパが家政婦として、それから助手として一人優秀なのが欲しいって言ってね。雇うことにしたの。その辺の難しい話は天城さんが通してくれるみたい」
「そっか。賑やかになるな。よろしく、美琴」
「はい、暁人さん。……焜さんにも言いましたが、光の仇を討ってくれて本当にありがとう……」
暁人はあの夜の決闘を思い出した。
右手に残る、心臓を抉った感触。自分は確かに一人の命を奪ったのだ。法の番人でもなければ、正義の味方でもない自分が、無遠慮に。
だが後悔はなかった。
秋田透は死んだ。強者と戦った満足を、穿たれた心臓の代わりに満たして。ならば暁人も、奪った心臓に恥じぬ陰陽師として生きていくだけだ。それが戦い、勝ち残った者の責務であると、今ならわかった。
×
「ハァ……フゥ……うぅ……ぐ……」
熊切童子は夜の路地を、呻きながら歩いていた。
あれから何日経った——〈
「苦しそうだね、お嬢さん」
声。深淵から這い出してくるような、非常に気味の悪い声だ。
咄嗟に抜き身の〈
「俺なら君を救ってやれる。どうだい、仲間に加わらないかい?」
「何者だ……」
「俺は空亡。影法師の頭領だ。うちの
その笑みに、有無を言わせる気はなさそうだった。
断れば喰われる。熊切童子は咄嗟にそう悟った。
「いいだろう……助けてくれ」
空亡は満足げに微笑むように喉を鳴らした。その顔は白骨めいた般若面に覆われていて素顔はわからなかったが、明らかにこちらを面白がっていると思え、熊切童子は気味の悪さを禁じ得なかった。
相手の左手が、熊切童子の鳩尾に触れる。するとそれまでの苦しみが嘘のように消え、呼吸が楽になった。
「まずは体を換装しなきゃね」
空亡はそう言って、熊切童子の手を引いて歩き出した。
その行先には、無窮の闇が口を開けている——。
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