第14話 朝のこと、焜がいる日常、勘違い

 ピピピッピピピッと目覚ましの電子音が鳴った。エレフォンに設定してある標準型のアラーム音はやけに心臓に悪く、暁人は電子式の目覚まし時計で起きるようにしていた。

 目覚まし時計のアラームを止めるともう少し眠っていたい気持ちに抗って起き上がる。今日はまだ金曜日、授業がある。とはいえ冬休み前のウイニングランのような状態だ。

 先生たちも年末の仕事に追われて忙しく、人によっては一時間まるまる自習時間とすることも多い。妖怪と陰陽師の学校には色々あるのだ。


 暁人は起き上がってしばらく呆然とガリガリ頭を掻いていたが、このままじゃまずいと思って窓を開け、冷気をあえて取り込んだ。

 ジャージのまま顔を洗って髭を剃り(高校生にもなれば男子は髭くらい生えるのだ)、歯を磨いて一旦運動靴に履き替えて外を走る。毎朝五キロは走るようにしていて、暁人はいつものお寺参りと言っているコースを走った。南の方に行くと寺と霊園があり、燦仏天系の桜坂寺さくらざかでらというのがあるのだ。

 暁人はそこまで片道二・七キロを一息に走り、慣らし歩きして境内に上がると、賽銭をして手を合わせ、一日の無事を祈ってから住職の、老いた河童の男に挨拶し、きた道を戻った。


 家に着くとパジャマの黒ジャージを脱いでシャワーを浴び、防菌脱臭シートで体の汗やらを拭うと、学校の制服に腕を通す。ワイシャツ、ネクタイ、ニットのベストにスラックス、ブレザー。それから防寒用のウインドブレーカーを出し、暁人は携帯と財布をポケットに入れ、ショルダーポーチとウエストポーチを背負って一階に降りた。


「おー、起きてきたじゃん暁人」

「焜がなんでいるんだ……?」

「健忘症なのかお前は。昨日のことを思い出せ」

「あー……。あの子は?」

「あんたが外出た時起きてきたけどまたすぐに寝た。ひとまず事情は説明したから混乱はないと思う」

「ならいいか……」


 暁人はダイニングテーブルの席についた。机には朝食が並んでいた。

 味噌汁と白飯に、納豆のパックと鮭の西京焼き、だし巻き卵とおひたし。標準的な朝ごはんだ。それを作った妹・輝子は居間のソファに寝かせている美琴を心配そうに見ていたが、すぐに戻ってきて暁人の隣に座った。

 健一郎は美琴と喋った張本人で、彼のどこか浮世離れした雰囲気と落ち着いた物腰は、美琴の混乱を抑えるのに一躍買ったと、輝子が言った。

 焜は健一郎の隣に座り、いざ食事だ。手を合わせていただきますをすると、各々食事に取り掛かる。


「叔父さん、美琴のことどうだった?」

「混乱してたが、幸い俺は怪しいおっさんとは思われなかったよ」

「パパ、根がいい人だからじゃない?」


 輝子は健一郎をパパと呼ぶ。そのことについて暁人は何とも思わないし、健一郎も悪い気はしないようで止めたりはしていなかった。


「健一郎さんは小説家なんだろう? 戦えんの?」焜が純粋な疑問を口にした。健一郎は頷いて、

「暁人が事務所に入る前に稽古をつけていたのは俺だよ。白龍の使い方くらいしか教えていないが、十分戦えるレベルに育った。元々は臥龍の家で、高校時代は陰陽師やってたしな。ブランクはあるが護衛くらいにはなる」


 健一郎は納豆が嫌いなので、彼だけ納豆パックがない。ネバネバが嫌ではなく、純粋に匂いがダメらしい。実際オクラとかそういうものはネバネバさせてから食べているし、本人も「匂いがな」と口にしている。

 暁人たちは平気なので納豆をかき混ぜて白飯にかけた。わさび出汁醤油の小粒納豆である。商品名は本わさ納豆(小粒)。三パックでワンセットで一四〇円。

 食事をのんびり進める時間は十分ある。暁人は早起きであり、大体五時には起きる。ランニング自体は三十分で済ませるので、帰宅後シャワーを浴びても大体六時だ。高校は八時三十分に教室にいればいいから、時間は余裕がある。


「お兄ちゃんたち、何の仕事なの? 護衛の仕事なんて」


 ひとまず事情を説明するにあたり、暁人たちは護衛の仕事、と輝子には誤魔化していた。もちろん健一郎には真実を伝えているが、輝子には余計な心配をさせたくなかった。


「依頼内容をホイホイ明かせないんだ。悪いな、輝子」

「大丈夫、私も暁人も強いからさ。大抵の悪党はボコボコよ」


 焜が冗談めかしていうが、輝子は若干心配気味だ。まあ、彼女に心配をかけるのは悪いと思っているが、こればっかりは陰陽師の家族を持った以上仕方ないのだ。

 だが実際に暁人はこれまでの戦いで死んだ試しはないし、酷い怪我もしていない。輝子が少し心配しすぎているのだ。それを愛おしいと思うと同時に、少し過保護すぎやしないか? と彼女のことが却って心配になることがあった。

 健一郎も気を揉んではいるのだろうが、酷い過保護ではない。暁人は自分がシスコンのきらいがある自覚はあるが、輝子も同時にブラコン気味なのだ。

 少なくとも他人である焜にはそう見えていたし、味噌汁を啜りながら羨ましいとすら思っていた。彼女にはそうした兄弟姉妹が何匹がいたが、とっくに妖怪になることなく自然界の掟に従い、死んだ。


 ちなみに焜は人間としての暮らしに慣れているのと体(現身げんしん=本体)が大きいというのもあり、多少味付けの濃いものでも平気である。

 暁人たち自身の料理が比較的薄味というのもあるが、大抵の獣妖怪は味付けが施されていると濃く感じたりもするものだ。とはいえ野生の動物が人間の残飯の味を占めるように、体に悪くてもハマるというのは、人間の料理がジャンク感覚みたいなところがあるのだろう。

 実際焜は人間の、まさしく人間基準の料理はジャンクフードと思っていた。味付けが濃くてクセになるが、体に悪いことも理解している。

 そういう意味では臥龍家の食事は薄味だがジャンクまでは行かない。せいぜい、人間感覚で言えばまさしく他人の家の濃いめの味付けという感じだ。


「焜さん、味付けどう? 狐的に大丈夫?」


 顔に出ていたわけではないだろうが、輝子がそう聞いてきた。焜はだし巻き卵を飲み込んで、


「全然美味しいよ。暁人の妹にしとくのは勿体無いくらい。将来の旦那さんが羨ましいわね」

「えへへ……まだ気が早いよ焜さん」

「そうだよ何が旦那だよ。輝子はまだ十四だぜ。相応しくねえ男なんか俺が払いのけてやる」

「シスコンめ」


 暁人はフン、と鼻を鳴らして納豆ご飯をかき込んだ。魚の皮を叔父からもらった彼は、シメにそれでご飯をかき込み、味噌汁をぐいっと飲むと、「ごっそさん」と言って皿を流しに持っていった。

 朝の食器洗い当番は自然、健一郎になる。彼とて一人暮らしの時間は長いのである程度の自炊はでき、皿洗いや洗濯だって何とかこなせる。どうも苦手意識はあるようだが、人並みにはこなせるらしい。


 暁人は女子二人の食事を待つ間ウエストポーチの中身を確認した。雑記帳のノートにユニークな龍の角をもしたモコモコの筆入れ、

 これは浄祓箱の空間圧縮技術を応用した「道具袋」という概念であり、暁人が仕事中につけているウエストポーチはこの道具袋化した呪具である。

 無論無限にモノを入れられるという類ではなく、組み込む術式次第だが大体大型のバックパック一個分、トランクケース一個分というくらいが限度だ。


 準備を進めていると、唐突に健一郎が席を立った。どこへ行ったんだろう、便所だろうか。そう思っていると書斎に行っていたのであろう彼は一冊の古い手帳と万年筆を渡してきた。


「暁人、親父……お前の祖父さんが記した奥義書だ。ヤマタノオロチの考察が記されているらしい。明子が送ってきた。こればかりはヤマタノオロチの使い手が持つべきだと言ってな。それから実家でのこと、すまないと」

「うん……大丈夫。ありがとう。で、今万年筆は? 俺の名前が金糸で書いてあるけど」

「知り合いに作ってもらったお前の万年筆だ。やっと完成した。大事に使ってくれ。輝子は高校に上がったらプレゼントするからな」

「ありがとう叔父さん、大事にする!」


 暁人は奥義書よりも万年筆を喜んだ。

 シックな黒字のボディに金色の合金の縁取り、薄い膜の内側に金糸で臥龍暁人の文字が彫られ、その内側には金粉がまぶされている。

 一目で高級品とわかるそれは、健一郎自身のこだわりも見え隠れしていた。


「ご馳走様、パパ、皿洗いよろしくね!」

「ご馳走様。健一郎さん、美琴は頼みます」

「ああ、お前らも気をつけてな」


 暁人たちは各々バッグやポーチを持って、ウインドブレーカーを着て家を出た。輝子はストラトキャスターを入れたギターケースを背負っており、今日も軽音部なりその後のバンド活動なりがあるのだろう。夜遅くなる場合は健一郎が迎えに行くから安心だが、兄としては心配が勝る。

 そしてその心配というのは、輝子が暁人に向けるものと同一のものだとは、暁人はまだ気づいていなかった。


×


 高校は附属中学も兼ねている。私立星䨩桜坂高等学校は中高一貫校であり、輝子は中学校の敷地に向かって歩いて行った。

 暁人は焜と同じバスに乗っていたことに妙な落ち着きのなさを感じていた。同じ高校の生徒が当然バスにはいるのだが、その中には走るスピーカーこと梶原瑛二がいたことがソワソワの原因だ。

 彼はバスから降りるといの一番に挨拶だけ行って学校に飛び込んでいく。

 何となく嫌な予感が、暁人と焜の中で同じ気配として共有されていた。


 三階の一年二組の教室に入ると、「出た同棲カップル!」「既成事実だー!」とか声が上がる。

 焜は「あ?」と低い声で男子を黙らせ、暁人はズンズン歩いて梶原の頭を掴む。犬耳がぺたんと潰れた。


「いででででで! 龍の握力で握られたら潰れちまう!」

「お前のボクシングと俺の臥龍流戦闘術、どっちが上か確かめたっていいんだぞ」

「さ、流石に実戦古武術には敵わねえよ!」

「で、何だこの状況は」


 暁人は席につき、ポーチを置いた。そこから雑記帳を取り出し、叔父からもらった万年筆で何やら書き殴る。感情が昂ったり整理したいことが浮かんだら、彼は黒表紙のリング留めのノートに雑記を書き込むことにしていた。

 そこには「:誤解 :同棲の事実はない :仕事で仕方がない :走るスピーカー 壊し方」と物騒な字も並ぶ。


「俺の壊し方なんて簡単だぜ」


 梶原が自分のボールペンで、「走るスピーカー 壊し方」の隣に赤文字で「無視すること」と記した。

 暁人は「じゃあしばらくお前は無視な」と言って、「梶原瑛二 おもしれー男」と書いた。


「親友からツーランクダウンじゃねえか!」

「格上げして欲しけりゃこの妙な噂をどうにかしろ」

「ヒトの口に戸は建てられねえって。俺が言わなくても噂になってたろ。バスで結構囁かれてたし。まして臥龍家の坊ちゃんと学校一って言える美少女が一緒にいるんだぜ。噂を立てんなって方が無理だ」

「焜が美少女だって?」


 暁人は青い髪を揺らして女子の間で誤解を解いている焜を見た。彼女の巧みな話術で女子は「ああ仕事で」と納得している。さすが狐、口の回りは上手い。


「美少女だろ。一緒にいるから感覚鈍るんだよ、お前。つーか輝子ちゃんといいお前の師匠といい美人多いよな。一人くらい紹介しろよ」

「めんどくせえ」


 暁人はそう言って、突っぱねた。

 禮子はああ見えて男を性的な対象と見ていない。彼女は吸血鬼であり、血を飲むなら女と決めている。陰陽師の傍ら「エスコート」という女性専用の性風俗の個人サービスを行なっており、その代償として金ではなく血をもらっているのだ。

 一方で天城はあまりそういう浮いた話を聞かない。三十四歳という女盛りの歳だが、実業家として忙しいのか、はたまた本当は交際相手がいるのか、そこまでプライベートに踏み込んだ会話をしたことがない。


 暁人は諸々の雑記を、理路整然とは言い難い書き方でノート一ページ丸々使って描き切ると、万年筆の蓋を閉めて筆入れにしまった。

 やがて予鈴が鳴り響き、担任教師の日本妖怪史の鴉天狗の教師が入ってくるのだった。

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