第9話 龍の逆鱗に触れる勿れ

 十二月一日火曜日。暁人は、朝早くからスーツに着替えていた。

 今日はテストの日であるが、それどころじゃあない。

 身内に不幸があった、ということで忌引き休みで学校を休んでいた。テストは後日、一人で空き教室で受けることになるが、しかたない。

 祖父が殺された。その事実が、ぐわんぐわん、頭蓋の内側を回る。


 スーツ一式は若いうちから持っておけ、と父に言われており、高校に入った時、その教えを兄から教わっていた健一郎が入学祝いにと、ノートPCと一緒に買ってもらった。

 スーパーマーケットの紳士服コーナーで安い一式を買えばいいのに、叔父は「こう言うところでケチる奴は出世しない」と言い張り、いい店に暁人と輝子を連れて行った。

 決して安物ではないことは、溟月ロイヤルガーターというブランドロゴからもわかる。妹もスカートスタイルのスーツに着込み、健一郎もすでにジャケットに袖を通している。

 暁人は社章を取り付ける位置に陰陽師バッジを取り付けた。これはいつ如何なる時でもつけていろと、師匠の禮子から厳命されている。


「お祖父ちゃん……溟人に、なんで……だって私有地で遺体が見つかったんでしょ? 龍骸山って……屋敷の目と鼻の先って、聞いたけど……そんなの……」

「祖父さんはお前らにだけは甘かったが……愛情の裏返しだ。今は泣いておけ。死者を悼むのは遺されたものの務めだ」


 暁人は啜り泣く輝子の背中を摩り、車の後部座席に座らせた。暁人もセダンの後ろ——輝子の隣に座る。

 叔父はエナジースターターを押し込んだ。妖力と電力の妖巧あやくり式ハイブリッドエンジンが始動し、車が家から出る。門はセンサーで自動で開いた。

 持ち家は、暁人の両親が建てたものだ。一族を離反していた彼らの家の第一位の法廷相続人は暁人だったが、彼が管理するには幼すぎると、健一郎が代理で受け取った。しかるべき時期が来ればしっかり綺麗にして返す、と確約しているが、叔父はこの家にずっといていいと思っていた。それだけのことをしてくれている。

 今だって、本当は夢を反対し続けてきた実父の訃報に対し思うところは沢山あるだろうに、「大人だから」という理由だけで、感情を押し殺している。


 大人になるとは、あまりにも難儀だ。時にその、溢れ出す感情の本流を殺し、ヒトの性を叩き壊す冷徹さを己に突きつけなくてはならない。

 訃報の電話がかかってきたのは、日曜日の日が昇る前だった。

 暁人が日課の走り込みを暗がりの寒空のもと終えて帰ってくると、叔父が切羽詰まった様子でエレフォン片手に誰かと喋っていた。

 次男の遼太郎からで、暁信が溟人に襲撃されて命を落としたと——そう、告げられた。

 遺体はしばらく座卓が冷凍保存し、霊視調査に回すとのことで、葬儀は火曜日、火葬は水曜日になっていた。


 暁信は確かに、父・暁久にはキツく当たっていた。だが決して孫にそれが波及したかというと、そんなことはない。両親は暁信が臥龍家当主として家に来ることは固く拒んでいたが、孫に会いに来る祖父として訪ねてくる分には追い返さなかったし、小学校のランドセルは祖父が買ってくれたものを使っていた。

 輝子には特に、デレデレだった。扱いはまるでお姫様のそれで、見ているこっちが胸焼けするような溺愛ぶりであったのだ。目に入れても痛くないとは言うが、本当にそれくらいの勢いだった。

 孫煩悩といえばそれまでだが、彼は決して暁人の才能という打算ではない、確かな愛情で接していた。だからこそ、祖父として暁信が訪ねてきた時だけは、父は笑顔だったのだ。共に、酒を飲むことだってあった。


「お前は本当に粗忽者だ。親を遺して先に逝く奴があるか。この粗忽息子が……ちくしょう……」


 祖父が、皆が去った臥龍の墓前で納骨された両親にそう言ったのを覚えている。母の骨を臥龍の墓に入れることを賛成したのも、あとから健一郎に聞いたところによれば当主命令だったかららしい。


 厳しい祖父だったのだろう。しかしそれは、家を思えばこその行動であり、父は折に触れて祖父を恨まないでくれ、と言っていた。

 車は溟月島最東端の山岳地帯に入る。龍骸連山と呼ばれるここいら一帯は臥龍家の管理地であり、臥龍家は麓の龍骸温泉街となっている龍骸村にとっては地主である。

 その連山の一つ、龍骸山の麓に臥龍家の屋敷はあった。


 それは築八〇〇年とも言われる、鎌倉時代に建てられたものであるという。

 三代目臥龍家当主、臥龍暁継がりょうあきつぐが建てた屋敷で、それを改築を繰り返し、現代まで使っている。

 車は屋敷の大きな駐車場に入った。

 まるで政治家か、さもなくばヤクザの邸宅である。前庭には立派な池があり、石橋が渡され、錦鯉が泳いでいる。

 松の木が一本、哀愁を漂わせながらぽつねんと生え、玉砂利じきの上に御影石の通路がある。


 暁人は慣れない革靴を履いて、屋敷の前に来る。

 初めてくるところではない。父の葬儀はここで執り行った。他ならない暁信の望みでだ。四十九日をここで過ごし、暁人と輝子はその間、小学校を長らく休んでいた。

 自分は確かに嫡流筋だが、とっくに勘当された息子の、その息子である。今更どの面下げて玄関を開ければいいのだろう。


 既に祖父はエンバーミングが済まされ、座卓による調査も終わっている。遺体は奥座敷に安置され、坊さんの到着を待っているとのことだった。


 曰く、心臓を抉り出された痕が見られたらしい。とどめを刺すためにやったわけではないようだ。抜き取られた心臓はどこにもなく、霊視で見たところ二人の溟人——暁人が報告にあげた四つ目の女と黒人の白スーツが襲撃したらしい。


 あのメッセージは——このための。挑発か、暁人への挑戦か。

 明らかにこちらを舐め腐っている。


「ようこそおいでくださいました、臥龍暁人様、臥龍輝子様」


 出てきたのは黒い和服——喪服の美しい女だった。青い目は、同一族のものであることを物語っている。


「俺には挨拶なしか、芽衣めい

「くだらぬ文筆のために家を捨てた愚鈍な兄上に、何様な言葉が必要か。ささ、暁人様、輝子様、こちらへ。外は寒かったでしょう、温かい甘酒がございますよ」


 妙に暁人と輝子にやけにへりくだっている。なんだか嫌な気分だった。

 居間に通されると、直系の一族やら分家筋やらが一堂に介していた。五十人近くいる。臥龍の一族だけで、教室がパンパンになるくらいいるとは夢にも思わなかった。無論中には配偶者などの血筋外の者もいるが、婚約し籍を入れたのなら、臥龍の者として振る舞うことが絶対である。

 若いものだと中学生くらいの男子もおり、歳が近いところだと、多分高校生か大学生の女性が一人。

 漆黒の髪に青い目を誇る臥龍家は、それを染めることを良しとはしない。皆、黒々とした装束に、髪。配偶者も黒い髪を持っており、恐らくは妖怪などは、黒染めしているのだろう。

 臥龍は何者にも染まらぬ漆黒を至上の美しさとし、そこに映える青を美ととらえる慣習がある。


「陰気臭え」

「お兄ちゃん!」

「だから嫌だったんだよ。親父が家を出た理由がわかるぜ」


 そう言うと、四男の貞夫さだおが声を張り上げた。


「貴様の親父は女狐に唆されて出奔したのだ。履き違えるな、兄貴が家を捨てたんじゃない。俺たちがあの粗忽者の糞兄貴を捨てたんだ!」

「ちょっと貞夫さん、子供の前でおやめなさいな」


 奥方だろうか、気配で狗神筋とわかる黒髪に、琥珀色の目をした気弱そうな女が嗜める。


「知ったことかよ。祖父ちゃんの墓参りは個人的にできることだ。なんで葬儀にまで呼んだ? なんであの女は俺たち兄妹にへり下るんだ。そこが陰気臭えつったんだよ」


 暁人は座することもせず、立ったまま五十人の同族を見下ろした。

 すると長女の明子が口を開く。暁久とは二歳差で、〈雅龍淟星がりょうてんせい〉における赤龍を宿すと聞いている。全身龍殻化が可能な剛の者であり、準特等級陰陽師に名を連ねていた。


「遺言状には臥龍暁人に家督と全財産を相続せよ、とあった。父上直筆、血判と実印もあった。公証人の裏も取れている。暁人様、あなたが今日から臥龍家当主です」


 一瞬、何を言われたかわからなかった。


「も、もう一回言ってくれ。なんだって?」

「暁人様に当主の座を引き継いでいただくと言うことです。歴代で三人のみ受容した、五行全てに適応する最強の龍神を持つあなたに。あなたの才覚は、暁久兄様を超えるものと父上は判断しておられます。父上は確かに武勇には優れなかったようですが、人を見る目は、確かです。それで当主の座にのしあがったのですから」

「祖父ちゃんはヤマタノオロチを降ろすことはヒトの理に反するっつって、嫌ってたって聞いたぜ」

「死人に口無しとはこのこと。父上が何を思われたのかは分かりかねることです。あるいは、暁久兄様への期待を、あなたに向けたのやもしれません」


 周りはピリついていた。

 暁人賛成派と反対派で割れている印象だ。


「断る。今更あんたらと復縁する気なんてない。それに俺は、もう事務所に入っている」

「ご勇退なさい。高校も、もっと格のあるところへ通いなさい」明子が言った。「臥龍家たる嫡男が、あんな場末の高校など恥ずかしくないのですか。品のない生徒に囲まれるのは、不幸な学生生活の象徴ですよ。特に、焜、といいましたか。野良上がりの女狐風情が臥龍の男児と肩を並べるなど、穢らわしい」

「それが嫌だつってんだろ! 俺の人生だ、俺の好きにさせろよ! 次に俺のダチ侮辱しやがったら女だろうと顎外してガタガタ言わしてやるからな!」


 貞夫がガキめ、と吐き捨てる。


「んだと糞爺!」

「貴様の視野は狭いと言っているのだ! 一族のことを考えればこその判断が、なぜ爪先ほども、貴様もあの糞兄貴もできやしないんだ! 貴様は八四三年続いた臥龍の血が絶えていいと思っているのか!」

「この程度のことで廃れる様な家なんざ遠からず没落だわボケが!」

「貴様言わせておけば!」


 貞夫が立ち上がり、暁人に掴み掛かった。

 暁人も負けじと相手の襟を掴み上げ、押し合う。龍としての侵蝕は暁人の方が進んでおり、力も強かった。

 押しのけると、貞夫は優れた体幹で耐えたが、舌打ちする。


「なぜ、なぜだ! なぜ貴様と兄貴なのだ! 生まれ順も才覚も、全てお前らが奪っていきやがる!」

「知らねえよ。俺だって普通の暮らしってのができるんなら、そっちの方がずっといい。わかるかよ、術を使うたびに走る激痛がどんなものか。次使ったら意識が龍に持っていかれるんじゃねえかって恐怖が。俺も親父も、それと戦いながら陰陽師やってんな。安全な檻から眺めてるだけのくせして偉そうなこと抜かすんじゃねえ」


 輝子がオロオロしていた。

 健一郎がトイレから戻り、ため息をつく。


「暁人と貞夫は水と油だと思っていたが、トイレまで聞こえてきたぞ。親父殿が死んだんだ、静かにしろ。みっともないぞ貞夫、いい歳して。……暁人も、十六なら少しは考えて行動しろ」

「健一郎……何様のつもりで框を上った」

「暁人の次は俺に矛先か? 焼香あげたら帰るさ、俺も暁人も、輝子もな」


 しかし、明子が待ったをかける。


「ならば当主は。誰が当主をやれば?」

「はあ? じゃあ俺が一旦は二十九代目になって、即座に三十代目を任命してやるよ。誰かやりたいやついるか」


 そこで一気に、反対派の憤懣ふんまんが爆発した。

 粗忽者! 軽んじておるな! 臥龍の血をなんだと思っておる! 健一郎も健一郎だ! 蛙の子は蛙だ、という声。

 暁人は右から左に聞き流し、いい加減この状況にイライラする。


「俺が当主になるのが嫌な奴がこんなにいるんだぜ。いつ寝首かかれるかわかんねえよ。とにかく俺は当主は辞退する。やらないと言ったら、やらない」


 暁人はキッパリと、そう断言した。

 明子はようやく、納得したらしい。


「相続放棄、と言うことですね」

「そうなる。その後の話し合いは、あんたらで勝手にやってくれ。俺はそういう面倒な駆け引きなんてできない。わかるだろ、そんな奴が一族の舵取りなんてできるわけがないんだ」


 そこに、坊さんがやってきた。

 明子が「お見苦しいところを……」と平謝りし、しかしどこか傲然とした様子の取り澄ました笑みを浮かべ、坊さんは「皆様、こちらへ」と奥座敷に向かう。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「二度とここには来ねえ。くそ、こんな荒んだ気持ちで祖父ちゃん見送るのかよ」


 大股で歩きながら、暁人は奥座敷の座布団に正座した。既に、経典は置かれている。

 燦仏天さんぶってんという溟月島独自の仏教系宗教で弔うらしい。暁人自身は父を神闇道しんあんとうで神葬祭で弔ったが、祖父は生前こちらを望んだのだろうか。

 坊さんがお経を読み上げる。如何なる混沌、混迷、暗闇、停滞、暗中の道にも光は差し、最高守護仏天たる陽之慧ひのえ様がお救いくださる——概ね、そのような内容らしい。


 一族の者は、皆コソコソと当主を誰にするか、と言う話を続けていた。

 いい加減にしろ、と暁人は思う。

 抹香を香炉に落としている最中も、ずっと。


 ——遼太郎はどうだ。——あの根性なしはダメだ。——貞夫は? ——冗談だろ、あんなの家の没落を招く厄だ。

 ——明子様が相応しいのではないか。——女当主なんて、いつ以来だ。——やはり暁人様を説得するのが最良ではないか?


 暁人の怒りは、いよいよ逆鱗に達した。


 己の前に回ってきた焼香。その抹香を一掴み、右手にむんずと掴んだ。


「お、お兄ちゃん!」


 妹が静止するが、無視。周りは何事か、と慌てている。


「とんだ茶番だな、祖父様よ」


 暁人はその抹香を、祖父の遺影に投げつけた。

 そのまま肩を怒らせ、ズンズン早歩きで奥座敷を去っていく。輝子は慌てて追いかけた。健一郎も「すまない、あいつは色々ある思春期なんだ」と言って、出ていく。


「お兄ちゃん、今のは良くないよ! あんなの、お祖父ちゃんに——」


 輝子が暁人の横顔を見て、それ以上を続けることができなくなった。

 頬には一筋、涙が伝っている。父が死んで以来、何があっても泣かなかった兄が、泣いているのだ。


「本気で悲しんでるのは、俺だけかよ」


 震える声で暁人はそう言って、屋敷を飛び出した。車にも乗らず、脇目もふらず、走りまくった。

 とにかく今は、そうでもしなければ胸の内の熱に焦がされ、焼け死んでしまいそうだったからだ。

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