第8話 心臓

 同日午後十一時二十七分。暁人と焜は急遽入った依頼のため、森川区に来ていた。

 森川炭鉱街という鉱山の麓にある炭鉱街の路地に、女性陰陽師の遺体が発見されたというのだ。〈庭場〉に引き摺り込まれたと見られ、そこで落とされた頭部は何らかの魚類に喰い荒らされ、仮にも陰陽師とはいえ子供に見せられるものではないと座卓の鑑識は言い放ち、頑なに見せようとしなかった。奥の路地では吐いている音が聞こえ、よほど凄惨なものだろうと想像された。

 ひとまず彼らは手を合わせ、首を失った胴体とだけ対面した。


 死体袋のジッパーを下げて遺体をあらためる。

 まず腹部に打撲痕が目立つ。拳、胃のあたりはつま先が捩じ込まれたのだろうか。変色具合が酷く、激しい内出血が認められる。死因として決定打だったのは間違いなく頭部の両断だろうが、他にも喉の鬱血など、陰陽師でなければこの打撲——臓器の損傷で死んでいたに違いない。ひょっとしたら損傷した臓器や骨を妖力で強引に繋ぎ止め、戦っていた可能性がある。

 相当激しい格闘戦があったのだろう。首の断面は歪で、日本刀のような切れ味鋭い刀剣で斬ったというより、無骨な剣で力技で叩き切ったような感じがする。


 妖力残滓からして相手は溟人とされており、この金森宮子は二等級陰陽師であるから、相手は少なく見積もっても同等級か、上と見られる。

 暁人たちは遺体に手を合わせ、鑑識が運んでいくのを見送った。

 それから浄祓箱を見遣る。陰陽師の簡単な解術げじゅつで開封できるものだが、溟人には決して触れられない強力な浄化の力を持ち、大きさを小さくすることでその効果を高める足し引きを行っているものだ。

 大きな浄祓箱は物理的な持ち運びを困難とするが、二等級くらいの溟人なら触れられる。一等級なら解術もできるだろう。だがここまで小さい箱は、一等級でも触れられまい。

 中には赤い髪の毛が三本入っており、暁人はそれに妖力の雫を垂らし、霊視した。


 一瞬後、視界が数時間前の戦闘に遷移する。

 ——銀目四つ目の異相の溟人。人間になりきれない、だが限りなく人間に近い二等級。戦闘は途中までは互角だが、〈庭場〉を啓開されたのを境に逆転を許し、凄まじい打撃の反撃をされ、首を刎ねられる。そこで終わった。


「〈庭場〉を使う二等級がいる」

「冗談でしょ? 〈庭場〉なんて、陰陽師でも溟人でも一等級でやっとでしょ?」

「限りなく一等級に近い二等級なのかもしれない。相当人間を喰ってる」


 溟人は生気を吸い、変異を繰り返し等級を上げる。その過程でやがて二等級になった奴らは知恵をつけ、より直接的に生気を得るため人間を喰らうようになる。

 およそ四十人から五十人を喰らった二等級は、一等級に成るとされていた。

 無論これだけ力を持つ妖怪や陰陽師がいる溟月島で四、五十人喰らうなんてただ事ではない。なので、一等級の絶対数は少ないのだが……。


「暁人、あれ」


 焜が何かに気づいた。

 そこには血で——穢れの血で呪印が刻まれていた。

 鑑識が写真を撮り、現場を保存していた場所だ。

 暁人たちはそこに入った。


「挑発か?」


 暁人と焜は霊視を発動し、その呪印を見た。

 浮かび上がるのは恰幅のいい紳士然とした男。黒い肌、潰れた丸い鼻。黒人男性だ。海外で生じた溟人かもしれない。アフリカ系だろう。白スーツをがっちりと着こなし、そいつは東を指差した。


「山……? 龍骸山りゅうがいやま?」


 龍骸山は山龍ざんりゅうと呼ばれる地属性と木属性、水属性を含有した巨龍の骸が山に変じたもので、平安時代に臥龍家始祖が生まれた霊山でもある。


「暁人を……挑発してるの?」

「……こいつ、そういやどっかで」



 ——ヤマタノオロチの心臓は、確かに貰い受けた。小僧、貴様には用はない。何処へなりとも去るがいい。


 あの時いた、九人の——。


「あいつらだ……帰ってきやがったんだ」

「……暁人?」


 その青い瞳が憎しみに染まっていくのを、焜はまじまじと見た。

 普段は少し直情径行で、そのくせスカしている少年が激情を露わにし、その激憤を拳が白くなるまで握り締め、耐えていた。


×


 臥龍暁信は風呂上がりに山へ登るのが日課だった。

 夜半、供の者もつけず腰に一振りの刀だけを差し、齢九十五を越えるという年齢でありながら格闘家の如きがっちりした体躯を黒い袴姿に包み、山道を歩く。頭脳も明瞭で、記憶力の衰えもない。その若さの秘訣は脈々と受け継がれてきた龍神の血によるものだ。

 この山は龍骸山と呼ばれ、臥龍家の私有地である。始祖たる臥龍が龍から生まれたのがこの頂上で、は生後まもない頃には既に人語を解し、歩けたという。

 山麓の人のいい老夫婦に拾われた彼らは老夫婦亡き後小屋でつましく暮らしていたが溟人に嘆く人々を放っておけず、龍の力を振るった。

 妹は龍に成り、兄は女を娶って一族を繁栄させる道を取った。


 兄妹龍の伝承は細部が人によって異なるものだが、その正典は臥龍家の蔵にあり、嫡流以外見ることを禁じられている——というより、その嫡流筋の血がなければ開けることができない。

 その正典によれば、臥龍家が呪われた、穢れた血筋であることがわかる。

 一族繁栄の真相は、近親相姦だ。

 兄妹で愛し合った二人は兄妹で子を成し、子を産んだ。その子は出自を呪い親殺しをし、正しい繁栄を行ったのだ。


 兄・天津辰彦あまつたつひこと妹・大血辰姫だいぢたつひめで愛し合い、その息子に殺された兄妹。これを呪い穢れた血と言わずして、何を呪いと、穢れと言おうか。

 ある意味では暁久には感謝していた。あいつが出ていってくれたおかげで、このおぞましい正典は永遠に封じられるのだ。

 一族の者は史上三人目——二代目と、二十九代目当主候補だった彰久、そしてその息子暁人が受け継いだヤマタノオロチをやけに神聖視しているが、五行全てを手中にするなどおこがましい。龍神への冒涜だ。暁信はそう思っていた。

 暁人や輝子に悪感情があるわけではない。だがその力には、はっきりと嫌悪していた。


 次男の遼太郎は軟弱だが、一族のことを考える器量は十分にある。だがあいつに二十九代目は荷が重い。そう思っていた。些細なことで考え込み、学生時代などは失恋のせいで一週間も部屋に引き篭もったほどだ。あいつには当主なんて無理である。暁信はそう決めていているが、あながち間違いではなかった。当主の側近、参謀あたりが相応しいだろう。

 誰に家督を譲るのかは、直筆の遺言書に既にしたためていた。

 一族の反対はあるだろう。だがやはり、正しく一族を保存する必要があると暁信は最終的に考えていた。


 ふと、風が澱んだ。

 暁信は木属性の青龍がついている。風は幼い頃からの友であり、全てを伝えてくれる雄弁な語り手で、歌い手あった。

 その物言いが、囁きが、不自然に滞る時、だいたい嫌なことが起きる。


「何奴だ」

「流石に気づくか、臥龍家二十八代目当主殿。お目にかかれて光栄だ」


 闇から這い出してくる、紳士然とした白スーツの男。肌は黒く、鼻は丸みを帯びて潰れていた。海外で生じた溟人だろうか?

 その隣には銀目四つ目の異相の溟人。

 一等級、ないしは限りなく一等に近い二等級。


 暁信は太刀の鯉口を切り、柄を小指から順に握り締め、鞘から抜く。


「溟人風情が、霊山に踏み入るとは……如何なる狼藉者とて許せぬ愚劣!」

「難しい言葉をお使いになられる。我らは卑しい溟人。何が言いたい、おいぼれ」

「出て行け。さもなくば祓う」

「違うな、陰陽師なら問答無用で、祓えよ。——史上最弱の当主様よぉ!」


 逆鱗に触れる一言で、却って冷静になった。

 風の鎧を纏い、帯電カウンターの防壁を張る。飛び道具は風の鎧が弾き、物理攻撃は帯電の防壁が自動でカウンターを叩き込む鉄壁の鎧だ。

 刀身に雷を纏わせて高速で振動させ、薙いだ。


「許してくだされ、山龍様よ!」


 龍は友であり、敬意を払う上位の神だ。たとえ亡骸の上の山とて、その生命力は山龍そのもの。龍を斬るなど、まさしく、愚劣の行い。恥ずべき愚行だ。

 だが今宵は溟人を斬るためと断じ、太刀をさらに振るう。

 風と雷の斬撃が飛翔。射程距離のある斬撃は一等級溟人——羅剛に接近。しかし羅剛はみじろぎせず、その剛腕で打ち払った。二度三度明後日の方向に弾き返された遠距離斬撃が、遠方の木々を切り裂いて天狗倒しのような音を立てる。


「妖力弾きというんだっけか。お前らの得意技だ」

「な——」

「貴様らのことはよく知っている。穢れた兄妹愛の歴史も、呪われた親殺しの二代目の話も」

「誰に聞いたッ!」

「おいおい、本当のことですと暴露してどうする。本当に当主か? あんた」


 風雷斬撃を飛ばし、牽制しつつ龍殻化。暁信ができるのは両腕のみであり、侵蝕への恐怖が、彼の才能を殺していた。

 それでも、天雷を呼ぶことはできる。


 直上から翠緑の落雷が落ち、凄まじい破壊をもたらした。地面が抉れ、湿った土が一瞬で蒸発。

 妖力誘導のそれは避雷針になりかねない木々には落ちず、羅剛に狙いを定め落ちていく。しかし彼は、雷速のそれを平然と躱し続けた。


「目で俺を追いすぎだ。政治力はあるんだろうが戦闘技能はイマイチだな。臥龍の当主は歴代いずれも一騎当千と聞いていたんだが」

「黙れっ!」


 接近、至近距離から、斬る。羅剛は術式さえ見せない。自制心のある溟人——極めて厄介である。こういうやつは平然と人間社会に溶け込み、人間として暮らしていることがあるからだ。

 暁信の斬撃を羅剛は平然と躱し続け、飽きたようにため息を漏らした。


「普通すぎる。四年前に戦った暁久とかいうのは、まさしく龍と殺し合う感覚を楽しめたんだがな」

「あの粗忽者の名を出すな! 耳が穢れるわ!」

「おいおい血を分けた我が子だろ。なあ、一個いいこと教えてやるよ。冥土の土産に持っていきな」


 羅剛は暁信の太刀をはっしと掴み、薄ら笑いを浮かべて言った。


「臥龍暁久は、その心臓は生きている。ヤマタノオロチを、俺たちは手中に収めたんだ」

「なに……? 貴様ら、一体——」


 バキンッ、と羅剛は太刀を砕いた。

 背後。

 気配を限界まで消していた紅月の穢れの剣が、暁信の右の肺腑を背中から貫いていた。

 瘴気を流し込まれ、激痛が、全身を焼く。

 暁信は痙攣し、喀血。彼が吐いた血を羅剛はうまそうに啜り、その心臓を鋭い爪で抉り出した。


「紅月、やる。龍の心臓だぞ」

「嫌よ、ジジイの心臓なんて。あんたが喰えば?」

「なら遠慮なく。俺は一等級になっても術式なしだったからな。念願の術式、しかも〈雅龍淟星がりょうてんせい〉だ」


 羅剛の口が耳まで裂け、彼は心臓を丸呑みにした。

 そうして、臥龍暁信は死に、その龍神の加護が宿る心臓を奪われるのだった。

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